都市の詩学

 『都市の詩学』(田中純著、東京大学出版会刊)を読む。
 私たちの先人たちが住まい、そして今私たちが住まっている都市という生き物の無意識への階段を降りていくような試論集成である。本書の人名索引を見ると、ベンヤミンそして中井久夫、ギンズブルグが随所に引用されていることがわかる。これらの著作が重要であることが一目瞭然である。事実本書の跋に曰く、「ベンヤミンの都市論は、わたしにとって、つねにそこに立ち返りながら旅を続けるための母港のような場所で」あり、「海図もない航海を終始導いてくれたのが、中井久夫氏のテクストだった」と。そして第1章で登場する建築家アルド・ロッシの都市分析は、「類型を求めて自分の生を逆行しながら狩りをする狩人の知、カルロ・ギンスブルグの言う「徴候的な知」であり、いわゆる「セレンディピティ」による知であろう」と述べている。
 都市を解読するために私たちは徴候を敏感に嗅ぎ取る狩人であることが要求されている。そしてここでテクストとしての都市を解読するために地霊(ゲニウス・ロキ)が召還されるのだ(第3章)。土地(という無意識)は言語として構造化されており、ここで使われる言葉は修辞学的なトポスと不可分である。



場所は、空間的なものであるにとどまらず、意味を産出し分節化する修辞学的な性格をもつ。ゲニウス・ロキとは、歴史的な経過によってさまざまな記憶が包蔵された、重層的な意味を産出する場にほかならない。


・・・響きにおいて感覚的なものを残す土地の名は、おのずと無意識の詩学に従う。無意識は修辞学を駆使する。そして無意識がなかでも愛好するのは人名や地名といた固有名の操作なのだ。


ここでフロイトのヘルツェコヴィナへの道中での有名なエピソードが引用されている。なるほどと思わず頷く。


そしてゲニウス・ロキが関わる「パトス的な記憶」(中村友二郎)が「徴候的な知」であると述べ、中井久夫が「観念は匂いに似ている」という洞察を引く。「都市に陶酔する遊歩者とは、そんな獣的官能を備えた巧みな発見者である」ならば、ベンヤミンが指摘しているようにパサージュを歩く遊歩者は、蜜の匂いに陶然となりつつ花の奥へと吸い込まれていく昆虫のように、都市の無意識の深奥へと誘惑され下降していく者たちに違いない。だから「遊歩者にとってはどんな街路も急な下り坂なのだ」。
 彼らが歩くパサージュが一つの「ヴンダーカンマー」(=クンストカンマー;驚異の部屋)と見なしていたということが第12章で書かれていた。これはつい先日ヴンダーカンマーの本を見たばかりであったので、たいへん興味をそそられた。



 陶酔状態で町を彷徨う遊歩者は、珍品奇物のような「驚異」としての街路風景や街路名との遭遇に驚き、その「驚異」に酔う術を知っていた。ベンヤミンがアジェの都市写真やシュルレアリスムに見ていたものも、「痙攣的」な美としての驚異だった。そのとき都市とは、驚きの対象を透明な記号に変換することで既知のものしか発見することのできない「驚異的占有」にいたる知ではない、別の知、別の経験の場でなければならなかった。


類稀なる嗅覚を備えた著者による都市の胎内への旅行記はとても刺激的である。


少し気になったのは、こうした都市というものが、現在人間の行動特性を先読みして設計したような建造物によって変貌しつつあるのではないかという点である。第14章では都市とアフォーダンスの関連が述べられているが、そうした人間のアフォーダンス特性を利用して、まったくごく自然な形である場所での滞留時間を短くしたり、人の流れをある場所へ誘導したりすることが可能である。そこでは陶酔して迷うことすら設計された想定範囲の行動となるはずだ。そうして設計された都市にはいったいどのような無意識が宿ることができるのだろうか。

それと以前読んだ『ベンヤミンの迷宮都市』(近森高明著)はもう一度読み返してみなければと感じた。

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なにも見ていない

 『なにも見ていない』(ダニエル・アラス、宮下志朗訳、白水社刊)を読む。
 訳者あとがきによると、著者はイタリア・ルネサンスを専門とする美術史家でヨーロッパでは著名であるという。絵画の解読を主題とした本で、ティントレットの「ウルカヌスに見つかったマルスとウェヌス」、フランチェスコ・デル・コッサの「受胎告知」、ブリューゲルの「東方三賢王の礼拝」、ティッツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」、ベラスケスの「ラス・メニーナス」についてそれぞれの章で冒頭にその絵を掲げ、解読していく形をとっている。マグダラのマリアの章だけは著者自身が掲載した絵画はなく、訳者により絵画が選ばれている。各章の語り口はさまざまで、書簡形式だったり対話形式だったりと通常の絵画論とは趣が大いに異なりとっつきやすい。煩瑣な文献学も登場せず、絵画とまず向かい合って「ちょっと気になる」絵画の一部分から大胆かつ刺激的に読解を進めていく。その気になる部分は、ウルカヌスの体位であったり、受胎告知の場面になぜか登場しているカタツムリであったり、登場人物(三賢王の一人ガスパール)の眼差しだったりする(特に面白かったのは受胎告知に描かれているカタツムリの意味の解読だった)。
 原題の『On n'y voit rien(何も見ていない)』という意味がそれぞれの章を読んでみるとなるほどと分かってにやりとさせられるというのは、ちょっとした短編小説を読むような面白さがある。絵画という「目に見える」ものを描くという手法で、いかに「目に見えない」ものを表現するのか、そして私たちは「目に見えない」ものをいかに欲望しているのかということについて教えてくれる。

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肖像写真

 『肖像写真』(多木浩二著、岩波新書)を読む。肖像写真を見ることは、単にその写真の人物を見ることではない。その写真の被写体を通して写真家がどのようにその時代と人間を見つめていたのかを感じることができる。この本では、異なる時代に生きた三人の写真家を取り上げ、彼らの作品とエピソードを紹介しながらそれぞれの時代と写真家を浮き彫りにしている。取り上げられる写真家は(1)フェリックス・ナダール(1820-1910)、(2)アウグスト・ザンダー(1876-1964)、(3)リチャード・アヴェドン(1923-2004)である。気球を使った都市景観の撮影も行ったナダールの被写体は主にブルジョアの知識人たち。ザンダーの被写体は匿名化された人々。アヴェドンは被写体の背景は白い空白として彼(彼女)たちの表現としての肖像を撮影した。

ナダールは自分の好みの人物たちを選び、彼らをできるだけ自由な状態に置きたいという応対をしながら相手を見ていた。ザンダーは、ピンからキリまでの人間のだれにも共感を抱きながら見ていた。アヴェドンは決して冷淡ではないが、善人に対しても悪人に対しても、権力者にも犠牲者にも、できるだけ冷やかで空虚な視線を投げかけた。

 顔とその表情というのを私たちは単なる対象として見ることができない。これはコミュニケーションする生物として今まで進化してきた人間の宿命だと思うのだが、私たちは必然的にそこに意味を読み取ろうとしてしまう。さらには自然界のいたるところに表情を見ようとしてしまう。意味を時間軸上に展開したとき、それは観相術になる。相手から眼差されたとき、どう対応するかを迫られる(少なくともそう感じる)。このとき私たちの脳はフル回転で記憶を呼び覚まし対応を瞬時に決める。肖像写真では眼差されるが、そうした対応から私たちを解放する。好きなだけその被写体を眺めることができる。この非対称的な視線のやり取りによって眺める私たちはさらに多くの意味や物語をそこに読み取る。これら三人の作品を眺めてくると、写真というものが最初は被写体が語るものを受け取るという感じであったものが、写真によって語らせる、仮に虚構の物語であろうと積極的に語らせるものに変化してきたことが実感できる。
 興味深いアヴェドンのエピソードが紹介されていた。ボルヘス、ベケット、フランシス・ベーコンを撮影したときのエピソードである。

アヴェドンは彼(注;ボルヘス)が盲目であることに不安を感じていた。さらにブエノス・アイレスに向かう機上で、ボルヘスが一生ともに暮らしてきた母親がその夕方死去したことを知った。撮影はキャンセルだな、とアヴェドンは思った。ところがアヴェドンは招じ入れられた。暗い中にボルヘスは座っていた。それからアヴェドンにキプリングの詩をとってこさせ、そのなかのひとつを朗読させた。母親の遺体はとなりの部屋にあった。それからしばらく会話。やがて明るくしてもらい、感動に胸一杯になりながら撮影した。しかし写真はよくなかった。

ベケットは単純明快にパフォーマンスを拒絶した。アヴェドンが撮影の準備をしていると、ベケットは「これは私にはひどい苦痛なんだ」と言った。アヴェドンはベケットの意向を尊重し何枚か撮ってやめたが、撮れたかどうか不安だった。だがベケットの肖像はよく撮れていた。

ベーコンの場合はうまくいった。パリのトロカデロの近代美術館の影になったところをスタジオにして待っていると、彼はいかにも写真を撮るんだという派手な恰好として現れた。いろいろ話をしているうちに、意図を理解してジャケットを脱ぎ、アヴェドンの着ていたなんでもないセーターに着替えてくれた。そして一切の余計な身振りをやめ、自分自身に戻ってくれた。ベーコン以上にベーコンを演ずることはできない。それを完璧にやってくれたのだった。

 

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美のバロキスム

 『美のバロキスム』(谷川渥著、武蔵野美術大学出版局)を読む。著者の講義・講演をまとめたもので、全部で五章あるが、どこからでも読める。
 古典時代からバロックにかけての西洋絵画の様式の変遷が分かりやすく解説されているが、「バロック」に対してどういう態度で臨むのかということから美学の問題が発生しているという点が興味深かった。

 反バロックとしての美学というかたちで近代が始まったということに注意しておかなければいけません。

 ブルクハルトの弟子ヴェルフリンが視覚形式という視点からルネサンスとバロックを対置させ提示した五つの概念(線的/絵画的、平面的/深奥的、閉じられた形式/開かれた形式、多数的統一/単一的統一性、絶対的明瞭性/相対的明瞭性)はいささか形式的にすぎるが、様式が歴史の中で展開していくなかでその中に潜む普遍的な美を剔出しようとする営みが美学の欲望なのである。ここにカントの『判断力批判』の美の無関心性の問題が交差する。美に普遍性があるのか否か、この問いは狭く藝術についての問題ではなく、人間の啓蒙とも大きく関係する問題であると思う。これは藝術を「理解する」ということにも関係する。藝術を理解することと、感得することはどう関係するのか。これは他者に対する理解と共感の問題でもある。
 これほど多様な生物が繁栄していなければ生物とは何かという基本的な問いが問われなかったかもしれないように、過剰な物質性を示すバロックが発展しなければ美とは純粋に何かという問いは問われなかったかもしれない。
 

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処女懐胎

 『処女懐胎』(岡田温司著、中公新書)を読む。
 以前中公新書から出版された『マグダラのマリア』に続くキリスト教美術の図象を読み解いていくシリーズの第二弾というべき本で、今回は聖母マリアが取り上げられている。まず処女懐胎の神話的起源を遡り、ギリシャ=ローマ神話世界における処女の神聖性について紹介されている。しかし処女の神聖性が崇拝されているように思われるが、必ずしもそうではなく処女のままのマリアを孕ませた男性性の神秘な力のほうに力点が置かれていたことに著者は注意を喚起している。アリストテレス的に言えば、女性はあくまで子供の質料を提供するにすぎず、男性が形相を与えるのである。こうした生殖観は、福音書における語用にも現れているという。子を「産む」あるいは「宿す」という意味のギリシャ語は、「ティクトー」と「ゲンナオー」ガアリ、前者は母体に、後者は父系にかかわるニュアンスが強いという。英語では、前者がconceive、後者がgenerateに当たるのだそうだ。父方の系統によって子々孫々が生み出されていくというわけか。
 その後、受胎告知をテーマにした絵画にどのような図象学的特徴が見られるのかが解説されている。マリアが天使から受胎を告げられる場面というのは、数多く描かれているが、出産のその瞬間という(より劇的なはずである)場面は皆無に近いという。まああまりにも生々しいから聖母のイメージにはふさわしくないと芸術家は判断したのであろう。これは確かに現代においてもアイドル的存在の出産についてもいえることであろう。十六世紀後半に対抗宗教改革がさかんになると、キリスト教の神秘である「受肉」をマリアの膨れたお腹で表現することも憚られるようになり、ティッツィアーノやエル・グレコなどの絵では受胎告知の場面さえも神秘的に描かれるようになるという。
 つづく章では、マリアの「無原罪の御宿り」に関する神学論争を紹介し、それがどのような工夫で図象化されたかが書かれてある。絵画は描くことで存在を示すわけだから、「無」原罪という否定的なものは直接は描くことができない。そのため教父や神学者たちの議論の場面を同一画面に描いたり、マリアの純潔を示すシンボル(エッサイの若枝、染みなき鏡、谷のユリの花など)を同時に描くことが行われる。その後時代が下りバロック時代になるとそうしたある意味余計なものを排し、ひたすら美しいマリア像を描くということに焦点が合わされてくる。ここでマリア像が異教的雰囲気をまとってくるという逆説的な状況を著者が指摘していることは面白い。
 その後にはマリアの夫であるヨセフやマリアの母であるアンナの像がどのように描かれていたかを紹介している。面白かったのはまだマリアと性交渉していないのに妻のお腹が大きくなってきたことを目の当たりにしたヨセフという男性が当初冴えない老人に描かれていたのが、時代が下がるに連れ、「聖家族」の父親として大きな存在意義を持たされ、次第に立派に描かれるようになったという点である。ヨセフの復権を唱えられた後、この分野は「ヨセフ学」という進学分野にまで発展したことは初耳であった。一方アンナは、マリアの賢母としての役割が強調されていく。このあたりは、社会的状況に絵画の主題が大きく影響を受けていたことがわかり、引用されている絵画とともに比較してみていくと楽しい。
 それにしてもマリアが無原罪かどうかを巡って神学論争が戦わされたことは、現在からみると滑稽な感じがしないでもないが、超越した存在が世界の「中」から生まれるという構図においては、必ず出てくる問題であると思う。一方はマリアの無原罪を認めると、キリストは普遍的な贖罪者であるはずなのにそれが弱められると主張(トマス・アクィナス)し、他方は逆にキリストの卓越性こそがマリアの無原罪性を要請しており、無原罪はその結果であると主張する(ドゥンス・スコトゥス)。後者によればマリアは、原罪から身を守る(予防)するためにこそキリストの恩寵が必要であったとされるのである。これはわれわれのように事後的に贖罪をしてもらうのではなく、事前に贖罪をしてもらうということだから「予防的贖罪」というのだそうだ。イタリア語ではこの「予防の」は「プレセルヴァティーヴォpreservativo」というのだそうだが、これにはコンドームという意味があるんだそうだ(私はイタリア語は分からないが、確かにこの単語を打ち込んで検索するとそのものの写真が見つかった)。
 しかしマリアが原罪を免れていたとするならば、その母であるアンナも無原罪である子をどうやって孕んだのかという問題がでてきて、さらにその母は・・という無限後退になりそうだが、そのあたりはどのように議論されたのだろうか。

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マネの絵画

 『マネの絵画』(ミシェル・フーコー著、阿部崇訳、筑摩書房刊)を読む。
 フーコーがマネについて行った講演録とフーコーのマネ論を巡るシンポジウムに基づく論文集が掲載されている。フーコーの講演自体は本書で3頁から45頁まででごく短い。その中でフーコーは、マネが印象派の先駆者というだけではなく、従来の絵画との大きな断絶を指摘する。それまでは絵画は対象をその画面の中に描きながら、あたかもそれが絵ではないかのように装うこと、「絵画」性を隠蔽するようにすることが伝統であった。鑑賞者に対してある一定の鑑賞位置を指示する作用を持っていた。しかしマネは絵画が覆い隠すようにしていた「キャンバスの物質的特性、性質、そして限界を再び出現させ」、鑑賞者はその前で自由に移動が許される「色を塗られた<もの>としてのタブローを甦らせた」とフーコーは述べる。このテーゼをいくつかの作品を例示しながら裏付けていくという構成になっている。
 「オランピア」という絵画を説明したところでは、その対象である女性の裸体を照らし出す照明が真正面から来ていること、すなわち鑑賞者の視点の側から来ていることが、それまでの同様なポーズをとっている裸婦の絵(例えばここで取り上げられているティツィアーノの「ウルビノのヴィーナス」)とは異なっており、そのことがこの絵を観るに耐えないといわせたスキャンダルにさせたのだと説明する。伝統的にヴィーナスという女神がとっていた姿勢で、当時の売春婦を描いたことがスキャンダルとされたと思っていたが、むしろ照明の問題であるということを指摘したのがフーコーが最初だったのかどうかは浅学にて知らないが、面白い切り口だと感じた。鑑賞者の側から裸婦が照らし出されるということは、まさに鑑賞者が正面からその裸婦に視線を投げかけているということになるわけで、この絵を観ることは、すなわち裸婦を見つめるという不道徳に見る者を否応なく巻き込んでしまうのである。
 だとするとそれまでの裸婦を描いた絵画を見るということは、まず描かれた対象がヴィーナスなどの女神であること、対象を浮かび上がらせる照明が絵を観る側からではないところから来ていることによって、その不道徳性、というのがいいすぎならば気恥ずかしさを免罪していたということになる。ルネサンス以降の西洋絵画はさまざまな神話的事件、歴史的事件を描きながらそれを鑑賞する者の視線は度外視されていたのだ。鑑賞者の在不在にかかわらず、そうした事件は起こっているのであり、普遍的価値のある、それゆえ描かれる価値のある対象であるというわけだ。ところがマネの絵画はその場面に鑑賞者がひきずりだされ、自分の視線を否応なく自覚させられる。視線を投げかけていることを自覚することにより鑑賞者はその対象から見つめ返され、対象化されてしまう。そのなんともいえない居心地の悪さがスキャンダラスだとされたのであろうか。これは窃視者の位置に鑑賞者を置くのに似ている。私たちは裸婦を見つめている自分の姿が見つめられているという視線の構図の中に取り込まれてしまうのだ。窃視者のようにそれにより性的興奮は覚えないにしても。
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西洋音楽史

 『西洋音楽史』(岡田暁生著、中公新書)を読む。
 中世では「ドミソ」は不協和音であり、「ミ」の音は入ってはいけない音であったということを知ってまず意外だった。ピタゴラスが弦の比率と音階の数学的関係の中に世界を作り出す数を見たように、音楽が当時は楽しむためのものではなく世界(当然神が創造したところの世界)の秩序を知るためのものであったということはまず知っておかねばならない。中世の人びとにとっては、音楽に三種類あり、まず神が創造した世界の中にある調律としてのmusica mundana (世界の音楽)、そしてミクロコスモスである人間の中の調律としてのmusica humana(人間の音楽)、最後に一番下位に位置するmusica instrumentalis(楽器の音楽)である。世界の調律に比べれば、人間が作った不完全な楽器で奏でる音楽は不完全もいいところの代物だったのだろう。それで神の世界をうかがい知ることが重要であるとすれば、例えばパイプオルガンに人の耳では聴き取れない音を出す鍵盤があったとしても不思議なことではないだろう。
 次に面白かったのは、(時代は大きく隔たるが)いわゆるクラシック音楽の中枢に位置するドイツの音楽とそのナショナリズムとの関係である。



 十九世紀とは、それまで音楽史的にどちらかといえば後発国であったドイツが、西洋音楽の覇権を握った世紀だった。ドイツ語圏には、すでにハイドンやモーツァルトやベートーヴェンやシューベルトがいた。そこに加えて、バッハというさらに途方もない作曲家が発見されたのである。「世界に冠たるドイツ音楽の偉大さ」の神話的起源の歴史的証明として、これ以上のものがあっただろうか。(中略)リストやワーグナーの「未来音楽」の概念やマーラーの有名な「やがて私の時代がくる」という言葉を思い出すまでもなく、ドイツ・ロマン派は「偉大であるがゆえに同時代には受け入れられなかった芸術家の苦悩」といったストーリーが大好きだった。


 また哲学と音楽の関係にも著者は触れていて、



総じて十八世紀までの哲学者は(中略)音楽をさして重要視してはいなかった。カントは音楽のことを「単なる快楽」としか考えていなかったし、ヘーゲル(彼はロッシーニの大ファンであったが)においても事情は大同小異である。ところがショーペンハウアーとキルケゴール以後の哲学者たちは、諸芸術の中で音楽に最も高い地位を与えるようになる。その典型がいうまでもなくニーチェである。


 このあたりにどのような思想史的変化があったのかは興味深いところである。神を殺してしまった時代に人びとは宗教的な感動ではなく、音楽的な感動を求めたのだろうか。十九世紀に産業革命が進んでいくのと同時に心霊現象がもてはやされるようになる(これは神なき時代の神の人形芝居ではないか)。まさに著者の指摘するように、この時代の「ロマン派音楽とは「ロマンチックな時代のロマンチックな音楽」などではなく、「どんどん無味乾燥になっていく時代だったからこそ生まれたロマンチックな音楽」なのである」。

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芸術と生政治3

『芸術と生政治』を続けて読書。
 
第5章では、絵画の作者を鑑定する方法論と犯罪学での鑑識法が共有する「科学的」思考法の共通性を指摘する。
 
絵画の鑑定法で「モレッリ方式」と呼び習わされている方法があるという。これは「絵の作者を割り出すには、全体よりも、個々のモティーフ、とくに描かれた人体の解剖学的な細部(しかも指先や耳朶や目尻などの先端部)に、したがって、絵画的なものよりもむしろ線描的なものに、あるいはこういってよければ、筆跡学的な特徴にもっぱら注意を集中させよ、というもの」である。
 
細部の徴候から全体像を推理するというシャーロック・ホームズのようなこの方法論について、著者は本家本元のジョヴァンニ・モレッリ自信が必ずしも忠実ではなかったことを三作の絵画を例にとり説明するとともに、この「実証的」方法論は彼が若い頃に学んだ医学、比較解剖学の思考法から影響を受けていることを指摘する。モレッリ(1816-1891)は、古生物学のルイ・アガシ(1807-1873)の同時代人であり、アガシもミュンヘンで比較解剖学を修めている。解剖学的な細部の重要性をことさら強調するモレッリは、鑑定を科学の地位までに引き上げようとする意図があったと著者の推理は冴えわたる。


 そしてこうした絵画における鑑定の思考法が、犯罪学における鑑識の思考法とほぼ同時代に成立し、お互いに共通していることについて次のように指摘する。




重要なのは、鑑定と鑑識という二つの同定法が、明らかに同じような原理を同じころに共有していたということである。一方では、西洋近代のブルジョワ社会の模範とすべき個人の肖像が、他方では、反対に忌避すべき個人が、もっぱら唯名論的に組み立てられるのである。(中略) 同一化と同一性にとりつかれた近代の、ちょうど表と裏の顔が、「モレッリ方式」と「ベルティヨン方式」である。


 このベルティヨン方式というのは、「犯人(とりわけ累犯者)を同定するのに、身体の細部、とりわけ変装や表情などによって変化をこうむることのほとんどない不変の細部-「耳」はとくに有効-に注目せよ」という方法論である。そしてこのパリ警視庁の人物もモレッリと同時代人なのである(彼は1853年生で1914年没)。そしてさらに犯罪者の細部の「徴候」にこだわった人物として犯罪人類学者のチェーザレ・ロンブローゾ(1835-1909)が登場するのである。19世紀末のヨーロッパという時代の空気から生まれた唯名論的パラダイムの中で、芸術鑑定と犯罪学が深層で同じ水脈から育ったというのは実に興味深い。

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芸術と生政治2

 昨日に引き続き『芸術と生政治』を読む。この第三章では、観相学、骨相学という当時の似非科学が、古代ギリシャの美的判断に基づいていたこと、それが科学の言説に大きく影響を与えていたことが示されている。オランダの解剖学者ペトルス・カンペルが提唱した顔面角の理論は、動物から人間への段階的推移を示す。すなわちオランウータンはその角度が58度と小さく、黒人から古代ギリシャ人へとなるにしたがって角度は大きくなっていくというのである。後に進化思想、遺伝学的思考と結びついて、人種差別的言説を形作るようになる。
 さらに時代は下がってベルギーの数学者兼社会統計学者アドルフ・ケトレは、人体計測をさらに徹底させ、ある年代の人間の測定値の平均から割り出して「平均人」なる抽象的存在を成立させる。ここで著者はカンギレムを引用しつつ、統計的な「平均」という概念は、いとも簡単に「正常」、「規範」という概念と結合してしまうことを指摘している。
 この規範概念が「美しさ」という芸術的判断に支えられていることは、そのいわゆる規範が「自然な」ものであることを何の論証もなく周知のこととして成り立たせてしまうことになるだろう。この「美しい」という判断には、多くの歴史的文化的要因が作用して成立しているものだということに、私たちは盲目になってしまう。


第四章では、絵画の「有機的」全体性というものが、自明なものでは決してないことを著者は論じている。もちろんこの淵源はピタゴラス・プラトン的哲学にあるだが、絵画の構図の変化から宗教改革の起こった十六世紀に「有機的な統一」という考え方が明確に現れるようになったという。この時期、



芸術家たちは、君主や国王の庇護のもとに組織されるアカデミーへと新たに組み込まれはじめる。また、このとき、対抗宗教改革の要請から、宗教画にまず何よりも求められたのは、高度な技巧性や洗練よりも、新ジャンたちにメッセージや主題を的確に伝えることのできる形式の明快さであった。


というから、たぶんに政治的意図が働いていたといっていいだろう。そしてある対象に「有機的統一性」が求められるとき、つねにそれを挫く「汚れ」の存在が生み出されてくる。これが「マッキア」といわれる「斑点」であり、「しばしば絵画=素描の表象再現性を危険にさらす」ものとみなされた。ラカン的にいうならばそれは不可能な全体性を欲望させるための装置である。
 非常に興味深いのは、こうした考え方が出てくる場合には、「汚れ」の存在が「病」とみなされ、それを回復させることがすなわち「治療し治癒させる」ことになるというメタファーが登場することである。ある対象を有機体としてみる比喩を忍び込ませると、続いて望ましくないものが「病」とされ、それを「矯正」、「治療」することが正当化されてしまう。そしてその作業を行う政治こそが生政治なのである。こうした概念が「いかにしてそれが生まれ、いかなる美的、政治的、司法的、医学的な言説として交差してきたのかを意識化しておくことは、わたしたちが容易くメタファーの陥穽にはまらないためにも必要なこと」であると著者とともに思う。

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芸術と生政治

 『芸術(アルス)と生政治(ビオス)』(岡田温司著、平凡社刊)を読み始める。
 第一章では、ベンサムのいうパノプティコンという一望監視装置の思考が、美術品を一般市民に広く公開するという近代的な美術館でも実は無縁ではないどころかしっかりと根付いているということを示している。美術品を「鑑賞する」目をもつ観衆をできない観衆から分かつ装置としての美術館という考え方は非常に刺激的である。それは何よりも感性的なものに訴えるが故に、逆らいがたい力を発揮するからである。美術品を眼差す観衆を眼差す視線が、内面化されればされるほどそこには無言でありながら強力な力が生まれることになる。大勢の群集に混じって「有名とされる」美術品を見るときに感じる一種の居心地の悪さというものは、なるほどそういう視線によって突き刺されているからなのかもしれない。


第二章の絵画の「衛生学」では、時間の経過とともに蒙る絵画の汚れについての考え方を紹介しながら、啓蒙の精神と汚れなき絵画という存在にいかに親和性をもっていたかを示している。1838年に開設されたナショナル・ギャラリーでは、英国民の趣味と教養を培うために貴重な教材たる絵画が黄ばんで汚れていることはタブーとされたのである。ここには、汚れた肌をもつ絵画は、病んだ病人であり、それをきちんとした元の状態に戻す修復作業は病を癒す医術にあたるという隠喩関係が成り立っている。
 イタリアでは汚れは真性な存在をかき乱す体系への侵犯であるという立場と時間の経過も名画を名画たらしめる重要な要素であるする主張がなされていたが、イギリスでは修復派が優勢であった。
  この過程で上に述べたように科学的立場に立つとする「衛生学的」思想が説得力を発揮したということは、美術という分野でもこうした言説の権力がものをいうということを知らされ非常に興味深いことである。さらに「ミアスム(瘴気)」理論という一見科学的な言説の装いをとりながら全くの憶説が、高貴な美術品とそれに群がる群衆という貴と賤という対立軸を導入していく過程は、似非科学的言説が容易に差別的権力と結びつくことを教えてくれる。
 また、時間の経過をある真正な存在からの堕落と解釈し、時間による腐敗を除去することがひとつの「救済」であると解釈されるのは、キリスト教的思想が基盤にあるためであろうか。
 それにしても作品をある時点で完成させた芸術家自身もその作品がどのような時間的経過で変容を遂げいくかが知りようもないことであるのだから、「真正」な存在ということ自体がありえない存在であるということは間違いない。高貴な芸術は不滅、すなわち時間とは無縁であって欲しいという欲望が、汚れを取り除いた向こう側にあるほんとうの芸術という幻想を抱かせるのだろう。そしてその幻想から権力が芽生えていくということだろうか。


 フーコーが『監獄の誕生』で示した内在化させる権力装置という概念の美術史への応用編といった感じの書物であるが、一見まったく個人的に思える審美的判断と権力という眼差しの密やかな結合関係を明確にして論じている点は、非常に重要な点だと思う。


 本書でも引用されている『知覚の宙吊り』(ジョナサン・クレーリー著、岡田温司監訳、平凡社刊)も平行して読書中だが、眼差しというものが一つの歴史的制度の産物であることを示していてこれも興味深く読める(ただ門外漢からみると、ここまで深読みするかなあというところはあるのだが)。
 *視線がすでにつねにある汚染を蒙っているものだということ、自然な時間経過という物言いの中にも特定の(欲望の)視点から述べられたものであるということ。

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