庭園に流れる瀧の源流となっている湧水は、古くから「延命の水」として親しまれ、昨今はパワースポットとして注目されている。新緑、紅葉の時期はひときわ見事な景観が見られる。
歌人・与謝野晶子もこの瀧の風情にふれ、「山荘へ 玉簾の瀧流れ入り 客房の灯をもてあそぶかな」と歌に残している。
山本亭の庭園
柴又にある山本亭(東京都選定歴史的建造物・葛飾区登録文化財)の特徴は、近代和風建築と純和風庭園が見事に調和しているところです。
庭は、面積こそ著名な庭園に比べ小さいものの、その狭さを、奥に滝を配して奥行きを持たせ、池の岸にアクセントをつけて広がりを持たせルなど、日本の伝統的な庭造りの工夫が見られます。米国の日本庭園ランキングでは、3年連続第3位に選ばれています。
和室の花の間から見る庭園が一番美しく、抹茶やコーヒーを飲みながら懇談しているグループがおりました。この日は、庭園では雪つりの準備をしているところでした。雪の積もった庭園もまた趣があることでしょう。
井の頭公園の七井橋
井の頭公園の井の頭池はY字型になっていて中央部分を「七井橋」が通っています。
三鷹市牟礼に住んでいる人たちが歩いて吉祥寺に来るときに利用する人も多くおります。
この七井橋はなかなか池との調和があって風情があります。
子供の頃は木橋であり、その頃は名称は付いていなかった。コンクリート橋にリニューアルした時に「橋の名称」を公募していました。小学時代の時ではがきに書いてで応募したことを思い出します。今の橋はさらにリニューアルした最新の橋であります。
七井橋の由来は、井の頭池は湧水で池の水が満たされています。池に湧き出す場所が七つあるところから七井橋と命名されました。
池の水面すれすれのところに渡してあるので、水鳥や池の中の鯉や魚が近くで見ることが出来ます。
七井橋から見る公園の景色は昔とあまり変わっていないところがとても良いです。そして懐かしく昔の思い出を蘇らせてくれます。
男滝(名主の滝公園)
「名主の滝公園」は、王子駅から徒歩5分のところにとても静かな場所にあります。
江戸時代、王子村の名主、畑野孫八が屋敷内に滝を開き、茶を栽培して避暑のために一般に開放したのが始まりで、名前の「名主」はそこに由来します。昭和50年からは北区に移管され管理されています。
園内は回遊式の庭園となっており、男滝(おだき)、女滝(めだき)、独鈷の滝(どっこのたき)、湧玉の滝(ゆうぎょくのたき)の4つの滝があります。
男滝は豪快に流れ落ちいつまでも見飽きないです。滝から流れた水は小川となって園内を巡り大小の池に注いでいます。入場料は無料。
近くには王子稲荷神社もあり、入口のところは王子稲荷の坂という急な坂道の途中にありました。この界隈は散歩をするにはいい場所です。
三定の「天ぷら料理」
浅草の雷門の横には、天ぷら料理の老舗「三定」があります。「一に浅草、二に観音様、三に三定」のキャッチフレーズで馴染みのお店です。
お店に入り「天ぷらご飯」を注文。魚の白身のキス、大きな海老、小エビと貝柱のかき揚げなどが盛られております。天ぷらは軽く揚げられているので美味しさが増します。
霞会散策会で「三定」を訪問した時に、真田優七代目会長(TIU同窓生)から天ぷらの歴史と知識について聞いたことがありました。とても参考になりました。また、天ぷら料理では油を使用するので、絶対に火事を起こしてはならないと、いつも緊張感をもってお店のビル上階に家族とともに生活をしているとのことです。
老舗の理念とこだわりが、料理の天ぷらにも伝わっておりとても美味しく味わいました。
川越の菓子屋横丁
色とりどりのガラスが散りばめられた石畳の道に、20軒程の菓子屋などがひしめく川越の有名なスポット「菓子屋横丁」。 素朴で昔懐かしい味を今に伝える菓子作りの店が立ち並び、一歩足を踏み入れると、誰もが子供に返ったような気分になってしまう。
醤油の焼ける香ばしい香り、ニッキやハッカ飴、駄菓子やだんごなど、昔ながらの手法で作られる飴菓子・カルメ焼きなど、思わず「あっこれ!」と言ってしまう駄菓子の数々…。誰もがワクワクしてしまうような場所であります。
「菓子屋横丁」は明治の始め頃、鈴木藤左衛門が養寿院の門前町として栄えるこの町で江戸っ子好みの 気取らない菓子を製造したことが始まりといわれている。
その後の大正12年、関東大震災によって被害を受けた東京に代わって製造供給を賄い、昭和初期には70軒以上の店があったといわれている。人情味あふれる横丁の情緒、威勢の良い呼び込みの声、素朴で懐かしく温かい街角は、時代が変わっても人々に安らぎを与えてくれる。
「菓子屋横丁」に漂う素朴で懐かしい香りは、平成13年環境省の“かおり風景100選”に選定されました。
川越へ行くと必ず立ち寄るのが「時の鐘」です。川越のシンボル「時の鐘」は情緒あふれる蔵造りの町並みにひときわ高くそびえています。蔵造りの町並みと同様に、城下の頃の面影を残す建造物で、江戸時代初頭から城下の町に時を告げ、庶民に親しまれてきた鐘つき堂です。
今から約400年前、当時の川越藩主だった酒井忠勝によって創建されたといわれる。以来度重なる火災で鐘楼や銅鐘が焼失したが江戸時代を通じて度々建て替えられた。現在建っているのは4代目に当たり、明治26年に起きた川越大火直後に再建されたもの。 町の3分の1が焼失した中で、暮らしに欠かせない「時」を告げる時計台は、いち早く建て直された。
時代が変わり鐘つきの方法が鐘つき守りから機械仕掛けへと変化しても、昔と変わらず今も蔵造りの町並みに時を告げている。また、その響きの良い音色は平成 8年、環境省の「残したい“日本の音風景100選”」に認定された。
木造で3層のやぐらで高さは約16メートル。午前6時・正午・午後3時・午後6時の1日4回鳴る鐘の音は、小江戸川越の情緒をたっぷりと味合わせてくれます。