暮れのうちに年賀欠礼の挨拶を貰ったうち、中学校時代の女性の同級生からので、主人を見送ったと、2通あった。例年暮れになると、きてほしくないのが欠礼の挨拶状だ。親戚からのはお悔やみに行ってるのもあるし、ちょつとした知人からのは「そうかぁ-」で済ますこともある。60年もまえの同級生からのは、同年代とは別に、なにか寂しい感じがしてしかたない。寒中御見舞いの書き出しでお悔やみを述べ、北海道のK君が、このいわきに戻ることなく一昨年旅立った、ことなどを加えて、ご冥福を祈った。ありきたりの文面なので、若山牧水の詩-『破草鞋』-を書いたのを同封した。2006.6.7.の拙いブログの載せたもの。
『 草鞋よ お前もいよいよ切れるか 今日 昨日 一昨日 これで三日間 はいてきた はき上手の私と 出来のいいお前と 二人で越えてきた 山川のあとをしのぶに 捨てられぬ思いもぞする なつかしき これの草鞋よ 』 詩文の解説によると 「 糟糠の人との永遠の別れのときに、ふっとかすめる愛情と悔恨のおもいにつうじる 」とある。
クラス会関連は2007.1.11と1.23にブログして在ります。
『 草鞋よ お前もいよいよ切れるか 今日 昨日 一昨日 これで三日間 はいてきた はき上手の私と 出来のいいお前と 二人で越えてきた 山川のあとをしのぶに 捨てられぬ思いもぞする なつかしき これの草鞋よ 』 詩文の解説によると 「 糟糠の人との永遠の別れのときに、ふっとかすめる愛情と悔恨のおもいにつうじる 」とある。
クラス会関連は2007.1.11と1.23にブログして在ります。