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つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

天野屋の「糀室」の展示

2025年02月26日 | 文化
 天野屋の糀室の展示

 日比谷公園の一角に千代田区立日比谷図書文化館があります。

 常設の展示コーナーには千代田区のゆかりある資料があります。その中に千代田区の外神田で活動をしている「天野屋の糀室」のコーナーがあります。

 天野屋の糀室は今でも活用されており千代田区指定有形文化財として指定されております。
 糀室の絵図面や甘酒を製造するときの道具などが展示されております。日比谷図書文化館へ行ったときは立ち寄ると参考になります。


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(想い出)西村京太郎氏の講座

2025年02月12日 | 文化
 (想い出)西村京太郎氏の講座 
 著作本にサインをする西村京太郎氏(NHK文化センター)

 トラベルミステリー作家として人気のある西村京太郎氏の特別一日講座に参加しました。テーマは「トラベルミステリーの巨匠・西村京太郎の素顔と作品に迫る」
 講師の西村京太郎氏にインタビューをして素顔と作品について展開させていく方式がとられた。インタビュアーはトラベルキャスターの津田令子さん。

 西村京太郎さんは、1930年生まれで今年80歳となった。480冊出版して、2億冊を販売しているトップ作家である。29歳までは役人であった。サラリーマンは嫌だった。人付き合いが苦手で人と話さなくていい作家の道に進む。しかし生活は苦しく作家として自立するまでは、私立探偵、パン屋の運転手、生命保険の勧誘員、競馬場の警備員などを体験して生活費を稼いでいた。

 年を重ねるごとに出筆の量が多くなった。書き過ぎであると思っている。ものを書くのは夜中に集中する。朝になって朝刊を読んでから寝るようにしている。今では毎月に一冊のペースで書いている。もうすぐ500冊を達成する。今は湯河原に住んでいるが、家からは東海道新幹線と在来線が見える。作品に出てくる十津川警部は奈良県の十津川村が好きであったから、今では十津川村の観光大使となっている。

 作品を書くために取材旅行をする。西村作品の原点である。列車に乗車して考えることは、犯人をどのように脱出させるか。荷物を置く場所は蓋付きとなっているか。ニュースなどの電光掲示板に注意する。時刻表にも気を配る。平日と日曜では時間が異なることがある。その時間差が作品のポイントになりヒントになることがある。駅のホームにある売店のキオスクの終了時間も列車の上りと下りでは異なるので作品のヒントになる。など旅をテーマにミステリーの作品を次々に誕生させる裏の話を聞くことが出来たが、インタビュアーの津田令子さんが上手く話を引き出していた。

 質疑の時間には、質問のため手を挙げた。
 京都に行くときに西村京太郎さんと山村美紗さんの家が隣同士であるのでよく立ち寄っていたこともあり、「隣同士でトンネルでつながっていたのですか?」との質問に、西村京太郎さんは「トンネルではなく連絡通路はあった。山村さんが女性であったので、山村さんの側からのみ我が家に入れるようになっていた」との応答であった。

 2時間近くの講座であったが、内容が面白かったのであっという間であった。講座終了後は、著作本にサインをしたあと、ファンの人たちと気軽に握手をしていました。(2010年11月2日)


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山本有三記念館

2025年01月26日 | 文化
山本有三記念館への地図

 私の好きな小説家に山本有三がいる。中学校の時に図書館から山本有三の本を借りて読んだ。「波」「女の一生」「真実一路」そして「路傍の石」等々。
 特に「路傍の石」は映画でも鑑賞した。呉服商にでっち奉公に出ていたときの模様を小説にしている。逆境に耐えて光明を求め成長する人間をよく描いた。山本有三は、栃木県栃木市で生まれた。小江戸と呼ばれる栃木市に山本有三記念館がある。

 「山本有三記念館」が三鷹市にも存在する。私は武蔵野市吉祥寺で育ったので、旧山本有三邸は知っていた。井の頭自然文化園とは玉川上水を挟んで反対側に位置する広大な敷地に大正末期の本格的な欧風の建築で洋館を代表する豪華な建物である。この地区を散策するときにはちょっと寄ってみたらいいと思う。大正ロマンの文化の香りが体中に沁みこんでくる。

 山本有三は東京大学に入学しドイツ文学を専攻する。戦後は、参議院議員となり国立国語研究所の設立、満年齢の採用、文化財保護法など文化政策の推進に力を注ぎ大きな功績を残した。昭和40年には文化勲章を受章している。

 山本有三のことを知っている人が少なくなったといわれる。子供達に文学に親しみを持ってほしいとのことで自宅を山本有三青少年文庫として開放していた。今は山本有三記念館として運営されている。山本有三の原稿や著書、遺品や写真などをもとに生涯をたどり、有三の書いた雑誌、作った雑誌なども展示されて、山本有三の文筆活動を知ることが出来る。


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珍しい苗字

2024年12月24日 | 文化

 珍しい苗字を解説する犬竹一浩さん

 TAMCのメンバーに犬竹一浩さんがおります。いつも笑顔を絶やさず明るく人に対してとても温厚でありそして知識人であります。
 その犬竹一浩さんから「珍しい苗字」について説明を受けました。全国各地を訪問した時に珍しい名前の人を見つけて苗字の由来を聞くことにしているようです。その一例をあげて解説をしてくれました。

 一一(にのまえはじめ)、二三郎(したながさぶろう)、十(つなし)、九十(いちぢくつなし)、十花子(よこだてはなこ)、祖母井(うばがい)、い(かながしら)、小鳥遊(たかなし)、祝幸寿(ほうりゆきよし)、四月一日(わたぬき)、八月一日(ほづみ)、月見里(やまなし)、薬袋(みない)、九十九(つくも)、五月十日(つゆり)、栗花落(つゆり)、計良(けら)、一二三四五六(ひふみしごろく)、一二(ひふ、いちに、いちじ)、二三(ふたみ)、四十九(しじゅうく)、四十九院(つるしいん)等々。
 
 日本には珍しい苗字が沢山あることを知りました。

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鈴木信太郎記念館

2024年12月07日 | 文化

 東京メトロ丸ノ内線の新大塚駅からすぐ近くに、豊島区立・鈴木信太郎記念館(豊島区東池袋5-52-3)があります。

 鈴木信太郎は、20世紀前半の日本のフランス文学研究の黎明期に、フランス文学研究体制を確立し、研究者および教育者として活躍をした人です。その鈴木信太郎の旧宅が歴史的建造物として希少性が高いために豊島区指定有形文化財として記念館として公開しております。入館料は無料。

 展示室には、鈴木信太郎が貯蔵していた貴重な書籍本が多数紹介しております。エドモン・ロスタン作の戯曲「シラノ・ド・ベンジュラック」の翻訳をした初版本も展示してあります。その本の発表後、文学座が数多くこの公演をしており、ポスターの展示もあります。また新国劇が「白野弁十郎」として多数の公演もしております。島田正吾の晩年では一人芝居で演じており、緒形拳も「白野」として一人芝居を公演をしていました。

 記念館は、展示室の他にホール、茶の間、次の間、座敷などが見学できます。庭園も季節ごとの植栽を楽しむことができます。


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夏目漱石生誕地

2024年11月12日 | 文化

 夏目漱石生誕地(新宿区喜久井町)

 夏目漱石は、慶應3年(1867年)新宿区喜久井町で生まれました。

 裕福な家庭で父親は前を通る坂道を夏目坂と付けました。
 17歳のときに正岡子規と出会い文学的影響を受け、23歳で東京帝国大学英文科へ進み、卒業後は英語教師となり、英国留学後、同大学の講師となっております。
 執筆作品には「吾輩は猫である」が評判となり、作家としての道を歩みはじめ「坊ちゃん」「三四郎」「それから」などがあります。

 その漱石の生誕地は、今は定食食堂となっていて、店の前に生誕碑と漱石の句碑があり、脇には説明書が建っていました。


 その生誕地から10分ほどのところに夏目漱石がその生涯を閉じた場所には、漱石山房記念館があります。

 

 

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高村光太郎の「正直親切」記念碑

2024年08月17日 | 文化
 西日暮里駅の道潅山の公園からすぐのところに荒川区立第一日暮里小学校があります。その校門のところにフクロウの像と正直親切と記載された記念碑がありました。これは高村光太郎が第一日暮里小学校の卒業生であり、創立百周年記念碑を設置したものであると説明がありました。

 創立百周年記念 高村光太郎書「正直親切」の記念碑
「正直親切」の文字は、本校卒業生である高村光太郎の直筆で、昭和26年岩手県山口小学校の児童のためにかかれたものを高村規氏、財団法人高村記念会のご厚意により創立百周年記念碑に使わせていただきました。

 高村光太郎は、明治23年に下谷区練塀小学校から日暮里小学校(当時は、現在の福祉館の場所に校舎がありました)に転校、ここで勉強し小学校を卒業しました。その後、彫刻家としてすぐれた作品をつくり、また詩や絵もかき、立派な書を数多く残しています。

 ここで大切なのは、それらの作品を通して光太郎が人を愛し、自然を愛する人間としての生き方を教えていることです。
 先輩光太郎が心をこめてかいた「正直親切」の文字が、本校に学ぶ児童一人ひとりの心のなかに、いつまでも生き、その成長を支えることを望みます。
「フクロウ」の像は、石彫家飯田雅光氏の作で、本校校歌にもある〝諏訪の森かげ、みどりの風に〟ふさわしい《森の知者》として、一日小の子どもたちのシンボルとなり、永く親しまれることを願っています。
(昭和60年11月9日 東京都荒川区立第一日暮里小学校 創立百周年記念事業協賛会)



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杉本哲也先生の講演

2024年05月20日 | 文化
    杉本哲也先生の講演

    中村崇さんからの案内でとても素晴らしい講演会に参加しました。会場は渋谷区神宮前の東京ウィメンズプラザ。講師は杉本哲也先生。京都大学大学院を修了、味の素に入社、その後松下政経塾を経てから山田宏衆議院議員の政策担当秘書を担当。今は講演活動の他に街頭掃除や寺子屋活動、子ども食堂、食育などボランティア活動もしています。

    講演テーマは「見えない物を観る力~感性の磨き方~」でした。街頭清掃活動などの実体験から参加者の行動がよく見えることや選挙活動の時に候補者のチラシを受取る人を見分ける方法など具体的に解説をしてくれました。

    日常において何に目を向けるのかについては、①運 ⓶縁 ➂恩とのこと
「咲いた花見て 喜ぶならば 咲かせた根っこの 恩を知れ」と諭してくれました。何事も一つの活動をやり続けている人は観察力も長けている人が多いです。

 杉本哲也先生の出版本を購入しました。「誇りをもたらすリーダーの命(めい)」と「保育の質を高める鍵」の2冊の本には、丁寧にコメント入りのサインをしてくれました。とても参考になる内容で今後の活動に活かしたいと思いました。(2018年4月)



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バラまつりのハモローザ

2024年05月13日 | 文化
 大塚バラまつりの開会式がトランパル広場で開催されました。

 司会はお馴染みの城所信英氏です。都電沿線に当初100本のバラからスタートして、現在は700種類のバラが咲き誇るバラロードとなったと説明がありました。

 南大塚都電沿線協議会がバラの育成をして春と秋にきれいなバラの花を咲かせております。

 7年前にトランパル広場が完成をした時に、大塚の声楽家4名の女性グループ「ハモローザ」が誕生をして活動をしております。

 今回も出演をして素晴らしいコーラスを披露してくれました。
 演目は、バラに関係する曲です。「バラは憧れ」、「野ばら」、「ローズ」、「ベルバラ」などでした。アンコールでは、「オーシャンジェリーゼ」で盛り上がっていました。

 広場では、バラの花の販売会が催されていて多くの人が買い求めておりました。

 ボランティア活動として南大塚の人たちが献身的にバラの花を咲かせてくれることは、大塚の文化活動が盛んであることを認識しました。
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神流町の鯉のぼり祭り

2024年05月05日 | 文化
神流町の800匹の鯉のぼり

 群馬県の南西部に神流町があります。山があり、神流川が流れている環境の良いところです。今では全国各地で数多くの鯉のぼりを揚げる風景を見られるが、今から40年ほど前に神流町で100匹の鯉のぼりを揚げたのが始まりであると云われている。

 神流町の鯉のぼり祭りは、昭和56年5月に町内の青年の民間団体「かたる会」が1本のワイヤーロープに100匹の鯉のぼりを揚げたのが始まりで、その数は、年を重ねる毎に8ラインにまで増え、昭和62年5月には、800匹となりました。
 
 同年10月にかたる会のメンバーの石崎安美さんがふるさとづくりについて神流町の鯉のぼりの掲揚の経緯について綴った論文により「群馬県ふるさとづくり大賞」を受賞し、また、翌年3月には第2回全国ふるさとづくり大賞の最優秀賞にも輝いたイベントであります。
 
 平成元年5月には、かたる会主催行事に万場町(現・神流町)が運営を継承する形式となり鯉のぼり祭り実行委員会主催の「鯉のぼりフェスティバルin万場」となり、平成15年からは、万場町と中里村との合併に伴い「神流町鯉のぼり祭り」となり、神流町の恒例行事となっています。


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古河文学館

2024年02月05日 | 文化
 古河文学館

 古河の中央町には文化施設が多くあります。昔の城の風格も残っております。

 街角美術館から古河文学館へ行く途中の街路もきれいに整備されています。
古河文学館は、木組み形式が特徴的な瀟洒で大正ロマンの雰囲気が漂う建物に展示室があります。平成10年に開館した茨城県初の文学館です。

 歴史小説の第一人者である永井路子をはじめ古河ゆかりの作家とその作品を中心に貴重な資料が展示されております。永井路子が「炎環」で直木賞を受賞した賞状が飾ってありました。

 受付けの人が来館者の所在地をアンケートしておりました。古河市内であるか、市外からの訪問者であるか聴いておりました。


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(思い出)山村美紗さんの邸宅

2023年11月14日 | 文化
 京都の清水の産寧坂を右に行くと、推理作家の山村美紗さんの邸宅があります。今は娘である女優の山村紅葉さんが住んでいます。

 玄関から中のロビーの様子が伺われる。中央に山村美沙さんの大きな写真が飾ってあり、ロビーには白いランの花がいっぱい飾られています。生前着用していた真っ赤なドレスが展示してありました。2階の出窓にも全て花が飾ってあるのが見えます。

 隣は同じく推理作家の西村京太郎の表札がありました。山村美沙さんが西村京太郎さんのファンで京都に会いに来た時から京に住もうと考え、どうせなら西村さんの隣に家を建てたという逸話を聞いたことがあります。

 山村紅葉さんは、時々ファンの人を招いて自宅を開放してパーティーを開催しています。京都の閑静な住宅であった。(2009年9月14日)
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一日延ばしは時の盗人

2023年09月20日 | 文化
  上田敏の生命の言葉

 鳥越神社の本殿の横に生命の言葉が掲示してあった。その日は、上田敏の「一日延ばしは時の盗人」であった。この語は、唯一の創作小説『うずまき』の中の会話の一説。

 「時は金なり」「一寸の光陰軽んずべからず」などというべきところを「時の盗人」であると強く言ったところが名言としての価値がある。
 我も人も、時の盗人にならないよう注意しなければならない。

 上田敏(明治7年~大正5年)1874年~1916年。明治時代の詩人、文学者、評論家、翻訳家。東京帝国大学英文科卒業。青年期より西欧文学の翻訳紹介に努め、明治28年「帝国文学」の創刊を参画する。

 「山のあなたの空遠く 幸い住むと人の言う」カール・ブッセなどの名訳詞は、今なお広く知られている。
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江戸川乱歩邸宅

2023年07月12日 | 文化

 江戸川乱歩邸(豊島区西池袋)

 中学生の頃、友人とよく「少年探偵団」ごっこをして遊んでいた時がありました。

 その作家である江戸川乱歩(本名・平井太郎)の邸宅が豊島区西池袋の立教大学隣接地にあります。今は立教大学が江戸川乱歩記念大衆文化研究センターとして管理運営をしております。
 

 江戸川乱歩は三重県名張市の出身で名古屋市で育ち、学生時代は早稲田大学に通っていました。引っ越しは40数回もしたようですが、昭和9年から40年の没年までは約300坪のある池袋の家で過ごしました。土蔵が好きで執筆活動などはそこでしていたようです。

 息子の隆太郎氏が立教大学の教授であった関係で2002年(平成14年)に江戸川乱歩邸と蔵書・資料は立教大学に帰属することになりました。

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(思い出)豊島文化研修会

2022年11月09日 | 文化
「豊島文化研修会」を主宰しておりました。親しく交流をしてきた人に講師を要請して文化研修会の開催の実績を積み重ねてきました。

○「豊島文化研修会」開催記録。
第1回 平成15年9月27日(土)小口ゆい先生(朗読女優)『金子みすゞの世界』
第2回 平成16年2月9 日(月)伊藤康子先生『健康“腸内細菌の働きに感動”』
第3回 平成16年5月24日(月)木田Q太先生(司会者)『芸能界のあれこれ』
第4回 平成16年8月2 日(月)服部恵巳先生『日本人の知らないHawai’i』
第5回 平成16年11月5日(金)宮田章司師匠『江戸の物売り声と文化』
第6回 平成17年2月10日(木)風祭ゆき先生(女優)『女優としての芸能活動』
第7回 平成17年5月19日(木)多田そうべい先生『大人の寺子屋(心にビタミンを!)』
第8回 平成17年8月9日(火)藤木相元先生『私が出会った偉大な創業者達の顔』
第9回 平成17年11月18日(金)森口康秀先生(報道写真家)『紛争・被災・貧困の暮らしを撮る』
第10回 平成18年2月17日 (金) 森陽一郎先生『大弁は訥の若し』
第11回 平成18年5月24日(水)宇田川正先生『人の行かない世界一周の船旅』
第12回 平成18年8月 4日(金)笠原章先生『劇団若獅子の活動』
第13回 平成18年11月24日(金)林家正楽師匠(紙切り)『紙切り芸よもやま話』
第14回 平成19年2月8日(木)神田ひまわり師匠(講談師)『講談のうら話』
第15回平成19年5月18日(金)東京国際大学卒業生3人
 ① 大川和男先生 『フジサンケイビジネスアイの対談について』
 ② 山下太郎先生 『旅と人生について』
 ③ 池内和彦『情報革命時代/進化するスマホについて』

 とても多くの研修が出来た楽しくて充実した時期でありました。


 
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