一週間が過ぎて

 11月3日にブログを更新してからまる一週間ブログに向かうことなく一週間が経過した。多忙だったと自分に言いきかせるほど多忙であったわけでもなく、無為に過ごしたというほど無駄であったわけでもなかったが、(どこかの国会と同じように)空転という感じが適当な一週間だった。物事に取り組んでも成果がでないことはままあるものだ。そういうときはたいてい他のこともうまくいかないものでへんな連鎖現象である。renqingさんからはコメントをいただいていたが、すっかり公開するのが遅くなってしまった(ご寛恕のほどを)。
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翻訳と脳の関係

 『言語の脳科学』を読んだとき、その最後の章で奇妙な失語症のことが紹介してあった。それは、日ごと週ごとの時間経過で失語症となる言語が入れ替わるという現象だ。これは「交互対抗性失語症(alternate antagonism)」といわれる。その報告によると第一言語では流暢にしゃべることができるのに、第二言語ではうまくしゃべれることができない。しかし数日経つと逆に第一言語がうまくしゃべれなくなり、第二言語を流暢にしゃべるようになる。そしてまたしばらくすると逆になるという。言語の理解については、いずれも正常なのはいいとして、驚くのはこの二つの言語間での翻訳に非対称性があることである。その時点で流暢に話せる言語からもう一方への言語の翻訳は問題なく可能だが、その逆はできなかったという。言語の発話に障害があるならば、その言語に訳して話すときに障害が現れるはずだが、実際はその逆なのだ。
 翻訳というのが二つの言語の理解と発話の両方から独立した認知機能だというのはたいへん興味があることだ。
 この本の前に読んだ『声、意味ではなく』の冒頭には翻訳の理論と分析が既存の領域内で論じられていることへの違和感が述べられている。翻訳がある言語から他の言語への単なる置換ではないことが著者の次のようなことばに感じられる。

 翻訳という行為自体、その実践において、果てしない<読み>の反復を不可欠なプロセスとして含意する。主体と客体をめまぐるしく入れ替えながら、ことば一つひとつに眼を凝らし、同時にその一つひとつがテクスト全体のどこに、どのようにかかわっているかを見失わないようにして、読む。その間、どう書くかという問いかけと、どう書かれているかという問いかけとが、たえず交互に発せられる。(中略)融通無碍に変幻を繰り返す主体と客体-それは、<読み>の、そして<翻訳>における<自由間接話法>のようなものだ。

 翻訳という作業が言葉だけではなく、テクストを考慮しなければまともにできないということは脳科学的にも意味のあることではないだろうか。

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時間がかかる本

 『新デカルト的省察』をぼちぼち読む。ローギアで登山道を登るような読書である。秋の夜長にはもってこいか? 改めてデカルトの哲学がそれ以後の哲学の源泉であることが分かるような気がする。齧り読みで「現前の形而上学」などといって簡単に否定されてしまうものではない。他人の頭が出した否定の結論をそのまま鵜呑みにすることほど馬鹿なことはないだろう。
 他の本も間に入れながら読んでいくことにする。
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追記

 昨晩は『道徳哲学講義』の記事が中断してしまったので、昨日投稿した記事に追記した。
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本の整理完了

 書き溜めたブログの本の感想をようやく整理した。ひとまずは大きく分けたジャンルに放り込んだ。これからしばらくこの分類で続けてみることにする。使いづらくなれば、その時にまた分類することにする。自分の部屋の本は相変わらず散らかしっぱなし。本棚がないから仕方がないか。
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読書再開

 八月の最終週は、「宿題」を片付けるためにブログも一時お休みだった。また今日から読書を再開できるのはなによりの幸せである。
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ブログという空間

『メディアと倫理』を読んでから、去年からつけ始めて細々と続けているブログで私は何をしているのだろうとふと考えた。日記風に拙い読書感想文を綴りつつ、それを「公開」することで、私はどのような形で社会に参加しているのだろうか。



 自分の身辺雑感を日記という形で記録して公開するというブログは、日記の持つプライベートな側面と、HPのもつ公共的側面を併せ持っている。この二面性がどのような可能性をもっているのかまだ十分自分でも分かっていないような気がする。


同時に気になるのが、『メディアと倫理』で論じられているような、存在論的に「ひきこもる」人々である。彼らはいったい何を欲望しているのか。著者の指摘するように安閑とした自分の空間をかき乱す事件に対して怒り、それをネットにぶつけているのか。そうすることでスキッとしたいだけなのか。ユダヤ人の存在がむかつくから殴ることによりスキッとするスキンヘッドの輩と同じ心理なのだろうか。        
 完全なひきこもりであれば、そもそも日記を公開する必要はなく、自分の部屋で好きなことをしていればいい。しかし彼らはまったく世間という回路から断絶しているわけではなく、私秘的空間に閉じこもり、匿名性というシールドに守られながらその匿名性を逆手に取り容赦ない罵詈雑言をネットの公共空間にまきちらす。それはまったく一方向的な連絡路であり、相手に言葉を吐きかける口はもっていても、聞く耳はもたない奇形な容貌である。そこにネットの双方向性から生まれる可能性は存在しない。燃え盛るネットでの不謹慎な発言を見ながら愉悦に浸っている姿は、自分で放火した火が燃え盛るのをほかの野次馬に混じって遠目で楽しんでいるものと同じだろう。
 さまざまな人々が混在するネット社会でどのような倫理を構築することができるのか、そしてこの混沌からアーレントの望むような公共空間を私たちは生み出すことができるのだろうか

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送別会の季節

 この時期は毎年のことながら送別会が目白押しとなる。送別される人はたいてい複数の人間関係のグループに所属しているから送別会も複数開催される。送別されない私もいくつかのグループに所属しており、そのそれぞれからその人の送別会の案内が来るので、自ずから送別会に複数回出席することとなる。送別される人は一人ではないからこの時期連日送別会に出席することとなり、場合によっては同日になったものについてはいろいろな重みづけで詮衡してその一つに出る。
 連日こういう状態だと当然夜の読書はできない(ただでさえ本を読む時間がないのにこれは非常に不幸なことだ)。会によっては(送別会があるからといいつつ)早く家に帰って一人で本をこっそり読んでいたいという誘惑に駆られることがある(こういうとき読書は密かな悪徳だと思い、こっそり笑うのである)。
 会に出たくなくなる理由の一つには、送別が必ずしも別離を意味しない会が多いからである。葬儀ではなく送別ならばまた出会うこともあるしと思うからである。現在のように携帯やメールが普及した時代になると遠くへ行ってしまうという実感がなおさら伴わなくなる。二つ目に送別される人より送別する人が多すぎてやたら挨拶(しかも判で押したような挨拶)を聞かされること(これは送別される本人の方が大変だと思う)。三つ目には当然ながら出費がかさむことである。送別の時にけち臭いことは言いたくないが、こうした出費がかさむと当然本代が減る(これも不幸なことだ)。いつぞや送別会に出席する途中に本屋に立ち寄ってしまい、本を買ったら出席する会費が足りなくなって慌てて家に帰ったこともあるし、会費のために泣く泣くその日は本を買わずに本屋を後にしたこともある(この点古本屋だとなじみの主人に取り置きしてもらえるのでありがたいことだ)。こうした諸事情を考察しているとますます外出が億劫になってくる。
 とはいいつつもまたこれから送別会である。やれやれ。
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雪の日

 今年は、というか去年から雪がよく降る。先月の初めはまだ福岡は例年より温かく、コオトも要らないくらいであったが、その後急速に冷え込み例年になく雪の多い師走であった。北国では雪の被害が多発しており、自治体の除雪費用も底を尽きつつあるという。 雪が起こす悲劇というべきか、あの細かく軽い雪の粒で人が死ぬなんて。


 今日は成人の日。自分の成人の日のことは、遠い過去となってしまったが、二十歳の頃に降った雪とはどんな雪であったのか。



幼年時
私の上に降る雪は真綿のやうでありました     

少年時
私の上に降る雪は霙のやうでありました


十七-十九
私の上に降る雪は霰のやうに散りました


二十-二十二
私の上に降る雪は雹であるかと思はれた     

二十三
私の上に降る雪はひどい吹雪とみえました


二十四
私の上に降る雪はいとしめやかになりました・・・・・・


中原中也の二十代前半に降った雪はかなり冷たく厳しいものだったのだろうか。この『生ひ立ちの歌』が収められている『山羊の歌』というのは、古代ギリシャでいえば、悲劇tragoidiaのことだけど、いとしめやかに降る雪も悲しい雪だったのだろうか。

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イオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト

 今日は1月7日、ガリレオは1610年のこの日の夜から3月2日までに及ぶ木星の観察から4つの衛星を同定している。このことは『星界の報告』に書かれており、その時彼が使ったのが自製の「筒眼鏡」である。これはtelesocopiumと名づけられており、今の望遠鏡にあたる。倍率は約30倍だったという。この望遠鏡は「あるオランダ人」が作ったとされている。 ガラス球に光の屈折作用があることは古代ギリシャ時代から知られており、眼鏡は13世紀末にはイタリアで発明されている。ガラスの研磨技術が発達してガリレオの時代に精密な観察が可能となった。 眼鏡から望遠鏡への発展は今からするとなんということもないような気がするが、当時からすれば紙飛行機から実際に空を飛ぶ飛行機のような飛躍ではなかっただろうか。 その後まもなく顕微鏡が発明され、人間の認識範囲は肉眼の世界から一気にマクロコスモスとミクロコスモスへと拡大する。 今から約400年前のイタリアの夜空はどんなだったのだろう。 
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