秋の夜長の読書編第2弾。筆者は猪木武徳さん。大阪大学の名誉教授で、ご専門の経済学のみならず幅広い分野での発言や著作のある知識人です。私は学生だった頃からこの方の書かれた本にはお世話になってきました。
「自由の思想史」
リベラル、リベラリズムという英語で表現されるところの自由は、曲がり角を迎えていると思います。昨年のアメリカ大統領選などは、その極めつけの例として後年歴史家が分析するでしょうけど。選挙結果というよりその社会的背景の方ね。冷戦が終わって少し経った90年代後半から、先進自由主義・資本主義国の政治は中道化して論点が見えなくなる中、マクロの経済成長は鈍化して社会における富の偏在が目立っていきました。冷戦時代や経済成長の中での歪を是正するのような分かりやすい論点を欠く世の中で、中道化は見えない多数である浮動票を取り込まないといけない状況に政治自らをどんどん追い込んでしまい、無責任なリベラリズムの拡大を招きました。これはネットの利用によるポストモダン的な現象の急速な増大、特に言論の自由の影響力拡大にも後押しされていました。それだけでなく、実際に人の移動も活発になり、人と人の摩擦が随所に見られるようになったのに、Politically Correctに寛容や平等を言うだけで摩擦の根本に切り込んだ解決策は取られませんでした。中道だけに。
その流れに対し、経済的弱者が中心となって、それと意識することなく(自由を制限するという明確な意識は希薄なまま)リベラリズムの振り子を逆方向に揺らすべく圧力をかけ始めました。冷戦に勝ち、経済学的にも資本主義の正しさは数学的厳密さでも証明されたように思われ、社会体制として自由民主主義が究極であるという意味で歴史の終わりまで語られたのに、テロも犯罪も貧困も金融危機もなくならないばかりか増大している感じだし。振り子が振れるのも当たり前。
で、自由というのはそもそもそんなに善いものなのかという問いかけがこの本の始まりです。20世紀でも、公民権運動などの例を持ち出すまでもなく、先進国でも皆が自由を保証されていた訳ではないので、最近の自由な社会はとても歴史の短いものだと言えるでしょう。だいたい、不自由というか、何らかの制約がないと自由というのは定義もしにくい。何でもありと自由は違うというのは、直観的に皆が思うところでしょうし。
8章構成ですが、私がよいと思ったのは以下の章。
第1章: 問題提起的な内容を含みつつ、自由というのは人・社会が持つ・追及する価値の1つである、あるいは1つに過ぎないことが示される。私流に読めば、リベラリズムの行き過ぎは、実は自由ではなく平等という価値に重きが置かれた結果と見られる。自由と功利主義や、精神の自由など自由の意味や定義の広さ、制度としての自由など、抽象的な自由という言葉を具体的な社会現象の中で考えるヒントをたくさん示している。
第5章&8章: 教える自由と学ぶ自由が、余暇や恒産などの中産階級をイメージする話と連携される。現代では学問も功利主義的・経済的・短期的な成果を求められるために専門化が進み、一方で教養は雑学と混同されているが、元々はリベラル・アーツこそが学問の要であり、それを支えるものは自由な時間や自由を確保するために十分な資力などであるという話。かなり私自身の社会の見方に近く、共感できる章。
第6章: 言論・表現の自由ということで、情報が誰からでも溢れてくるインターネット時代では身近な話。そして、公正な自由はどこまで認められるのか線引きがしにくい話。これに対し、自由を獲得するにあたっての歴史的な経緯が国や文化によって異なるので、それが言論・表現の自由をどこまで認めるのかについて大きく影響しているという視点は新鮮だった。
でも、結びを読むと、筆者が日本を意識して自由を考える時、一番大事なのは第4章の信仰と自由、宗教と政治の話なのだと分かる。確かに、日本社会では立身出世的に自分の置かれた環境を克服して(抜け出して)、既存の社会システムの中でさらに上を目指すという方向は共感されるものの、自分の置かれた立場とそれ以外の立場を戦わせることで自由を勝ち取るような方向はそもそも考えの枠の外に置かれがちだと思う。しかし、自由の獲得とはそもそも戦いを伴うものであった歴史があり、社会のシステムを是とした中で自由を考えることには限界がありそうだ。
最後に現実世界の話に戻ると、中道路線は各国で修正を迫られていて、それは与党と言うか最大議席を確保しているのが中道右派や中道左派的なものであっても、極右・極左が昨今の総選挙では躍進するのが証左。今月のドイツの総選挙でも、極右とされるAfDの躍進(得票率13%)が日本では伝えられるけど、極左のLinkeも得票率は9%と健闘。自由以外の価値に、これまでと比較して重きを置く流れが確実に存在する訳です。
私は、トランプ政権の行く末はともかく、アメリカが25~30年後も今のままの合衆国でいられる可能性は低いと思っているし、欧州統合も今のEUよりは小さい規模でしか成し遂げえないと思っています。日本の社会も格差はどんどん拡大するだろうし、自由と平等を等価あるいはほとんど一緒の意味に捉えてきた流れは崩壊するでしょう。
それはともかくとして、猪木先生のこの本は、明確な結論を示すよりも考え方を提示して問題意識を芽生えさせ、更なる読書へ導くいい本だと思います。
「自由の思想史」
リベラル、リベラリズムという英語で表現されるところの自由は、曲がり角を迎えていると思います。昨年のアメリカ大統領選などは、その極めつけの例として後年歴史家が分析するでしょうけど。選挙結果というよりその社会的背景の方ね。冷戦が終わって少し経った90年代後半から、先進自由主義・資本主義国の政治は中道化して論点が見えなくなる中、マクロの経済成長は鈍化して社会における富の偏在が目立っていきました。冷戦時代や経済成長の中での歪を是正するのような分かりやすい論点を欠く世の中で、中道化は見えない多数である浮動票を取り込まないといけない状況に政治自らをどんどん追い込んでしまい、無責任なリベラリズムの拡大を招きました。これはネットの利用によるポストモダン的な現象の急速な増大、特に言論の自由の影響力拡大にも後押しされていました。それだけでなく、実際に人の移動も活発になり、人と人の摩擦が随所に見られるようになったのに、Politically Correctに寛容や平等を言うだけで摩擦の根本に切り込んだ解決策は取られませんでした。中道だけに。
その流れに対し、経済的弱者が中心となって、それと意識することなく(自由を制限するという明確な意識は希薄なまま)リベラリズムの振り子を逆方向に揺らすべく圧力をかけ始めました。冷戦に勝ち、経済学的にも資本主義の正しさは数学的厳密さでも証明されたように思われ、社会体制として自由民主主義が究極であるという意味で歴史の終わりまで語られたのに、テロも犯罪も貧困も金融危機もなくならないばかりか増大している感じだし。振り子が振れるのも当たり前。
で、自由というのはそもそもそんなに善いものなのかという問いかけがこの本の始まりです。20世紀でも、公民権運動などの例を持ち出すまでもなく、先進国でも皆が自由を保証されていた訳ではないので、最近の自由な社会はとても歴史の短いものだと言えるでしょう。だいたい、不自由というか、何らかの制約がないと自由というのは定義もしにくい。何でもありと自由は違うというのは、直観的に皆が思うところでしょうし。
8章構成ですが、私がよいと思ったのは以下の章。
第1章: 問題提起的な内容を含みつつ、自由というのは人・社会が持つ・追及する価値の1つである、あるいは1つに過ぎないことが示される。私流に読めば、リベラリズムの行き過ぎは、実は自由ではなく平等という価値に重きが置かれた結果と見られる。自由と功利主義や、精神の自由など自由の意味や定義の広さ、制度としての自由など、抽象的な自由という言葉を具体的な社会現象の中で考えるヒントをたくさん示している。
第5章&8章: 教える自由と学ぶ自由が、余暇や恒産などの中産階級をイメージする話と連携される。現代では学問も功利主義的・経済的・短期的な成果を求められるために専門化が進み、一方で教養は雑学と混同されているが、元々はリベラル・アーツこそが学問の要であり、それを支えるものは自由な時間や自由を確保するために十分な資力などであるという話。かなり私自身の社会の見方に近く、共感できる章。
第6章: 言論・表現の自由ということで、情報が誰からでも溢れてくるインターネット時代では身近な話。そして、公正な自由はどこまで認められるのか線引きがしにくい話。これに対し、自由を獲得するにあたっての歴史的な経緯が国や文化によって異なるので、それが言論・表現の自由をどこまで認めるのかについて大きく影響しているという視点は新鮮だった。
でも、結びを読むと、筆者が日本を意識して自由を考える時、一番大事なのは第4章の信仰と自由、宗教と政治の話なのだと分かる。確かに、日本社会では立身出世的に自分の置かれた環境を克服して(抜け出して)、既存の社会システムの中でさらに上を目指すという方向は共感されるものの、自分の置かれた立場とそれ以外の立場を戦わせることで自由を勝ち取るような方向はそもそも考えの枠の外に置かれがちだと思う。しかし、自由の獲得とはそもそも戦いを伴うものであった歴史があり、社会のシステムを是とした中で自由を考えることには限界がありそうだ。
最後に現実世界の話に戻ると、中道路線は各国で修正を迫られていて、それは与党と言うか最大議席を確保しているのが中道右派や中道左派的なものであっても、極右・極左が昨今の総選挙では躍進するのが証左。今月のドイツの総選挙でも、極右とされるAfDの躍進(得票率13%)が日本では伝えられるけど、極左のLinkeも得票率は9%と健闘。自由以外の価値に、これまでと比較して重きを置く流れが確実に存在する訳です。
私は、トランプ政権の行く末はともかく、アメリカが25~30年後も今のままの合衆国でいられる可能性は低いと思っているし、欧州統合も今のEUよりは小さい規模でしか成し遂げえないと思っています。日本の社会も格差はどんどん拡大するだろうし、自由と平等を等価あるいはほとんど一緒の意味に捉えてきた流れは崩壊するでしょう。
それはともかくとして、猪木先生のこの本は、明確な結論を示すよりも考え方を提示して問題意識を芽生えさせ、更なる読書へ導くいい本だと思います。