ちょっと話は古くなるんですが、今週水曜発売分のエルゴラッソの記事。
GWに行われた『JFAプレミアカップ』で、ガンバJYは優勝。
これにより、7月に開幕する世界大会『マンチェスターUプレミアカップ』への出場権を獲得。
その中の記事に、『相克する哲学~』っとあり、ガンバのサッカーに批判的な指導者が云々とあり……
ガンバの中学年代ではドリブル勝負を重んじてるらしい。
それに対し『無理にドリブルを仕掛けなくても良い時まで、ドリブルする。もっとフリーの選手を使ってあげて、2対1の局面を作らないと……』
という意見のJFA関係の指導者も……
この記事によれば、ガンバ側は『パスばかりの選手より、ドリブル勝負できる選手』、JFA側は『攻守に数的優位を……』という発想から、意見が別れてる。
JFA側の発想は、『日本のスタイル』から来てて、ガンバ側は『それを中学年代からすると、個で局面を打開する選手が出てこなくなる』って考え方から、来てるみたいやね。
この記事読んでて、それぞれに、哲学があり、一利あるなって感じたよ。
難しい問題やね。
でもとりあえずは、ドリブルにしても、数的優位な局面を作る為のパスにしても、それぞれ『○○も出来るけど、△△』だったら良いけど、『○○出来ないから、△△』だと、マズいんじゃないのかなって思う。
例えば、
①『パスも出来るけど、ドリブル』
②『パス出来ないから、ドリブル』
③『ドリブルも出来るけど、パス』
④『ドリブル出来ないから、パス』
…と4つ考え方があるとします。
まず②と④だと、単に選択肢が少ないだけで、世界舞台で戦うには無理があると思う。
残りは①と③何ですが……
考え方としては、どっちも分かるんですけど、③だと中学年代の話とは言え、じゃあそれをして、上のカテゴリーに上がった時、今度はドリブルで勝負しろと言われても、日頃パスに馴れてた選手が、実際できるのかと言えば、ちょっと微妙じゃないのかなって思うんです。
だから①の『パスも出来るけど、ドリブル』だと、日頃ドリブルで勝負する事に馴れてる選手が、パスをしても、③の日頃パスに馴れた選手が、ドリブル勝負するよりも、まだスムーズに適応出来るんじゃないかな?
俺、ガンバが好きやけど、だからと言って、育成論まで肩持つ訳じゃなく、どっちが日本サッカーの為になるかと、自分なりに考えた結果、そう思った。
ついでに『数的優位』も、ちょっと俺なりに、考えてみた。
サッカーは11人対11人で、GKを除けば、10人対10人のFP(フィールドプレーヤー)の戦いになりますよね?
1対1の場面を、フリーの選手を使い、パスで2対1の局面にしたとしても、相手側も1人加われば、2対2の同数に。
そうやって人数を増やして行けば、結局、同じ10人の選手がいる訳やから、理論上は10対10のままだと思うんです。
1人も倒して無いから……
だけど、1対1の局面で勝負して、相手を抜ければ、その瞬間、10対9になりますよね?
これで、その局面での、パワーバランスが崩れ、数的優位は作れると思うんやけど。
やっぱ勝負して、相手を抜かないと、本当の意味では、数的優位を作り出せへんのと違うんかなってね。
パスを選択していっても、10対10の関係は崩れない気がするんですよ。
FPの数が無制限なら、勝負せずに相手よりも増やして行く考え方も、アリだと思うけど、人数の上限は決まってるから、その考えで行くと、無理が出てくるんじゃないかな?
数的優位の考え方として、自分たちを増やす事も大事かも知らんけど、それだけで無く、相手を減らす事でも、数的優位な局面を作り出せたら、良いのになぁ~って思う。
サッカーは、リスクを冒さんとアカン場面があるけど、リスクを冒したがらない所に、日本人の民族性が出てるのかもね。
結構長文になってしまった。
それと今回、あくまで俺が思ってる事を、書いただけなんで、間違ってるかも知らんけどね。苦笑
それでも、最後まで読んでくれた人、ありがとうね。
GWに行われた『JFAプレミアカップ』で、ガンバJYは優勝。
これにより、7月に開幕する世界大会『マンチェスターUプレミアカップ』への出場権を獲得。
その中の記事に、『相克する哲学~』っとあり、ガンバのサッカーに批判的な指導者が云々とあり……
ガンバの中学年代ではドリブル勝負を重んじてるらしい。
それに対し『無理にドリブルを仕掛けなくても良い時まで、ドリブルする。もっとフリーの選手を使ってあげて、2対1の局面を作らないと……』
という意見のJFA関係の指導者も……
この記事によれば、ガンバ側は『パスばかりの選手より、ドリブル勝負できる選手』、JFA側は『攻守に数的優位を……』という発想から、意見が別れてる。
JFA側の発想は、『日本のスタイル』から来てて、ガンバ側は『それを中学年代からすると、個で局面を打開する選手が出てこなくなる』って考え方から、来てるみたいやね。
この記事読んでて、それぞれに、哲学があり、一利あるなって感じたよ。
難しい問題やね。
でもとりあえずは、ドリブルにしても、数的優位な局面を作る為のパスにしても、それぞれ『○○も出来るけど、△△』だったら良いけど、『○○出来ないから、△△』だと、マズいんじゃないのかなって思う。
例えば、
①『パスも出来るけど、ドリブル』
②『パス出来ないから、ドリブル』
③『ドリブルも出来るけど、パス』
④『ドリブル出来ないから、パス』
…と4つ考え方があるとします。
まず②と④だと、単に選択肢が少ないだけで、世界舞台で戦うには無理があると思う。
残りは①と③何ですが……
考え方としては、どっちも分かるんですけど、③だと中学年代の話とは言え、じゃあそれをして、上のカテゴリーに上がった時、今度はドリブルで勝負しろと言われても、日頃パスに馴れてた選手が、実際できるのかと言えば、ちょっと微妙じゃないのかなって思うんです。
だから①の『パスも出来るけど、ドリブル』だと、日頃ドリブルで勝負する事に馴れてる選手が、パスをしても、③の日頃パスに馴れた選手が、ドリブル勝負するよりも、まだスムーズに適応出来るんじゃないかな?
俺、ガンバが好きやけど、だからと言って、育成論まで肩持つ訳じゃなく、どっちが日本サッカーの為になるかと、自分なりに考えた結果、そう思った。
ついでに『数的優位』も、ちょっと俺なりに、考えてみた。
サッカーは11人対11人で、GKを除けば、10人対10人のFP(フィールドプレーヤー)の戦いになりますよね?
1対1の場面を、フリーの選手を使い、パスで2対1の局面にしたとしても、相手側も1人加われば、2対2の同数に。
そうやって人数を増やして行けば、結局、同じ10人の選手がいる訳やから、理論上は10対10のままだと思うんです。
1人も倒して無いから……
だけど、1対1の局面で勝負して、相手を抜ければ、その瞬間、10対9になりますよね?
これで、その局面での、パワーバランスが崩れ、数的優位は作れると思うんやけど。
やっぱ勝負して、相手を抜かないと、本当の意味では、数的優位を作り出せへんのと違うんかなってね。
パスを選択していっても、10対10の関係は崩れない気がするんですよ。
FPの数が無制限なら、勝負せずに相手よりも増やして行く考え方も、アリだと思うけど、人数の上限は決まってるから、その考えで行くと、無理が出てくるんじゃないかな?
数的優位の考え方として、自分たちを増やす事も大事かも知らんけど、それだけで無く、相手を減らす事でも、数的優位な局面を作り出せたら、良いのになぁ~って思う。
サッカーは、リスクを冒さんとアカン場面があるけど、リスクを冒したがらない所に、日本人の民族性が出てるのかもね。
結構長文になってしまった。
それと今回、あくまで俺が思ってる事を、書いただけなんで、間違ってるかも知らんけどね。苦笑
それでも、最後まで読んでくれた人、ありがとうね。