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つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

皇居東御苑

2025年04月30日 | 名所
 皇居東御苑は、皇居の一角(東側地区)にある皇居付属庭園です。
 皇居の由緒ある豊かな自然や歴史に思いをはせながら四季の変化や花々が見られるように、多様な樹木、草花が配置されています。

 天守台は江戸城天守閣のあったところで三度建てられましたが、明暦(1657年)の大火で焼失した後は、再建されていません。
 天守台から見える大芝生は大奥のあった場所です。本丸御殿のあった場所は、令和元年11月大嘗祭が執り行われました。
 
 その一角には忠臣蔵でお馴染みの松の大廊下跡の石碑と案内板が設置されています。本丸御殿が豪華で凄かったであろうと想像できます。再建されたら良いと願っております。

 中雀門跡から下っていくと大きな長い建物の百人番所があり、つつじの花がきれいに咲いております。大手門から出るとタイムスリップした世界から現実の社会に戻された感じがしました。
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「高幡不動尊金剛寺」

2025年04月29日 | 名所
 高幡不動尊金剛寺の五重塔

 高幡不動尊(真言宗智山派別格本山、高幡山明王院金剛寺)を訪れました。

 今から1,100余年前、平安時代初期に慈覚大師円仁が、不動堂を建立し不動明王を安置したことから始まる。

 多摩丘陵の一角をとり込み、三万坪の高幡不動尊の境内は、春の椿に始まり、桜(300株)、紫陽花(7500株)、彼岸花(10万株)、もみじ(1200株)などの花木に恵まれています。

 五重塔は、平安時代初期の様式で建てられた美しい塔で、和様、三手先出組、青銅瓦葺、塔高40mの荘厳な建造物です。


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西郷南洲・勝海舟会見之地

2025年04月28日 | 歴史
 田町駅近くの第一京浜国道と日比谷通りの交わった交差点のところに「江戸開城 西郷南洲・勝海舟会見之地」の碑が建立されています。

 徳川幕府の討幕活動をしていた西郷南洲は江戸城を襲撃する行動を起こすところでした。
 勝海舟は芝の薩摩藩邸に赴き、西郷と話し合いをして、江戸城の襲撃を思い留めさせた。また、愛宕山に西郷を案内して江戸城を見させてここが火の海となったら後々後悔をすると説得しました。

 現在、皇居があるのは、この二人の会見のお陰であります。
 
 この碑のところには、当時の絵地図と説明文が付設されています。
 当時は、薩摩藩邸のそばは海であり、落語の人情噺で有名な「芝浜」の場所でもあります。

 勝海舟と西郷南洲の真剣な話し合いで、江戸城は開城して明治天皇が住む皇居となりました。
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湧き水の井の頭池

2025年04月27日 | 池さんぽ
 井の頭池の湧水

 徳川家光候が武蔵野に鷹狩りに来て三羽の鷹を射止めました。三鷹の地名の由来。家光が休んだところが井の頭池のそばで、今では御殿山と呼ばれております。

 家光がお茶を飲んだところ「これは美味しい!」と絶賛して、その水が井の頭池の湧水であることを知ります。「この水を江戸の市民に届けよ」との命により、神田上水(神田川)の造成が始まり江戸市中まで完成しました。到着地点がお茶の水です。

 講談のような話ですが、井の頭池の出口には神田川起点と明記されております。井の頭池はいいところです。今では公園として多くの散策の場所となっております。





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根津神社の「つつじが岡」

2025年04月26日 | 池さんぽ
 つつじが岡(根津神社)

 文京区の根津神社に行って、つつじの花を堪能してきました。
 ここは徳川六代将軍家宣の生まれた屋敷地であったときにつつじが植えられ350年の歴史があります。
 その後、この地に千駄木の旧地より根津神社が遷座されました。

 境内にある約2000坪のつつじが岡には、約100種3000株のツツジが色とりどりに見事に咲き競いあっています。つつじ祭りの期間中は甘酒茶屋、植木市、露店等もたくさん並びます。
 
 見頃は4月中旬から下旬。種類が非常に多く、開花時期が違うため、早咲きから遅咲きへと花が移り変わり、長い期間様々なツツジを楽しむことができます。中には豆つぶほどの小さい花のフジツツジ、風車のような花弁のハナグルマ、黒ツツジと呼ばれるカラフネ等珍しいものも見ることができます。

 この根津神社のつつじは例年GW頃が見頃ですが、今年の温かい春の陽気で4月中旬ごろから見ごろとなっております。 つつじが岡への入園には寄進料がいります。国の重要文化財である根津神社の社殿等の漆塗修理、神苑の維持費に充当しています。


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「さぼうる」のナポリタン

2025年04月25日 | 飲食店

 山盛りのナポリタン(さぼうる2)
 神保町は、書店や出版社が集中する「本の街」。特に古書店が約180店もあり、こんな美しいレトロ本屋街は世界中探してもないでしょう。

 神保町に話題の老舗喫茶店「さぼうる」があります。古本屋で購入した本を珈琲を飲みながら読むのが流行りのようです。隣はレストラン「さぼうる2」です。ランチのために行列に並びやっと入店できました。店内は女性のグループ客がほとんどで、その多くの人が「ナポリタン」をオーダーしておりました。
 
 この店の人気メニューのナポリタンは並盛でも2人前はあると思われる大盛で出てきます。山盛りと行った感じです。男性でも食べ応えがある量です。サラダ付きなので交互に食べていきます。粉チーズとタバスコを適宜かけてゆっくりと味わっていきます。途中休憩をしながらも完食をしました。久し振りに食べたナポリタンはとても美味しかったです。


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雑司ヶ谷旧宣教師館を見学

2025年04月24日 | 豊島区
有形文化財「雑司ヶ谷旧宣教師館」

 豊島区立「雑司ヶ谷旧宣教師館」を見学しました。
 雑司ヶ谷旧宣教師館は、明治40年にアメリカ人宣教師のマッケーレブが自らの居宅として建てたもので、豊島区内に現存する最古の近代木造洋風建築であり、大変貴重なものです。

 当時の新興住宅街である雑司ヶ谷における布教活動と幼児教育の拠点としての意味を持っていたことで、昭和62年9月1日に豊島区の登録有形文化財として登録し、その後特に重要な文化財として保存、活用をさらに進めるため、平成4年11月10日に、指定文化財となりました。平成11年3月3日に東京都有形文化財に指定されました。

 1階の居間の暖炉(マントルピース)には、アールヌーボー風のタイルを使い、ケヤキ材の前飾りがついています。2階の天井には格子に割竹が使われ、外国人の竹への興味がうかがわれます。玄関わきの張り出し窓(ペイウインドウ)は、1階は斜めに、2階は直角に変化をつけていました。

所在地 東京都豊島区雑司が谷1-25-5 TEL 03-3985-4081 入館料 無料。


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原敬首相の襲撃現場

2025年04月23日 | 歴史

 原敬首相の襲撃現場

 東京駅の丸の内南改札ホールに原敬首相の襲撃現場が記録されています。  床にポイントで示されており、すぐそばの壁には襲撃の模様が掲示されています。
 
 1921年11月4日。原敬首相は、立憲政友会の大会に向かうため、東京駅の改札口へと向かう途中、右翼の青年に暗殺される。
 原敬が首相になってから行った財閥などに利益を誘導するような政策、普通選挙法への反対、ロシアによる日本人約700人を含む住民虐殺事件「尼港(にこう)事件」への対応などに不満があったと伝えられる。
 
 原敬は1856年盛岡藩で生まれた。首相になった際には「平民宰相」と呼ばれるが両親は武士の家柄。成人後に分家して平民籍になっている。
 新聞社や外務省への勤務を経て、1900年に立憲政友会に入党。1918年には、米騒動で辞任に追い込まれた寺内内閣が総辞職。
 立憲政友会の党首として首相に任命されるという、日本で初の本格的な政党内閣を組閣する。

 

 

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力道山の墓

2025年04月22日 | スポーツ
 力道山の墓(池上本門寺)

 池上本門寺の五重塔の近くに力道山の墓があります。
 小学生の頃、プロレスで黒タイツの力道山が外国人レスラーを相手に空手チョップで勝利する姿を街頭テレビで観戦をしていました。テレビの普及はプロレスの人気により貢献していました。

 まさしく力道山は時の英雄でありました。
 ショーとしても、ワザとしても“空手チョップ”は偉大な発明だった。
 この力道山のブームを「敗戦に打ちひしがれた国民の鬱憤の吐きどころだ。戦後の精神的功労者をあげるなら、水泳界の古橋、橋爪に力道山は匹敵するだろう」
 
 力道山は気性の激しい努力家だった。三歳のとき父に死なれ、母親の手で育てられた。細々と農業で生計をたてていた母親を、いつか幸福にしてやろうと小さいときから思っていたという。
 
 頑丈な体格で人並み以上に大きかった彼は、十七歳で角力界に入ったが、肺臓ジストマにかかり、転落したのを機に角力界を去った。

 それから背水の陣でプロレス入り、昭和二十七年二月、ハワイに渡った彼は、名トレーナー沖識名についた。そこで体得したのが必殺“空手チョップ”だった。


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マジック教室(4月その2)

2025年04月21日 | マジック
 4月第二回のマジック教室は6名が参加しました。新入会の女性も初参加しておりました。

 まず初めに5月25日(日)アルカディア市ヶ谷で開催される「TAMCマジック発表会」の案内があり、観覧希望者には入場券が配布されました。

 トランプマジックは「星の王子様」の研修をしました。女性の客を1人選んで「ここに貴女が心を寄せる王子様(ジャック)が4人(♦・♣・♥・♠)居ますが、4人とも従者に囲まれているので貴女は近づけません。でもお呪いをしてみましょう」と云う。客の選んだものをひっくり返して他の山に重ねることを何回か行う。お呪いした12枚をテーブルにリボンスプレッドすると、ジャックの王子様が4枚だけ表向きになっている。そこで「どうやら貴女の気持ちは王子様に通じているようですね。4人とも貴女を見ています」という。このカードマジックは女性たちはとても面白がり興味を示していました。

 後半は、シルク3枚とロープ2本を利用した「神田祭」を研修しました。2本のロープに3枚のシルクを巻き付けてロープで結び、左右のロープを引っ張ると3枚のシルクがロープから離れて上方へ飛び抜けていく所作を習得していきました。これは見事な作品で観ている人たちが不思議がり盛り上がります。

 最後は、白紙の表と裏を検めて何もないことをみせて、その白紙でペーパーコーンを作り、中からシルクが出現をしてくる演技も研修しました。

 マジック教室に参加してくる人たちは復習をしてきて次回の発表に披露しております。

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谷中霊園の墓参

2025年04月20日 | 芸能

 新国劇創立者・澤田正二郎の墓

 谷中霊園は東京では古い方の墓地であります。その中に新国劇創立者である澤田正二郎の墓があります。墓参してきました。

 新国劇に興味を持ったのは15歳の時です。竹早高校の国語の国広教諭から「卒業生の緒形拳氏は新国劇に入団して活躍をしている。テレビの大河ドラマの「太閤記」で主演をしている」との話を聞いてから新国劇およびその精神を継承している劇団若獅子の芝居を観劇しておりました。
 
 澤田正二郎の墓には、柳に蛙の劇団マークと新国劇と彫られた石碑があります。墓石の後には昭和4年3月4日と記されています。「何処かで 囃子の声す 耳の患い」と詠んだ句碑は新橋演舞場のところにあります。中耳炎が原因で急逝しました。葬儀会場となった日比谷公園には10万人以上の人が集まったという当時の人気役者でありました。
 
 この谷中霊園には俳優の長谷川一夫、川上音二郎、本阿弥光悦などの墓もあります。また幸田露伴の小説「五重塔」の舞台となった跡地も残っています。

 震災や戦災をも免れた五重塔は昭和32年に放火により焼失してしまいました。今では土台となっている石が残っております。
 
 谷中墓地や谷根千地区にはガイドブックを手にした旅行者の姿を多く見かけました。

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神田「きくかわ」のうなぎ

2025年04月19日 | 飲食店
 神田きくかわのうなぎ

 神田きくかわは昭和22年創業の江戸前うなぎ屋です。
 きくかわのうなぎは、注文を受けてから蒸し、その後タレを付けて炭火でじっくり焼き上げ、このとき竹串ではなく江戸前では珍しくピアノ線を束ねた特注品の金串で焼くことにより、熱伝導にすぐれ内側からもじっくり熱せられるのでふっくりと仕上がっています。

 神田きくかわは文豪をはじめ多くの著名人に愛されてきた古き伝統が息づく店です。





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浮間公園を散策

2025年04月18日 | 池さんぽ
 浮間公園へ行きました。

 埼京線の浮間舟渡駅前にある浮間ケ池の周辺に整備された都立公園です。

 かつて荒川の本流だった浮間ヶ池にはヘラブナやコイなど多くの川魚が生息し、釣りスポットとして人気があります。

 水生植物の保護区やサクラソウ苗圃など、荒川の名残を残す植物が植栽されています。チューリップなどの花々がきれいに花壇には咲いていました。

 園内には180mにもなる桜並木が整えられており、池に映る桜や、池畔に建つ風車と桜の牧歌的な風景が楽しめます。

 浮間ケ池は中央が区界となっていて、東側が北区浮間で、西側が板橋区舟渡となっています。
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湿生花園のミズバショウ

2025年04月17日 | 池さんぽ
 箱根湿生花園のミズバショウを観てきました。

 湿生花園には、多数の草花と樹木の手入れが行き届いていて、花の名前も明示されているのでとても分かりやすいです。初めて見る花や名前を知る良い機会です。

 この季節は、川や湖沼の周辺に見られる湿原の植物であります白色のミズバショウが群生地できれいに多数咲いております。園内の木道を歩きながらゆっくりと観ることができ楽しむことが出来ました。

 その他、カタクリ、イワウチワ、ミスミソウ、ニリンソウ、マメザクラ、エゾノリュキンカ、シャクナゲなどが咲いております。

 湿生花園は、昭和51年5月21日に開設され、約30000㎡の面積があります。植物について研鑽されておりました昭和天皇も来園した記念碑がありました。
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総本家 更科堀井のそば

2025年04月16日 | 飲食店
 麻布十番に総本家「更科堀井」そば店があります。

 看板商品は白いさらしなそばと変わりそば。
 さらしなのメニューからもりそばを注文して食べました。
 店内は老舗の風格があります。麻布という場所柄、外国人の利用者も多いようです。ランチ時は満席で店頭には入店を待つ長い列ができています。

 更科堀井は創業寛政元年当時から大名屋敷や有力寺院などに出入りしていましたが、明治時代半ばには、皇后や宮家などにも出前を届けていました。

 また、土産のそばを目籠詰めにして売り出して、麻布永坂「更科」名物として大いに評判になりました。各地に「更科」が増えたのは、この永坂の繁栄にあやかろうとしたもののようです。

 「永坂更科」や「布屋太兵衛」の登録商標は堀井家の手を離れることとなる。昭和59年12月、堀井良造氏は先祖代々の地である麻布を離れることなく、麻布十番商店街の一角に「総本家更科堀井」を開店しました。
 江戸時代中期以来200年余に及ぶ家業の伝統を、創業の血筋を引く堀井家の手で再興したいとの思いから美味しいお蕎麦を提供しています。




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