つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

湯島聖堂の「孔子像」

2023年05月27日 | 名所
 世界で一番高い「孔子像」(湯島聖堂)

 湯島聖堂は、1690年、林羅山が上野公園の私邸内に建てた忍岡聖堂「先聖殿」に代わる孔子廟を造営し、将軍綱吉がこれを「大成殿」と改称して自ら額の字を執筆した。林家の学問所も当地に移転している。

 大成院の建物は、幕府の実学重視への転換の影響を受けて再建も思うように出来ないままに荒廃していった。その後寛政異学の禁により聖堂の役目も見直され、1797年、林家の私塾が、林家の手を離れて幕府の官立の昌平坂学問所となる。これは「昌平黌(しょうへいこう)」とも呼ばれる。
 
 「昌平」とは、孔子が生まれた村の名前で、そこからとって「孔子の諸説、儒学を教える学校」の名前とし、それがこの地の地名にもなった。ここには多くの人材が集まったが、維新政府に引き継がれた後、1871年に閉鎖された。

 教育・研究機関としての昌平坂学問所は、幕府天文方の流れを組む開成所、種痘所の流れを組む医学所と併せて、後の東京大学へ連なる系譜上に載せることができるほか、この地に設立された東京師範学校(現在の筑波大学)や東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学) の源流ともなった。

 明治以降、湯島聖堂の構内に文部省、国立博物館(現在の東京国立博物館及び国立科学博物館)、東京師範学校(東京教育大学を経た現在の筑波大学)及びその附属学校(現在の筑波大学附属小学校及び筑波大学附属中学校・高等学校)、東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)及びその附属学校(現・お茶の水女子大学附属中学校・高等学校)が一時同居していたことがある。

 後にそれぞれ、文部省は霞ヶ関に、国立博物館は上野に、東京師範学校は文京区大塚を経て現在茨城県つくば市に、東京師範学校の各附属学校は文京区大塚に、東京女子師範学校及びその附属学校は文京区大塚に(当初は湯島一丁目の聖堂内にあったため、お茶の水女子大学という)移転した。

 湯島聖堂にある世界で一番高い孔子像。1922年には敷地が国の史跡に指定されたが、翌1923年の関東大震災で入徳門と水屋以外の建物が焼失し、現在の大成殿は、1935年に鉄筋コンクリート造で再建されたものである。これは、寛政年間の旧制をもとに再建したものである。

 現在、湯島聖堂構内に飾られている世界最大の孔子像は、1975年に中華民国台北ライオンズクラブから寄贈されたものである。孔子像の他、孔子の高弟たち、四賢像(顔子-顔回、曾子、思子-子思、孟子)が安置されている。

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