横浜のほほん・続

植物や生き物を見ながら歩いて感じたことなどを中心に日々を綴る。

昔は大いに栄えた

2016-09-07 06:31:14 | 旅行



佐渡と言えば・・・今回は佐渡金山。
慶長6年(1601年)に開山され388年間に金78トン、銀2,330トンを産出した。

当初は露天掘りで頂上から掘り進めた結果、山がV字形に割れたようになっている。
幅30m深さ74mの割れ目は、道遊の割戸と呼ばれている。






主要金鉱脈は8本。東西3,000m、南北600m、深さ800mに広がっていたそうだ。
坑道の総延長は約400km。江戸時代の宗太夫抗と明治官営時代の道遊抗が見学できる。
今回は宗太夫抗に入った。






抗内のそこかしこに作業の様子を示す人形が配置され、採掘のさまざまな作業を再現している。
掘るだけでなく湧いてくる水をくみ上げるなど実に多くの作業者がいたことが分かる。






奥に見える壁面、白地に黒の縞模様は金銀を含む石英の鉱脈だ。
黒い縞がくっきりと浮かび金を多量に含む鉱脈を発見して、
間歩開きの祝いを行っている。 間歩(まぶ)とは坑道のことだ。
棚の上では、佐渡金山に伝わる独特の祭礼「やわらぎ」が演じられている。
荒ぶる山神の気を和ませ、更に硬度の高い金銀の鉱石をも和らげさせ給えと祈願している。






展示資料館では金鉱石を採掘、製錬し佐渡小判にするまでの工程を人形や模型で説明さている。
また12.5㎏の金塊がケース内に展示されていた。片手ではずっしり重い。






これまでに2000人以上の人が小穴から取り出すことに成功しているそうだ。
もちろん持ち帰れるわけではない。






金山から少し離れたところに北沢浮遊選鉱場跡がある。
浮遊選鉱とは簡単にいうと、水と油性溶液が混じったものに鉱石の粉末を入れて撹拌する。
すると親水性の岩石と疎水性の金属が分離して金属は油性溶液にまとわって浮いてくる。






この方法により、それまで低品位とされた岩石からも金属を取り出せるようになる。
北沢地区には明治時代に選鉱・精錬施設が建設され稼働していた。
昭和12年になって金の増産のために東洋一の浮遊選鉱場に生まれ変わった。
江戸時代以来、佐渡金山から出たズリ(低品位の石英片)が海岸に山積みされてきたそうで、
そのズリから浮遊選鉱場で金を取り出すことが出来て増産に成功したが昭和27年に資源枯渇で廃止された。






これは50mシックナーと呼ばれる円盤状の建物で、鉱石に含まれる水分を分離する濃縮装置だった。






ほかにも、この鋳造工場跡や機械部品類の工作工場群跡なども見られた。




コメント (2)
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