あなたとわたしの合言葉 有楽町で逢いましょう
昭和33年、フランク永井でヒットした「有楽町で逢いましょう」は、有楽町そごうの開店したときの応援歌として歌われていました。
その有楽町そごうは、今はビックカメラに変わりました。
老舗の百貨店がどんどん変貌しております。
池袋三越は閉店後、ヤマダ電機に変わりました。
今後池袋西武が閉店し、ヨドバシカメラが入る予定であると報道されています。
この度、池袋東武百貨店の6階に「ダイソー」がオープンしました。
この場所は、ニトリがあったフロアーです。東口のサンシャインシティの近くにあった池袋東急ハンズが閉店後、この場所にニトリが移転して開店をしております。
ニトリのあった池袋東武の6階にこの度「ダイソー」が入りオープンしました。ダイソーは品数を豊富に揃えて100円均一ショップとして業績を伸ばしてきた企業です。
東武百貨店の広いフロアースペースのところに商品アイテムを多数並べております。客が選んだ商品はセルフレジで精算します。慣れてない人には店員がサポートをしております。セルフレジは20ヵ所以上あります。
東武百貨店内の各売り場は、客もまばらで混んでいないけど、ダイソーのところだけは多くの客が入り混んで身動きができない状態でした。
百貨店のイメージが大きく変わってきております。
メニューが豊富にあるが、その中でも人気なのがペイクドパイである。パイの上にソフトクリームが山のように盛られており、バナナも入っている。その上からチョコレートがタップリとかけられておりボリュームがあります。
第1期生として入学した学生たちの同期会「昭和40年会」が二年ぶりに開催された。同期生で既に14名の人が逝去したことが判明している。
卒業以来初めて会った人もいて、注目を浴びていた。その後、参加者がスピーチをして近況、情報、活動などの報告がされた。
この会ではスピーチの途中で質問をすることはしないルールで、すべてを話し終わったときに質問タイムを設けている。一人ひとりのスピーチが終わると一斉に手が挙がり質問攻めとなる人もいた。
仕事の状況や趣味の世界の話、また健康状態についての話も多く出されていた。欠席された人たちのコメントは岩谷雅夫氏が取りまとめて披露していた。
創学者である金子泰藏学長のもとで学生生活を送っていた第1期生たちは、当時の良き思い出の話と現在の状況を比較して残念さを表現していた。
(2011年10月17日)
梅は咲いたか 桜はまだか
いやいや2月ですが、もう桜はきれいに咲いております。
代々木公園の河津桜が鮮やかなピンク色に咲いて観桜している人たちを楽しませていました。何事も魁となることは話題性も多くて人たちの気持ちを引き付ける要素があります。
桜をバックに記念写真を撮る人たち。プロのカメラマンが桜の花の中の女の子を可愛く撮っています。外国人のグループも桜を楽しんでいる人たちが多くおりました。
東京のど真ん中の代々木公園。東京五輪1964の前まではアメリカ軍のワシントンハイツであった場所。東京五輪開催時では選手村となり、その後代々木公園として整備されて一般に開放されています。
公園内に立派な松の木があります。昭和天皇もこの地の練兵場の観閲式に行幸され、この松を観ていて傍らに立っていたことから、閲兵式の松と呼ばれています。
東京では3月のお彼岸頃にはソメイヨシノ桜が咲き始めると予報されております。いよいよ春本番の到来ですね。
富岡八幡宮は江戸三大祭りの深川祭りが行われるところです。日本で一番大きく重たい千貫神輿が飾ってあります。
横綱力士碑には歴代横綱の名前が石に彫ってあります。直近の横綱では、照ノ富士、稀勢の里、鶴竜、日馬富士、白鵬たちです。
一方、大関力士碑には、現役の力士名は彫られておりません。横綱に昇進すれば、横綱力士碑の方に彫られます。大関で引退をすれば、大関力士碑に記録されます。現在の大関貴景勝はどちらの力士碑に名前が彫られるだろうか。
直近に大関力士碑に彫られたのは、引退をした豪栄道、琴奨菊、琴欧州たちです。
富岡八幡宮は、大相撲の横綱、大関の歴史を知ることができる場所です。
江東区の木場公園はとても広い公園となっております。北部の平野4丁目と南部の木場4丁目を結ぶ大橋の大きさはとてもダイナミックです。大橋からは東京スカイツリーが真っ直ぐみられる景観なので、映画やテレビドラマのロケーションに活用されます。
木場公園の近くの大横川に桜の花が咲いていると聞きましたので観桜してきました。
2月に早咲きの桜が観られるとは嬉しいですね。春の訪れを感じさせてくれます。
大横川の堤に植えられた桜の並木は早咲きの赤い花びらのものやまだ蕾のピンク色の木もありました。
暖かい日が続くと一気にきれいな花が咲いて、観に来る人の眼を楽しませてくれることでしょう。
春はそこまでやってきております。
梅の花は最も早く咲くことから古来より百花の魁として愛されてきました。
池上本門寺の西に位置し、丘陵斜面を利用した閑静な庭園です。
今年も池上梅園に行って紅梅、白梅がきれいに咲いているところを観賞してきました。30種類の梅の花を見ることができます。緑萼枝垂(りょくがくしだれ)、思いのまま、藤牡丹枝垂、八重揚羽(あげは)、座論(紅)などは、とてもきれいに花を咲かせております。
庭園内には、茶室「聴雨庵」があります。政治家藤山愛一郎氏所有の茶室。戦時中昭和19年には東条内閣打倒の密議が岡田啓介・米内光政・末次信正らを集めて聴雨庵で行われた。
池上梅園は65歳以上は無料で入園できます。
(1)カード当ては、左右二組に分けられたトランプを好きな方を選択して、一枚づつカードの色、マーク、数字を当てていくもの。面白いと評判でした。
(2)縦8列、横8列の64の数字を並べたうち上2つ下2つのブロックの合計した数字を記録しておき、その計はいくつかというものを当てる。
(3)指のマジックは、左手の親指に右手の人差し指をあててから5つ左右に動かし、その後自分の名前の数を2回動かして、最後に右へ2つ移動するとすべて薬指に到達する。
後半は、3×3に並べた9枚のカードのうち最初にひっくり返したカードを当てていくマジックは皆さんが興味を示して習得しておりました。
月2回開催しているマジック教室も慣れてくると自分の得意とする作品が身についていきます。これからは発表の機会も多くしていきます。
小関迪筑波記念病院院長(医療法人社団 筑波記念会会長)
(訃報)
尊敬する小関迪先生の訃報が届きました。
令和4年12月29日に永眠されました。
「お別れの会」が3月18日(土)12時半 ホテルグランド東雲(つくば市小野崎488-1)で執り行われます。
以前、小関迪先生について綴ったものがありますので、掲載いたします。
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筑波記念病院院長である小関迪先生は躰道の大先輩であり学生時代から指導をして頂いた先生です。
日本躰道協会会長の要職も経験している人です。
筑波記念病院はつくば市で最初の救急急性期病院として1982年発足し、地域の中核病院として医療を提供することを目標に携わっています。
予防医療にも非常に力を入れ、急性期、慢性期、在宅医療までの完結型医療を行い、骨髄移植、脳外科手術、心臓手術などの高機能医療を提供しています。
2001年病院機能評価認定、2002年臨床研修病院指定を受けています。現在は600床のベッドで対応できる設備があります。
小関迪先生が一代で築いた筑波記念病院であります。
江東区清澄2丁目界隈には3つの相撲部屋があります。部屋の前の通りを通称・相撲通りと呼ばれています。
昭和の大横綱・大鵬が一代年寄となり大鵬部屋を創設しましたが、亡くなった後は大嶽部屋として活動をしております。玄関の正面には大鵬道場と書かれた大きな看板があります。大鵬の孫となる幕内の王鵬が所属している部屋です。ビルの2階のテラスからは稽古で使用された相撲まわしが吊るされて干してあります。隣のTAIHOUビルの中には大鵬の胸像が飾ってあります。
錣山部屋は寺尾関が引退して清澄にビルを建てて出来た部屋です。11月の九州場所で優勝した阿炎関が所属しております。先日開催された阿炎関優勝祝賀会には友人の長谷川毅さんも参加しておりました。
高田川部屋も近くにあります。元安芸乃島が親方となっています。竜電と輝きが所属しております。
尾車部屋は親方(元琴風)の定年退職となることで1月の初場所後に閉鎖されていました。
そうだ
東洋館へ
いこう
漫才、漫談、コントの専門演芸場の「浅草東洋館」に行きました。
ベテランはじめフレッシュなメンバーも多数出演をしています。
いつもながら漫談のナナオさんは話が上手です。節分、恵方巻、浅草海苔の話から、コロナの感染とサッカーのワールドカップの観戦を掛けた話まで流暢に話して笑わせます。話題の引き出しを多く持っている演芸人です。すでに7000回のステージを体験している司会者でもあります。
漫才のすず風にゃん子・金魚の掛け合いは観客を引き付けます。後半の金魚のゴリラ演技は抜群です。髪飾りは自作でひな祭りでした。
トリも担当するベテランのビッグボーイズ、宮田陽・昇、ロケット団たちの漫才は間の取り方、話の展開、二人の呼吸など抜群の上手さが光っていて漫才の醍醐味を楽しませてくれました。
中堅となった左利きの小介・ダッシュのコンビは精進している結果が出ております。身体能力に長けたダッシュの演技は観客をハラハラドキドキさせながらもダイナミックに魅せてくれます。後半は小介に恋人が出来てパワーストーンを買わされる話を二人が面白可笑しく展開していきます。
東洋館で漫才を見て話術を学ぶことは、マジックの演技を披露するときにとても役立っております。
高野之夫元豊島区長が逝去されましたので、豊島区役所センタースクエアに設置された献花台に行ってきました。
2月8日に開催された豊島区議会初日には健康状態が悪く登庁しませんでした。今年4月に行われる予定の次期区長選挙へ立候補しないことを、区議会宛への書面を通じて表明していました。翌日の9日18時43分、肺炎のため豊島区南長崎の自宅で逝去されました。享年85歳。豊島区長として6期(1999年~2023年)24年間担当されました。
高野之夫豊島区長との想い出はいろいろとありました。
明治大学校友会豊島区地域暑気払い(2014年8月)、豊島区肢体不自由児者を育てる会(2013年2月)のイベントでマジックを高野区長相手に披露したこと。劇団ムジカフォンテ懇親会、区民ひろば富士見台祭典、豊島区健康ウォークラリーの時に親しく懇談したことなどがあります。
東京国際大学池袋キャンパス地鎮祭の時に「この大学が2023年に完成することを楽しみにしています」とコメントしていましたが、完成を見ることなく旅立たれました。
一時は消滅都市豊島区などと呼ばれましたが、新庁舎の建設、ハレザ地区の再開発、南池袋公園やイケサンパークの新設、WEロードのリニューアル、イケバスの運行など実施して、今では魅力ある豊島区へと変貌させた功績は大きいものであると評価されておりました。
ご冥福をお祈り申し上げます。合掌
千登世橋
東京都豊島区目白1丁目と雑司が谷との境界に千登世橋(ちとせばし)という跨道橋があります。
池袋から高田馬場方面には下り坂となっており、橋上に目白通りを通し、明治通りとの立体交差になっており、東側に連続する千登世小橋で都電荒川線を跨いでおります。学習院大学方向の西詰めに明治通りへの斜路となっています。緑色の千登世橋の景観が好きでよく通ります。
戦前の完成で、幹線道路同士の立体交差としては都内で最初期のものであり、今なお現役であるため土木技術的価値も高く「東京都の著名橋」の一つにあげられています。
都電荒川線に並行している都道環状第5号線(明治通りのバイパス)の建設によりトンネル工事が建設されて明治通りに繋がるため、周辺の景観が大幅に変わる予定です。
1964年東京五輪ポスター
日本オリンピックミュージアムは、オリンピックを知る、学ぶ、感じる、挑戦する、考えるをコンセプトとして資料を展示しています。
オリンピックが世界とどのように関係してきたかを歴史をふまえながら様々な視点で知ることができます。
日本人の挑戦にスポットをあて、日本がオリンピックに与えた影響を学ぶ。オリンピックシアターは、オリンピアの躍動や開会式の感動を、臨場感あふれる映像と音響で体感。競技に共通する動きを体験し、オリンピアの身体能力に挑戦できます。
1964年に開催された東京五輪の思い出が蘇ります。ポスターや開会式のときに空中に描かれた五輪の輪、メダルやチケットなど。国立競技場で東京五輪閉会式を観覧したことなど鮮明に覚えております。