つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

マジック大会(2)

2007年10月31日 | TAMC
フィナーレを飾る華やかな紙吹雪

マジック発表会は2部構成となって、17種目が演じられた。
2時開演で休憩を挟んで3時間のプログラム。
観客は身を乗り出してステージに見入る。

山崎さんの司会で進行していく。とても上手い話し方で観客も納得する司会。
恒例となった「トリオdeマジック」でオープニング。ダンス導入で訓練の成果を披露。
「思い出のアルバム」では高橋忠利さんと3人のお孫さんの共演。
メンバーが年配者が多い中で、子供さんの出演はホッとする和やかな時間である。
「シルクの舞」は、久留島美樹さんのフラメンコの舞で華やかさを表現する。
「初めまして!」では新会員の内田伸哉さんが見事なマジックを披露。
突然鳩が出現すると観客は感嘆の声を出す。最後には鳩を上空に放り投げるといつの間にか消えてシルクに変わっている。プロ並のマジシャンである。
「今年も楽しく」は、恒例の多湖輝先生と大勢の子供たち。
16名の少女達がダンスを披露する。途中カラフルなシルクが出現。
後半は、多湖輝先生が作詞した曲をダンスで演じる。少女達の団体出場はステージを華やかにするし、見ている方も楽しんでいる。

第2部はマジック劇で始まった。
今年は「ロビンフッドの冒険」。いつも山本玄一さんが考案し演出している。
たくさんの出演者がいるので賑やかなステージである。
「華やかシルク」は若手の松崎朝樹さん。精神科のお医者さんであり、マジックは子供の頃からトライしている。世界大会にも出場していて今年もダラスで開催された大会で優勝している実績のある人。このマジックも観客を魅了していた。
フィナーレは恒例の都築幹彦会長による「シャルウイダンス?」。
助演のダンススクールメンバーが華麗な舞をステージいっぱいに利用して華やかに踊る。引き続いて都築会長と大久保ゑみ子さんがダンスを演じながら、衣装を瞬間替えるマジック。早代わりの演出である。
最後は、紙吹雪がステージいっぱいに舞い上がった。
3時間があっという間に過ぎていき、皆が楽しんだマジック発表会。

来年は、TAMCは創立75周年記念となる。
どんなステージマジック発表会となるか今から楽しみである。

(10月31日記 池内和彦)
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新宿の韓国通り

2007年10月25日 | 社会
                         新宿の韓国通り

新宿に職安通りがある。
この通りの両側には韓国に関連する飲食店や店が軒を並べている。
新宿の韓国通りとなっている。
一瞬、韓国の街に入ったのかと錯覚をしてしまう。
韓流スターのポスターやプロマイドを販売している店もある。
多くの店はハングル文字で書かれている看板が多いが、なんて書いてあるかよく理解できない。

ロスアンジェルスに「リトルトウキョー」がある。
他国の中で自国の文化や飲食店がまとまると一つの街を構成する。
新宿の韓国通りは活気がみなぎっている。

(10月25日記 池内和彦)

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むかし話と子守唄

2007年10月24日 | 文化
                   「赤とんぼ」を合唱する宮田章司師匠

むかし話と子守唄のイベントがあった。
宮田章司師匠の「江戸 売り声 百景」からスタート。
鼎談は「子守唄が聞こえる街 江戸のくらし」とのテーマで、浦井正明氏、宮田章司師匠、西舘好子氏の3人によるお話。
その内容により、昔懐かしい抒情歌が3人の女性歌手により披露された。

川口京子さん、稲村なおこさん、綾乃ひびきさんの3人。
お江戸日本橋 とおりゃんせ ずいずいずっころばし かごめかごめ あの町この町 電車ごっこ 隣組
むかしは子供が普通のように歌っていたが、今ではなかなか聞かれなくなってきた童謡の数々・・・。

後半は、沼津の子守唄 岡崎地方の子守唄 信濃の子守唄 五木の子守唄が続く。
子守唄を聞いているとだんだんと眠くなってくる。
引き続き 小さい秋 村祭 紅葉 と秋の模様が展開された。
最後は川口京子さんによるヨイトマケの唄は迫力もあり渾身の歌唱力。

全ての出演者と会場にいた観客が一体となって、赤とんぼ 故郷 を合唱して終了した。
子供達にもっともっと日本の素晴らしい童謡、抒情歌を歌ってほしいと思った。

(10月24日記 池内和彦)
    
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選ばれた大学。東京国際大学

2007年10月23日 | 日記
                   選ばれた大学ポスター

池袋の駅構内を歩いていたら大きなポスターが目に入ってきた。

選ばれた大学。
文部科学省より、東京国際大学の3つのプロジェクトが採択されました。
(1)「英語指導力開発ワークショップ」事業
(2)地域連携による不登校予防支援プロジェクト
(3)「小江戸川越」国際都市化支援プロジェクト
世界を視野に、地域の人々と交流しながら学生一人ひとりが考え、自分たちにできることを実践しています。
世界にふれる 世界にまなぶ 東京国際大学

日本は少子化の時代となり、18歳人口の減少により、大学運営も対策を強化している。
2007年は大学全入時代の幕開けで、定員割れの大学も出てきている。
特に私立大学は、特色を出していかないと、学生が集まらない。
受験生を対象とした大学キャンパス見学会等を実施して、入試の応募者の増加を図っている。
キャンパス見学会に参加した人は、その多くが入学試験を受験するようだ。

受験希望者に対しての大学の広報活動。
昔はあまり無かった電車内の大学広告。
今は当たり前のように各大学が電車内での広告を打ち出している。
多くの受験生が入試を受ければ、その大学の偏差値が上がっていく。

少子化の時代。
特色ある大学のカラーを打ち出して、能動的に広報をしていかないと生き残れない。
『選ばれた大学。東京国際大学』のポスターを見てそのように感じた。

(10月23日記 池内和彦)
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映像ライブラリー

2007年10月22日 | 文化
                  宮田章司師匠(左)の漫才(昭和43年)

東京都江戸東京博物館に「映像ライブラリー」がある。
1階の江戸東京博物館大ホールの入り口横の階段を降りたところにある。

入場は無料。
リクエストは1回につき1作品。
物売り声の宮田章司師匠の案内を聞いて映像ライブラリーに入った。
昭和43年NHK放送の新日本紀行(浅草)をリクエストする。
沢山あるブースの一つを案内されてスタートボタンを押す。
40年前の浅草の文化と歴史がドキュメンタリーに映し出されている。
浅草寺の後方に100メートルの回転展望タワーがあった時代。
その展望タワーも今は浅草寺側との話し合いで撤去されている。

浅草六区の歓楽街も今よりは賑わいを現している。
大宮デン助らが活躍していた頃。
浅草演芸場では、宮田章司師匠が漫才として「陽司・章司」のコンビ名で出演していたときの模様が映し出されている。
30代の若いときの活躍ぶり。
笑顔は今も変わらない。
浅草の懐かしい情景を30分で堪能した。

昔の映像を顧みたいときなど映像ライブラリーを活用したらいいでしょう。

(10月22日記 池内和彦)
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早稲田大学の大隈記念講堂が重要文化財に

2007年10月21日 | 文化
                  大隈記念講堂(早稲田大学)

早稲田大学のシンボルである大隈記念講堂が重要文化財に指定される。

文化審議会(石沢良昭会長)は19日、早稲田大学(東京都新宿区)のシンボル的存在として知られる大隈記念講堂を、重要文化財に指定するよう渡海紀三朗文部科学相に答申した。

大隈記念講堂は、早大の創立者大隈重信を記念し1927年に完成。
建築学科の佐藤功一教授(当時)らの設計で、ロマネスク様式にゴシック様式を加味した近代の折衷主義の作品として価値が高い。(時事通信社)

10月21日は、早稲田大学創立125周年記念式典が開催される。
多くの卒業生が大学に集まってくる。
大隈記念講堂は、125周年記念事業の一環としてこの度修復作業が完成した。
大学の象徴である大隈記念講堂が重要文化財となることは、125周年記念に華を添えて、関係者の喜びも大きいことだろう。

(10月21日記 池内和彦)
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検索サイト

2007年10月20日 | インターネット
インターネットの検索サイトがある。
最近では、調べ物をするときや場所等の情報を得るために検索サイトを利用する機会が多くなってきた。

「池内和彦」で検索すると、
Yahooでは2番目に「こんにちは池内和彦です」ジャストメールと出てくる。
こんにちは池内和彦です - ジャストメール【携帯用メール配信システム】
簡単に使えて多機能、超低料金な携帯用メール配信システムです。全業種で利用可能。
池内和彦のホームページ ブログ「つれづれなるままに」 ...

Google、MSN、楽天の検索サイトでは、このブログ「つれづれなるままに」がどこでも上位に出てくる。
時には、トップにランクするときもある。
だいたいどこの検索サイトも第一頁の半分は、自分に関するものである。
やはり上位にランクされることは嬉しいものだ。

このブログ「つれづれなるままに」にアクセスしてくれます多くの皆様に感謝しております。
一度、検索サイトで「池内和彦」と入力して検索してみて下さい。

今後とも頑張ってブログ「つれづれなるままに」を充実させて参ります。

(10月20日記 池内和彦)
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TAMCのマジック発表会

2007年10月19日 | マジック
                     TAMCのマジック発表会

TAMC(東京アマチャア・マジシャンズクラブ)は75年の歴史を持つ団体です。
毎年開催している「マジック発表会」があります。

(日時)10月28日(日) 開場:午後1時30分 開演:午後2時~5時
(会場)虎ノ門 ニッショーホール(日本消防会館)
(交通)地下鉄銀座線「虎ノ門」徒歩5分

会場は700名収容のホールです。
毎回多くの方が集まります。
早い方は開場1時間前には並んでおります。
開場前には、その間ストリートマジックも披露します。

マジック発表会に入場するには「入場券」(無料)が必要です。
観覧希望者は、下記へ①氏名と②連絡先をお知らせ下さい。

池内和彦宛
携帯メール→ k.5931.ikeuchi@docomo.ne.jp
携帯TEL→ 090-1541-1573

(10月19日記 池内和彦)
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緒形拳のひとり舞台「白野」

2007年10月18日 | 芸能
                    緒形拳のひとり舞台「白野」

緒形拳ひとり舞台「白野」を観劇した。
早稲田大学創立125周年記念公演で大隈講堂で開催された。
会場入り口で緒形拳夫人の典江さんと会い挨拶をする。
会場は超満員。公演中は会場内も緊張感が漂うようにシーンとしている。
ひとり芝居が終了すると万雷の拍手に会場内は賞賛の嵐となった。
会場には、劇団若獅子代表の笠原章さんも観劇していた。
笠原章さんは、9月の「澤田正二郎物語」公演の劇中劇で「白野弁十郎」を演じていた。

早稲田大学の坪内逍遥博士の支援で新国劇を設立した澤田正二郎が、エドモンド・ロスタンの名作「シラノ・ド・ベンジュラック」を、幕末から明治中期までの日本を舞台に翻訳した「白野弁十郎」として演じた。
近年では、島田正吾が一人芝居の形で上演を重ねた。
早稲田大学の大隈講堂でも3回公演している。
2000年の上演では、ラスト場面のイチョウの葉をキャンパスで集めて落葉の素晴らしい舞台を演出したことは、島田正吾を感激させていたと逸話に残っている。
大隈講堂で島田正吾の一人芝居「白野弁十郎」を観劇したのがついこの間のことのように思い出される。

緒形拳は新国劇の名優、島田正吾・辰巳柳太郎両氏に師事していた。
島田正吾の「白野弁十郎」は、「白野」として緒形拳が受け継いで公演している。
この「白野」は1年の準備期間を経て昨秋初演して、今年も再演をする。
島田正吾の白野弁十郎と比較して緒形拳の白野は、異様な鼻のメイクをしていない。緒形独自の試みでチャレンジしている。

朱雀隊の隊士である白野弁十郎は、剣もたち無頼漢だが歌を詠む繊細な心を持ち合わせている。幼少の頃から憧れている従妹の千草(ちぐさ)に、隊の新人の来栖生馬への恋心を打明けられる。
傷心の白野だが、来栖も千草を想っていることを知り、雅な言葉を知らない来栖に代わって、恋の言葉を考えようと提案する。

早稲田大学の大隈講堂は、創立125周年記念事業の一環としてこの度リニューアルした。
外装は歴史的価値を尊重して新しく再現した。
堂内は椅子が新しくなりサイズもアップした。
もっとも先進的な「多機能型文化ホール」へと変身した。

緒形拳の「白野」は、渋谷BunkamuraのSTUDIOコクーンにて、10月31日(水)~11月4日(日)に公演される。

(10月18日記 池内和彦)
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モダンダンスと躰道(3)

2007年10月17日 | 躰道
                 躰道の「勢命の法形」を披露する

モダンダンスの会員に躰道を指導したときの感想文その2です。

躰道という字は目にしたことはありましたが、何か全く分らなっかったので、自分が苦手な分野だったらどうしようと少し戸惑ってしまいましたが、実際やってみたら楽しかったので体験出来て良かったと思いました。最後の方には腰が痛かったので腹筋をもっと鍛えなければいけないなと思ってしまいました。機会があればまた躰道に触れてみたいなと感じました。(Y)

武道について私が持っていたイメージは、護身・攻撃、礼儀作法といったものでした。また、身体の小さい者や非力な女性・老人が悪者をやっつけるといった勧善懲悪の胸のすくようなパフォーマンスです。舞踊も躰道も3次元の運動空間で展開するというところが共通していると思います。どちらの長い年月を掛けないと一朝一夕ではとても体得できるものではないというところも。そして、軸足の大切さや体重移動の難しさ、タイミングによって大きな力が出ることなども大事な要素であると考えられます。呼吸や立つ、歩くといった動作は誰に教わることなくすべての人が行っていることですが、より良く正しく立つ、座るといったことが、呼吸の仕方を含めて意識的に行われることによって、外からはりつけた形のみならず身体の内部からつき動かされているように存在出来る身体になりたいと強く思いました。(K)

私は空手はやったことがありましたが、躰道は初めてでした。躰道をやって一番楽しかったのは、法形です。一つずつ技を覚えるよりも、まとめて形で覚えた方が楽しいし簡単だと思いました。武道をやる機械があまり無いのでいい体験になりました。ダンスでも、しっかり呼吸をするので、呼吸法を使う時があるかもしれないと思いました。今回躰道をやってみて、やった事のないものに挑戦していこうと思いました。躰道は楽しかったです。(H)

精神と肉体の合体を表わす「躰道」という言葉ですが、受けた実感としては、軌道軸、軌道線という座標軸にあらわれるように数学的な感じがしました。自分の身体を相手の視線の中から存在しなくなることが伏せというように、日舞のあて振り、見立てに共通点があると思いました。(T)

(10月17日記 池内和彦)
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モダンダンスと躰道(2)

2007年10月16日 | 躰道
            躰道の研修会に参加したモダンダンスの会員たち

モダンダンスの会員に躰道を指導したら、そのときの模様を感想文にまとめて郵送されてきました。なかなか参考になるコメントもありましたので記載します。

舞踊も躰道も体を動かす原理は同じで、共通することばかりで逆に驚きました。
躰道が創始された年が、私の生まれた年と同じだったので感慨深いものがありました。(О)

躰道は最初なんか怖いイメージがありましたが、すごくやって楽しかったし、またやりたいと思いました。(F)

沖縄空手がベースだというのをはじめて知りました。基本技や法形に自然の現象をあてはめたり、動き方を形として言葉であてはめてあるのが印象的でした。(K)

軌道点、軌道線に従って動くという普段自由に動くダンスと違い最初は戸惑いましたが、体の中心はしっかりとあるところがダンスと一緒だなと思いました。(I)

最初は踊りに関係あるのかなぁと思いながらやっていたけれど、午後にレパートリーをやったら躰道の先生が言っていたことが出てきたので体を動かすことには何かしら共通点があるんだなと実感しました。(K)

躰道の練習をしてすごく強くなったと思いました。バレエもうまくなったと思いました。(K)

合気道と違った動きで足の運びとか手の動きが多い。技と体重移動がわからなかった。男性の法形は力強い感じでダンスに役立てそうだった。最近どう踊っていいかわからなかった。躰道を練習して吹っ切れた。何か心がすっきりした。これからダンスに生かしていきたいと思いました。(T)

初めて躰道という武道を見てそして練習してすごく楽しかったです。空手とは違って気合の掛け声を2回しかやらないということがわかりました。(K)

躰道はキリッとしていてとても格好良かった。いろいろな技をやったので始めは難しかったけれども、なれると楽しくなってきました。(N)

躰道はやったことがなかったけれども楽しく出来た。いろんな技が練習できてよかった。最後に池内先生が演武した勢命の法形はとても迫力があった。(K)

私ははじめて躰道をやったけれども、説明が分りやすくて楽しく出来ました。いろいろな技がとても楽しく出来ました。(K)

感想文を読んでいるといろいろのことが分り参考になります。

(10月16日記 池内和彦)
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役人の体質

2007年10月10日 | 政治
「公募」骨抜き…国土交通省8整備局、天下り法人へ独占発注で民間排除

国土交通省の出先機関である全国8地方整備局が、民間参入を進めるため公募方式による発注に切り替えた道路管理関連業務88件(総額32億円)のすべてを、同省OB57人が天下る財団法人「道路保全技術センター」にこれまで通りの随意契約で発注していた。

過去の同種業務の受注実績など民間参入が極めて困難な公募条件を設定、民間企業からの応募が1件もなかった。
8地整局を巡っては、他の業務でも事実上、民間が参入できない形で別の天下り先法人と随意契約を継続していたことが、すでに判明。
政府が今年度から本格的に取り組む随意契約の見直しが、運用する「官」側によって骨抜きにされている実態が浮き彫りになった。
(読売新聞)


近年、社会保険庁職員による保険金着服問題等、国民の不信をあおる事件が続いている。その為に年金を納める若い人たちが激減しているとのこと。
役人は身内の処遇に対しては甘い体質があるようだ。
仲間意識が強く役所の特権を自らのやりやすいように体制化している。
天下りなどは役人達の安定した就職先の制度化である。

役人の仕事はと聞かれたある公務員は「あまり仕事をしないこと」と話したと聞いたことがある。
京都市では有給の服務休暇(忌引)を不正に使ったとして職員42名を処分した。民間企業ではなかなか休暇 が取れないところが多い。
虚偽の申請がまかり通る役所はやはり民間とは別世界なのか。
身内の不祥事を実感として感じていない体質が役人の中に根付いているようだ。
役人は「公僕」という言葉を今一度認識したらいいだろう。

(10月10日記 池内和彦)

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すし屋の時価

2007年10月09日 | 社会

すし屋に入ってメニューの所に「時価」と書いてあるのを見たことがありますね。
時価は、いくらの値段であるか分らない。
食べた後から高額な値段を請求されても困るから注文を遠慮する。

そんな中で、宮城県気仙沼市の寿司組合が「時価」の表示を撤廃することとなった。
高級ネタでも価格を表示する。
魚どころ・三陸のネタが自慢な気仙沼のすし屋が客の囲い込みに動き出した。
「若い人でも気軽に入れるすし屋にしないと長続きしない」
寿司は、日本を代表する食品である。
外国の観光客でも日本の食事で食べたいものは、「寿司」「天ぷら」と代表格である。
日本では、食べた料金が大体予想がつく回転すし店がかなり普及している。
一般のすし屋でも自分が食べたいものの値段が分れば変な心配をする必要も無い。
友達を連れて行っておごる場合も安心である。
今回気仙沼では、今までの寿司価格文化を大変革させたようで、客の立場となれば嬉しいことだ。
全国的に広がることを期待したい。

(10月9日記 池内和彦)
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映画「エディット・ピアフ」

2007年10月08日 | 芸能

映画「エディット・ピアフ 愛の賛歌」を観ました。
エディット・ピアフはフランスを代表するシャンソン歌手。
波乱万丈の人生を送った歌姫である。

生まれは貧しかった。幼少期には失明をするが奇跡的に回復する。
9歳の時に街頭で初めて人前で歌い、父について大道芸人として活躍。
ある時パリのストリートで歌っていたときに名門クラブのオーナーに見出された。
力強さも持ち合わせていて「宿無し雀(ピアフ)」と呼ばれた。

ジェルニーズでの舞台は毎晩満席となり大成功だった。
飛ぶ鳥を落す勢いでスターとなり、フランス以外でも人気を得るようになる。
ボクシングの世界チャンピオン、マルセルと最大の愛に出会う。
マルセルとの食事中に映画女優のマレーネ・デートリッヒに「あなたの歌は素晴らしい。パリの夜を思い出して泣いてしまった」と激励の声を掛けられる。
その後も生涯を通じてデートリッヒとは友情を育む。

マルセルとの恋も長くは続かなかった。マルセルの乗った飛行機が墜落した。それを聞いたピアフは半狂乱となり悲しむ。
マルセルに聞かせるためステージで新曲を発表することとなっていた。
その曲名は「愛の賛歌」・・・

そして「私は後悔をしない」を晩年に満員のオランピア劇場で熱唱するところで映画はエンディング。
1930年代から50年代にかけてスターの座に君臨してきたエディット・ピアフは63年逝去。葬儀にはパリ中から人が集まり、パリの交通が完全にストップした。
エディット・ピアフが残した名曲の数々・・・
「愛の賛歌」「バラ色の人生」「水に流して」「ミロール」等々
21世紀になっても、時代を超え、国境を越え、エディット・ピアフの歌は歌い継がれている。

映画を観ながら、越路吹雪の「愛の賛歌」、境遇が似ている美輪明宏や美空ひばりなど日本の歌手が重なって思い出してくる。
不世出の歌姫の47年間の人生は、21世紀になった今もなお心の中に存在している。

(10月8日記 池内和彦)

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岩橋崇至写真展(5)

2007年10月04日 | 友人
                     内田光信氏(右は岩橋奈那さん)

岩橋崇至さんの「写真展」についてレポートを送信したところ、アメリカのアトランタ在住の内田光信氏からメールが届きました。
内田氏は、岩橋崇至さんの「ロッキー写真展」のアトランタでの開催の時にとても尽力してくれました。
メールの内容を披露します。

************

池内様

写真展の件詳細を伝えて頂き有り難うございます。
元はと言えば池内先輩からご紹介を受けた方々です。
前回岩橋一行がアトランタにこられた際息子さんを連れてこられました。
好青年です。
岩橋崇至さんが子供たちに写真教室を開いているのは知りませんでした。
芸術家として人生を考えられたと思 います。
福田さんは料理の達人です。
日本では彼の料理が最高です。
ワインも通で娘さんが最高に良いです。
日本の国防論では、福田、岩橋、内田は殆ど合致しています。
両人とも世界を旅行され、ある時は長期滞在され、国外から日本を見る目を持っているからだと思います。

池内様にはとても良い人たちを紹介して頂き感謝に堪えません。
人の輪とはこのようなことを言うのではないでしょうか。                                
多謝 内田光信

************

12年間続いた岩橋崇至アメリカ巡回写真展「THE ROCKIES ~FROM ALASKA TО MEXICO~」の全作品をベリーカレッジ(米国ジョージア州)に寄贈 したときに、橋渡しをして尽力してくれたのが内田光信氏でありました。
岩橋崇至・奈那夫妻と福田耕三さん(アメリカ展支援会代表)とも、アトランタの内田光信さんの協力に感謝しております。
その後も、このいい仲間達の交歓は継続しております。

(10月4日記 池内和彦)



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