ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
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自分が出来る事で・・・

2017年03月21日 12時22分00秒 | 日常生活
月21日(火)曇り
すみれ

数週間前の事だ。

見知らぬ番号の携帯から着信があった。

迷ったけど、一応携帯を耳に当てた。

すると、知人のYさんからで、お願いがあると言う。

話を聞いてみると、のし袋に名前を入れてもらえないだろうか・・・と。






何年前からだろう?

ご祝儀袋や不祝儀袋に、ワープロを使って名前を書き入れるようになった。

ばばの周囲は、高齢者が多いし、ご祝儀袋などに名前を書こうとしても

手が震えて書きにくかったり、いざお通夜に行こうとして

慌てて不祝儀袋を出して記名しようとしても、なかなか書けないという話を聞き

よし、それなら!と、記名したのし袋や、不祝儀袋を

定期的にプレゼントしようと思った。



島では、お祝いよりも、お悔やみの方が圧倒的に多くて

(縁起でも無いかな?)と思いつつも、不祝儀袋を多めに印刷する。

ご近所さんや、お付き合いのある先輩方に届けると

とても喜んで下さる。

今回、Y姉さんに届けたら

「ばばちゃんから前もらった分、ちょうど使い終わって、

数日前に香典袋買ったところだった。重宝しているのよ、

本当にありがとう」って、本当に喜んでくれている事が嬉しかった



今回、電話を下さったYさんも、不祝儀袋と祝儀袋を数袋持って

わざわざ我が家へ来て、「難儀させるけど、ごめんね」と・・・・

入力させすれば、すぐ印刷できるし、ものの20分もあれば

数十枚なんかすぐ印刷できる。



印刷し終わって、すぐ連絡したら

お礼にとタンカンをどっさり持ってきて下さった。

「商売でありませんので、これは受け取れません。

誰からもお礼なんかもらっていませんし、こんな事されたら

次から印刷しませんよ」と何回も何回も断ったけど

ばばの手にタンカンを押しつけて

「ありがとうね。本当に助かるわ。嬉しい!」と

最大限に喜びを表現して、帰って行かれた。



でも・・・タンカンをいただいた事が気になる・・・



お隣さんや友人知人って、大なり小なり助け合って生活しているし

頂き物などあれば、お裾分け・・と下さるし

色々な情報を教えて下さるし・・・諸々お世話になっている。



だから、ばばが出来る事で喜んで下さる方がいたら

何かやりたいなぁ・・と思っていて

たまたまパソコンが使え、プリンターもあるので

簡単な印刷などしているんだけどなぁ。

「お互い様」の心で、自分がお世話になっている、

ご近所さん・友人知人の方々へのご恩返しのつもりでね。



ばばも、仕事をしていた頃はご近所づきあいはほぼ無かった。

当時は、じじ両親が元気で、ご近所づきあいや、

冠婚葬祭などのお付き合いもしていた。



ばばも退職し、じじ両親が亡くなり、

今度は、じじとばばが、自分達なりのご近所づきあいをしていかなければならない。



ご近所さんとじじは、じじが子供の頃からの顔見知りだし

ばばも結婚以来、数十年、今の場所に住んでいるので

ご近所づきあいは大切にしなければいけないなぁ・・・とつくづく思う。



数十年前と比べ、若者が減り、大先輩方がお亡くなりになったり

都会の子供の所へ引き上げて行かれたりして

ばばの周囲でも、どんどん人口が減りつつある。

こんな時だからこそ、ご近所さん同士声を掛け合ったり

助け合ったりしていかなくてはいけないと思う。



「自分が出来る事で」ご近所さんや友人知人の役に立てたらなぁ・・・

と思う、ばばです。

車がたくさん・・・他

2017年03月17日 22時11分48秒 | 日常生活
3月17日(金)曇り

夕方、魚を買いに行って、近くのホームセンターに寄ったら

売り出しでも無いのに、近くにたくさんの車が止まっていて

中学生か高校生くらいの子供たちもたくさんいた。

最初、不思議に思ったが、途中で気づいた。

あっ!新港の方は波が高くて、

旧港に鹿児島行きの定期船が入港するんだなと。

ばばたちの住まいに近い方に新港ができて久しいけれど

やはり、波が高い時は、旧港に接岸するんだね。

もっと波が高い時には、隣町の港に入港することもある。

天気が悪い日は早めに船舶会社に電話して

どちらの港に入港するか確かめておかないと

バタバタ慌てることもある。

隣町の港までは、船の入港時刻に合わせた定期バスはないし

自家用車かタクシーなど利用するしか無いから大変だ。



今日の海は、大分波が高いはずだから、船も揺れるかもね。

ばばが船に乗ったのは何年前だろう?

退職した次の年に、加計呂麻まで友人に会いに行った時だから

10年以上、船に乗ってないなぁ。

穏やかな日の船旅はのんびりしていて楽しいけれど

荒天の船旅はつらいなぁ・・・

今日のたくさんの学生さんたち、どこまで行くのだろう?

船酔いしなければ良いけど、船に弱い子もたくさんいるだろうな

等と思いながら帰宅したばばでした。


ムラサキシキブ

今朝、ラジオを聞いていたら「まぶっている」という言葉が

耳に飛び込んできた。

島の方言と似ていたので、慌てて耳を澄ますと・・

「ヒヨドリが獲物をまぶっている・・」というような使い方をしていて

「獲物を見張っている」という意味らしくて

福島の方言だと言っていたような。。。。。

徳之島の方言「まぶらってぃ」と似ているような言葉だと思ってメモまでしたが

徳之島の「まぶらってぃ」は神様などが守って下さって・・

というような意味である。

なぜか、最近言葉に敏感になっているような気がするばばです。



今日はとりとめも無い駄文でごめんなさい。



※画像はまだまだ美しいムラサキシキブです。

 昨日、用事で寄った先輩の庭でパチリ!



確認しなくちゃ・・・他

2017年03月16日 19時29分15秒 | 日常生活
今日は朝9時からお出かけ。

お昼2時過ぎまでかかって用事を済ませてきた。



出先で、足に裏にできる魚の目?イボ?のような

でき物について話が出た。

ばばも子供の頃できた事がある。

そのできものができると、足の裏を地べたに付ける事ができず

爪先だって歩いていた事を思い出す。

当時、どのような手当をしたか覚えていないが

今日、私と話した先輩は、その「自称・できもの取りの名人」だって。

カミソリで、患部を削り取るそうだが、全然痛みも無く

一時に10数個とってあげたりもしたって。

で、そのできものの事を何というか、全然思い出せなくて

二人で「うぅ~~ん」「うぅ~~ん」唸りながら考えていたら

「あっ!そうだ、イシグンって言っていた」と。

そう言えば、そうだった!

何だかつかえが取れたようで嬉しかった!

その先輩に、昨日、実家集落の研修館で見た

「報徳碑」について聞いてみたが、残念ながら回答は得られなかった。

どなたか教えて下さる方、いらっしゃらないのかなぁ・・・・



最近、じじが島の方言について興味を持ち

言葉や諺について資料を集め、まとめつつある。

だから、我が家では、なるべく方言で話す事にしているが

微妙にアクセントなど違うので、たまには大爆笑になる。

近い将来、無くなってしまうであろう島の宝・方言。



子供たちも、生まれた時から家庭では方言も教えながら

標準語も話せるようにしたら、方言が話せるようになるかもしれないが

親世代も、方言を話せなくなった今、それは不可能である。

子供たちは高校卒業と共に都会に出たら、帰ってくる若者は少ない。



方言を、後世に引き継ぐ事は、現実的には難しくなったけれど

島で生まれ、島で育ち、島で暮らす、じじとばばだから

これからでも、なるべく2人いる時は方言で話すことにしている。



話題はガラッと変わって・・・

つい先日、ばばはメールを送る相手を間違えてしまって

一緒にいたばばと姉、笑って、笑って・・・あまりに笑いすぎて

2階にいたじじ、「ばばが、どうにかなったんじゃ無いか」って

本気で心配したんだって。

「えぇ~っ、姉さんも同じように笑ったのに・・・」と言ったけど

じじには、ばばの笑い声だけが聞こえたらしい。

元はと言えば・・・

ばばが、次女に送ったつもりのメールを三女に送ってしまって

三女から「えっ?フランス料理?」と返信が来て、????のばば。

ばばはCメールしかしないので、1回で送ることができる文字数は少ない。

たまたま誤送信したメールに「フランス料理」という単語が入っていて

前後のつながりの分からない三女が????となるのは当たり前。



メールを送る時には、充分に気をつけなくちゃね。

と、言っても、ばばがメール送信するのは家族か、姉妹宛てが99%。

でも、残り1%の友人や、知人に誤送信したら大変、大変!

だから、なるべく受信メールも、送信済みメールも

終わったらすぐに削除するようにしようと思う。



以後、送信前には念には念を入れて、相手を確認しなくちゃね。



でも、数日前は久しぶりに声を出して、思いっきり笑ったので

何だかとっても幸せな気分になったよ。


※画像は今夕、姉と出かけた諸田池の近くにあった桃の花が更にきれいになっていたので・・・パチリ!

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半世紀以上経って・・・

2017年03月15日 18時34分30秒 | 日常生活
3月15日(水)晴れ時々曇り

毎月1日・15日は墓参りに行くことにしている。

今日は昨日までとしたら、青空も見える天気だったので

姉と2人で9時前に家を出た。



まず長姉の墓前で礼拝し、次に実家の墓へ。

小さな雑草がたくさん生えていたので、除草用の鎌を使ってきれいにした。

お酒とお水を替え、お線香を立て礼拝し、姉の婚家の墓へ行き

同じようにお参りした。

それから実家に寄って庭を見ると、雑草が蔓延っている。

「どうする?」と姉とアイコンタクト。

「じじさんが帰宅するまで、私たちも帰れるよね。

頑張って除草剤撒こう!」と、即行動。

4個の如雨露を使って、家の周囲や外の道路まで除草剤を撒いた。



作業が終わって、準備していったコーヒーを飲もうと思ったけど

あまりに天気が良すぎて暑いので、近くの研修館の庭まで行って

一休みすることに。



研修館は無人だったので、庭に車を止め

木陰にを探して、コーヒータイム。

コーヒーを飲みにながら、キョロキョロ辺りを見回してみると

今まで気づかなかった事に気づいた。



ばばが子供の頃は、研修館とかいう建物は無くて

集落の中心あたりに、青年会場という建物があり、

集落の演芸行事や、小学生の「学芸会」なども、この青年会場で行われていた。

又、子供たちの遊び場も、この青年会場周辺だった。

中では、おはじきやお手玉などで遊び、外では缶蹴り、かくれんぼ、鬼ごっこ

縄跳び等々・・・当時の子供の遊びを、学年混合でみんな仲良く遊んでいた。

その青年会場が、いつの間にか「老人と憩いの家」という名前に変わり

離れた場所に、新しく「研修館」という建物ができた。

建物は2棟あり、大きな建物では集落の催し事などが行われ

小さな建物は、台所のようになっている。

お弔いの時などは、この台所でご飯を炊いておむすびにしたり

お鍋で数十人分のお味噌汁を作ったりする。



以前は確か、婦人会の方々が

手作り味噌なども作ったりしていたと記憶している。



ばばは普段「研修館」と言い、聞き慣れてもいるので

この建物は「研修館」だと今日まで思っていたが

よくよく見ると「農業研修館」と書かれていて、「そうなんだ~」と初めて知った。



又、建物の右側には縦に細長い碑のような物が建っている。

これは「青年会場」の横にあった物を、移設したようだが

この「碑」が何なのか、しっかり見る事も無いまま

半世紀以上経った。


たまたま、今日、碑に書かれていた文字が気になったので

カメラを持って、近くまで行ってみた。

記念碑1

すると、碑の表面には「報徳記念」と書かれ、

左下には「上花徳字民一同建之」と書かれている。

どなたかの行為に対して、集落民一同で建立した碑らしい。

「誰が、どんなことをしたのだろう?」と気になり

碑の裏に回ってみると、そこには

「向井向?翁頌徳之歌」と書かれ、次の行には

「旭き?(読めない漢字1字あり)  牧石山ともろ共に

千代仰ぎなむ 君が?(読めない漢字)を」とあり

最後の行には「大正八年  七月十六日」と書かれている。
記念碑2


この碑は、ばばが子供の頃からあったのに、なぜ建てられたのかとか

親に聞いたことも無ければ、親も話してくれたことも無かった。



向井某さんという方が、何か集落のために尽力して下さって

その行為に対して、集落民一同で建立した碑だと言うことは分かったが

詳しいことは何一つ分からない。

大正七年と言うことは・・・・この碑が建てられて今年で99年になるのかな?

ばばの両親が明治40年と41年生まれだから・・・・

小学生の頃に建てられたのかなぁ・・・・



向井某さんは、集落の先人なのかなぁ?

どういう方なのだろう?

興味が次々湧いてきた。

今度、集落の大先輩と話す機会があったら、是非聞いてみたい。



ごくごく自分の身近にあった物なのに、半世紀以上経って

偶然、興味が出てくるなんて・・・


信じてよぅ~

2017年03月14日 18時39分22秒 | 日常生活
3月14日(火)

今日も降ったり止んだりの徳之島。

でもね、荷物を送る予定だったところへ送ったり

携帯ショップへ行ったり、港へ立ち寄ったり・・・

午前中、2個の荷物を近所のお店で送る手配をして

昼からもう一個、荷造って雨の合間を見て郵便局へ走った。

2時前だったけど、お客さんの多いこと!

荷物を送る窓口には10名近いお客さんが列を作っていた。

列に並んでしばし、やっとばばの番がきた。

荷物を台の上に上げると、顔見知りの局員さんが

「重い荷物は、ご主人が送ってくれたんですね」って、

笑顔で話しかけてくれた。

昨日、10キロ以上くらいある荷物を、じじが運んで送ってくれたのを

覚えていてくれたらしい。

この局員さん、ばばが行くと、必ず笑顔で話しかけてくださる。

この局員さんの笑顔を見ると、なんだかホッとする。

対人関係の職場って笑顔が大事だなぁ・・・とつくづく思う。



普段なら、荷物を送る時は、朝のうちに郵便局へ行くのだが

そんなにお客さんが多いと思ったことは無かったけど

今日のお客さんの多さにはびっくりした。

荷物を抱えたまま立っているお客さんも数名いた

でも、ばばはそんなに重くは無いけど、結構大きな箱だったので

足下に下ろして待っていた。

窓口には大小様々な大きさの荷物が乗せられていたが

ばばの顔見知りの局員さんが、奥から出てこられ

処理の終わった荷物を次々遠くへ運び

スッキリした台の上に、また次のお客さんが荷物を乗せた。

待つこと10分足らずくらいだったと思うけれど

一気にお客さんが並ぶと、局員さんたちも大変だね。



今、宅配業界の事が話題になっているけれど

郵便や荷物を全国津々浦々に運んでくださる方々って

本当にありがたいと思う。

ばばが送る普通の荷物だったら、2000円位で

東北までも送って配達してもらえるからね。

期日指定配達・時間指定配達・・・

送る方にとっては、とってもありがたいことだけど

通販商品などが増えるにつれ、

現場の方たちには加重負担になっているんだよね。



今まで以上に、お仕事をして下さる方々に

感謝の気持ちを持たなくちゃ・・・と思うばばです。

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フリージア

こんな事って、ある?

昨夕、奇々怪々なことがあった。

じじがリンクを繋いだり、戸締まりをしたりするため、玄関から外へ出た。

数分後、戻ってきて、ドンドン玄関の戸を叩きながら

「開けてごらん!」と言っている。

パソコンに向かっていたばばは、意味がわからない。

「開けて」って、玄関から出る時、

じじはわざわざ鍵をかけたの?と思った。

まさか、そんなはず無いよね~。

ガタガタ戸を動かしているじじ。

最初、冗談かと思っていたばばだけど、本当に鍵が閉まっみたい。

慌てて、玄関に走って、鍵を見ると、なるほど~中からちゃんと施錠された状態。



え~~~っ、でも、犯人はばばじゃありませんよ~

じじが戸を開けて出て行ってから、ばばはパソコンの前から10センチも動いていませんから。

「ばばが戸閉めたんだろう?」って、じじにも言われたけど

絶対、そんなこと無いって!

信じてよ~~~



ばば以外に家の中には誰もいないし、ばばは動いていないし・・・

3年以上、両親宅に住んでいて、今回のようなことは初めてで

不思議としか、言いようがない。



今回は、たまたまばばが家の中にいたから良かったものの

もし、ばばがいなかったら・・・

じじ、こぬか雨降る中で、どうしていたやら。



もう1回書くけど・・・ばばは絶対鍵かけていませんから!!


※画像は10日経って、きれいに開花したフリージアです。


3月13日は金曜日?

2017年03月13日 17時17分07秒 | 日常生活
3月13日(月)雨

何だかなぁ・・・ドンヨリした日が続くなぁ~

ジャガイモ農家さんたちは、収穫作業ができず大変だろうな。



我が家では、朝食後、じじとばば2人とも

「頭が良くなる薬?等」を飲んでいる。

そんな時、じじはばばに「今日は何日?」と確認する。

確認の仕方が、直接言う時もあるし、両手の指を使って

ゼスチャーをする時もある。

今朝は両手を使って、まず両手のパァ~と開いて

次に片手で指を3本立てて「んん?」と声を出さずにゼスチャー。

「13日?」と言っているのだ。

「そうよ」とばばが答えると、次は「金曜日?」と聞いてきた。

何で?

今日は、月曜日で、ばばは朝食の前に可燃ゴミを出したじゃない・・・

あっ、そうか、自分でゴミ出しをしない、じじのような人は

何曜日がゴミ出しの日か、はっきりわからない人もいるんだよね。

それにしても、昨日から、じじが大好きな大相撲が始まっているのに

急に「金曜日?」と、ばばは不思議でたまらなかった。

「何で?今日がもう金曜日なの?」と聞くばばに

「3月13日金曜日は、お父さんの命日だろう」って。

実家の庭

確かに、平成4年3月13日、金曜日にばばの父は亡くなった。

「13日の金曜日=魔の金曜日 ばばの父が亡くなった日」

というイメージが、じじの頭にはインプットされているようだ。

冷静になって考えれば、毎年3月13日が金曜日とは限らないのに

「ばばの父の命日」という思いが、じじの中では強かったんだろうね。

昨日から、姉とばばは「明日、天気が良ければお墓参り行って来ようね」

と話していたのだが、じじも、ちゃんと父の命日を覚えていてくれたんだね。

ありがとう!



園芸が好きで、温厚で、子供や孫たちに優しく

一言で言えば、ばばの中での父は「神様のような人」。

いつも穏やかで、静かに笑っていて、困っている人には手をさしのべ

器用で、家族のためには難儀を厭わず、そして読書が好き。

無口な父だったけど、ばばは父が大好きだった。

ある時、父が言った。

「子供たちが外から帰ってくる時、お母さん、ただ今~とは言うけど

お父さん、ただ今とは、あまり言わないよね」と。

言われてみると、確かに父が言うとおりだった。

無意識に、子供は、先ず「お母さん」と言ってしまうのかな?

と思うと同時に、父はちょっぴり寂しかったのかな?と

後になって思った。

だから、その後はなるべく「お父さん、お母さん、ただ今~」と

言うことに心がけていた。



また、ばばがじじと結婚する前「あなたはお嫁にやらずに

ずっと家においておこうかな?」と父が言った言葉が忘れられない。

弟が亡くなり、末っ子になってしまったばば。

高校から親元を離れ、就職が決まって島に帰り、

約3年間は職場の近くに下宿をしたりもしたけど、

車の免許を取ってからは、実家から仕事に通っていた。

でも、姉妹の中では、親と一緒に暮らした時間が一番短かったから

ばばが家を出て行くことが寂しかったんだろうね。



じじとの結婚が決まって、本当は嬉しかったはずだけど

やっぱり寂しそうだった。

しかし、じじとばばが結婚後すぐ島を離れた時は、

じじの両親が、よくばばの実家を訪れてくれていた。

又、じじとばばも4年間は島を離れたけど、すぐ島に転勤でき

毎週末、必ず、ばばの実家に姉の家族共々で遊びに行っていたから

父は嬉しかったと思う。

行こうとさえ思えば、車で30分もあれば会いに行けるし

電話もできるし・・・・



父と母にとって、子供家族が毎週末、遊びに来てくれる

ということが、何より嬉しかっただろうと

時間がたってから、特に強く思うようになった。



じじの両親とは同じ敷地内にずっと住んでいたし

ばばの両親とは毎週末、家族で遊びがてら会いに行っていたし

これが、一番の「親孝行だったかなぁ」と

じじ両親・自分の両親が亡くなった後、じじと2人でよく話す。



自分の親と同じように、ばばの両親も大事にしてくれたじじには

感謝してもしきれないくらい、ありがたく思っている。



だから、今朝じじが「3月13日=ばば父が亡くなった金曜日」と

無意識に言った言葉にも、じじが、ばば父に対する思いがこもっていると思い

ありがたいと思った。



生憎、今日はずっと小雨が降り続く1日で、実家のお墓には行けなかったけど

仏壇で手を合わせ、感謝の気持ちとともに、

「これからもばば家族を見守っていてね」と、礼拝したばばでした。


※画像は、シルバーさんたちに選定してもらった実家庭の樹木です。
 
父が丹精込めて育てたものです。

半熟卵と101円

2017年03月12日 00時03分48秒 | 日常生活

3月12日(日)曇り

今日も、ドンヨリした天気の徳之島です。



今朝の事。。。。。

じじは、朝食には必ず半熟卵を食べるので

ばばが起きてすぐする事は、半熟卵を作る準備をし、

次にコーヒーをしかけ、それから野菜やパンの準備・・・・

が毎朝のパターン。



ところがね、食べる物の種類が多過ぎたり

じじが卵に気づかなかったりして、食べ忘れる事が、たまぁにあるの。

過日「左側に置くと死角になるから、右側に置いて」と言われ

半熟卵は、じじから向かって必ず右側に置くんだけどね・・・



今朝も、朝食が終わって、ふと気づくと

半熟卵を作る、鶏の形をした容器が・・・

あれっ?ばばが置いた時のまま・・・と思い

無言で、容器の上を「ツンツン」と叩くと、気づいたじじ。

「あちゃぁ~又忘れた!昼ご飯ね!」と苦笑しつつ言った。

その直後、何故か上着のポケットをモゾモゾゴソゴソしていると思ったら

テーブルの上にお金が・・・・
半熟卵

100円玉1個と、1円玉1個。

なぁ~~~ぜ????

「これ、じじが今朝稼いだお金だけど、ばばにあげる」って。

さらに「普段は1円も稼げないし、現金収入無いもんね」と言いながら

「これ、ばばに」と、ばばの前にお金を並べた。



何だか可笑しくなって、笑ってしまった。

「101」と言えば「101回目のプロポーズ」とかいう

テレビ番組が遙か昔あったような気がする・・・

この番組覚えているなんて、ばばの年がすぐ分かっちゃうね。

って、この番組覚えていなくたって、

ばばは、もう相当な高齢者ってバレバレなのに・・・・今更ねぇ。。。



「じじ、このお金、どうしたの?まさか????」

なぁって、問い詰めも、詮索もしません。

さっと手を出してお金を取り、さっさと財布にしまいましたとさ。



さてさて、じじが残した半熟卵・・・

何とかお昼に活用しなくちゃね。

丼物にして上に乗っけますか?

それとも?野菜とかと一緒に?お味噌汁に?



あと1時間で、じじが撮影から戻ってくるから

それまでに、お昼の献立、考えなくちゃ!


まとまらない・・・

2017年03月11日 20時55分33秒 | 日常生活
3月11日(土)曇り時々小雨
目白

「病院へ行こう!」と出かけた。

特別悪い所は無いんだけど、ちょっと先生に相談したい事があってね。

土曜日で、待合室で待ってる方も少なかったので

「早く終われるかな?」と思っていたけど、名前を呼ばれたのは10時過ぎだった。

「午前中で帰れたら良いかな?」と思いながら

時間つぶしに本でも読みながらと、病院内にある書棚から

本を選んで読みながら待っていると

顔見知りのNちゃんが座っているのを見かけた。

声をかけようと思ったら、同時にNちゃんも気づいて

お互い「久しぶり~、なかなか会えないね」と挨拶して

ばばは、診察室の前のソファーに行き座った。

すると、Nちゃんも来て「今日はどうして?」と聞くので

ばばが訳を話すと、Nちゃんは「私は血圧の薬を貰いに来たの」という。

「血圧高いの?」と聞くと「単身赴任していた時、急に高くなってね」と言う。

ばばも、単身赴任していた、ある日、突然血圧が220-110という

信じられない数値に!

心配した上司が運転手さんを頼み、船を貸し切り、

海を渡って夕方病院へ。

即「薬を飲みましょうね」と言われた。

Nちゃんも、数字はばばより低かったらしいけど

ある日、急に数字が跳ね上がったんだって。

その上、メニエール病にもなり、携帯電話は無いし

誰も頼れる人もいなくて、ふらつきながら自分で運転して

病院へ向かったんだって。

危ないよ~~~

単身赴任、ひとり暮らしって本当に心細いし、怖いね。



ばばは、単身赴任中から高血圧の薬を飲み始め、

じじはばばが島に帰ってしばらく経つと大病を煩い・・・

やはり、お互いストレスを抱えながら3年間暮らしたことが

体調悪くなったりした原因の1つだろうね。



Nちゃんは、退職して、時間に縛られる事無く

のんびり過ごすようになったら、

メニエール病はいつの間にか治っていたって。



今は、平々凡々と暮らしているけど

いつも思う。

「平凡な毎日」は1番幸せだって。



6年前の東日本大震災では沢山の人たちが

「平凡な日々の幸せ」を奪われて、

未だに復帰の見通しも立たない人が大半だとか・・・

6年経っても遅々として進まぬ復興。

又、避難先で、子供や大人まで虐めに遭い苦しんでいるとニュースも多く聞く。

なんて悲しい現実だろう?



忘れてはならない「3・11」。



何も出来ないばばだけれど、色々考えた1日でした。



※画像はオオヒシクイを探しに行って会えず、近く桃の花と



 目白を撮ろうとしたけど、ブレブレでした~

現実・・・

2017年03月10日 14時22分59秒 | 日常生活
3月10日(金)曇り

去年辺りから、気づいた事・・・



お通夜に行くと、小さなペットボトル入りのお茶をいただく事が時々ある。

そんな時、「力が無いから、開けてくれる?」

と、先輩方から頼まれる事が時々あった。



ある時は、後輩から乳酸飲料の入った小さなプラスチック容器の蓋が

「開けられないから開けてちょうだい」と頼まれた事もあった。

どうして???と思っていた。



すると、数週間前の朝、じじが蜂蜜の入った瓶の蓋を開けようとしていた。

左手で瓶を支え右手で蓋を握って、グッと回そうとするのだが

全然ビクともしない。
ジャム瓶

じじは、同じ事を何回も何回も繰り返していた。

そして、ついには座り込んで両足で瓶を支え

両手を使って一気に開けようとしたが開かない。

数回繰り返していた。

そんなじじをじっと観察していると・・・・

何だか違和感が。。。。



そのうち、じじも気づいたようだ。

何と!普通、蓋を開けるには反時計回りに回す事が多いと思うのだが

じじ、全力で時計回りに蓋を回していた。

開かないはずだよ・・・

2人同時に大爆笑!

「笑いスイッチ」が入ってしまったじじとばば、

しばらく笑い転げていましたとさ。



じじは、単に蓋を反対に回していたから開かなかったんだけど

「オエッとボトルの蓋が開けられない」と、ばばに言った人たちは

「手に力が入らなくて・・・開けてちょうだい」と言った。

そうか・・・年を重ねると、出来なくなる事が多くなっていくんだね。



じじは、毎日3回は蜂蜜の瓶の蓋を開け閉めするのだが

その時、じじも言っていた・・・

「最近、手に力が入らなくて・・・」と。

特に寒い季節は、力が入れにくいんだろうね。



ばばは、特に毎日の家事で瓶の蓋の開け閉めってあまりしないから

実感は無いけれど、年を重ねる毎に

きっと握力も弱くなっていくんだろうね。



ばばが自分を年取ったな?と思い始めたのは

ジャンプが出来なくなっていたから。

数週間前、先輩が「ばばちゃん、骨はね、年取ってからも

強く出来るんだって」と言い、骨を強くする方法として

背中をまっすぐ伸ばしたままで、20回位軽くジャンプをすれば良いって。

「片手で、机とか台とか掴んでも良いのよ。

1日2セット位続けたら良いらしいよ」と・・・・・



骨が強いに超した事は無いから、早速キッチンでジャンプしてみた。

あれっ?

足、床から離れてる?

気持ちは飛んでいるつもりなんだけど、床から1センチ位は飛べてる?

って位しか、飛べてない。

そうか・・スリッパを履いているからいけないんだ・・・

と、スリッパを脱いで再チャレンジ。

たいして変わらないなぁ・・・

着地の時は、つま先の方からで良いのかなぁ・・・

それにしても、たった20回飛んだだけで、息がハァ、ハァ荒くなる。



イメージとしては「気を付け!」の姿勢で、

軽く5,8センチは飛ぶ筈だったのに・・・・

現実は、1センチ飛べてる?



強がって、何も触らず20回飛んだけど、あと20回は左手を机の上に置いて飛んだ。

はぁ~、この理想と現実の違い。



ガッカリだぁ~

でも、認めなきゃならない現実なんだよな、これが。

鳥は鳥でもア~ッハッハ~他

2017年03月09日 13時06分42秒 | 日常生活
3月9日(木)晴れ

昨夕、行きつけのお店で、常連さんのSさんと会って

お互いに「お久しぶりですね」と挨拶。

・・ここまでは普通~

その後,Sさんが「鳥、見てきたけど、何もいなかったよ」と言うので

ばばも「うちの主人も、残っている鴨の数も

大分減っていると言っていました」と答えたら・・・

Sさん、ちょっと慌てて「いや・・あの2羽いた方の

残っていた1羽も、今日はいなかったのよ」・・・・で

鈍いばばも、ピィ~~ンと来て、次の瞬間

お店の方,Sさん、ばば姉、ばば4人とも大爆笑!!!



Sさんの言う鳥とは・・・過日、ばばがブログにも書いた

シャモ?らしき白色と黒色の鳥が2羽いて、

数日後黒い方の鳥が死んで、残った白い方の鳥の事。

その鳥の事はすっかり忘れていたばばは、

昨日昼、撮影から戻ったじじが「カモたちも大分少なくなっているよ」

と言うのを聞いたので、諸田池の鳥たちの事を思い出したのだ。



Sさんも、きっと諸田池とか海岸線で野鳥がいないか見て来て話していると

思い込んでいたばば。



そう言えば・・・2羽のシャモ?のうちの1羽が死んだ後

Sさんとばばで、残った白いシャモ?を見に行った事があったっけ・・・

あれから、何週間経っただろう?
鳥


Sさんは、まだ、あの白いシャモ?の事、気にかけていたんだね。



ばばは、ばばで、毎日のじじとの会話で出てくる野鳥の事しか頭に無くて・・・



鳥は鳥でも「かみ合わない」話題で、大爆笑となったのでした~。

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さて、さて、今日のばばの働く事!

と言っても、午前中の事だけど。

朝食済んだら、洗い片付けて庭の植物を見回って

掃除機かけて、又すぐ台所に立った。

なぜ?

それはね、昨日、Kちゃんからいただいたジャガイモで

今年初のコロッケを作りたかったから。

挽肉とタマネギやニンジンを炒めて、ジャガイモ茹でてつぶして、・・・

炒めた挽肉入り野菜と、茹でたジャガイモを混ぜて、コロッケの形にして・・と

ここまで、ササッと済ませた。

衣を付けて、揚げるのは、じじが撮影から戻って食べる直前に。



ちょうど正午過ぎ、じじが戻って来たので、コロッケの衣付け。

卵と水と小麦粉を混ぜて、形作ったジャガイモをサッとくぐらせ

パン粉を付けて、更に形を整えて、熱したフライパンの中へ・・・・



こうして、6個のコロッケを揚げながら

衣の入っていたボールなどを洗い方付け。

と、張り切っていたのだが・・・・・

何と言うこと!

もし、パン粉が足りなかった時の予備にと、

別の小さなボールにもパン粉を入れてあったのだが

その予備用のパン粉の中に、無意識に水を入れてしまったのだ。

卵と小麦粉、水を入れ溶いた容器に水をざっと入れて洗い流したので

無意識に、パン粉の入ったままのボールにも水道蛇口から水を入れてしまった。

「しまった!」と思ったのは、後の祭り。

あぁ~~、ばばとした事が・・・(ばばだからこそ、こんな事するのかな)。

自分のミスに気づいた途端「バカ、バカ、バカ!」って自分を叱ったけど

一瞬の出来事だったので、気づいた時は、もう遅かった。

パン粉は、ゴミになってしまいました・・・・

今夕は、次コロッケを作る時の為に、パン粉を買いに行ってこなくちゃ。



さてさて、今年初コロッケを味見したじじ、「美味しい!」って。
コロッケ

1個しかお皿に入れてなかったので「もう1個入れる?」と聞いたら

「いや、脂分摂り過ぎたら困るから・・・」って言っていたのに・・・・・

しばらく経つと「もう1個、コロッケちょうだい。

1個の半分か3分の一で良いから・・」ってさ。

ばばが、コロッケを1個追加すると

「僕の皿に入れてしまったら、もう、僕の物だからな。

半分食べても、3分の1食べても、全部食べても・・・」って。



よくよく観察していたら、残したのが3分の1でした!

今年初のコロッケも、美味しくできていたようで、

まずは安堵のばばでした。