数学する遺伝子

 『数学する遺伝子』(キース・デブリン著、山下篤子訳、早川書房刊)を読む。
 数学の能力は、誰もが言葉をしゃべることができるようになる能力を持っているように、誰もが生まれつきに持っているものであると著者は語る。誰もがしゃべれるようにという句の「ように」というものが単なる比喩ではなく、著者が考える人間の脳の進化と言語の構造からすれば必然的関係であることを論じるのが本書である。
 ここで数学の能力というのは、数の感覚に始まり、計数能力、アルゴリズムの能力、抽象概念を扱う能力、因果の感覚、事実や事象の因果的連鎖を構築してたどっていく能力、論理的推論能力、関係性の推論能力、空間的推論能力が含まれる。難しそうな能力に見えるが、これは誰もがもっているという。こうした他の生き物にはない高度で高コストな能力を人間が進化の過程で獲得したからには、進化的な利点があったからに違いない。そしてここが著者が重要視する点であるが、進化により獲得されたものであるならば、一部の特定の人間にしか見られない能力ではなく人間に普遍的に備わったものであるはずであるし、無理な努力をしなければ獲得できないような能力ではないはずだという点である。
 文化が違っても誰もが言葉を話せるようになり、文法構造を瞬間的に把握することができる点-普遍文法を持っていることに数学的能力の起源を求める。語彙が単に増えるだけでは言語は生まれない。基本言語ツリーというパターンを用いてある規則(統語規則)のもとで組み立てていくことができるようになって初めて言語は生まれる。この特定のパターンを認識する能力というものは、一つ一つの段階を順に論理的に追っていくこととは異なる。デカルトは後者の過程のみで心的過程をすべて理解することができるとした点で誤っていたのだと著者は説く。ヒトの心はそのような計算機のようなものではなく、さまざまなパターン(視覚的、聴覚的、言語的パターンや行動、論理などのパターン)を認識し、それに対して反応する能力こそが人間特有の能力だという。
 このパターン認識については、パースの理論(表象のアイコン、インデックス、シンボルの三様式)が援用されているが、特にその中でもシンボルを操作することがパターン認識とりわけ言語能力で重要である。シンボルを生み出すだけでなく、シンボルどうしを関係づけること、そしてその関係性自体をシンボル化できることにより人間は、眼前にない不在の対象や抽象的な存在について認識できるようになる。
 さらに脳の進化により高度化するニューラルネットワークのおかげで外的環境からの刺激に対して単純に運動系を解して出力し反応するだけでなく、ある刺激を内部の神経回路内への刺激として扱うことが可能になった。それは外的刺激なしにみずからの「想像上」の世界で外的刺激と似た状態を創り出せることを意味する。これが可能になると現在存在していない対象を取り扱うことができるようになる。すなわち目の前にない遠くのものを語り、未来のことを語り、あるいは反実的なことについて語ることが可能となるのである。こうした作業を著者は「オフライン」作業と名づけている。
 数学的思考をするのは、まさにこのオフライン作業の一種であり、言語を操ることと同じことなのであると著者は考えている。言語能力の上や彼岸に数学的能力があるのではなく、言語能力を獲得した時点で数学的能力は備わったのである。
 ではどうして古代からヒトは言語を操っていたのに、数学の登場はそれに遅れたのか。著者は物理的な世界や社会的な世界に存在するパターンや関係性を推論する能力(これは誰でもいつも行っていることで、人間の活動はほとんどはこのことに費やされている。例えば人と人との関係を推論するゴシップなどはその最たるものだと著者はいう。)を自分が創り出した抽象的世界に適用するのが幾分困難なことが一つ。そしてもう一つはその推論の過程に要求される厳密さが非常に大きいことがその原因である。確かにゴシップで人間関係を憶測するときのほうが楽だろう。
 数学者にいわせると、彼らが扱う数字や記号は、あたかも小説の中に登場してくる人物のようなものだという。彼らはπやeに特定の愛着をもっているという。また私たちが日常の物事を直感的に捕らえるように、数学者はある問題を解いたという直観を得てから論理的証明にとりかかるのだそうだ。著者は数学的知見は発明よりも発見というのがふさわしいと述べている。
 それにしても数学的思考に取り組む場合は並々ならぬ集中力が必要であるという。そのオフライン作業に没頭している場合は、逆に周囲からの刺激に対しては無関心になるので、数学者が問題を思考しているときに周りのことに無頓着になってしまって犯してしまった過ちについての逸話はたくさんある。数学の問題を解くのに没頭していたアルキメデスが侵略してきた兵士の問いを無視して殺されてしまったのも数学者の著者からすればもっともなことだという。でもこれが昂じるとオフライン作業に没頭することで外敵に襲われたりして生存する可能性が低くなるので、進化的にみるとそういう個体は淘汰されてしまうだろう。多くの生物の場合は、扁桃体など情動と密接につながる回路があるため、少々物事に没頭していても外的な変化がおきた場合にはそれに対処することができるのだ。
 数学者が数を実在のものと考える(代表的な例はピタゴラス)傾向があるのも本書を読むと納得でき、数学者という人種を身近に感じることができた。
 進化的な視点から言語能力と関連づけて数学的能力を論じた本書は、実に痛快な一冊だ。原題もThe Math Geneであるが、本書を読むと遺伝子だけで決定づけられることでもないので、「数学する脳」というほうが適当かと感じた。

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東京大学の歴史

 『東京大学の歴史』(寺崎昌男著、講談社学術文庫刊)を読む。
 日本の学歴社会は、よくも悪くも東京大学を頂点として形成されてきた。高等教育の歴史を知る上でまずその頂点を知ることは、扇の要を押さえるに等しく重要なことであり、またそこを押さえれば日本の大学の姿が見えてくる。なぜならよくも悪くも日本中の大学が東京大学に目を向けていたから。
 こうしたヒエラルキーに対する好悪はともかくこの歴史はたいへん面白い。第二部の冒頭(これは著者が学士会夕食会の講演の記録なのだが)に書かれているが、まず東京大学の創立の「理念」なるものあまりなかったということが分かり、驚く。卑しくも日本の頂点の大学とされているのに、設立当初は西南戦争の勃発直後での財政難で、東京開成学校と東京医学校ととりあえず一つにしちゃえということだったらしい(著者は「仕方なしにできた大学」と表現している)。その後1881年に総合大学らしき形態をとり、1886年に帝国大学が誕生する。それまでは慶應義塾があり、仏学塾あり、工部大学校ありと各分野では東京大学を上回る学府が存在していたという。1897年に京都帝国大学が創立され、帝国大学が二つになったことから東京帝国大学が誕生した。
 当時は学暦は9月11日から始まっていた。これは大学組織を欧米を範として設立したからそうなったようなのだが、やがて4月が学暦の始めとなる。これは特に、会計年度と一致しないことが不便なこと、徴兵令による壮丁の届出期限が9月から4月に改正されたため、入学時期を9月にしておくと入学志願者が4月のうちに徴兵される可能性があることが理由で変更されという。
 発足当初の各学部の独立性は極めて弱く、「学部」というものが現在の感覚とはかなり異なっていたようだ。

そもそも、この当時の学部を、「学部」と表記するのが誤りかも知れないのである。
律令制の影響をつよく受けできた明治初期の太政官制のもとでは、「部」という言葉は官庁の主管区分を示すものだった。文部省、兵部省、工部省、教部省といった当時の中央官庁名が、そのことを示している。

 法「学部」ではなく法学「部」であったというわけである。
 学位の授与に関してもさまざまな紆余曲折があったことが書かれており、学術的権威を国家の元に管理しようとする政府側の構想と学問の独立性を主張する大学側の駆け引きがあったことを教えてくれる。当時博士号としては、(1)課程博士、(2)論文博士、(3)総長推薦博士(総長が文部大臣に推薦するもの)、(4)博士会博士(博士会が認定したもの)の四種類があり、大学は前三者に関与していた。夏目漱石が辞退したのは、この(4)にあたるという。

 成績評価についての記述も興味深い。大学で学生たちが能動的に学問をするようにとの配慮から、学制を学級にわけて学級ごとに時間割を提示し、全部必修とする小学校と同様なシステムである学級制は、「学制ヲシテ自ら学修スルノ自由範囲ヲ狭小ニシ自発的に研究するノ風ヲ起コサシムルコトヲ得サル」風潮を生むことなどから「科目制」にしたこと、試験の粗点により評価するようにすると、学生が「筆記帳ノ作製読誦ニ齷齪タルニ至ル」ので、好ましくないため優・良・可・不可という方式になったという。
 教授の定年制についても当時農学部の石川千代松が残した「停年に際し私が急に職を辞せざる理由」という意見書をみると、その気概が伝わってくる。
 ある制度の歴史を知るということは、その創立者たちの精神を感じることでもある。制度は時代とともにさまざまに変貌するが、その中に創立者たちの精神がどのような形で受け継がれているのか、あるいはもはや受け継がれていないのか、これを知り、後に生まれる世代へと受け継いでいくことはその末端に位置する時代の人間の務めであろう。
 学問をすること、学問を教授することに当時は学生も教授も実に真剣であり、その真剣さが制度に反映されていたのだということが分かり、ある爽快ささえ感じる。大学全入時代の到来といわれるこの時代であるが、学業を修めること-というか卒業証書を手にすることが就職の手段となりさがり、学生も教授も企業への就職に汲々としている状況では大学生がどんなにたくさん生まれようが、どんな学部が新設されようが、そこからこんな真摯さは学生からも教授からも生まれないだろう。

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絵で見るパリモードの歴史

 『絵で見るパリモードの歴史』(アルベール・ロビタ著、北澤真木訳、講談社学術文庫)を読む。
 著者は1848年生まれのフランスのイラストレーター、版画家で、風刺週刊誌『ラ・カリカチュール』を発刊するほか、近未来小説の執筆も行い当時ジュール・ヴェルヌ(1828-1905)に勝るとも劣らないと評価された人物である。
 表紙には王政復古期の女性のファッションを彼が描いた絵が飾られているが、この姿をみると雄の孔雀を連想してしまう。本書は中世のパリから19世紀末までのパリの(主に女性の)ファッションを紹介しているが、中世の昔から女性の服飾宝飾に対する奢侈をいかに抑制するかということが問題となっていたことを教えてくれる。当時のフィリップ四世は1294年ブルジョワ階級の女性に毛皮の着用や真珠の使用を禁じたが、

・・これらの一連の取締令は、糠に釘だった。貴族の妻も豪商の妻も、国王の禁止令ばかりか夫の叱責、教会における聖職者の譴責さえ、ものともしない。(中略)ことモードに関するかぎり、彼女たちは誰からも指図されるつもりはなく、いかなる権力も否定する。たとえそれが、王権ないし教権、さらには夫権であろうと。

 王侯貴族階級の女性にとって、男性の目を惹き付けることが重要な戦略であるから、聖職者の批判に耳を傾けるはずはない。あるパターンが男性の注意を惹くことに成功すれば、そのモードがさらに誇張される。その結果頭の飾り(エナン)はますます高くなりゴシック教会の尖塔と見紛うばかりとなり、スカート(ヴェルチュガルダン)はますます横幅が広がり巨大な傘のようになる。こうした変化は、まさにオオヘラジカの角や孔雀の羽飾りが配偶者獲得競争のためにますます誇大なものへと進化していったものに類似している。進化と違うところは、ある時期に急に衰退し、そしてある時間をおいてまた同じモードが甦ることである。ヴェルチュガルダンという幅広のスカートは、ルイ15世の御世にイギリスから再導入され、パニエという名前で流行する。特にルイ16世紀時代の女性の大きな髪形には目を瞠るものがある。
 このような身体の各部分を飾る部分の変化をたどるのも面白いし、歴史の各場面で登場する人物のモードに注目するのも面白い。甲冑に身を包んだジャンヌ・ダルクに対して肩も露なコルサージュを着てシャルルを操ったアニェス・ソレル、アンリ2世の没後終生喪服に身を包んでいたカトリーヌ・ドゥ・メディシス、「両性具有の島の女国王」と呼ばれ厚化粧をほどこしていたアンリ3世、先鋭的なファッションリーダーだったマリー・アントワネットなどなど。
 1891年にこの本を書いたロビダは、こう締めくくっている。

 遠からず、いまの時代ならではの独創的なモード、当世風の言い回しを借りるなら、「世紀末」ならではのユニークなモードが誕生することを、祈ろうではないか。いまこの世紀末に生きる女性たちの孫が、うちのおばあさんの時代には、誰もがエレガントな装いをしていたのだな、どんな時代の模倣でもない斬新で個性的なお洒落をしていたのだな、と思い描けるようなモードが誕生することを、切に祈りたい。

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言葉と心

 『言葉と心 全体論からの挑戦』(中山康雄著、勁草書房刊)を読む。
 自分が語ることは自分が一番よく知っている。私の言葉の内容は私の中から紡ぎだされる。この言語の内在主義に対して、発話の信念内容は、その信念を持っている者(信念所持者)の内部状態によっては完全には決定できないという外在主義の立場を主張していくのが本書である。そこでは言葉が対象を指示するとする意味論的アプローチに対して、言葉の使用者の立場を考慮にいれる語用論的アプローチがとられる。記号の意味は、記号の使用者の信念状態に依存することがまず確認される。
 第4章では、確定記述の二つの使用法-帰属的使用と指示的使用(ドネラン)-の基底にあるものが、根拠という関係性により構造化された話者の背景信念であること、すなわち自分の信念を背景として主張がなされるという語用論的な捉え方が有効であることが述べられる。このドネランの区別をさらに一般化した区別-意味論的指示と話者指示(クリプキ)-が紹介され、これが著者の提案する公共の意味と話者の意味に対応するものであるとされる。二つの意味解釈は一致しない場合もあるが、話者が伝えたかったことを公共の意味と与えられた文脈情報を手がかりとして再構成することで適切な解釈が施される。この場合に発話における文脈情報や話者の背景信念、話者の意図が考慮される。
 話者の信念というのは厄介な躓きの石であるが、第5章では、信念を表現する信念文に「言表信念de dict文」と「事象信念de re文」の二種類があり、それらが互いに違うことを表現していることが説明される。事象信念についてのクワインのパズルが紹介され、この解決にあたり信念が誰に帰属しているのかをきちんとおさえておくことがキーポイントであることが明快に説明される。この部分はなるほどと感じた。信念所持者を規準とした信念記述と、信念帰属者を規準とした信念記述は必ずしも一致しないこと、他者の信念について語る場合は、必ず信念が帰属されているということを認識しておかねばならないのだ。
 それでは「私」が表明する思考内容、信念とはいったい何なのか。表明される信念の内容により、限りなく「私」(信念の表明者)に権威がある場合と、外在的な(共同体的な)背景にそれが依存する場合があり、それにより変化するということになる。一般に自分の思考内容というものは、自分に最も権威があると考えられる。しかし精神分析の営みは、まさにこの自己知を外在主義的に解釈していく営みといえる。精神分析の立場から言えば、信念所持者は自分の信念について知らないところがあることを知らないのである。
 外在主義は、実に説得力がある。しかし著者のいう「共同体」というものがどのようなものをその標準としているのかは問題として残される。共同体の信念背景に相対的であるならば、命題について「真偽」を論うのは意味のあることなのだろうか。それはせいぜい「妥当・非妥当」というところまでしか主張できないのではないか。
 またウィトゲンシュタインの奇妙な足し算をする人の例ではないが、個人の信念は共同体の信念により評価を受け、誤りは訂正をされつつ標準的な解釈に繰り入れられていくということになるのであろうが、斬新で革命的な個人の概念や思考がどのようにして逆に共同体の信念背景を変えていくのかということが気になった。その点については、著者は最後のところで抜かりなく言及しており、「魅力ある思索の言語的表現は、人々の関心を捉え、人々の背景信念の内部へと浸透する。そして、それは、公共の言語の一部を形づくるようになり、文化の一部となって次世代へと伝承されていく。語りの作業は、このような思索伝承の大きな流れの中のどこかに位置づけられている」と述べている。この新しい思索(思索だけには限らないが)に対する批判・評価というか共同体の伝統的解釈とのぶつかりあいの力学は今後発展性のある問題ではないかと感じた。 
 読書に際しては、同時に購入した『言語哲学』(W.G.ライカン著、荒磯敏文、川田由起子、鈴木生郎、峯島宏次訳、勁草書房刊)を平行して読んだ。これは分析哲学の主要な点を解説してあり、主張とそれに対する反論をコンパクトにまとめてあり、大変役にたった。

 

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顔は口ほどに嘘をつく

 『顔は口ほどに嘘をつく』(ポール・エクマン著、菅靖彦訳、河出書房新社刊)を読む。著者はカリフォルニア大学サンフランシスコ医学校の心理学教授で、顔と表情に関しては世界的権威とのこと。FBIやCIAなどで感情表現アドバイザーを務めているのだそうだ。
 著者の長年の研究によると顔による感情表現は当初文化的なものであるという予想とは違い、普遍的なものであるという。表情の判定は主観的なものに頼ることなく
facial action coding system (FACS)という顔の筋肉の動きを測定する測定系を開発して定量的に研究している。感情とその表出との関係や感情を故意に隠そうとするときの不自然な表情の動きを究明しているそうで、50分の1秒という瞬間的な表情の変化を捉え評価するという。これにより嘘を見抜けるらしく、FBIやCIAからもお呼びがかかるわけである。
 肝心なことはヒトの顔に現れる感情が、文化的に規定されたものではなく普遍的なものであるということ、進化的に獲得されたものであるというメッセージである。感情についての研究から、著者は、(1)感情は私たちの安全にとってきわめて重要だと思われる物事への反応であること、(2)感情はしばしばあまりに素早く始まるので、それを引き起こす心の中のプロセスに私たちが気づかないことは広く認められていることであることをまず述べる。そしてこれが自然選択によってもたらされたものであることを示唆する。ここでは古くダーウィンも認めている蛇に対する恐怖反応が普遍的な現象であることが例として挙げられている。瞬時にして外界の対象に反応して情動反応によって行動をひきおこすシステムを著者は「自動評価機構」という暫定的な名称を与え、これが常に環境を探査して、「情動換気データベース」と合致するものがないかどうかを警戒している。そのデータベースの一部が自然選択によって作られたデータベースであり、一部が経験的に獲得されたデータベースである。蛇に対する恐怖というのは前者に属するのではないかというわけだ。この自動評価機構以外に、内省的な評価、過去の感情的な体験の想起、イマジネーション、共感、過去の感情的体験を語ること、他者から規範に伴う感情を教え込まれることが感情を生み出す要因として挙げられるが、著者は顔面の筋肉を動かすことで感情が生まれる、すなわちある感情を表出するときの表情を作ることで、当該の感情が生まれるということを指摘している。笑う表情を作れば楽しくなり、泣く表情を作れば悲しくなるのだ。
 こうした要因があることを踏まえて人が自分の感情の動きに敏感になれば、逆にそれを抑制することが可能になると指摘する。このとき感情を生み出す体験が人生早期に体験されたり、強い経験だったりすると抑制することが困難である。また自然淘汰によって獲得されたものであればそれだけ抑制するのが難しいと指摘している。
 後半は怒りや悲しみ、驚き、恐怖、嫌悪などの感情が生まれる際の表情について分析が加えられる。これは表情を「作る」演劇をする人には参考になるだろう。
 さて重要なことはどうして表情というものを持つことが自然淘汰上有利であったかという問題である。顔面の筋肉は哺乳とう行為を行うようになって特に発達する。猫や犬でも表情らしいものを認めることができるが、哺乳することのない蛇や蛙では表情はない。類人猿では表情が特に豊かだから集団で生活する上で表情を持つことが特に有利だったと考えられる。例えば窮地に陥ったときに悲しみや困惑の表情を出すことにより周囲から助けを得やすくなるなら生存に有利であっただろうし、喜びを表出することでより自分の魅力を出せる個体はそうでない個体よりも配偶者を獲得する上で有利であっただろう。でも表情があるかないかという二分法ではなく、その表情の表出の程度と繁殖率に相関があるのかが問題だ。
 それに感情の表出を抑制する場合や感情とは反対の表情を偽る場合も考慮しなければならないだろう。窮地に陥ったときに容易に悲しみの表情を出してしまう男性は弱いと見なされ、配偶者を獲得する機会を失ってしまう可能性がある。この場合は逆に感情をうまく抑制するか、逆の表情を作れる個体の方が有利である。
 感情を表情に表せることは社会生活を営む個体に有利なことだろうが、どのような文脈でそれを発揮することが有利なのかはさまざまな要因が絡んでくる。自分の気持ちを素直に表現できる(表情で嘘をつけない)雄は雌に好まれるだろうが、浮気はすぐにばれるだろう。これはなるべく多くの雌を番って遺伝子を残そうとする雄にとっては不利なことかもしれない。一般的に女性は表情から隠れた感情を直観する能力に優れているが、これも配偶者獲得に絡む自然淘汰によって備わった能力なのだろうか。
 冒頭には著者の娘のさまざまな表情の写真が掲載されており、それから感情を推測するテストがついている。本書を読んで自分の表情を研究すれば、嘘のつけない素直な男性諸氏も顔で嘘をつけるようになるかもしれない。

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経済学のキーワード

 『故事成語でわかる 経済学のキーワード』(梶井厚志著、中公新書)を同じ著者が5年前に出した『戦略的思考の技術』(中公新書)とともに読む。
 順番からすると、後者を先に読んで、ゲーム理論による経済活動の分析で登場するさまざまな概念(インセンティブ、コミットメント、ロック・イン、シグナリング、スクリーニングと逆選択などなど)を抑えて、前者に進むというところだろうが、後者だけでも解説は丁寧にされているので、どちらでも好きなほうから読める。
 後者はいわゆる中国の故事に因んだ成語を経済学の視点から分析するというものである。四字熟語に限らず漢文に登場するこれらの成語の来歴は高校時代に教えられたり、漢文学者の著書による解説で教えられるのが通例であるから、著者による分析は、まさに目から鱗が落ちるものである。漢学者の講釈はどうしても史実に忠実であろうとするあまり、斬新な解釈はなされない。例えば本書の冒頭に掲げてある「覆水盆に返らず」という成句であれば、「過ぎ去ったことに対して悔やんでも仕方がない」という字義通りの解釈がされるのが関の山であるが、本書の場合ここから、すでに投資されてしまって回収不能な埋没費用sunk costという概念を用いることにより、覆水というものがどのような費用とみなすべきかという視点から論じられる。あるいはこれに続く「蛇足」では、「余計なこと」という意味からさらに発展して、「追加的な便益」をきちんと把握することがいかに困難かということを説明する。一番早く蛇を書き上げたついでに足を追加して賞を逃してしまった男のことを嘲笑うのは簡単なことであるが、現代の経済生活でこうしたことが頻繁にあることを示されると、思わず赤面してしまう。
 本書で取り上げられている「朝三暮四」、「完璧」、「敗軍の将は兵を語らず」の解釈は深く実に面白い。
 二つの著書を読むと、現象を解釈する上で一貫性のある理論に則って解析することの重要性が隠れたメッセージとして読み取ることができ、この本を読んで感じる面白さはまさに雑多な現象をそれにもとづいて快刀乱麻を断つ如く一刀両断にすることの面白さなのである。

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「退化」の進化学

 「退化」の進化学を読む。
 発生学や比較解剖学の立場からヒトの人体構造に隠されている祖先の名残が紹介されている。耳小骨の起源を辿るとサメの顎に求めることができるというのは、知っている人は知っているという比較解剖学的知識で、本書でも図解されている。この部分だけでなく本書では適宜図で説明されているが、ここの顎、耳のところや口蓋の解剖は複雑なところなので平面的な図では理解が難しいのではないかと気になる。実際の解剖がある程度わかった人が見ると、理解できる図解でも全く耳の構造や口蓋の構造がわからない人には三次元的な配置を頭の中で構成するのは難しい。一般向けの解説書なので、図にもう少し工夫が欲しい。
 ヒトの尻尾や「第三の眼」、副乳など退化してしまったものから眺めるとヒトは、神様が創造したような立派な代物ではなく、リフォームを繰り返しつつ建てかえていった建築物であることがよくわかる。
 興味深かったのは、霊長類で認められる発情期の外見的変化(発情期の雌の尻が赤くなるなど)が、ヒトでは消失したという点だ。ヒトでは排卵期に基礎体温がわずかに上昇するだけだから雄は雌の発情を視覚情報から確認する手段がない。

 発情期の消失はふだんの社会行動をさまたげる性的な熱狂の期間がないため、人類進化に最高に重要な発展だとされる。発情期がないことで子育て期間が延長でき、性的環境がおだやかになって雌雄関係がわりと永続的になったのである。

と書いてあるが、これはどちらが先のことなのだろうか。安定した雌雄関係を築くことができるようになったから発情期が消失していったのか、それともその逆なのか。採餌との関係も指摘されている。

 食と性は関連しているので、家畜化は繁殖の周期性に変化をきたすことが多い。野生生物の多くはとらわれるとまったく交尾をしなくなる。ところが餌(食事)の心配をしなくてすむようになった家畜は事実上いつでも発情する。ヒトは自己家畜化動物だとよくいわれるが、食事の心配がなくなったのは農業がはじまった完新世(現世)以降で、人類進化でもわりと最近のことである。狩猟採集にあけくれる部族ではいまでも春にしか出産しないという。

もしそうならば発情するというのはかなり環境により可変的なシステムであるということになる。発情していることが目でみてわからなくなったことで、より細やかな表情などを読み取る能力は発達したであろうし、言葉によるコミュニケーションは欠かせなくなっただろう。そして確実なことは、表情や言葉により発情しているのにそうでないように、あるいは逆を装うような騙しの能力も数段進歩したであろうということである。

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文学の誕生

 『文学の誕生』(大東和重著、講談社選書メチエ)を読む。

・・・日露戦争後、文学の概念は刷新され、それにもとづいて文学史が書かれた。何が文学で何が文学でないのかの境界線が引かれたとき、文学と認定された側に入る作家がいる一方で、非文学へと排除された作家、境界線上を右往左往させられた作家がいる。

 本書の終章に記された言葉どおり、本書では日露戦争を境にして、戦前は不遇でありながら戦後一躍評価が高まった田山花袋や国木田独歩がおり、広津柳浪や川上眉山、江見水蔭など没落していった作家がいる。
 日露戦争が勃発したのが明治37年で、39年は戦後第一年にあたる。夏目漱石が『我輩は猫である』をもって文壇に華々しく登場したのが、明治38年であった。『坊ちゃん』が翌年4月、『草枕』が同年9月の発表である。一躍注目を集めながら、40年以降その作風が「軽い」とされ、評価が下がる。その一方で著作する態度が「真摯」だとして、藤村の評価が上がる。
 この本を読んで感じたのは、いつの世も文学作品とその評価は時代によって変わるものだという月並みなことではない。江戸から明治に時代が変わり、「文学」という新しいジャンルが創設され、それを担っていく専門的職能集団が形成される過程で、自らの存在意義とアイデンティティを確立する必要があったため、集団内で選別淘汰が起こり、最終的に文学史で見られるような状態となったという歴史が面白いなと感じた。これは文学に限らず、特定の専門的な職能集団が形成されていく過程では起こる動力学であり、進化であろう。
 江戸時代の戯作とは異なることを明確にせんがため、必要以上に「真摯さ」が作品および作家に求められたのではないだろうか。自然科学のような分野では、その評価にある程度の客観性があるから、科学と非科学の峻別は保証されるが、芸術に関しては、自然科学のような客観性は期待できない。その分、創作態度のようなところにまでが評価の対象となるようなことが、特にその草創期には起こるのであろう。著者はそれがまさに日露戦争前後で起きたとする。

 日露戦後は以上のように、文学が自らの自律した「約束」を手に入れる時代でもあった。作家が職業として専門化し独立するのみでなく、<文学>なる芸術ジャンルもまた、かまびすしい議論を通して、自前の約束を手に入れ、その「根本の約束」を共有しない旧作家、及び一般の読者を排除し、「特殊化」「専門化」し、他の文字芸術や社会的規範からの独立を達成する。<文学>は、<自己表現>という規則にもとづき、自己の存在理由を説明する根拠を手に入れ、自己同一化する。(中略)
 その結果、文学は今や、「自己の個性を表白するといふ根柢を片時も忘れ」ない文学の規則に忠実な作家と、これを理解しうる選ばれた読者たちの、聖域を形作る。

 文学や絵画、音楽の素養のあるなしによって人を選別する「教養」なるものの社会的形成という、より広い視点へと広がっていく興味ある歴史だと思った。
 巻末に年表があればより便利だったな。

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イギリスだより

 『イギリスだより』(カレル・チャペック著、飯島周編著、ちくま文庫)を読む。
 
人はいろいろなところに旅をする。旅をして紀行文を残す。旅人の眼差しはその時代の眼差しだし、眼差しを注がれる対象も時代とともに川の流れのように変化していくから、古くなってしまう部分は当然ある。しかし優れた紀行文は、砂金を篩い分けるようにその中から変わらないものを取り出してくれるから、今読んでも面白い。
 チャペックはチェコの生まれ、
1924年開催の国際ペンクラブ大会に招待されて、ロンドンに行く。その後イギリスを旅して回る。その時の紀行がこの本である。「人は、それぞれの民族について、さまざまなことを考える。それらは、その民族が型にはめてみずからに与え、こうだと思い込んでいるようなものとは限らない」とチャペックは書き出す。旅先で経験するほんとうに些細なことがなぜか分からないが非常に強い印象を残す。彼にとってはそれがイギリスでみた「老紳士と自転車の少女のいた、緑の庭園の中のあの素朴な家」であり、ドイツでは「尊敬すべき腰を据えた居酒屋」である。フランスでは、居酒屋の前に荷車を止めてワインを飲んでいる農夫であり、スペインでは、黒い服を着て黒い瞳の幼子を抱く黒髪の女性であり、イタリアでは列車の中でチーズを勧めたごつい手である。その当時彼は「一つの民族と他の民族との距離は、おそろしく遠くなっている」という感想を抱いていた。孤立感が生み出す淋しさや偏見から私たちを救ってくれるものは、そうした旅先での経験、些細なしかし強い印象を残す経験なのではないだろうか。
 彼のロンドンの印象(大都会の成熟や喧噪-都市の二面性)が落ち着いた筆致で描かれている。自然史博物館や動物園の印象記、マダム・タッソーの蝋人形館での「不愉快な」経験のところは思わず笑う。またイギリスの料理に対する辛辣な評は旅行者の誰もが口にする「お約束」であるが、チャペックのそれはなかなか「味」がある。
 スコットランド、ウェールズ、北アイルランドを経巡り、再びイングランドへ戻った彼はイギリスの美しさをこう讃える。


イギリスでいちばん美しいのは、しかし、樹木、家畜の群れ、そして人々である。それから、船もそうだ。古いイギリスは、あのばら色の肌をしたイギリスの老紳士たちで、この人たちは、春から灰色のシルクハットをかぶり、夏にはゴルフ場で小さな球を追い、とても生き生きとして感じがよいので、わたしが八歳だったら、いっしょに遊びたいくらいである。そして老婦人たちは、いつも手に編み物を持ち、ばら色で美しく、そして親切で、熱いお湯を飲み、自分の病気のことなどはなにも話さないでいる。

そして最後にこう締めくくる。


要するに、もっとも美しい子供と、もっとも生き生きした老人たちを作り出すことができた国は、涙の谷である現世の中で、もっともよいものを確かに持っているのだ。

今のこの国にチャペックが旅したとしたら老人と子供たちを見てどのような印象を残すのだろう。「涙の谷である」世間に私たちは、どんなよいものを持っているだろうか。


 著者自身のイラストも掲載されているが、絵筆も立つ人だ。今後「チェコスロヴァキアめぐり」、「スペイン旅行記」とちくま文庫から発刊される由。これから楽しみだ。

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漱石という生き方

 『漱石という生き方』(秋山豊著、トランスビュー社刊)を読む。
 冒頭に「ただ何かを導き出そうとして、これから文章を作っていくのではないことだけは確かである。私の希望は、漱石に寄り添って、よく彼の言葉を聞き取りたいということに尽きる」という一句が目に入る。このあと最近の文芸批評に対する苦言が呈されるのであるが、全体を通して読んでみると、この冒頭の一句に誤りはないこと、著者がほんとうに漱石に「寄り添って」いることがわかるし、漱石の「言葉を聞き取りたい」というのが、(一見謙虚に見えながら)単なる著者の希望ではなく、確乎とした著者の厳かなる宣言であることがわかる。
 それはすなわち、自分の読みで単純に「漱石」という人物と思想を割り切らないということであり、また割り切ることなどはそもそもできないという著者の洞察が冒頭に凝縮されていると読める。この「割り切れなさ/割り切らないこと」というものが本書を読むときのキーワードになるのではないだろうかと考えた。既定の批評理論で漱石を俎上にのせることは、著者はしないと言っているのである。
 漱石の人生は、その視点からすると、まさに「割り切れなさ」を生きつつ、それを悩み続けた人ではなかったかと思う。本書では『心』が最初にとりあげられ、「先生」の「生きることの淋しさ」から論じられるのであるが、その部分を読むと、漱石が「経験」と「経験を書くこと」を一致させることの不可能性にいかに悩んでいたかが窺い知れるのである。著者は漱石のこの真摯さに寄り添っていこうとしている。3節で引用されている『行人』の一節には



 「自分のしてゐる事が、自分の目的(エンド)になつてゐない程苦しい事はない」と兄さんは云ひます。(中略)
 兄さんの苦しむのは、兄さんが何を何うしても、それが目的にならない許りでなく、方便(ミインズ)にもならないと思ふからです。たゞ不安なのです。従つて凝っとしていゐられないのです。兄さんは落ち付いて寐てゐられないから起きると云ひます。起きると、たゞ起きてゐられないから歩くと云ひます。歩くとたゞ歩いてゐられないから走ると云ひます。既に走け出した以上、何処迄行つても止まれないと云ひます。止まれない許なら好いが刻一刻と速力を増して行かなければならないと云ひます。其極端を想像すると恐ろしいと云ひます。冷汗がでるやうに恐ろしいと云ひます。怖くて怖くて堪らないと云ひます。(「塵労 三十一」)


 とその苦しみが代弁されているように思われる。この点は終盤で著者の、そして人間一般の「変わる」ということの考察で深まりをみせ、39節の「片付かないということ」で晩年の漱石の姿を映し出してくれる。本質は細部によりよく宿るといわれるが、著者がこの部分で紹介している「片付かなさ」の些細な部分への着目はまことに鋭いものがある。それはたとえば、漱石初期の作品である『我輩は猫である』の猫が餅にかぶりついて抱いた感想(「歯答へはあるが、歯答へがある丈でどうしても始末をつける事が出来ない」)を引用していたり、漱石が答えを求められたアンケートに対する応対に歯切れの悪い「談話」を遺していたりする点を出していることから分かる。


40節は「生きる」と題され、漱石がまさに「書くこと」によって生きようとしていたことを教えてくれる。ここにとりあげられている『それから』の代助は、



 ・・・自己本来の活動を、自己本来の目的としてゐた。歩きたいから歩く。すると歩くのが目的になる。考へたいから考へる。すると考へるのが目的になる。それ以外の目的を以って、歩いたり、考へたりするのは、歩行と思考の堕落になる如く、自己の活動以外に一種の目的を立てゝ、活動するのは活動の堕落になる。(「十一の二」)


 と考える。アリストテレスは、『ニコマコス倫理学』で、「それ自体において追求されるものの方を、他のもののために追及されるものよりも、また、決して他のもののゆえにではなく好ましいものを、それ自体においても好ましく同時にそうしたもののゆえにも好ましいものよりも、より終局的なものという。そして無条件に終局的なものは、つねにそれ自体において好ましいもの、決して他のもののゆえにではなく好ましいものである。そして、そのようなものはなによりも幸福であると考えられている」と述べている。漱石が目指していたものはこうした生であったのだろう。「生きている」ことはすなわちその終局(テロス)であり、「生きている」ことが成立するために「生きている」ことの終わりは含まれない実現態(エネルゲイア)であるように、「書くこと」がすなわちテロスであるような作家生活を目指していたのだろう。
 その点で本書の中盤に28節「金の力」というところで、著者が漱石作品全般において金すなわち経済の問題が必ず絡んでいること、漱石が金に対して抱いてたアンビバレントな態度を指摘していることは非常に興味深い。この視点から漱石を論じた評論があるかどうかは浅学にして知らないが、漱石における経済と純文学は奥の深い問題であると思う。

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