烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

「退化」の進化学

2007-01-20 23:45:03 | 本:自然科学

 「退化」の進化学を読む。
 発生学や比較解剖学の立場からヒトの人体構造に隠されている祖先の名残が紹介されている。耳小骨の起源を辿るとサメの顎に求めることができるというのは、知っている人は知っているという比較解剖学的知識で、本書でも図解されている。この部分だけでなく本書では適宜図で説明されているが、ここの顎、耳のところや口蓋の解剖は複雑なところなので平面的な図では理解が難しいのではないかと気になる。実際の解剖がある程度わかった人が見ると、理解できる図解でも全く耳の構造や口蓋の構造がわからない人には三次元的な配置を頭の中で構成するのは難しい。一般向けの解説書なので、図にもう少し工夫が欲しい。
 ヒトの尻尾や「第三の眼」、副乳など退化してしまったものから眺めるとヒトは、神様が創造したような立派な代物ではなく、リフォームを繰り返しつつ建てかえていった建築物であることがよくわかる。
 興味深かったのは、霊長類で認められる発情期の外見的変化(発情期の雌の尻が赤くなるなど)が、ヒトでは消失したという点だ。ヒトでは排卵期に基礎体温がわずかに上昇するだけだから雄は雌の発情を視覚情報から確認する手段がない。

 発情期の消失はふだんの社会行動をさまたげる性的な熱狂の期間がないため、人類進化に最高に重要な発展だとされる。発情期がないことで子育て期間が延長でき、性的環境がおだやかになって雌雄関係がわりと永続的になったのである。

と書いてあるが、これはどちらが先のことなのだろうか。安定した雌雄関係を築くことができるようになったから発情期が消失していったのか、それともその逆なのか。採餌との関係も指摘されている。

 食と性は関連しているので、家畜化は繁殖の周期性に変化をきたすことが多い。野生生物の多くはとらわれるとまったく交尾をしなくなる。ところが餌(食事)の心配をしなくてすむようになった家畜は事実上いつでも発情する。ヒトは自己家畜化動物だとよくいわれるが、食事の心配がなくなったのは農業がはじまった完新世(現世)以降で、人類進化でもわりと最近のことである。狩猟採集にあけくれる部族ではいまでも春にしか出産しないという。

もしそうならば発情するというのはかなり環境により可変的なシステムであるということになる。発情していることが目でみてわからなくなったことで、より細やかな表情などを読み取る能力は発達したであろうし、言葉によるコミュニケーションは欠かせなくなっただろう。そして確実なことは、表情や言葉により発情しているのにそうでないように、あるいは逆を装うような騙しの能力も数段進歩したであろうということである。