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ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
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久しぶりに会えたね・・・

2012年11月19日 18時01分10秒 | Weblog

11月19日(月)晴れ

今日はじじが帰ってくる日だ。

お昼前の飛行機だというので11時前に家を出れば良いかな?と逆算。

 

青野菜を切ったり茹でたり・・・・

どうせ昼前だからお昼も外で食べましょと、

おむすびや卵焼きなどを準備。

以前、じじが「お汁代わりにカップ麺で良い」

と言っていたのでカップ麺も入れて・・・

ミカンやおやつなども準備して、コーヒーを淹れて、

じじの撮影機材も準備して・・・・

と、てきぱと作業を進めていたら、電話。

 

両親宅の工事をして下さっている社長さんからで

「鍵を開けて置いて下さいね。棚を作ったりしますので」と。

慌てて大工さん達の為にパンや飲み物などを準備し

手紙を書いて両親宅の玄関に置いて、姉も来たので一緒に、

さぁ~、出発!

 

余裕を持って家を出たので落ち着いて運転していたが

約2キロ走ったところで、干潟に珍しい鳥たちが来ているかなぁ・・・・

と思った途端、忘れ物に気づいた。

日頃、「バズーカ砲」と言っている大型カメラを積み忘れてる~~

でも、本当に良かった、すぐに気づいて。

もし、カメラ忘れたらせっかく期待しているじじをガッカリさせてしまう。

すぐさまUターン。

カメラを積み込んで再度出発!

 

10分以上、時間をロスしちゃった。

じじの助手を自認している姉とばばは、じじを迎える前に

撮影地点を回り、情報収集してから空港へ行くことに。

上名道公園では、小ガモなど数種類が泳いでいた。

次いで干潟脇を通り空港へと車を進めたが、

潮が引いていなくて鳥の姿は見えなかった。

干潟にいなくても、グラウンドには何かいるかも知れないと思った。

じじは、飛行機到着が11時55分と言っていたけど

40分少し過ぎた頃、ばば達の目の前を飛行機が!

えっ!早いよぅ~~~もしかして奄美からの飛行機?

と思いつつも(もしかしたら、じじの乗った飛行機が早く着いたのかも)

とも思い、焦りつつ空港へ一直線。

ばば達が到着ロビーへ行くと、もう出てくるお客さんもいて焦る、焦る。

ほどなくじじの姿が見え、一安心。

 

すぐに干潟へ向かった。

入り口付近で、ツグミを見つけじじは車を降りた。

まだ潮が引いていない干潟だけど、よくよく見ると大きな白い鳥が。

近づいてよく見ると、おぉぉぉぉ!!!!クロツラヘラサギが3羽もいる。

じじに携帯で連絡しようにも、じじの携帯はバッテリー切れ。

ツグミを撮り終えたじじ、今度はヘラサギを撮影。

姉とふたりは、いつもの定位置でお昼の準備をしていると

アカハラやツグミがあちこちで餌を捕っている。

鳥たちを見ながらばば達も食事。

外で食べるおむすびって美味しいね。

 

食事の後も、撮影を続け2時前に干潟を後にした。

その後も3カ所の撮影ポイントを回り3時少し過ぎに自宅着。

 

久しぶりに、約5時間外で過ごし鳥たちと会えてリフレッシュ出来たよ~

 

帰宅して、大工さん達が仕事してくれているか覗いてみたら

あらっ!玄関にはばばが準備したお茶がそのまま残されている。

・・ということは?大工さん達は来ていないってこと?

あら、あら、あら・・・・・

ちょっと残念。

明日、来てくれるのかなぁ・・・・・


作ったよ~、他

2012年09月08日 22時09分23秒 | Weblog

9月8日(土)晴れ

有人市場でパパイヤや赤瓜を買わされたり

朝夕2回、大工さん達にお茶を運ばされたり

最近のじじは、ばばにこき使われていたせいか

じじは、ついにダウンしてしまった。

 

熱発して、今日は朝から病院へ行くことにし

大工さん達へのお茶出しは姉に電話をして頼んだ。

姉妹って、本当にありがたいなぁ。

 

病院では解熱剤と咳止めの薬を処方され戻って来たが

夜になってもまだ熱が38度近くある。

夕食後、解熱剤を飲んでじじは久しぶりに早寝の良い子ちゃん。

ばばは「サボりたい病」を振り払い、夜になってから、やっとブログを書き始めた。

 

じじ~、早く元気になって、夫婦漫才をしなくちゃね!

明朝は熱も下がっていると良いね。

 

じじが、せっかく買ってきてくれたパパイヤ、

萎びさせたり、腐らせては勿体ないしと

夕べは、7時頃から一念発起!

本当に久しぶりにパパイヤの佃煮を作ったよ。

皮を剥いて種を取って千切りにして、あく抜きをして

調味料で煮詰めるまで約2時間。

正味2キロ分の佃煮。大鍋一杯もあったよ。

 



と言ってもジッパー付きの小袋の約8個分。

早速姉と、その友人に1袋ずつ、残りは冷蔵。

鹿児島の姉にも送ってあげようと思っている。

 

昼の大工さん達のブルバンのお供にも出したよ。

大工さんの一人に、ちょっと味見をさせて

「これは、今までのお茶で一度も出していないんだけど、

さて何でしょう・正解した人には豪華景品ビール1本!」って言ったら

「大根!」だって。

7,8名の大工さんのうち、パパイヤって分かった人が居たかなぁ????

 

ばばは、色々な料理を食べるよりも作るのが好き。

まだ少しパパイヤがあるので、今度は太千切りにして

もう一回作ろうかな?と思っている。

 

夕方まで、じじのことが心配で買い物にも出かける気にならなかったが

病院へ義父の洗濯物を届けたりもしなければならなかったので

6時半を回ってから家を出た。

 

病院へ向かう細い道で前方から一台の乗用車がきた。

ばばが待っておこうと思ったけど、前方の車が止まってくれたので

ばばは前に進んだ。

すれ違う場所まで進んだ時、軽く会釈したら

前方の車の運転席がスルスルっと開いたのでビックリ。

何と!乗っていたのは、ばば最後の職場で一緒だったHちゃんのご主人。

後部の窓ガラスも開き、Hちゃんとお嬢さんのSちゃん、

Sちゃんのお子さんふたりも乗っていた。

お子さんが体調が悪くなったので病院へ行った帰りだとのこと。

こんな場所で会えるなんて・・・・ねぇ。

夏休み中に、みんなで集まってお食事でもと思っていたら

台風接近で中止という経緯もあり、本当に久しぶりの再会だった。

退職してから1年1回くらいしか会えないから・・・・本当に嬉しかったよ。

そのうち、又ゆっくりお喋りでもする機会を作りたいな。

 

病院へ寄った後、スーパー巡りをしていたら

今リフォームをして下さっている建設会社の社長さんが

お孫さんと一緒に買い物をしているのに遭遇、チョッピリ立ち話。

更に回っていると、昨日、ばばが贈り物をしたMちゃんともバッタリ遭遇、又々立ち話。

 

狭い島では、買い物に出ると知人に会って立ち話をすることが多い。

楽しみのひとつでもあるけどね。

 

・・・・と言うわけで帰宅したのは7時半。

普段よりチョッピリ食欲の無いじじだけど

それでも一緒に夕食を済ませることができて良かった!

 

明日も良い日になりますように!


「ありがとう!」、他

2012年05月14日 19時50分41秒 | Weblog

5月14日(月)雨

梅雨空が戻って来た。

降りたいだけ、降ってくれぇ~~~。

 

去年までは、晴天が続けば「一雨来て欲しい!」と思い

雨が続けば「鬱陶しいなぁ。早く止んでくれぇ~」と

思う時もあったけれど、今年は何故かそんな気持ちにならない。

晴れたら晴れたで「気持ちいいなぁ。お天道様ありがとう」

と思い、雨が降れば「植物や農作物が喜ぶなぁ。お天道様ありがとう」

と素直に心の中で言えるようになった。

少しだけばばの心も丸くなったのかな?

いや、年のせい?

 

でも、素直になることは大事だと思うから、

ましてや自然の営みにばばが反抗することなんてもってのほかだから

ばばも、反抗したり、文句ばかり言わずに

自然体で暮らしていこうと思う・・・・(いつまで続くかなぁ?)

 

お昼ご飯を終えた頃、ポトンとポストに何かが入る音。

行ってみると、数通の郵便物が。

携帯電話の請求明細&領収書・火災保険の証書に混じって1通の封書が。

差出人を見ると神奈川県のSさんから。

 

数年前、日食があった時にご主人が、

わざわざ神奈川県から撮影&観察にいらした。

奄美直行の飛行機のチケットが取れず、徳之島経由で奄美へ飛んだ。

じじ&ばばは暇人だったので、一緒に徳之島を彼方此方回ったりした。

飛行機の時間までの短い時間ではあったが、

大まかな観光スポットは駆け足で回った。

もう少し時間的な余裕があれば、ゆっくりとご案内できたのに・・・と

今でも残念でならない。

Sさんは、写真撮影のプロで島の風景や野鳥等も撮影されたが

たまたまサンコウチョウやアカヒゲも撮影でき喜んでおられた。

 

Sさんは、気さくなお人柄で、その後もおつきあいさせていただいている。

昨年4月には、お嬢様がお父様から聞いたり、

撮影された写真を参考にされたのだろうか?

色紙に徳之島の野鳥・フルーツの絵とお礼のお手紙を書いてて送って下さった。

その色紙は、今や我が家の宝物で

大事に飾り、毎日眺めている。

去年の「母の日」にはばばの大好きな「御木幽石さん」のポストカードに

メッセージを添えて素敵なプレゼントをいただいた。

今年も又、同じように素敵なプレゼントが届いた。






お手紙は「徳之島のお母さんありがとう」という言葉で結ばれていた。

Sさんファミリーの皆さん、本当に、本当にありがとう!


ばばは、よく「人と人の縁」についてブログにも書いているが

Sさんと共に行動した時間は短かったけれど

ご家族(奥様)から「徳之島のお母さん」とまで呼んでいただいて感無量!

「お母さん」としてSさんご家族のご多幸を祈りましょう・・・・

一度結んだ「ご縁」大事にしていかなくちゃ・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Sさんファミリーからのお手紙とプレゼントで

ホンワカ温かい気持ちになっていた時、電話が鳴った。

姉からだ!

「どうした?」と聞くと「E兄さんが亡くなったって」と。

E兄さんは、ばばの従兄弟兄さん。

去年から、義父と同じ病院に入院していたので、時々病室を覗いて声をかけてはいたが・・・

え~~っ、昨日、義父を見舞った時、

E兄さんの病室が看護師詰め所の正面に移っていたので

「あぁ~、ここに移っていたんだ~」と思ったのだが

カーテンと衝立で仕切られていたので中を覗かずに帰宅したのだ。

今朝午前4時過ぎに亡くなられたという。

1週間前に従姉妹のY姉さんが亡くなり、今度はE兄さん。

寂しいなぁ・・・・


すぐにE兄さんのお家まで行って来たが、明日が告別式。

小さい頃可愛がっていただいたE兄さん。

ご冥福をお祈りいたします。


肯定即否定&いくらでも寝る

2012年03月06日 17時39分53秒 | Weblog

3月6日(火)晴れ後曇り

冷蔵庫の前まで来て「・・・・何しに来たんだっけ?」

こんな事、日常茶飯事のじじとばば。

ついさっき言おうとしたことを忘れ、

同級生の名前や、かつて関わった方々の名前も忘れて

「ア行」から心の中で言ってみて、思い出せた時は良いけれど

思い出せない時は,何かがつかえているような気持ちで何日も過ごす。

そして、何日も何日も経ってひょいと思い出した時の嬉しさと言ったら!!。

 

ここ最近又気になることが・・・・

じじは、ばばが何か話しかけると必ず一旦は

「ハイ」と肯定・・・その後否定・・・というパターンが多いのだ。

「じじ~、最近ばばが話しかけると,必ず(ウン)って言ってから

(いや)とか(いらない」って否定することが多いよね」って言ってみた。

例えば「じじ~、○○食べる?」「うん」・・・「やっぱり今はいらない。後で」。

 

100%最初肯定&その後否定と言っても良いかもしれない。

ばばが、このことを指摘すると

「ばばに対しては、(はい)・(ありがとう)・(ごめんなさい)の言葉しかない」んだって。

ふぅ~~~ん。

ばばって、常にまともなことを言い、じじに感謝されることばかりしている?

いや、いや、とんでもない・・・・そんなことはない。

なら、なぜ?

じじが一言言うと、ばばが百倍くらい返すからかなぁ・・・・

それとも?

じじは、絶えずパソコンのこと・今日の散歩で、

いかに良い素材に出会えるか・いかにHPを改良するかを考え

頭の中は、これらのことで90%以上占領されているとしか思えない。

だから、ばばが話しかけても「心、ここにあらず状態」だけど、

一応は相づちをうたなくてはいけないので、ばばの声がしたら

反射的に「はいっ」と肯定するのだろう。

ばばは、こう推測するが事実はじじのみぞ知る。

 

前にも書いたけれど、昼寝をすることは悪いこと?

いえいえ、健康に良いんですってよ、10分とか15分の間昼寝をすることは。

じじは、大病後、昼食の後は必ず昼寝をするんだけど、

目覚めると,必ず「危うく寝るところだった~~~」って言うんだ~。

ちゃんと寝てましたよ。

気持ち良さそうに寝ていましたよ。

なのに、なぜ?「危うく寝るところだった」って言わなくてはいけないんだろう?

昼寝に罪悪感でも?

それとも?ばばが昼寝をしたことを叱るの?

 

ばばは、寝たい時は必ず「ちょっとだるいから」とか、

「少し頭痛いから」とか言い訳して寝てたけど・・・

ばばも言い訳でもしないと,昼間に寝ることはいけないことと思っていたのかな?

退職してからは何故かほとんど昼寝をしなくなった。

これも不思議。

その代わり、夜は寝る,寝る,寝る。

睡眠時間は年をとると共に短くなるとか、年をとると朝早く目覚めて困る・・・

なんて、よく義母や叔母から聞いていたけれど、ばばには全く当てはまらない。

いくらでも眠れるし、寝る。

じじは、だいたい5時間くらいしか眠らないけれど、ばばは+3~4時間は平気平気。

一旦目覚めたら、二度寝は出来ないというじじ。

しかし、これ又ばばは3度寝でも、4度寝でも平気。

これって、ただの「ぐうたら」ってこと?

 

ばばも反省はする・・・

あと1時間早く起きれば、朝食も早くなるし

1日の作業量も多くなり、捗るのになぁ・・・・と。

でも、行動には移せないばば。

これって、やはり「ぐうたら」ってことだよねぇ。。。。。。

 

昨日、ある本を読んでいたら「睡眠」について書いてあり

睡眠は人それぞれ違う。

子供だから8時間以上とか,大人だから5,6時間ってきまりはない。

人それぞれ、日中快適に生活できる睡眠時間であれば良い・・って。

これを書いた人は、ばばになっても「ぐうたら」寝続けることを非難もしていないし、

何だか嬉しくなってきちゃった・・・けど、

登校していく子供達の声を聞きながら朝ご飯って・・・やはり・・・・・

 

じじが昼寝に罪悪感を感じるように、ばばは朝寝坊に罪悪感を感じるなぁ・・・・・


「ワァ、ヤァ、シキィアタンダァ」って?

2011年09月27日 17時13分02秒 | Weblog

9月27日(火)曇り

「ワァ、ヤァ、シキィアタンダァ」って何語?そして意味は?

これは、徳之島の方言。訳すと・・・・

「私は貴方が好きだったよ」。

誰が、誰に言った言葉かって?

それはね・・・・

ばばの知人が話してくれたんだよ。

 

そもそも話の発端は「昔は今の時代のようないじめなんか無かったよね」

・・ということから始まった。

ばばも「男子対女子っていう対立はあって下校の時、

男子に待ち伏せされて、いつも女子は逃げ回っていた」と話すと・・・

知人が「私はね、小さい頃から髪の毛が薄くて

雨に濡れたりすると地肌が見えるくらいだったの。

すると、意地悪A君が、いつも後ろからスッと近づいてきて

ネズミって、耳元で言うの。だから、雨が降ると

体育の時間であっても、すぐに教室に逃げ込んでいたのよ」と。

これは、小学校の頃の話だが、時は過ぎて、高校生になったある日

同級生が集まることがあったんだって。

その時,A君も参加していたので、知人は

「小学校の時、貴方、チッキ(強調語?)嫌いだった」と言った。

すると、A君は「ワァ、ヤァ、シキィアタンダァ」・・・

つまり、「僕は君が好きだったよ」って答えたって。

アハハハハ~~~。

 

続けて知人は言った。

「T君も大嫌いだった」と。

その理由というのが、これ又笑えるんだけど・・・

「なぜ?」と聞いたばばに知人は言った。

「昔はね、前項朝会の時や、体育の時間など男女別に分かれて並んでいたの。

それが、身長順じゃなくて、姓の五十音順に並んでいたのよ。

それで、T君と私は、ちょうど真横に来るくらいに並んでいたの。

そうしたら、T君ったら、いつも私の腕に噛みつくの。」って。

アハハハハ~。

又してもばばは大笑い。

何故T君が知人に噛みついたかって?

それは、T君に聞かなければ分からないね。

 

このT君の話には後日談があって、

それは知人が大人になってからの話で、つい4,5年くらい前の話かな?

寒い季節、知人が親戚の叔母さんの家でこたつに入って談笑していた。

T君の家は、この叔母さんの家の近所で、酔っ払って家に帰る時、

この叔母さんの家の電気が点いていると必ず上がり込んできて

しばらく遊んで帰っていたらしい。

たまたま知人がいた時も、叔母さんが「ほらっ、Tが来るよ」と言って

ほどなくして、本当にT君が来たんだって。

咄嗟に知人はコタツの中に潜り込んで、息を殺していた。

T君はしばらく「酔っ払いの油売り」をして帰って行ったらしいんだけど、

翌日、知人の叔母さんの家に来て

「夕べ、コタツが膨らんでいたけど、誰か居たの?」ってわざわざ聞いたんだって。

知人の叔母さんは「いや、荷物があっただけで、

誰も居なかったよ」って答えたらしいんだけど、

小学生の時噛みつかれたT君が、大人になっても怖くて嫌いだった

と言う知人の話に二人して大爆笑したけど、

A君も、T君も、きっと知人のことが好きだったんじゃないかな~。

「好き」という裏返しの行動を

「ちょっかい」という形で表現したんじゃないかなぁ・・・・

 

ばば達が小学生の頃なんて、ことごとく男女敵対していて・・・

でも、家に帰ると近所の男子や親戚の男子とは

普通に話したり「缶蹴り」して遊んだりもするんだけど、

学校の門を入った途端、右と左に別れていたのよね。。。。。

 

そんな時代だったんだよなぁ・・・・・
何語?そして意味は?

これは、徳之島の方言。訳すと・・・・

「私は貴方が好きだったよ」。

誰が、誰に言った言葉かって?

それはね・・・・

ばばの知人が話してくれたんだよ。

 

そもそも話の発端は「昔は今の時代のようないじめなんか無かったよね」

・・ということから始まった。

ばばも「男子対女子っていう対立はあって下校の時、

男子に待ち伏せされて、いつも女子は逃げ回っていた」と話すと・・・

知人が「私はね、小さい頃から髪の毛が薄くて

雨に濡れたりすると地肌が見えるくらいだったの。

すると、意地悪A君が、いつも後ろからスッと近づいてきて

ネズミって、耳元で言うの。だから、雨が降ると

体育の時間であっても、すぐに教室に逃げ込んでいたのよ」と。

これは、小学校の頃の話だが、時は過ぎて、高校生になったある日

同級生が集まることがあったんだって。

その時,A君も参加していたので、知人は

「小学校の時、貴方、チッキ(強調語?)嫌いだった」と言った。

すると、A君は「ワァ、ヤァ、シキィアタンダァ」・・・

つまり、「僕は君が好きだったよ」って答えたって。

アハハハハ~~~。

 

続けて知人は言った。

「T君も大嫌いだった」と。

その理由というのが、これ又笑えるんだけど・・・

「なぜ?」と聞いたばばに知人は言った。

「昔はね、前項朝会の時や、体育の時間など男女別に分かれて並んでいたの。

それが、身長順じゃなくて、姓の五十音順に並んでいたのよ。

それで、T君と私は、ちょうど真横に来るくらいに並んでいたの。

そうしたら、T君ったら、いつも私の腕に噛みつくの。」って。

アハハハハ~。

又してもばばは大笑い。

何故T君が知人に噛みついたかって?

それは、T君に聞かなければ分からないね。

 

このT君の話には後日談があって、

それは知人が大人になってからの話で、つい4,5年くらい前の話かな?

寒い季節、知人が親戚の叔母さんの家でこたつに入って談笑していた。

T君の家は、この叔母さんの家の近所で、酔っ払って家に帰る時、

この叔母さんの家の電気が点いていると必ず上がり込んできて

しばらく遊んで帰っていたらしい。

たまたま知人がいた時も、叔母さんが「ほらっ、Tが来るよ」と言って

ほどなくして、本当にT君が来たんだって。

咄嗟に知人はコタツの中に潜り込んで、息を殺していた。

T君はしばらく「酔っ払いの油売り」をして帰って行ったらしいんだけど、

翌日、知人の叔母さんの家に来て

「夕べ、コタツが膨らんでいたけど、誰か居たの?」ってわざわざ聞いたんだって。

知人の叔母さんは「いや、荷物があっただけで、

誰も居なかったよ」って答えたらしいんだけど、

小学生の時噛みつかれたT君が、大人になっても怖くて嫌いだった

と言う知人の話に二人して大爆笑したけど、

A君も、T君も、きっと知人のことが好きだったんじゃないかな~。

「好き」という裏返しの行動を

「ちょっかい」という形で表現したんじゃないかなぁ・・・・

 

ばば達が小学生の頃なんて、ことごとく男女敵対していて・・・

でも、家に帰ると近所の男子や親戚の男子とは

普通に話したり「缶蹴り」して遊んだりもするんだけど、

学校の門を入った途端、右と左に別れていたのよね。。。。。

 

そんな時代だったんだよなぁ・・・・・


ハツユキカズラ、他「小銭持ち」

2011年06月17日 14時33分34秒 | Weblog

6月17日(金)曇り・蒸し蒸ししている~~

ある公共施設の玄関に、台風2号が来る前

ハツユキカズラやばばの知らない花木が

20株くらい植えられていた。

水もきちんとかけ、管理もしっかりされていたのに

台風2号で全部、真っ茶ッ茶。

(数も多いし、どうするのかなぁ)と毎日見ていたんだけど

数日後、1本だけ残して引き抜かれていた。

勿体ないなぁ・・・・

実は・・・ばばもハツユキカズラを1本だけ鉢植えにしている。

台風2号で吹き枯らされたけど、

今、新芽が出てきている。

台風から数日後、ばばは軒先の植物をどうするか

真剣に悩んだ。

まず、水をジャンジャンかけて塩分を洗い流し、

様子を見ることに。

その合間に再生不可能と思える部分は適当に剪定していた。

台風2号襲来から約20日経った今、

初雪カズラ・シモツケ・名も知らぬ花2株

ブーゲンビリア・観葉植物など再生しつつある。

あの公共施設玄関の全て引き抜かれたハツユキカズラなども、

もしかしたら再生していたかもしれないのに・・・勿体なかったね。

 

ばばが数回書いた「猫相の悪い猫」母子物語の続き。。。。

最近、母子は全然姿を見せない。

猫相の悪い猫は、ハンサムな猫と一緒に

両親宅の軒先に来て毛繕い?なんかしている。

もう、子育ては終わったのかい?

子猫たちは自立したのかな?

気になる・・・

 

ここ数週間、ばばは倉庫の片付けに追われていた。(まだ途中)

片付ける途中で小さなジッパー付きの袋に

何故か裁縫セットと1円玉4個が入っているのを見つけた。

他に、どこから転がり出たのか1円玉一個も別に見つけた。

じじが裁縫セットなんか持つわけないし、

これは、きっとばばが過去のどの時点かで使っていたのだろう。

1円玉か~~~。

って、侮ってはいけないよね。

ばばの母が、「1円を笑う者は、1円に泣く」ってよく言っていた。

母の言葉を実感することがよくある。

お店で買い物をして、1円足りないばかりに100円を出したり、

1000円を出したりするんだよね・・・

そう言えば・・我が家では、じじが娘達に言っていたな・・・

ばば母が言っていたのと同じ言葉を。。。。

 

じじが、時々ばばにお小遣いをくれる。

数円とか十数円。

ありがたくいただくことにしている。

じじは、小銭をジャラジャラ持ち歩くのが嫌いらしい。

だから、小銭(10円以下)を、たまぁにばばにくれるのだ。

ついでに、じじから両替をお願いされることもある。

例えば・・・じじは財布の中の500円玉・100円玉・50円玉・

10円玉・5円玉・1円玉など、ありとあらゆる硬貨?を

かき集めて「千円札と両替して~」って言うのだ。

協力すると、数円とか残った小銭をくれることもある。

その時、黄門様の印籠よろしく「1円を笑う者は、1円に泣く」と

教訓を垂れて下さるのだ。

ばばは、「ははぁ~っ、ありがたや、ありがたや」と

押し頂き「喜びの舞」をひとしきり舞うのでありました。(舞わないか)

だから、我が家では、じじは「お札持ち」でばばは「小銭持ち」なのだ。

 

我が三姉妹、1円も大事にしているかな?


対決

2011年05月24日 18時43分09秒 | Weblog

5月24日(火)曇り時々雨

夕方6時12分。

少し薄暗くなってきた。

そろそろ始めようかな・・・奴らと戦うための対策を。


数日前は、夜9時前に玄関を開けてドキッとした。

プランターや植木鉢の縁に奴がへばりついている。

ギャ~~~!

苦手なんだよなぁ。

見るのさえ嫌々なのに、触るなんて以ての外。

毎年、この時期にばばを悩ませる奴の名は「ナメクジ!」

色が黒くて、やけに大きい種類のナメクジ。

昨年はベランダまで上がって来ていて悲鳴を上げた。

その後「一瞬にして凍死させます」という、

うたい文句のスプレーを買ってきたりしたんだけど

焼け石に水?

曇っていてジメジメした日などは昼間でも堂々と姿を現すんだもん、

嫌だなぁ・・・・

加計呂麻にいた時は、肌色の大きなナメクジがいたが

現在ばばの家のは、黒いんだ~。

今年は何とか早めに対策して、なるべく奴らと顔を合わせないようにと

「ナメクジ退治」とか言う殺虫剤も買って準備しておいたのに、

数日前の夜見つけた時は、パニックになってしまって・・・・・


暗くなってから薬を撒くって難しいから、夕方のうちに

出そうな場所に撒いておいた方がいいみたい。

撒く前に使用上の注意とか読んで・・・っと。

なに、なに?

酒粕を使ってナメクジを誘引するって?

そう言えば・・・

数年前、知人が飲み残したビールをコップなどに入れて置いておくと

その中へナメクジがポトンポトン落ちるから退治できるよって教えてくれたっけ・・・

でも、我が家に飲み残しのビールはないんだよな・・・

じじには350ミリリットルだけ飲むけれど

ナメクジにお裾分けさせるのは可哀想・・・・

ナメクジってアルコール類が好きなの?

ナメクジは酒粕で酔っ払って気絶してしまうのかな?

植物にかからぬように、まばらに配置する・・・と書かれているから、

今、周りがはっきり見えるうちにばら撒いておきましょう・・・・


この駆虫剤「強力・広範囲・酒粕誘因」って書いてあるから

きっと、明日の朝は・・・

と期待するけど、やっつけたら、やっつけたで

その後始末が嫌だなぁ。。。。

こんな時こそ、ヒヨドリが来て食べてくれたら良いんだけどさ。

ヒヨドリは、草食なのか、ばばの自慢の万両の木、

2本の実をすべて食べ尽くしてしまって、ばばを絶望の淵に突き落としたんだよな。。。

カラスなら、ナメクジでも食べるかもしれないけれど

うるさいし、カラスが玄関先に飛んでくるなんて

気味悪くて、怖くて嫌だしなぁ・・・・

今朝なんか、ばばの外履き用のスリッパのすぐ横に

ナメクジが1匹、カチンカチンになってのびてたけど

それを箒で素振りをするごとく、かっ飛ばしたけど・・・・・

絶対、あの角度では道路ではなくお隣さんの庭へ飛んでいったかも。。。。

ごめんなさい!


今、改めて気づいた・・・・

駆虫後のことをどうしたら良いか・・・・

裏庭なら放っとけるけど、玄関先だもんな・・・

ぅぅ~~ん、悩むなぁぁ。

良い解決策はないのかなぁ。。。。。


地震

2011年03月12日 18時48分38秒 | Weblog

3月12日(土)曇

東北地方太平洋沖地震被害が終日伝えられている。

福島県の原子力発電所でも爆発音がしたと・・・

想像を絶する被害。

亡くなられた方も1000人を越えるのは確実と報じられている。

ばばが昨年末「人間っていいな」という題でブログに書いた

「Aさん」も、宮城県の若林区にお住まいで安否が気にかかる。

 

謹んで亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に

少しでも早い被害の収束を祈らずにはおれない。

地震が収まったとしても、生活再建のためには膨大な費用と時間がかかるだろう。

国家の一大事だ。

国政を司る人達には今こそ力強いリーダーシップを発揮して欲しい。

 

東北地方で起きた地震だけど、

全国でいろいろな被害が出始めている。

東京でも、すでに水道の水が濁り

スーパーなどでは水や食料品が売り切れているそうだ。

一体明日はどうなるのだろう?

 

島のスーパーへ行ったらパンのコーナーは空っぽだった。

明日も船は来ないかも知れないということだった。

昨日、港を出た鹿児島→徳之島間の定期船は

まだ、奄美市の沖に避難停泊中だと聞いた。

 

人間って、ごくごく普通の平凡な生活が壊れた時

初めて、そのありがたさに気づく。

日々感謝しつつ、丁寧に生きていかなければいけないなぁと思う。


♪追いかけて~♪追いかけて~~♪

2011年01月17日 19時33分38秒 | Weblog
1月17日(月)曇時々小雨

「前から二人で押しなさい!」とじじに言われるままに

姉とばばは車外へ出てばばの愛車を押す。

しかしタイヤが空回りするだけで車は全然動かない。

「今度はばばが運転してごらん。じじと姉さんが押すから」

と選手交代するも、やはり車は動かない。

小雨は降っている。

近くに人家も無く、通る車もない。

「どうしよう~。亀津の自動車やさんに電話しようか?」とも思ったが

ばばが「何とか道路に出て助けを求めてくる」とじじと姉を残し、車が通る場所へ。

遠くでキビ伐採をしているお爺さんは見えるけど、力のありそうで、

なおかつ車を持っている人は見つからない。

やっと車が来たかと思うと遙か遠くの方で左折して行ってしまった。

だんだん暗くはなってくるし、車は動かせないし・・・・

何で、こういう事になったのかというと・・・・

先日来、コハクチョウのことが気になって仕方がない、じじとばば。

今日も3時過ぎから姉も誘って出かけたよ。

過日と同じコースで行こうと計画したんだけど

途中、実家集落の先輩S姉さんと遭遇。

沈砂池のことを聞くと「引き返して、長道から右折して

橋を渡って下に下りなさい」と言われ車をUターン。

過日も通った工事中の箇所を通るが、今日は工事は中止らしい。

確実な地図もなく、当てずっぽうに走るので見つかるはずもなく。。。。

ついには車がキビ畑を刈り取った後の畑の脇にめり込んで

前進もバックもできない状態にと言うわけ。


ばばが一人でヤキモキしているとじじも来たので二人で通る車を停める作戦。

やっと上の方から車が2台来たので、手を振ったら止まってくれた。

「すみません。車のタイヤがめり込んで出せなくなったんです」と言うと

すぐに車をばばの車の近くまで走らせてくれた。

そして、もう一台の車からは若い青年が二人付いてきてくれた。

ばばは、必死に車のナンバーを憶え、若い方の洋服の胸に書いてある文字を読み取った。

県の工事をしている人達かも知れないと密かに思ったりもした。

近くの無人の牛小屋からロープを借りて車同士を繋ぎ引っ張ると何ともあっけなく車は動いた。

じじとばばと姉は深々と頭を下げ、何回も何回もお礼を言った。

そして「是非、お名前を教えて下さい」と頼み込むと「S田です」と教えて下さった。

フルネームを聞こうと思ったけれど、辞退された。

でも、お勤め先が分かったし・・・早速お礼状を書かなくては。。。。。

「地獄で仏」とは大袈裟だけど、本当にありがたく嬉しかった。

3名が立ち去った後、じじと姉を見ると、姉は上着が泥だらけ。

じじは、ウインドブレーカーの背中に縄模様の汚れが・・・・

申し訳ないことにばばだけほとんど汚れていない。


その後も「沈砂池」を探し求めて彼方此方巡り歩いたが、けっきょく空振り。

ちゃんとした情報を元に行動しなければいけないね。

時間の無駄だもの。

じじは、少し諦めているけれど、まだまだ諦めてはいない、ばば。

一昨日、昨日と花徳方面の方にお願いはしてある。

良い情報が飛び込んでくるかも知れない。

今度こそ!!!

待っててよ~~コハクチョウ!


所変われば・・・・

2010年09月29日 13時07分26秒 | Weblog

9月29日(水)晴

昨日、近所のおばちゃんから電話がかかってきた。

息子さんから電話があって、「○○士」免許証をファックスで送って欲しいとのこと。

早速駆けつけてみると、資格証や免許証類は額に入れて高い所にかかっている。

椅子に乗って額を下ろし、必要な資格証を取り出し我が家へ駆け戻って

息子さん宅へファックスで送った。


しばらくして、又電話が来た。

「お隣のEちゃんも来ているので一緒にお茶飲みましょう」とのお誘い。

またまたすぐ駆けつけた。

玄関先に座り込んで、徳之島産の「キビ酢」などいただいた。

しばらくおしゃべりして、モンキーバナナまでお土産にいただいて帰った。


ばばは、仕事をしている間はお隣ご近所と全くお付き合いがなかった。

でも、今は少しずつおしゃべりをしたり、色々な物をお裾分けし合ったりしてお付き合いしている。

今のところ、じじとばばは結構自由な時間がたくさんあるので

お隣ご近所の方のお役に立てることには積極的に協力していきたいと思っている。


今日のおしゃべりの中で「醤油」のことが話題になった。

わざわざ醤油を島で買って都会の子ども達に送る方も多いんだとか・・・・

調味料って食べ慣れたのがいいのかもしれないね。


醤油で忘れられないエピソードが我が家にもある。

それは我が家の長女の結婚が決まった夏、婿殿と、そのご両親が徳之島に初めていらした時のこと。

夕食に、お刺身を準備し、何とも思わず、我が家で普段使っている醤油を出した。

婿殿もご両親も何も仰らなかったけれど、

関東の方で、刺身は辛い醤油?でいただくのだとか・・・・

島では、刺身醤油っていうのがあり、これって結構甘いんだよね。

島だけでなく、鹿児島あたりでもこの醤油を使っているのかな?

島の魚屋さんにはこの甘口の「刺身醤油」が並べられていて、

刺身を買うついでに醤油まで買っていくお客さんも多い。

自分が刺身を食べないばばは、刺身の醤油について考えたこともなく

「刺身醤油」と書いてあるから、

刺身を食べる時はこれで良いんだろう位にしか考えていなかった。

婿殿とご両親は無理して甘い醤油で刺身を・・・と思うと今でも申し訳ない気持ちになる。


去年、夏休みに長女家族が帰省した時、またばばは何とも思わず

万年じじが使っている「刺身醤油」を出したら、孫が「甘!」と言って、

刺身を食べるのを止めたので吃驚した。

早速次の日Aコープで「○○マン」の醤油が醤油差し入りで売られていたので買って帰った。

その夜、刺身を食べる時、孫は「ウン、ウン、これ、これ、この味」とご満悦。

フ~~~ム、所変わればなぁ~・・・色々なことがあるザンスね。

食文化も各地域によって大きく変わるんだよね・・・・


暑い暑い島で、夏に「氷ブルバン」って最高の食べ物があるんだけど、

これも都会に暮らす人から見たら「?????」ですって。

「氷ブルバン」は、固めに炊いたおかゆを油が出るくらいかき回して
(かき回せばかき回すほど、おかゆさんは美味しくなるとばば母が教えたけれど・・)

その後、氷をタップリ入れて又かき回す・・・・

水分補給にも良いし、パパイア屋の漬け物や油味噌と一緒に食べると、

格別に美味しいんだけど・・・

これが、「変なの!」って思うのはやはり食文化の違いですかねぇ~~~。

でも、去年東京からいらしたSさんは、美味しいと仰ったけど・・・・

やはり、人それぞれなのかなぁ???


奄美名物の鶏飯も、「汁かけご飯」と言って嫌う方もいたなぁ~~~~。

ばばの家に来るお客さんは、鶏飯でもてなすことが多い。

作るばばも楽だし、食べる人は自分で具やスープの加減ができるし。。。


食事って、食べる人が「美味しい」と思えば良いと思うんだけど

人それぞれ好き嫌いは千差万別だからねぇ・・・・・・