「物の単なる概念においては、物の存在のいかなる性格にも出会えない。なぜなら、物の概念がたという完全で一つのものを、それのすべての内的規定によって思考する上で、少しも欠けるところがないとしても、物の存在はこれらすべての[概念]規定と何の関係もなく、関係してくるのはただ、そのような物がわれわれに与えられ、概念より物の知覚がいずれにしても先にありうるのではないかという問いだけである。なぜなら、概念が近くに先行するということは、物の単なる可能性を意味するにすぎないからだ。しかし概念を素材に提供する知覚こそ、現実の唯一の性格なのである。
『純粋理性批判』(イマニュエル・カント)