冷たい風のような火

メモ書きですが、それにしても何で公開の場で書くんでしょうね。

紅葉の尾瀬ヶ原と尾瀬沼 2

2017-10-23 20:35:26 | 旅行
紅葉シーズンの尾瀬、2日目は尾瀬沼方面に散策し、大清水の登山口に下山するハイキングです。10月9日の祝日の月曜日の記録です。
前日は黄金色と言うか濃い橙色と言うか、輝く草紅葉の尾瀬ヶ原を堪能しました。特に夕暮れ時に夕日に照らされて濃く染まる湿原は圧倒的な美しさでした。で、夕暮れの次の劇場は当然夜明け。尾瀬ヶ原と言えば朝靄が有名ですが、朝靄に覆われた草紅葉の湿原は想像するだけで幻想的。そのシーンを楽しみます。
朝5時20分頃、この日は比較的気温が高かったので霧氷を楽しむことはできませんでしたが、その分寒さも辛くない朝です。テントを抜け出て尾瀬ヶ原に向かいます。期待通り朝靄が出ており、既に幻想的なシーンが始まっていました。多くの人がカメラを構えています。








振り返って見晴方面。人が出てきています。山小屋にはまだ灯りが残っています。


燧ケ岳は山頂に雲がかかっています。上空は風がある感じなので、取れそうですけど。


朝靄の奥に見える白樺の林にズームしてみる。






ちょっと明るくなってきました。




靄に煙っているのではっきりとした日の出ではないですが、実際にはもう太陽が上がってきているのでしょう。






燧ケ岳もちょっとした朝焼け。


だいぶ明るくなって、草紅葉の黄金色がハッキリしてきました。まだ煙っていますが、朝靄の舞台は終わりですね。




見晴に戻ると、小屋泊の方々も徐々に出発されていきます。私は、この日もマッタリプランなので7時半までに出発すればよいと思っており、ゆっくりとテントをたたんで朝食とコーヒーを取りました。


テント場を管理されている燧小屋の東側から続く道を行くと、尾瀬沼および燧ケ岳への登山道方面です。この日はこの道を通って尾瀬沼に向かいますが、燧ケ岳には登りません。道に入って直ぐ、綺麗に紅葉した林の中を進みます。






葉の色は相変わらず様々です。








濡れていて滑りやすいですが、尾瀬の木道は雰囲気がよくて癒されます。


進行方向右手は時々樹間から相対する山を眺められますが、あちらの紅葉も綺麗です。


白樺と思われますが、巨木。大迫力の紅葉。


拡大するとこんな感じ。




足元には可愛いキノコもちらほら出てきます。




目線を上げて隣の山を見ても紅葉。




目線を下げて落ち葉を見ても紅葉。




しかし、木道は濡れていると相当滑りますね。派手に2回ずっこけました。アルプスの縦走でも今年は一回もずっこけていないのですが、まさか尾瀬の木道でコケるとは。
それでも順調に進むと、白砂田代という湿原に出ます。尾瀬沼から10分ほどの位置にある湿原で、ここまで来るともう尾瀬沼は目と鼻の先。


この湿原の草紅葉も、やはり美しい黄金色。










池塘も可愛いです。




綺麗な湿原で、木道の脇に作られたスペースでちょっと休憩しつつ雰囲気を楽しみます。しばらくしたら、いよいよ尾瀬沼に向けて出発。


尾瀬沼の北西の端、沼尻に着きました。ここにあった休憩所は火事で焼失しており、その立て直しが計画されているようです。それでも仮の休憩場所のようなものがあり、皆さんそこに腰を下ろしつつ尾瀬沼の景色を楽しんでいます。




ここからは時計回りでビジターセンター方面(尾瀬沼の南方)に向かいます。尾瀬沼の北側には燧ケ岳がそびえているのですが、燧ケ岳と尾瀬沼の間は湿原になっています。だからこのように尾瀬らしい風景。


で、北側を見れば燧ケ岳。


暫く行くと樹林帯に入りますが、随所で沼への展望が開けます。




鷺と鴨のコラボ。


鴨は実はたくさんいました。


燧ケ岳への登山道との分岐を経て、浅湖湿原の辺りに出ました。向こうには長蔵小屋など、尾瀬沼ビジターセンター周辺の建物が見えてきました。


周辺の木は背が高く、太陽との位置の関係で結構いい感じ。


振り返ると燧ケ岳が見えました。


盛夏にはニッコウキスゲで有名な大江湿原はこの奥の方ですかね。時期を合わせて行ってみたいけど、すごく混むんだろうな。


引き続き、湿原の木道を行きます。


ここまで来ると、湿原越しの燧ケ岳が見られます。


ちょっと視線をずらして、尾瀬沼の一部と燧ケ岳を両方入れた図。


さて、尾瀬沼ビジターセンターの休憩所のところに出ました。時刻は9:40頃で、少し休んでビジターセンターを見学し、10時過ぎに出発すれば1時に大清水の登山口を出るバスに間に合うでしょう。ホントは2時過ぎのバスでもいいんですが、そこは自然体で、紅葉を楽しみながら自分のペースで歩いた結果に任せようと思っていました。
尾瀬沼ビジターセンターの展示物は結構面白いです。写真には収めていませんが、動植物の解説や野鳥の声を聞くことのできるシステム、桧枝岐村の歴史や暮らしなどを紹介したものなど、どれも興味深いです。
で、10時少し過ぎに出発。まずはここから20分くらいの、尾瀬沼の南端である尾瀬沼山荘を目指します。途中、尾瀬沼越しに燧ケ岳を撮影できるスポットがあり、皆さんここで記念写真などを撮っています。


ちょっと雪を被っていたりすると趣が違うんでしょうけどね。まだそこまで寒くない。


尾瀬沼山荘からは、進路を南にとって樹林帯を行きます。まずは三平峠まで標高差100メートルくらい登り、そこから340メートルほど下って一ノ瀬と言うチェックポイントを目指します。コースタイムでは1時間20分ほどで、いつもこれよりは短い時間で歩けるのですが、この日は紅葉が綺麗だと足を止めて眺めたり深呼吸したり、写真を撮ったりするので、コースタイムと同じか遅れるくらいになると思っていました。
さて、樹林帯の道の脇、コケが結構綺麗な感じ。


基本的には木道がずっと続いています。登山道が踏まれて荒れないようにするためのものでしょう。ただ、滑りやすいので私は普通の山道の方がいいです。写真のように、まずは針葉樹の森です。クロベという樹だと思います。


三平峠にはベンチがありましたが、先に休憩されている方々で埋まっていたので素通り。ここからは長めの下りです。周囲の樹木も広葉樹になり、綺麗な紅葉が楽しめるようになります。


木道の落ち葉。


ちょっと開けたところからは、周囲の山々が見渡せます。北関東の奥地である尾瀬や奥日光は山深くて好きなエリアです。




登山道がずっと紅葉の名所である。いつもは団体さんが歩いていると抜いて行くものですが、この日はゆっくりで追い抜かれる立場。尾瀬ヶ原など湿原の黄金色・橙色の草紅葉とは違い、樹木の紅葉は様々な色が織り合わさって全体的にはカオスなはずなのに、なぜか絶妙のバランスで最高の美意識を持って作られたかのような景色です。












この大清水と尾瀬の間の道は、関東から尾瀬へのアプローチとしては鳩待峠の次にメジャーなところで、圧倒的に景色がよい道だという認識はありませんでした。が、タイミングがバッチリだったのか、晴れていたせいもあって紅葉の景色が本当に美しく、癒しの道としてゆっくり楽しむ価値の高い素晴らしい道でした。










ハイカーの中には外国人の方も見られ、尾瀬の自然を多くの人が楽しむのはよいなあと思いました。願わくば、これを機に皆の自然保護への意識が高まるともっと嬉しい。












沢に近づいてきて、いよいよチェックポイントの一ノ瀬が近づいてきたことをうかがわせます。






で、11時40分に一ノ瀬に到着。ゆっくりペースで歩いたつもりですが、コースタイムの設定が緩いのか、あと1時間弱歩いて1時に大清水を出るバスに間に合いそうです。


ここからは砂利道の林道を大清水のバス停まで歩くのですが、ふと道の脇を見ると旧道とされた山道が並行して走っているようです。それならせっかくなのでその旧道を行かない手はありません。趣のない砂利道を早々に外れ、快適な山道を下ります。気持ちのいい広葉樹の樹林帯です。ブナ、ミズナラ、トチノキなどの森ですね。




周囲の山々も時々視界に入ってきます。


大清水は名水で知られていますが、尾瀬からの美しい水が沢となって流れています。




時々、このような鐘があります。鳴らすと凄い音。熊よけと思われますが、鳴らした自分がビックリしました。


旧道に入るところに会った最初の標示は写真を撮り忘れてしまったのですが、途中に出てきた表示を撮ったのでここに記載。


途中で林道に合流して、また旧道に戻ったりします。


戻ってからも気持ちのよい道。




木道ではない土の道は何となく落ち着く。




最後は別の林道に出て、大清水までの短い距離を歩きます。


最終的には12時30分くらいに大清水の登山口に着き、1時のバスでJR沼田駅に出て帰りました。紅葉のタイミングもよく、お天気にも恵まれてとても心和むハイキングでした。ただし、流石に人出が多くて道路が混みまくっており、帰りのバスも一般道ながら渋滞したために電車との接続に失敗。駅で1時間以上ボーッとする時間をいただくことになりましたが。紅葉の時期は短いので人が集中しますから、夏よりも混雑が激しいことだけが問題です。
紅葉はまだまだ南関東ではこれからなので、11月になったら大菩薩嶺から奥多摩まで歩いてみたいと思っています。

秋の夜長の読書 「ジョージ・ケナン回顧録」

2017-10-21 20:47:20 | 息抜き
文庫本で3巻の長尺ですが、1冊ごとに読み終わりが近づくと、もう少し長ければいいのにと思わざるを得ないほどに面白く、共感できる本でした。読み終わってしまうのがもったいない。もっと読んでいたいと思いました。まだ年末まで2か月あるので確定ではないものの、今年読んだ本の中ではベストになる可能性が高いでしょう。


ジョージ・F・ケナン回顧録I (中公文庫)


1つ1つの外交政策の提言については、この回顧録から長い年月を経た今では必ずしも賛同できないことが多いのではないかと思われます。特に、北朝鮮という異常な国家と相対する日本の現状を考えると。しかしながら、一貫して冷静で現実的かつ可能な限り非暴力的な姿勢で考えられた政策提言は、外交という厳しい交渉と駆け引きの世界におけるフェアで高潔な精神・態度を垣間見させてくれます。同時に、国家という巨大組織の中で文字通り政治的に翻弄される現実は、巨大な企業組織における私自身の体験と重なる部分をどうしても感じることになり、圧倒的な説得力と親近感を感じさせられます。土台となる考え方、置かれた条件や環境に苦しみながら最善を尽くす態度、複雑な問題そのものの知的な面白さ、などなど個々の提言の内容を越えた面白味が随所に感じられる本です。

こんなことに関心ある人にお勧めです。
・冷戦時代の対ソ封じ込め政策の本質と実態
・(仮想)敵国の理解と公正で威厳ある対峙
・国家・組織の利益、大儀と政治的な限界
・マッカーシズムの本質
・第2次大戦後の欧州、極東における東西バランスの微妙な歴史
・政治(外交)と軍事のバランスと対立
・理解し合えないものの存在とシーシュポスの神話的不条理への挑戦

そのうちレビューエントリを書くと思いますが、「チューリングの大聖堂」というもう一冊の今年のベスト候補の本の舞台も、このケナンが外交官を引退した後に学究生活を送るのも、ともにプリンストンの高等研究所です。オックスフォードのAll Souls Collageと並んで憧れるところですね。この2つの大学の性格はだいぶ違うけど。

紅葉の尾瀬ヶ原と尾瀬沼 1

2017-10-15 20:59:29 | 旅行
10月7日~9日の3連休は、7日土曜のお天気が悪かったけれど8日と9日は晴れたので、どの山域も紅葉を狙った登山者で溢れた模様です。私は南アの早川尾根を考えていたのだけど、色んな思惑で2泊したかったので今回は諦めて1泊で楽しめる尾瀬にしました。しかも、今回は燧ケ岳も至仏山も登らない完全なまったり系ハイクです。まあ、結果的にそれでよかった。公共交通機関利用だったのだけど、それでもこのシーズンの大渋滞に巻き込まれたために時間的な制約が大きく、無理に山に登らずにゆっくりと尾瀬の雰囲気を味わう方が癒しとしては有効だったと思います。で、まずは山行のまとめ的な写真を数枚。























8日は午前6時半にバスタ新宿を出発する、関越交通の尾瀬号を利用しました。この尾瀬号、本当は前夜の夜行便だと早朝に尾瀬に入ることができて便利なのですが、それは既に完売でした。朝の便だと出発が早い割に途中の川越などに停車するので時間効率が悪く、予定通りでも11時過ぎにならないと尾瀬に到着しません。しかも、この日は連休の大渋滞に巻き込まれ、鳩待峠に連絡する戸倉のバス停に着いた時には既に12時半でした。おなじみの連絡バスに乗って鳩待峠へ。この時点で既に午後1時。まったり山歩きとは言え、かなり遅いスタートですね。


時間も時間なので、鳩待峠からは素直に尾瀬ヶ原を目指して最短コースである山ノ鼻への階段を下ります。この時間、既に早朝から尾瀬を楽しまれてこれから帰るために登ってくる方々が多かったですが、私と同じように今から尾瀬ヶ原に向かう人はほとんどいませんでした。そのため、ちゃんと右側通行で木道を歩けば混雑はあまり感じませんでした。
いずれにしても、尾瀬の紅葉、既にこの段階から絶好調です。




至仏山方面が少し見えるところから。見えているのは山頂ではないですが。至仏山は高山植物のイメージが強いですが、やはりこの時期は紅葉・黄葉も見事ですね。






様々な色が目を楽しませてくれます。空の青や緑の残った葉や広葉樹の緑に合わせ、赤、黄色、橙色、レモン色などの色とりどりの紅葉・黄葉。


















来てよかった秋の尾瀬。とても癒される景色です。紅葉は鮮やかで美しいのですが、同時に夏が終わって冬に向けてのちょっと寂しい雰囲気も感じられ、独特の趣がありますね。スタスタ歩けば40分ちょっとで着いてしまう山ノ鼻ですが、この日は紅葉を愛でながら写真を撮ったりしてかなりゆっくりペースで歩いていたので、1時間弱かかりました。


山ノ鼻について焦ったのはテントの数。元々、見晴のテント場に張るつもりだったのでいいのですが、この日の人出と言うかテント場の取り合いが凄まじいことを実感させるものでした。まあ、この時間からではどんなに急いでも到着は4時過ぎで、テントを張る人たちの中では最終組に属するのは避けられません。無駄に急ぐよりも尾瀬ヶ原の草紅葉を堪能してゆっくり歩くことに決めます。


それにしても気持ちのいい日でした。この時期にしては気温がちょっと高めでしたが、晴れていて黄金色の湿原がとても美しい。山ノ鼻から見晴に歩くと、燧ケ岳を進行方向に見ながら歩くことになります。


小さな池塘はこの時期には水が枯れつつありましたが、小川は健在でした。


花の季節ではないですが、オヤマリンドウがちらほら見られました。


振り返ると至仏山。逆光ですが、まだそれでも色づいた山肌を伺うことができます。


両サイドには見事な草紅葉と、その先に色づいた白樺などの林、そして紅葉の山がずっと見えています。パラダイスですね。尾瀬ヶ原。初夏も盛夏も秋も。


池塘においてはヒツジグサが水の上の草紅葉を演じていました。




紅葉の尾瀬、縦の写真の方が決まるような気がする。


逆さ燧ケ岳が池塘に写るポイントに来ました。が、残念ながら風がそこそこあったために綺麗に写らず。まあ。それでも池塘と草紅葉と燧ケ岳のコラボは別次元の美しさだと思いました。


両サイドの景色も捨てがたいですけどね。ホント、写真よりも実際は黄金色の草紅葉で、その向こうに紅葉の林と山があるのがとてもよい癒しの風景でした。




木道を入れた写真は尾瀬っぽい。


牛首の分岐に出ました。この辺りは人が多いのでサッサと抜けようとしたのですが、鴨が一羽逃げもせずに湿原に佇んでいました。怪我でもしたのでしょうか。話しかけても当然応えはないですが、心配しました。


その後、本来のポイントとは異なる池塘で、ちょっとさざ波が立っているものの逆さ燧ケ岳っぽい写真を撮ることにも成功。ちょっと品がない雲がかかってますけどね。秋らしく鰯雲だったらよかったのに。


逆さ名もない山。


池塘とのコラボでは、名もなき山も結構いい感じです。


まあ、それでも尾瀬ヶ原においては燧ケ岳はダントツに格好良すぎますね。


湿原には、何やらちょっと綿毛っぽくなったものをつけた植物が時々見られました。これ、なんだと思います?後で調べたところ、アキノキリンソウは最後にこのような綿帽子になるそうです。息の長い黄色の花で、いつ歩いてもどの山域でも見られる花ですが、この姿にお目にかかったのは初めてでした。




小川には魚影も。


時間的に3時近くになってくると、日の傾きのせいか草紅葉の黄金色が一層強くなったように感じます。


そして、尾瀬ヶ原のド真ん中にある龍宮小屋が見えてきました。この小屋、見晴や山ノ鼻と違って一軒だけポツンと湿原に登場して、とてもメルヘンな感じで好きです。


龍宮小屋を過ぎ、沼尻川を渡ると見晴まで30分ほどの道を残すだけです。ここまで来ると燧ケ岳も大きく見えます。


そして草紅葉が本当に美しい。








見晴の山小屋が見えてきました。


その背景にある山肌の紅葉も見事。


そして、一層日が傾いて草紅葉の色が濃くなっています。




結局、見晴のテント場に着いたのは3時40分くらいだったでしょうか。予想通り大混雑で、平たんな場所はほぼまんべんなくテントに覆われていました。何とか場所を見つけて設営しましたが、私の後に到着された方々はかなり無理して斜めの所やはみ出たところに張っていました。


なお、見晴のテント場そのものの紅葉も見事でした。




そして、ここからのお楽しみは何と言っても夕暮れ時のシーン。夕日に照らされて黄金色に輝く尾瀬ヶ原の草紅葉は、15分ほどの自然の劇場。4時40分頃まで待って、テント場から尾瀬ヶ原に出てみました。夕日は至仏山方面に沈みます。既にかなり北側に沈むので、実際には至仏山より北の位置に向けて太陽が降りて行きました。


私の影が映っていて間抜けですが、見晴、そして燧ケ岳方面。残念ながら燧ケ岳は雲の中。


尾瀬ヶ原は正に黄金色というか、濃い橙色で神秘的です。このシーンと言うか色を見て、ひとりで感動していました。












アキノキリンソウの穂も夕日に照らされて本当に美しい。


そして、4時50分頃には夕日は至仏山の北側に沈んでいきました。


まだ明るさは残っているものの、山の中なので実際の日没よりも先に太陽は山の向こうに沈んでしまいます。暗くなる前に急いでテント場に戻り、いつものようにフリーズドライ中心の簡単な夕食と済ませました。今回は1泊で荷物も少ないので、デザート的に甘い菓子パンを持ってきていました。尾瀬ヶ原の美しさを思い出しながら、自分のテントの中でコーヒーを淹れて菓子パンを食べてから就寝しました。翌日は尾瀬沼方面を散策する予定です。

自分的に手軽・便利な山道具

2017-10-11 19:48:41 | 息抜き
いろんなブログで皆さん自分の装備を公開されていますが、私もちょっと参戦。
道具に凝る方ではないですし、ファッション性などまったく考えていないため、レインウェアでもシューズでも安売りしていてお得なものであればメーカーや色に関わらず購入しています。そんな私が重宝しているものは、やはり小物が多いです。で、今回は以下の2つの商品をご紹介。

1. モンベルの手ぬぐいヘッドバンド
夏の高山では帽子の方がお勧めです。それは、紫外線予防にもなるから。ただし、春や秋冬の低山ハイクならこっちの方が手軽です。よいのは、大汗をかかない限りほとんどの頭の汗を吸収してくれるので、頭から顔に汗が垂れてくることを回避できる点。そして、コットンなので洗濯しやすい。バンダナのようにしてヘッドバンドとして使うこともできるし、広げれば手ぬぐいを被ったようにも使えます。これからの季節、このヘッドバンドはかなりお勧めです。

2. ギャッツビーのbody paper
テントを担いで縦走すると、何日もお風呂に入れません。当然水場で手ぬぐいを濡らして体を拭いたりするのですが、裸になる訳にはいかないし限界がある。で、テント内でほとんど素っ裸になって体中を拭き清めることができる濡れタオルはとても便利です。2枚あれば全身を拭くことができます。1枚でもかなり対応可能。消毒薬も入っているので、水場で手ぬぐいで服だけよりも清潔ですし。問題は、大きめのパックを買うと最初のうちは結構な重量があることですね。濡れているので重みがあるのです。メンズビオレでも同様の製品があります。

ということで、ご参考まで。

秋の夜長の読書 「自由の思想史」

2017-10-05 20:04:24 | 息抜き
秋の夜長の読書編第2弾。筆者は猪木武徳さん。大阪大学の名誉教授で、ご専門の経済学のみならず幅広い分野での発言や著作のある知識人です。私は学生だった頃からこの方の書かれた本にはお世話になってきました。


自由の思想史

リベラル、リベラリズムという英語で表現されるところの自由は、曲がり角を迎えていると思います。昨年のアメリカ大統領選などは、その極めつけの例として後年歴史家が分析するでしょうけど。選挙結果というよりその社会的背景の方ね。冷戦が終わって少し経った90年代後半から、先進自由主義・資本主義国の政治は中道化して論点が見えなくなる中、マクロの経済成長は鈍化して社会における富の偏在が目立っていきました。冷戦時代や経済成長の中での歪を是正するのような分かりやすい論点を欠く世の中で、中道化は見えない多数である浮動票を取り込まないといけない状況に政治自らをどんどん追い込んでしまい、無責任なリベラリズムの拡大を招きました。これはネットの利用によるポストモダン的な現象の急速な増大、特に言論の自由の影響力拡大にも後押しされていました。それだけでなく、実際に人の移動も活発になり、人と人の摩擦が随所に見られるようになったのに、Politically Correctに寛容や平等を言うだけで摩擦の根本に切り込んだ解決策は取られませんでした。中道だけに。
その流れに対し、経済的弱者が中心となって、それと意識することなく(自由を制限するという明確な意識は希薄なまま)リベラリズムの振り子を逆方向に揺らすべく圧力をかけ始めました。冷戦に勝ち、経済学的にも資本主義の正しさは数学的厳密さでも証明されたように思われ、社会体制として自由民主主義が究極であるという意味で歴史の終わりまで語られたのに、テロも犯罪も貧困も金融危機もなくならないばかりか増大している感じだし。振り子が振れるのも当たり前。

で、自由というのはそもそもそんなに善いものなのかという問いかけがこの本の始まりです。20世紀でも、公民権運動などの例を持ち出すまでもなく、先進国でも皆が自由を保証されていた訳ではないので、最近の自由な社会はとても歴史の短いものだと言えるでしょう。だいたい、不自由というか、何らかの制約がないと自由というのは定義もしにくい。何でもありと自由は違うというのは、直観的に皆が思うところでしょうし。
8章構成ですが、私がよいと思ったのは以下の章。
第1章: 問題提起的な内容を含みつつ、自由というのは人・社会が持つ・追及する価値の1つである、あるいは1つに過ぎないことが示される。私流に読めば、リベラリズムの行き過ぎは、実は自由ではなく平等という価値に重きが置かれた結果と見られる。自由と功利主義や、精神の自由など自由の意味や定義の広さ、制度としての自由など、抽象的な自由という言葉を具体的な社会現象の中で考えるヒントをたくさん示している。
第5章&8章: 教える自由と学ぶ自由が、余暇や恒産などの中産階級をイメージする話と連携される。現代では学問も功利主義的・経済的・短期的な成果を求められるために専門化が進み、一方で教養は雑学と混同されているが、元々はリベラル・アーツこそが学問の要であり、それを支えるものは自由な時間や自由を確保するために十分な資力などであるという話。かなり私自身の社会の見方に近く、共感できる章。
第6章: 言論・表現の自由ということで、情報が誰からでも溢れてくるインターネット時代では身近な話。そして、公正な自由はどこまで認められるのか線引きがしにくい話。これに対し、自由を獲得するにあたっての歴史的な経緯が国や文化によって異なるので、それが言論・表現の自由をどこまで認めるのかについて大きく影響しているという視点は新鮮だった。

でも、結びを読むと、筆者が日本を意識して自由を考える時、一番大事なのは第4章の信仰と自由、宗教と政治の話なのだと分かる。確かに、日本社会では立身出世的に自分の置かれた環境を克服して(抜け出して)、既存の社会システムの中でさらに上を目指すという方向は共感されるものの、自分の置かれた立場とそれ以外の立場を戦わせることで自由を勝ち取るような方向はそもそも考えの枠の外に置かれがちだと思う。しかし、自由の獲得とはそもそも戦いを伴うものであった歴史があり、社会のシステムを是とした中で自由を考えることには限界がありそうだ。

最後に現実世界の話に戻ると、中道路線は各国で修正を迫られていて、それは与党と言うか最大議席を確保しているのが中道右派や中道左派的なものであっても、極右・極左が昨今の総選挙では躍進するのが証左。今月のドイツの総選挙でも、極右とされるAfDの躍進(得票率13%)が日本では伝えられるけど、極左のLinkeも得票率は9%と健闘。自由以外の価値に、これまでと比較して重きを置く流れが確実に存在する訳です。
私は、トランプ政権の行く末はともかく、アメリカが25~30年後も今のままの合衆国でいられる可能性は低いと思っているし、欧州統合も今のEUよりは小さい規模でしか成し遂げえないと思っています。日本の社会も格差はどんどん拡大するだろうし、自由と平等を等価あるいはほとんど一緒の意味に捉えてきた流れは崩壊するでしょう。
それはともかくとして、猪木先生のこの本は、明確な結論を示すよりも考え方を提示して問題意識を芽生えさせ、更なる読書へ導くいい本だと思います。