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つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

佐渡山安恒師範

2025年08月03日 | 躰道

 佐渡山安恒師範と祝嶺正献先生

 「おぅ、春範(しゅんぱん)ではないか!」と佐渡山安恒師範は祝嶺正献先生へ呼びかけました。祝嶺正献最高師範の本名は祝嶺春範です。昭和48年4月4日、躰道創始者・祝嶺正献最高師範に同行して沖縄へ行った時のことです。
 祝嶺正献先生が5歳の時から空手を習った先生が佐渡山安恒師範です。恩師を訪れたところは沖縄県恩納村熱田の佐渡山安恒師範の自宅です。何十年ぶりの再会です。その時、佐渡山安恒師範は83歳で祝嶺正献先生は47歳でした。

 今「躰道」のある原点が、祝嶺正献先生が佐渡山安恒師範に空手の指導を受けたことにあります。その後、祝嶺正献先生は空手を修練して玄制流空手道を創始して普及してきました。
 そして昭和40年1月23日に空手を発展させた21世紀への武道「躰道」を創始して社会に発表しました。現在世界中の多くの人たちが躰道を修練しております。その原点となる佐渡山安恒師範にお会いできたことをいつまでも記憶に残っております。

 その時の佐渡山安恒師範の眼光は武道家の目でありました。教え子である祝嶺正献先生を見て懐かしさが瞬時に昔の指導教授した時のことを思い出されたようです。お二人の貴重な写真を撮ることが出来ました。

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山田竜也先生について

2025年08月02日 | 躰道
    音楽家の山田竜也先生

 音楽家の山田竜也先生と池袋でお会いして懇親のひとときを過ごしました。ランチは中華料理店の天府酒家で、多田廣士さん(躰道指導者)も同席しました。

 山田竜也先生は、躰道に関する音楽を沢山作曲してくれた方です。「躰道ひとすじ」、「躰道賛歌」、「躰道行進曲」、「勢命の法形の曲」など素晴らしい音楽を提供してくれました。

 躰道創始者・祝嶺正献最高師範との親しい交流のなか音楽が作曲されました。第10回全日本躰道選手権大会(昭和51年)でのエピソード。
 東京体育館で実施され観客は3階席まで満席となり、7400名の人が試合を見守っておりました。
 開会式の入場行進は、山田竜也先生の指揮するオーケストラによる「躰道行進曲」です。全国から選出された選手たちは威風堂々入場してきて、開会式に臨みました。
 来賓席には全国から集まった各躰道協会会長や躰道師範ら150名が臨席しておりました。躰道創始者・祝嶺正献最高師範の力強いスピーチが今でも甦ります。

 躰道の良き時代を山田竜也先生と一緒に懐古した一日でありました。
 (2015年3月15日)

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躰道創始者・祝嶺正献最高師範

2025年08月01日 | 躰道

 全日本躰道選手権大会(東京体育館)

 全日本躰道選手権大会の観客7400名。東京武道館が建設される前は、全日本躰道選手権大会は千駄ヶ谷駅前にある東京体育館で開催されていました。
 躰道創始者・祝嶺正献最高師範は「大会を開催する時には友人や知人たちを会場に来てもらうように呼びかけなさい。それが躰道の広報になり組織を拡大する大きな要素です」といつも話しておりました。
 
 大会運営は大会会長である祝嶺正献最高師範も自ら多くの知り合いに呼びかけておりました。役員席の後ろ側に設置されたひな壇の来賓席には150名の各躰道協会の会長や躰道師範たちで埋め尽くされていました。

 開会式の選手入場の時には、音楽家の山田竜也先生の作曲された「躰道行進曲」が生のオーケストラの演奏で威風堂々行われました。
 
 当時の東京体育館は3階席まであり観客席は8千名入る施設でした。その大会を観ていた体育館職員は「躰道さん、よく観客を集めましたね。3階の一部に空席がありますが、本日の観客は7千人を超えていますよ」と話していたことを鮮明に記憶しております。

 祝嶺正献最高師範は「大会は人が集まりやすい広い会場で開催すること」を常に話しており、大会開催についてはメディア関係にも訪問したり、案内をしておりました。

 
「躰道行進曲」の作曲者・山田竜也先生  祝嶺正献最高師範と躰道紋章

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谷口興一先生について

2025年07月28日 | 躰道
 谷口興一先生は、熊本県出身であり、東京医科歯科大学医学部の卒業生です。大学在学中に玄制流空手道の祝嶺正献最高師範と出会う機会に恵まれました。祝嶺正献最高師範からは、空手の指導と人生論を学んでいました。また医学的な面からは谷口先生が知識をサポートしていました。
 その後空手を進化させた新武道の理論と実技を祝嶺正献最高師範とともに考案していき、“21世紀への武道・躰道”として昭和40年に創始して日本躰道協会を設立しました。現在ある「躰道」の基礎を祝嶺正献最高師範と形成したのが谷口興一先生であります。

 谷口先生は、競技大会における審判講習に力を入れて審判員の育成に力を注いでいきました。その研修には、映像をふんだんに用いるなど科学的方法を使用して画期的な指導をとってきました。躰道の全日本選手権大会の実戦競技の決勝戦での主審審判員を担当した時の谷口先生の所作が鮮明に脳裏に浮かんできます。相対して隙あれば攻撃に出ようとする両選手が運足で移動する。選手が互いに動き始めて接近した瞬間に主審である谷口先生の右手が挙がったが、それは正に旋状蹴りの技が決まった瞬間であった。場内の観客は一瞬谷口先生の右手に注目が集まり、判定結果に納得しての万雷の拍手が次に沸き起こったのであります。審判は競技の演出者であることを実証した名審判のメモリアルシーンでありました。

 谷口先生は、祝嶺正献最高師範が逝去された後は、躰道本院最高会議議長として正統なる躰道理念を伝承していこうと尽力されておりました。その指導力は卓越したものがあります。人の意見はよく聞いてバランス感覚よく的確にまとめていきます。その根本的な思想のなかに祝嶺正献最高師範の唱えていた躰道の理念が活かされております。一回りも二回りもスケールの大きな人で、私が最も尊敬する人物の一人であります。会議などで会った時には優しく声をかけてくれますし、食事をしながら哲学を含んだ人生論なども話してくれる素晴らしい人です。それが谷口興一先生であります。

 躰道の創始者である祝嶺正献最高師範の理念を最も理解して、後進に伝承していきながら指導をしている人が、谷口興一先生であります。
(2007年9月3日)


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最高師範杯

2025年07月25日 | 躰道

 全国社会人躰道優勝大会では、「最高師範杯」という名誉な賞があります。
 これは躰道創始者・祝嶺正献最高師範が創設した賞であります。

 躰道を修行している社会人は、実技はもとより躰道の理念を理解して人格的にも優れた人に与えらえるとの趣旨のもと毎大会ごとに選手の中から一人選出されるものです。

 躰道創始者・祝嶺正献最高師範の生前中は、最高師範自らが選考をしておりました。

 自分も全国社会人優勝大会には、第1回大会から第5回大会まで選手として出場をしておりました。この「最高師範杯」を、第1回大会、第2回大会、第3回大会、第5回大会と4回受賞しました。誠に栄誉なことであります。

 大会当日、会場には「最高師範杯カップ」展示されておりました。
 歴代受賞者のリボンがカップに吊るされておりました。
 私の名前が記されていたリボンが4本吊るされてありました。

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映画「英雄傳」を観賞

2025年05月29日 | 躰道
 躰道の中野哲爾師範が出演する映画「英雄傳」を観賞しました。館内は満席の盛況でした。

 中野哲爾師範は、躰道の全日本、全国社会人大会で10度以上優勝、年間最優秀選手賞10度以上受賞。世界大会4連覇も成し遂げた世界最高峰の躰道家として知られています。
 高校生の時にキックボクシングのプロライセンスを取得。拓殖大学進学後、躰道部に入部。24歳から自らが主宰する躰道場「己錬館」の館長を務めています。2023年の世界選手権大会では日本代表ヘッドコーチとして日本チーム全種目優勝に貢献しました。

 映画は、仮面ライダーやウルトラマンなど数々の特撮シリーズを手がける坂本浩一氏が原案・監督・アクション監督を務めています。
 ストーリーは、謎の武闘集団から平和な街を守るべく立ちあがった武術家たちの闘いを、本物の武術家たちをキャストに迎えて活写したバトルアクションです。
 映画のほとんどがアクションシーンとして続き、各武道家たちの格闘シーンには見応えがありました。
 中野哲爾師範の格闘演技も素晴らしいものでした。

      
 中野哲爾師範(躰道)               映画「英雄傳」
                  
   
    中野哲爾先生と(日月にて)
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躰道創始者・祝嶺正献最高師範誕生秘話

2025年05月22日 | 躰道
 躰道創始者・祝嶺正献最高師範

 大正14年(1925年)12月9日。沖縄本島、山原(やんばる)の山脈を西に背負ったこの有銘地方では、12月の雷雨は珍しくない。尚質王の妃真鍋樽(まなんだる 1649~1668)を始祖とし、3百年の由緒ある家歴をもつ祝嶺家の頭領である春栄はすでに40歳、まだ男児がなかった。「男子を授け給え、わが国土に益する子を授け給え」(拳風夙夜より)

 躰道創始者・祝嶺正献最高師範の生誕のエピソードです。少年時に沖縄で佐渡山安恒師範から空手を学びました。(昭和48年に祝嶺正献最高師範に同行して沖縄へ行ったときに佐渡山師範を訪問しました)。
 日本へ来てから各団体で玄制流空手道を指導して多くの弟子たちを育成してきました。昭和40年に空手を発展させた21世紀への武道「躰道」を創始して社会に発表して普及していきました。

 同年に国際商科大学(現東京国際大学)へ入学した私たち同志は、練馬の自宅に祝嶺正献最高師範を訪ねて、躰道の指導を願い出ました。
 指導を快諾してくれた祝嶺正献最高師範は、その後毎週、川越市の大学まで来校して躰道部を創部した仲間たちに熱心に躰道の理念と実技の指導をしてくれました。
 ある時、「全日本躰道選手権大会用の写真を撮影をする」と云い、大学のキャンパスで私たちをモデルに躰道の演技を指導して自らカメラのシャッターを押しておりました。その写真が第一回全日本躰道選手権大会のポスター、プログラム、チケットに掲載されました。


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「勢命の法形」について

2025年05月09日 | 躰道
 「勢命の法形」を披露する壮年会員

 「勢命の法形」についての解説。
 躰道の創始者であります祝嶺正献最高師範は、旋、運、変、捻、転の五つの技を基本とする躰道を創始して60年が経過しました。そして躰道を万人のものとするために呼吸法を取り入れた「勢命の法形」を創作しました。当初、壮年会員の普及を目的に健康面を考慮した法形を創作しようと試みました。
 
 勢命の法形の創作の基本には中国拳法の所作を参考にしております。躰道の勢命の法形には、体気九法という九つの呼吸法を採り入れております。体軸に角度を持たせることにより氣が移動していくことを理解させております。その理念の基となったのが、植物の樹木の生態を基準にして形成しております。
 
 昭和49年、祝嶺正献最高師範は、躰道の法形を創作した中で唯一「勢命の法形」を、茨城県の鹿島神宮において奉納演武をしております。躰道を会員に普及していこうとの強い現れがありました。

    全日本躰道選手権大会の競技種目として壮年法形競技を誕生させて広く披露していきました。
 
 祝嶺正献最高師範が、躰道の中で最高にして最大の法形となったと言及しているのがこの「勢命の法形」であります。裏の部分である後半は、所作が左右反対で行いますが、これは人間の機能を高めるための鍛錬法が盛り込まれており、躰道の理念を表現しているものです。
 
 特別演武は、壮年会員の風格のある重厚性を表現する「勢命の法形」であった。観客から万雷の拍手で演武を賞賛された出演者たち笑顔を見せて満足な顔であった。
 天国の祝嶺正献最高師範も特別演武「勢命の法形」を喜んでいることだろう。


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高橋福位さんについて

2025年03月02日 | 躰道
 高橋福位さんについて

 躰道の親しい友人である高橋福位さんが私の事務所に訪れてくれました。
 高橋さんは、帝京大学で躰道部に所属していて、全日本躰道選手権大会では法形競技でチャンピオンになった人です。

 演武する法形は華麗にして重厚さがあり、後宙返りなどの高度な技も表現するテクニックを持っている。躰道の会員から憧れの選手として目標にされていました。

 卒業後は、法政大学躰道部の監督として指導に当たり、全国学生優勝大会で優勝に導いたほどで指導者としても功績を発揮しておりました。
 人の話を真剣に聞くことにとても長けた人です。

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(想い出)天野修一さんについて

2025年02月10日 | 躰道
 2010年4月5日の読売新聞朝刊に掲載された記事を紹介いたします。

 「道程」の教え 夢の支えに 山崎さん宇宙へ
 恩師の遺族 墓前に成功祈願

 4月5日午後7時21分、山崎直子さんがスペースシャトル「ディスカバリー」でケネディー宇宙センターを出発しました。山崎直子さんが、宇宙への夢を貫き通したのは、中学時代(松戸第一中学校)の亡き恩師から贈られた高村光太郎の詩「道程」を心の支えにしていたからでした。その恩師は山崎直子さんの2年~3年の担任であった天野修一教諭であります。

 天野修一氏は躰道5段教士の指導者として後進の育成に活躍しておりました。私が東海大学躰道部の監督に就任していた時の躰道部主将としてクラブをまとめておりました。天野修一氏は、東海大学を卒業後、教員の道を歩み、中学校の生徒の中に山崎直子さんがいました。

 山崎直子さんが、1999年2月宇宙飛行士の候補に選ばれたときに、新聞の記事を見ながら、天野修一先生は奥さんに対して「この子は教え子。頭も性格も運動神経も良くて、こんなに三拍子そろった子がいるんだと思っていた」と自慢げに話していたようです。

 一ヵ月後、当時、がんと闘っていた天野教諭の元に山崎直子さんから手紙が届きました。病床の天野修一恩師への励まし、宇宙飛行士の訓練に挑む決意。そして「宇宙へ行く際には、ぜひフロリダの射場までいらしてください」と綴られていました。天野修一氏はそれから数日後、息を引き取ったのです。45歳でした。

 その励ましの手紙を、天野夫人の君枝さんは今も大切に保管している。君枝さんは山崎直子さんへ電話をして「無事、ミッションが成功することを陰ながら応援しています」と激励していました。このエピソードは、NHKテレビ「ニュースウオッチ9」でも、“シャトルで宇宙へ山崎直子さん11年間の夢"として詳しく報道されておりました。
 
 アメリカのアトランタ在住の躰道指導者の内田光信氏からもNHK衛星放送で天野修一さんの報道のニュースを観ていて、ヌンチャクの技が上手い彼のことを思い出した。とメールでコメントを頂きました。

 私にとって天野修一さんの想い出はたくさんあります。自宅の千葉県松戸市から神奈川県の東海大学までの通学時間は片道3時間を要しておりました。それでも、勉学と躰道のクラブ活動は毎日休むことなくこなしておりました。転技を得意として躰道の全日本大会では実戦競技、法形競技での優勝経験もたくさんありました。

 天野修一さんの葬儀に参列しましたが、棺の中には躰道着がかぶせてありました。躰道の創始者であります祝嶺正献最高師範は、「躰道は社会還元のできる武道である」と諭されておりましたが、天野修一さんはその教えを実践してくれました。



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(記録)第1回全日本躰道選手権大会プログラム

2025年01月24日 | 躰道

 第1回全日本躰道選手権大会のプログラム

 この写真は、第1回全日本躰道選手権大会のプログラムの表紙を飾ったものです。


 東京国際大学躰道部の創設者である第一期生同期の原透氏と演武をした時のものです。大学3年の時、祝嶺正献最高師範が大学に直接指導に来られた時に、最高師範自らカメラを取り出して写真を撮影したものです。
 
 上空に飛び上がり運体飛燕蹴り突きの技を演じているところの写真であります。シャッターチャンスもよく、この写真は祝嶺正献最高師範も大変気に入って、第1回全日本躰道選手権大会のプログラムの表紙と大会ポスターに掲載されたものです。
 
 昭和42年(1967年)11月19日(日)は、町田市民体育会館で第1回全日本躰道選手権大会が開催されました。当日は冷たい雨が降っていました。


 プログラムの中の特別演武では、作家の川内康範氏が躰道の攻防演武を披露していました。


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日本躰道協会創立記念日

2025年01月23日 | 躰道
 1月23日は日本躰道協会の創立記念日です。今年は創立60周年となります。

 祝嶺正献最高師範は、玄制流空手道を発展させて21世紀への武道「躰道」を社会に発表したのが、1965年(昭和40年)1月23日です。40歳の時でした。躰道の指導と組織発展の為に日夜尽力されていました。
 第1回全日本躰道選手権大会は1967年(昭和42年)11月19日に町田市立体育会館で開催されました。

 祝嶺正献最高師範は、2001年(平成13年)11月26日に亡くなりました。もう24年が経過するところです。祝嶺正献最高師範から直接躰道の指導を受けられた躰士たちはだんだん少なくなってきております。指導者の年齢も高齢になってきて、躰道の正統な理念と実技を継承して若き躰士たちを育成しております。

 祝嶺正献最高師範は、1925年12月9日に誕生しましたので、今年は生誕100年の記念年となります。 日本躰道協会ではいろいろと企画しているようです。今年の活動が楽しみなところです。
 
 

 
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祝嶺正献最高師範のお墓参り

2024年11月27日 | 躰道
 11月26日は、躰道創始者であります祝嶺正献最高師範の命日となり、今年23回忌となります。この日は天候にも恵まれてとても良かったです。伊東市にあるお墓に、齋藤育代さん(祝嶺正献最高師範の長女)と木部満さん(東京国際大学躰道部OB)と一緒にお墓参りをしてきました。

 毎年齋藤育代さんとは同行してお墓参りをしております。今回伊東市に在住している木部満さんから命日にはお墓参りの同行を希望されていましたので連絡をして伊東駅で待合わせをしました。

 墓前に捧げる仏花を花屋で購入してから、お墓のある高台まで登って行きます。お墓を清掃してから花を手向けて、線香を捧げます。躰道の活動報告をします。特に今年9月に東北地区躰道優勝大会が50回記念大会として宮城県の気仙沼市で開催され成功裏に終了したことを報告しました。
 お墓からは伊東市街と相模湾の展望が素晴らしく見えます。

 祝嶺正献最高師範は来年(2025年)には生誕100周年の記念年となります。現在躰道を修練している若い人たちは写真でしか祝嶺正献最高師範のことを知らないので、創始者から直接教わったことの様子などを詳しく伝承していくことを墓前に誓いました。

 木部満さんは、学生時代躰道部の合宿で祝嶺正献最高師範の指導について思い出を語っておりました。今では躰道を修練していたことがとても役に立っていたと話しておりました。

 お墓参りの後には、木部満さんの案内で寿司屋に行き、新鮮で美味しい寿司を食べながら躰道について三人で懇親のひとときを過ごしました。流石に伊東の鮮魚は新鮮で寿司種もしっかりとしています。

 食後にマジックを披露したところ二人からとても喜ばれましたのでお土産にトランプマジックをプレゼントしました。

 
祝嶺家のお墓              お墓から伊東市街が展望できます

木部満さん(東京国際大学躰道OB)
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山西義彦さんについて

2024年10月16日 | 躰道
山西義彦さん

 躰道の親しい仲間に山西義彦さんがおります。和歌山県の海南市で高校時代に玄制流空手道と出会い、大阪産業大学には一期生として入学して、空手道部を創設した。その後、玄制流空手道は躰道へ移行していきました。卒業後は、海南市役所に勤務して行政一筋に公務員として尽力をしてきました。

 一方、躰道の指導者として多くの会員を育成してきました。和歌山県の躰道指導者として活躍していた小西美智子さんも山西義彦さんから指導を受けた一人です。

 自分が日本躰道協会関西事務局で組織活動をしていた時には、大阪から和歌山県海南市まで行って山西義彦さんとよく交流を図っていました。

 祝嶺正献最高師範は、関西躰道学院の講師を担当した山西義彦さんの活動や言動について「躰道の理念を良く分かっていてしっかりしている指導者である」と評価していました。

 また、躰道の実技でも優れていました。日本武道館で開催された全国躰道範士等競技大会においても、「地制の法形」の演武で圧倒的な上手さで優勝を果たしています。祝嶺正献最高師範もその演武に対して躰道の円熟した表現であると絶賛していました。

 山西義彦さんは、体力づくりのためにトレーニングに力を注いでおり、今でも週4日は水泳をして体を鍛えています。マラソンや自転車競技などにも積極的に出場をしています。とても引き締まった体つきであります。また観察力のある人で社会の情勢や躰道の組織についてもよく見ています。

 


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躰道「谷口興一先生について」

2024年09月26日 | 躰道

  谷口興一先生は東京医科歯科大学医学部の卒業生です。
 大学在学中に玄制流空手道の祝嶺正献最高師範と出会う機会に恵まれました。祝嶺正献最高師範からは、空手の指導と人生論を学んでいました。また医学的な面からは谷口先生が知識をサポートしていました。

 その後空手を進化させた新武道の理論と実技を祝嶺正献最高師範とともに考案していき、“21世紀への武道・躰道”として昭和40年に創始して日本躰道協会を設立しました。現在ある「躰道」の基礎を祝嶺正献最高師範と形成したのが谷口興一先生であります。

 谷口興一先生は、競技大会における審判講習に力を入れて審判員の育成に力を注いでいきました。その研修には、映像をふんだんに用いるなど科学的方法を使用して画期的な指導をとってきました。
 躰道の全日本選手権大会の実戦競技の決勝戦での主審審判員を担当した時の谷口先生の所作が鮮明に脳裏に浮かんできます。相対して隙あれば攻撃に出ようとする両選手が運足で移動する。選手が互いに動き始めて接近した瞬間に主審である谷口先生の右手が挙がったが、それは正に旋状蹴りの技が決まった瞬間でありました。
 観覧席の観客は一瞬谷口先生の右手に注目が集まり、判定結果に納得しての万雷の拍手が次に沸き起こったのであります。審判は競技の演出者であることを実証した名審判のメモリアルシーンでありました。

 谷口先生は、祝嶺正献最高師範が逝去された後は、躰道本院最高会議議長として正統なる躰道理念を伝承していこうと尽力されております。その指導力は卓越したものがあります。人の意見はよく聞いてバランス感覚よく的確にまとめていきます。
 その根本的な思想のなかに祝嶺正献最高師範の唱えていた躰道の理念が活かされております。一回りも二回りもスケールの大きな人で、私が最も尊敬する人物の一人であります。いつも哲学を含んだ人生論なども話してくれる素晴らしい人です。それが谷口興一先生であります。

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