ICANまにらブログ~第二巻~

日本のNGOアイキャンまにら事務所の日記。

路上にいた子どもにとっての「子どもの権利」②

2008年07月18日 | 路上の子どもたち
ゆきよ@まにら。

先日の続き。



子どもたちは自分たちの両手をかたどって、そのひとつひとつの指に、自分の大切だと思う「子どもの権利」を描いていきました。思い思いのデザインで飾られたいろんな手ができあがりました。そしてその手を見せながら、自分の書いたこと、描いたことを説明していきます。

子どもたちの語った「権利」のなかに、「名前がある権利」というのがありました。日本では子どもの出生後、役所に届けるのはごく当たり前のことですが、フィリピンではそれができていない、つまり出生証明書がない、あるいは出生証明書の内容が正確でないということが少なくありません。

この「名前がある権利」をあげたジェームスくん(仮名)は、ちゃんとした出生証明書がない子どもでした。「だから僕は、僕は○○出身の××ジェームスです、と自分で言っていても、それを証明できるものがないんだ。」と、その状況がいかに心もとないものか語っていました。



彼は幼いころ父親の暴力から逃れて、路上で暮らすようになりました。「路上にいたころは、batang kalye(路上の子)とか、sira ulo(頭おかしい)とか呼ばれることもあった。侮辱だよね。僕は名前のない子だったんだ。」

長年のわだかまりを越えて、近年親と和解して、今は長期の休みのときは、実家に帰ることもあります。「この間帰ったときに、出生証明書の話をしたんだ。親が手続きをしなおしてくれるって言ってくれた。」




子どもの権利条約の第7条では、「児童は、出生の後直ちに登録される。児童は、出生の時から氏名を有する権利及び国籍を取得する権利を有するものとし、また、できる限りその父母を知りかつその父母によって養育される権利を有する。」とあります。そしてその権利の実現を国が確保するように言っています。

これは、あまりにも当たり前のことのように思っていました。自分がどこの誰か不確かであることが、どんな自分の存在を脅かすように思えるか、ジェームスくんの語りを聞くまで、私は想像したことがありませんでした。


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