つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

勝・西郷会見地・薩摩邸跡地

2008年03月30日 | 社会
                 田町薩摩邸(勝・西郷の会見地)跡地

田町駅のそばの第一京浜道に、薩摩邸跡地の記念碑がある。
この敷地は、明治維新前夜、慶応4年3月14日、幕府の陸軍総裁である勝海舟が、江戸100万市民を悲惨な火から守るため、西郷隆盛と会見し、江戸無血開城を取り決めた「勝・西郷会談」の行われた薩摩藩屋敷跡の由緒ある場所です。

この蔵屋敷の裏はすぐ海に面した砂浜で当時、薩摩藩国元より船で送られてくる米などは、ここで陸揚げされた。

現在は、鉄道も敷かれ(明治5年)更に埋め立てられて、海まで遠くなりました。
この付近は最後まで残った江戸の海岸線です。

また人情噺で有名な「芝浜の革財布」は、この地が舞台となっています。

(3月30日記 池内和彦)
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千鳥が淵の桜とボート

2008年03月29日 | 社会
                千鳥が淵の満開の桜とボート

千鳥が淵の満開の桜を北の丸公園側から観てみた。
桜の枝が水面に向って下がっているので、桜の花が堀いっぱいに覆っているようだ。
千鳥が淵の堀割にはボート場がある。
ボートと満開の桜の花がとてもマッチしている。
ボート上からの花見も乙なものである。

首都高速道路が千鳥が淵の中を横断している。
更に遠方には高層ビル群が建っている。
東京タワーも大きく見える。

千鳥が淵の桜を楽しむ人たちが沢山訪れていた。
ほとんどのところで満開となった桜の花。
心のなかの気持ちも満開となっている人も多くいることでしょう。
大いに楽しんでください!

(3月29日記 池内和彦)
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千鳥が淵の桜

2008年03月27日 | 社会
              千鳥が淵の桜

靖国神社のそばに千鳥が淵がある。
桜の名所として多くの人が集まる。
千鳥が淵の桜の木は、枝が堀の水面に向って伸びているものが多い。
だから、桜の花も水平や下に観ることができる。
ボートが桜の花とマッチしている。
ボートに乗りながら、桜を観るのも楽しいひとときである。

向こう側は、北の丸公園。
その中の日本武道館は、毎日多くの人たちを集めている。
大学の卒業式が連日行われているのだ。
24日は中央大学。25日は法政大学。26日は明治大学の各校がマンモス卒業式を挙行していた。
卒業式は華やかである。
とくに袴着用の和服姿の女学生が彩を添えている。

桜の花は、卒業式と入学式の演出を盛り上げる大きな要素となっている。

(3月27日記 池内和彦)
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東京に春を告げる「靖国の桜」

2008年03月26日 | 社会
       開花宣言のソメイヨシノ標本木(靖国神社)

東京では、桜の開花宣言のソメイヨシノの標本(基準)木がある。
九段の靖国神社の境内、能楽堂舞台の横の桜の木がそれです。
その桜に数輪の花が咲くと、開花が発表される。
今年は3月22日に開花宣言があった。
その3日後の桜の花は三部咲きであった。

靖国神社の桜は、明治3年に元勲木戸孝充公によりソメイヨシノが植えられたのがはじまり。
ソメイヨシノをはじめ、山桜等600本を数える。
その他、寒桜、冨士桜、緋寒桜、しだれ桜、ウコン桜等がある。

東京の桜の見頃はもうすぐだ。

(3月26日記 池内和彦)
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桜の開花 ソネイヨシノ

2008年03月23日 | 社会
                ソメイヨシノ

東京で桜の開花宣言が出された。
桜の代表的なソメイヨシノの発祥の地は、東京都豊島区駒込。(フジサンケイビジネスアイ)
江戸では「染井村」
ソメイヨシノが広がった歴史は、幕末から明治初期にかけてのこと。
染井は、津の藩主である藤堂家の大名屋敷があったところ。
お抱えの植木屋により全国へ波及していった。

豊島区観光協会では「ソメイヨシノ桜の観光大使コンテスト」を開催した。
大使は、「ソメイヨシノの街、駒込」をPRするのが役目。
「日本中を桜色に染めたい」と抱負を語っている。

     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

駒込に染井銀座商店街がある。
昔の馴染みの商店街で活気に満ちている。
様々な商店が連なっている。

(3月23日記 池内和彦)
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神奈川県躰道競技会(4)

2008年03月22日 | 躰道
         法形競技(神奈川県立武道館)

法形競技とは俗に言う「型」で、躰道では「法形」と言います。
「創造進化の武道」と唄う躰道では「型にはまる」事を嫌っています。
その為に「法則に則りかつ変化する物」という意味で「法形」と言っています。
同じ法形でも、個人戦と団体戦があり、「個人戦」では次に述べる法形の十大要素に基づき採点されます。

1.用意と起心  2.陰陽の関係  3.強弱の度合  4.緩急の度合  5.伸縮の度合  6.呼吸の度合  7.着眼と目的  8.気合の適正  9.形態の保持  10.残心と解体

「団体戦」では、やはり出場選手5人の調和が最も重要視され、次に技の難易度や、構え緩急の使い方等が判定のしどころとなっています。
また見る側からするとどのような陣形をとるかも興味深いところです。

壮年法形は、「呼吸法」を主体に勢命の法形、活命の法形、延命の法形の三つがあります。
この法形では、各技が呼吸と合った使い方がされているかが見られます。
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神奈川県躰道競技会(3)

2008年03月21日 | 躰道
            実戦競技(神奈川県立武道館)

実戦競技とは、俗に言う「組み手」で躰道では「実戦」と言います。
この実戦を解り易く言うと躰道は「力勝負」を嫌うという事です。
躰道では、選手同士が全身全霊の英知を傾け、技で勝負をします。
その為に、直線的、感情的な動きをさけ、戦略的、理性的な試合運びをします。
そこで足の運びや「虚(きょ)」に乗じた技が出され観客にとってはいつの間にか技が出たという印象を受けます。
判定には「有効」「技有り」「一本」があります。
とりわけ「一本」は完全に相手を制した時に判定されます。

団体戦では5対5で戦います。
団体戦で他の武道と違うところは、背番号制であり、1番は「旋・運」、2番は「運・変」、3番は「変・捻」、4番は「捻・転」、5番は「転・旋」というように、各人が得意の技の番号を選び、その技を中心に戦います。
もし、その技が決まれば「技有り」が一本になる事があります。
これは作戦をもって相手を制したことでの一本という判定です。
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神奈川県躰道競技会(2)

2008年03月20日 | 躰道
         展開競技(神奈川県立武道館)

展開競技は、主役1名と脇役5名で技を展開し競い合う団体戦です。
躰道特有の競技です。
ルールとしては主役が25秒から30秒以内に脇役全員を倒します。
その中で各チームの5人の脇役は、1(旋)、2(運)、3(変)、4(捻)、5(転)のゼッケンを持ち、その特番の技を主体に主役を攻めます。
その際に技を工夫しいろいろな角度から新しい技を次々と繰り出していきます。
転がったり、ジャンプしたり、三次元空間を利用した動きの中から技を展開します。
審判は、それらの技をいかに無理無駄なく確実に脇役が主役をねらい、主役が脇役を倒し、技の展開が十分行われているかを判定し、点数をつけます。

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神奈川県躰道競技会反省会

2008年03月19日 | 躰道
       反省会でスピーチする石井徹実行委員長

競技会終了後、新横浜のお店で大会の慰労会も兼ねた「反省会」が開かれた。
最初は石井徹実行委員長よりスピーチがあった。
「今競技会は千葉健志先生が中心となり準備を進めてくれました。当日の進行スタッフもよく自分たちの担当を遂行していただき感謝しております。時間も予定通りに終了でき良かったです。ネットで競技会の模様を動画配信をしたところ全国各地から5000アクセスがあったとは凄いことです。福長寛之さんのお陰であると喜んでおります。今回、池内和彦八段範士を招聘して観覧してもらいました。なぜかと言うと、池内先生は、神奈川県躰道協会の理事長でもあったのです。また東海大学躰道部の監督として学生達を指導していたこともありました。横浜道場にも足を運んで教えてくれました。だから皆に紹介をしたくてお呼びしました」

参加者は40名ほどであったが、競技会に関しての感想や意見と自己紹介を述べていた。これは躰道の社会におけるプロセスとして、思考、判断、方法、結果、反省との教えがある。
祝嶺正献最高師範は、「一つの行動を行ったら必ず反省することをしなさい。」と諭していました。
大会などの反省会では、いつも一人ずつのスピーチに真剣に耳を傾けて聴いていました。
その人がどのような考えと心を持っているかを観察してもいたのです。
五条訓のはじめは「心」から始まります。「技」は最後である意味が分かりますか。
どんなに実技の上手い人より、心の豊かな人を評価していました。

最後は、日頃から指導者として尽力している千葉健志先生の話題となりました。
躰道の創始者である祝嶺正献最高師範が亡くなってから7年が経過していて、現在の会員たちで祝嶺正献最高師範を知らない人たちが大半を占めるようになってきました。その人たちにとっては祝嶺正献最高師範は伝説の人となっているのです。
横浜市の躰道がたくさんの会員を育成してきた大きな要因は、千葉健志先生の尽力によることが認められております。指導力豊かな実力と優しい心の持ち主である千葉健志先生は、祝嶺正献最高師範の理念をいつも持って行動をしております。その先生への感謝をもって反省会はお開きとなりました。

(3月19日記 池内和彦)
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神奈川県躰道競技会 ライブでネット配信

2008年03月18日 | 躰道
      神奈川県躰道競技大会(神奈川県立武道館)

躰道の神奈川県競技会が、横浜市の岸根公園にある神奈川県立武道館で開催された。
温かな天候に恵まれて100名の選手達も気分が高揚している。
4面ある柔道場の中央2面を使用して競技は9時30分に開始された。
観覧席は、出場選手の仲間や少年少女会員の父母らで満席の状況である。
石井徹実行委員長の開会の挨拶で、競技会はスタートした。

横浜市、富士市、清水市、A1スポーツクラブ、東海大(湘南・清水)、拓殖大、国士舘大、東京医科歯科大学の会員および部員が出場していた。
当日の競技会の模様は、ライブでネットで動画配信され、パソコン上で観た人が5000人以上いたとのこと。
会場の10倍の人たちがいたるところからアクセスして観戦したことになる。
インターネットは凄い!

躰道を学ぶ会員達の目標は、
稽古をして昇段昇級審査を受けて自分のランクを確認することと。
もう一つは各種大会に出場して自分のレベルを認識することである。
競技会を見ていても、基本鍛錬が出来ている選手は法形が上手いし、更に実戦競技の実技展開も上手い。
少年会員の法形競技は素晴らしい対戦が沢山あった。
初階、中階、上階の部とも決勝戦は甲乙つけがたいいい勝負であった。
いずれも全国大会でも通用する選手ばかりだ。

一般の部でも個人戦の実戦競技、法形競技とも
男子の部、女子の部とも迫力ある試合で観客を魅了していた。
実戦競技では、運技を得意とする選手や捻技を得意とする選手など自分の持ち味を発揮して勝利を手に入れた優勝者。

競技会は、実行委員会の準備段取り、当日の競技の進行スタッフなどが素晴らしく進行も順調に運び、予定通りの時間に終了することが出来た。
日本の各地で一生懸命に躰道に取組んでいる人たちが沢山いる。
横浜でも千葉健志先生の指導手腕が会員達から高く評価されている。
躰道の創始者である祝嶺正献最高師範を知らない会員が増えてきた現在、一生懸命に躰道の理念に基づいて研鑽をして指導を担当している指導者たちに感謝したい。

(3月18日記 池内和彦)
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三宅ヨシロウさんのこと

2008年03月17日 | 友人
               三宅ヨシロウさん

三宅ヨシロウさんは高知県室戸市の出身です。
県内一の進学校である土佐中・土佐高で過ごした。
文武両道で、学力も優れていた。そして野球部に所属していた。
野球の練習をしていると近くの土佐女子高校の女学生が沢山グランドに見物に来て「とても人気があってもてたものです」と語る。

東京国際大学(旧国際商科大学)の第一期生として入学。
早速、野球部の創部のため部員集めに奔走する。
今は硬式野球部のOB会長として、古葉竹識監督率いる野球部の活動を支援して見守っている。
在学中は、特に徳永哲男教授のゼミナールに所属して「商法学」を学んでいた。
卒業後は、子供の頃からの志望であった不動産会社に就職して、今は独立して不動産業会社を経営している。

三宅ヨシロウさんはいつも細かいことにこだわらずおおらかに構えている人です。
大学の同窓会の会長職を長年務めてきた。
組織を運営する手腕は優れており、同窓生や大学関係者も高くから評価されていた。
会長になっても公私混同することはなく対応して組織拡大に尽力していた。
現在は、同窓会の相談役役員として会長をサポートしている。

三宅ヨシロウさんは、勉強家であり幅広い知識と智恵をもっている。
新聞は日本経済新聞、スポーツ紙を愛読している。
政治、経済、スポーツ、競馬、芸能、時事問題の情報にも長けている。

そんな三宅ヨシロウさんもインターネットには少し弱いようだ。
時代の流れに乗り遅れないように最近パソコンに向って勉強をしている。
酒は麦焼酎を好み、煙草は40本を吸う愛煙家。
体重、体形は学生時代当時から変わっていない。
何しろ努力家な人です。

(3月17日記 池内和彦)
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椿

2008年03月15日 | 日記
               椿(北の丸公園)

春を思わせる暖かい日。
北の丸公園を散策した。
伊豆大島の椿が注目されているが、ここでも椿の花が咲いているのを見つけた。
子供の頃住んでいた吉祥寺の家にはたくさんの椿の花が咲いていた。
だから、
身近に椿の花を見るととても親近感を感じる。

映画の「椿三十郎」を思い出す。
隣家から流れてくる小川に椿の花がいっぱい流れてくる場面がある。
椿屋敷と云われる家から椿の花がどんどん流れてくるシーンは圧巻である。

やはり冬から春に咲く花である椿である。

(3月15日記 池内和彦)
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紅梅と白梅

2008年03月14日 | 日記
           紅梅と白梅(北の丸公園)

北の丸公園は樹木が多く散策するのには気持ちのいいところです。
紅梅と白梅がきれいに咲いていた。
そばによると梅に花の香がプーンとしてくる。
春を感じさせる紅白の梅の花はとてもリラックスさせてくれる。
樹木や花は確実に季節を伝えてくれる。
春はそこまでやってきている。

(3月14日記 池内和彦)
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河津桜

2008年03月13日 | 日記
              河津桜(北の丸公園)

北の丸公園を散策した。
吉田茂の銅像のすぐそばに「河津桜」が満開の花を咲かしていた。
東京で河津桜が見られるとはラッキーです。

河津桜
オオシマザクラとカンヒザクラの雑種
寒ざくらより少し遅い2月頃から咲き始める早咲きの桜です。
静岡県河津町で発見されたサクラであることから「河津桜」とこの名がついた。

(3月13日記 池内和彦)
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花嫁の父

2008年03月12日 | 友人
   バージンロードを進む父・森陽一郎先生と娘・陽子さん

森陽一郎先生の可愛い一人娘・陽子さんと村田兼一さんの結婚披露パーティーが開催された。
会場は、赤坂のSUBIR Sea Blue。

お二人は職場で知り合ったことが縁でゴールインした。
招待状には、「この度 私たち二人は お互いを人生の伴侶とし 結婚することとなりました。つきましては 人前式にて皆様の前で永遠を誓い 結婚の儀を整えたいと思います。

人前式は全員参加の形で挙行された。
最初は新郎が登場。階段から降りてくる。会場中央の両側に並んだ男性陣から一輪の花を一人ずつ受取っていく。最後に待機していた両家の母親が新郎から受取った花束をブーケに作る。
今度は、新婦の登場。父親の腕に手を組んでバージンロードをゆっくりと進んでいく。

全員が席に着いてから「人前式」の始まり。
新郎がプロポーズをして、ブーケを差し出す。
新婦が受諾の言葉を発し、ブーケを受取ると、全員から「おめでとう!」の歓声があがった。
宣誓書読み上げ、新郎新婦の署名、友人署名、指輪の交換、愛の接吻、ウェーディングケーキ入刀。

披露宴と入っていく。
代表者の祝辞、乾杯の発声、スピーチが続く。
新郎新婦はやっと緊張が解け、リラックスした状態。
両家の両親は、目を細めながら二人の祝宴を眺めている。
新婦の父親・森陽一郎先生は「娘を嫁がせる寂しさは少しもない。娘の陽子を選んでくれた兼一さんに感謝したい」と語っておりました。
弁論について多くの人たちを指導している森陽一郎先生は、本日は花嫁の父として、この披露宴が少しでも長くあってほしいと祈るような心境であったでしょう。

二人がお色直しで登場してきた。
新郎は、背中にビア樽を背負っている。各テーブルをまわり感謝の言葉を述べ、そしてビールを注いでいく。
新婦は、特製のカレーパンを一人ずつ渡してまわった。

この会場の介添えスタッフはみんな若い。
そして心細かい配慮が行き届いていて、二人の披露宴を盛り上げていた。
その清々しい行動が何ともいえない雰囲気を醸し出している。

披露宴のお開き後は、新郎、新婦を囲んで全員で記念写真撮影が行われた。
空は雲ひとつない晴天の素晴らしい結婚披露宴の日でありました。

(3月12日記 池内和彦)
コメント (2)
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