八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

七十路徒然なるままにNO51

2008年03月30日 15時39分56秒 | Weblog
画像はいたずら書きの『知遠=遠きを知る』長期的な見方も大事、好きな言葉だ。禅の言葉に『看脚下=脚下を見よ』がある。文字として知っているだけだ。話しはかわるが、きのうまで、親戚の葬儀で、一連の事柄に列席した。現世から離れることは、こころ残りがあったと思う。生と死、相対している言葉なのだが、今は生きている。この間には病める時も、貧の時も、富の時もある。病める時には、平癒を念じ、貧の時は、そうゆう時もあるのだなぁ-と思い、富めるときがあった時は、一時じゃ-ないかと思う。今回見送ったひとは、86年の間、こんな気持ちで人生をおくっていたように見えた。突然の死だったが、精一杯、悔いのない人生だったように思われる。ある時期に、何百人の労働組合の長として、頑張っていた。そんな頑張りが、生前に時々会ったとき、感じていた。頑張れる、そんな人生を感じてみたい。これからどのくらい、生きられるかは、わからない。小生は個としての自分しかない。今の自分を精一杯生きる、これしかないと思う。
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