高村光太郎は、明治23年に下谷区練塀小学校から日暮里小学校(当時は、現在の福祉館の場所に校舎がありました)に転校、ここで勉強し小学校を卒業しました。その後、彫刻家としてすぐれた作品をつくり、また詩や絵もかき、立派な書を数多く残しています。
ここで大切なのは、それらの作品を通して光太郎が人を愛し、自然を愛する人間としての生き方を教えていることです。
鈴木信太郎記念館
東京メトロ丸ノ内線の新大塚駅からすぐ近くに、豊島区立・鈴木信太郎記念館(豊島区東池袋5-52-3)があります。
鈴木信太郎は、20世紀前半の日本のフランス文学研究の黎明期に、フランス文学研究体制を確立し、研究者および教育者として活躍をした人です。その鈴木信太郎の旧宅が歴史的建造物として希少性が高いために豊島区指定有形文化財として記念館として公開しております。入館料は無料。
展示室には、鈴木信太郎が貯蔵していた貴重な書籍本が多数紹介しております。エドモン・ロスタン作の戯曲「シラノ・ド・ベンジュラック」の翻訳をした初版本も展示してあります。その本の発表後、文学座が数多くこの公演をしており、ポスターの展示もあります。また新国劇が「白野弁十郎」として多数の公演もしております。島田正吾の晩年では一人芝居で演じており、緒形拳も「白野」として一人芝居を公演をしていました。
記念館は、展示室の他にホール、茶の間、次の間、座敷などが見学できます。庭園も季節ごとの植栽を楽しむことができます。
江戸川乱歩邸(豊島区西池袋)
中学生の頃、友人とよく「少年探偵団」ごっこをして遊んでいた時がありました。
その作家である江戸川乱歩(本名・平井太郎)の邸宅が豊島区西池袋の立教大学隣接地にあります。今は立教大学が江戸川乱歩記念大衆文化研究センターとして管理運営をしております。
江戸川乱歩は三重県名張市の出身で名古屋市で育ち、学生時代は早稲田大学に通っていました。引っ越しは40数回もしたようですが、昭和9年から40年の没年までは約300坪のある池袋の家で過ごしました。土蔵が好きで執筆活動などはそこでしていたようです。
息子の隆太郎氏が立教大学の教授であった関係で2002年(平成14年)に江戸川乱歩邸と蔵書・資料は立教大学に帰属することになりました。