八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

七十路徒然なるままに

2008年12月19日 19時54分30秒 | Weblog
先月24日に、F君の他界をブログをした。そのF君の奥さんが「通り路なのでちょつとお礼を」と声を掛けてくれた。毎年の家族旅行を楽しんでいたとか。ありきたりの弔電とわずかの香典なのに、恐縮をした。58歳の遠縁の通夜が21日にある。別の話。仏式のこの世との別れを「三十万億土のかの地への旅立ち」とゆう。神式の時は「神に戻る」とゆう。数年前、叔父の時、一言挨拶をと、頼まれた。神式では初めてなので、困った。火葬を待っている時、神官の近くに義妹がいたので、訊ねてもらった。専門の用語があるのだが、一般人には「神に戻る」とゆう。この言葉で、急場をしのいだ。小生は佛式なので、遠い地へ行かねばならないのかぁ-と、罰当たりのことを考えている。禅の言葉に「両忘--生死を忘れる」がある。難しくてわからない。かすかすの脳では、あたりまえと承知をしている。生きる、生きる、生きると、貧のときも、病めるときも、精一杯生きると解釈をしている。
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