近代日本の誕生

 『近代日本の誕生』(イアン・ブルマ著、小林朋則訳、講談社刊)を読む。
 黒船来航による開国から現代までの日本の通史であるが、非常に軽快なテンポで読める。冒頭は、東京オリンピックの描写から始まる。敗戦後日本が国際社会に復帰して、平和と成長を実感した歴史的イベントで始まる近現代史というのも面白い趣向である。
 著者はオランダ生まれで、ニューヨークのバード・カレッジ大学の教授ということだが、視点は欧米側に偏ったという印象は受けない。要所要所で短いながら鋭い評言がある。例えば第一章の「黒船来航」のなかの「西洋から学んだもの」というパラグラフの末尾では、ペリーに随行した通訳官のサミュエル・ウィリアムズが日本人は「十分には啓蒙されていない民族」であるという点についてふれ、

ひょっとすると、日本人を「十分には啓蒙されていない民族」と見たウィリアムズの意見は、それほど間違ってはいなかったのかもしれない。世界中のどの民族も、完全に啓蒙されていることなどないからだ。ただ、啓蒙された人々は、どの国でもどの時代でも、周囲との軋轢と戦わなくてはならない。残念ながら日本では、その戦いに負けてしまう人が多かったのである。

と述べている。こういうことを書いておいて、第二章の「文明開化」のところまで読み進め「脱亜入欧」のところにくると、1870年代に讒謗律や新聞条例の成立により言論の自由が著しく制限されたことを紹介したあと、福澤諭吉の対応についてこう述べる。

福澤は、待ち望んでいた自由の目が摘まれるのを見て落胆したが、公然と抗議したりはしなかった。『福翁自伝』によると、「事実は、私が詳に記して」いたが、「人の忌がる事を公けにするでもなしに黙って」いることにしたのである。ある友人から意見を公にすべきだと説得されると、福澤は「御同前に年はモウ四十以上ではないか、先づ先づソンナ無益な殺生は罷めにしやう」と答えた。これと同じ態度を、その後の日本の知識人も繰り返すことになる。重要な何かが一八七○年代に死に、その後は若干の例外を除き、一九四五年まで完全に息を吹き返すことはなかったのである。

こういう記述を読むと、著者の批評眼の一貫性を感じるとともに、「クール」なとらえ方だと思ってしまう。
 また、敗戦後の歴史のところでは、東京裁判やアメリカの戦後政策についての誤りをきちんと指摘している。マッカーサーが天皇の戦争責任を問わなかったことに対し、

このため東京裁判という歴史の授業は、真実を歪め、政治的に問題の多い方向に進むことになった。つまり「軍国主義者」がすべての責任を負わなくてはならなくなったのである。軍国主義者が天皇を惑わし、日本国民を間違った方向へ導いたとされた。昭和天皇が往々にして軍部よりも詳しい情報を得ていたことも、国民が少なくとも戦争の初期には軍部による侵略を熱狂的に支持していたことも、うやむやにされた。さらに、制度上すべてに責任を負うべき人が無罪とされたことで、その人の絶対命令に従っていると思っていた者たちを有罪とする根拠もあいまいになってしまった。

と指摘している。マッカーサーが残した負の遺産についても、その欠陥を指摘し

平和主義は、その代償として自国の防衛をすべて他国任せにしなくてはならない。このため、戦後体制からの脱却を唱える右翼の声は今日まで衰えることはない。本来なら政治的意見が一致しているはずの憲法も、国民の意見は護憲と改憲の二つに分裂したまま現在に至っている。(中略)
 いずれにせよ、一つ言えるのは、日本は理想の国家を作ろうと懸命に努力したが、結果として歪んだ形でしか実現させることができなかったということだ。しかも理想が高かった分、かえって欠点が目立ってしまっているのである。

と述べている。
 自分の国の歴史を学び、自分の頭で考えること、自由に討議を尽くし自らの責任で決断をすることの重要性が一貫したメッセージとしてある。そしてまた日本の近現代史はその蹉跌の連続であったことがよくわかるのである。小粒ながらぴりりと辛い好著である。

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哲学の歴史4-2

『哲学の歴史4』のルターの章が意外と面白かった。ルターについては通り一遍の世界史の知識しかなかったし、その信仰の意味を深く考えてみることもなかった。一般の哲学史としても登場することは少ないのだが、この章の<信>についての記述を読むと信仰することが私たちの生活と疎遠な神学的問題ではないということを教えられる。

悔悛-悔い改めること-には宗教上三種類ある(これも初めて知った)。
1)痛悔contritio;自らが犯した罪を心から悔いることで、内面的なこと
2)告白confessio;自らの犯した罪を所定の形式で聴罪師に告白すること
3)償罪sacrament;告白された罪を償うために教会から課せられた行為をすること。
人間の犯す罪は深いので、死後もすぐに天国には行けず、償罪が済むまでには煉獄にいなければならない。教会はこれを早く償罪させてやるために聖人の積んだ善行を分け与えてやる権力をもっている。卑近な解釈だが、これはまさに存命中には払いきれないローンを肩代わりしてあげますよという制度である。善行と罪が互いに正負の関係となっており、その善行を商品のように譲渡可能とみなしているわけだから、このように経済的に解釈してもあながち具合がわるいこともなかろう。贖宥符販売をルターは非難したことは教科書的知識だが、この意味が大変深いことがこの解説を読むとよくわかる。問題はそうした批判ではなく、「善行」とはいったい何なのかということだ。私たちは素朴に善い行為というものがあると思っている。ある行為となした結果が善いことである場合に、それを善行と呼んで称揚する。これはその行為の結果を一つの「作品」とみなすようなもので、成果は行為者とは独立して「善行」とされる。行為者とは独立したものであるなら、商品のように金銭で売買したり、譲渡したりすることが可能だという発想につながる。救われるため、神にほめられるために善行を行うという発想がそうした行為の解釈の上に成り立っているということをルターは問題にしたわけだ。積立貯金のように善行を「積む」ことなんてできるのか、これがおかしいとルターは指摘する。
 この章には書かれていないが、こうした解釈が発生したのも商品経済がある程度発達すればこそであろうし、ルターという批判者の登場もこの時代背景があったからなのだろう。それはともかく、「救われんがため」という自己愛に基づく善行自体がすでに批判されるべきこと、さらに人間がそもそもある意志で行為すること自体が避けようもなく悪に向かうことなのだとルターはいう。これは世間的な発想からすると相当いやな考え方だ。こんなことを隣の人からいわれると何もできなくなってしまう。しかし神という超越者と被造物としての人間という関係でとらえると、人の罪深さということを納得することができる(これもある意味不思議なことだ)。根源的に人間は罪深いわけだから、このことを無視して善行を積んで恩恵に授かろうという人は、善行を行わない人よりもその分さらに悪を重ねているのだ。だから善行をするなというわけではなく、それを認識せよということなのだ。自己の幸福という目的のために行為するというアリストテレス的倫理学とはまったく発想がことなる。

われわれの行為なしに恩恵と信が注ぎ込まれ、それが注ぎ込まれたうえで行為が生じる(ルター全集I巻、364頁、8行)

この解説の著者も指摘しているが「注ぎ込まれた信fides infusa」というものを神学的伝統に則った常套句として解してはならない。ある目的というものを想定することなく、そこに生起した行為自体というもの、行為ならざる行為という事態を記述するための表現である。ルターは「受苦を通して空虚になった人はもはや行為しない」とも言っている。絶望の淵に投げ込まれることの宗教的意義はここにあるのだ。絶望に追い込まれることは、当然自分の意志ではできない。人間が意志を働かせれば、悪を招きよせてしまうわけだから、絶対的にそうならない絶望という状態になって初めて行為なしにという状態になる。ここに絶望の極に真の希望が生まれるのだ。この状態は、自分で断念しようとか、自分で望みを勝手に捨てるということでは決して生まれないわけだ。

こうした状況で成立する「信」というものは、人間の囚われた(奴隷のような)意志を脱しようとする意志であるとともに、「現れた」ものを認識する働き(理解・知性intellectus)と同時に「隠れた」神を認識する働き(併せ見conspectus)であるという。したがって聖書の字句を読むこと、その言葉を聴くことは、たんなる知性的な理解を超えた行為になる。神の立場からすれば、こうして語りかける言葉は、知性的に理解されるべきものにとどまらず、語りかける対象を「生み出す」働きかけをもった言葉となる。言葉が対象を表現するだけでなく、対象を生み出す力をもつということ、言葉において信と知が一体となるということは、単に宗教的な問題ではない。

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大正デモクラシー

 『大正デモクラシー』(成田龍一著、岩波新書)を読む。日本近現代史シリーズとして刊行中の第4巻である。冒頭この「大正デモクラシー」という時代を象徴する人間として政治学者吉野作造の二枚の写真について触れている。大正九年前後の写真の一枚は、着流し姿で子ども一緒に写っているもので、もう一枚は家族と使用人を従え、家長としての威厳に満ちた顔で写っているものである。この二枚の同じ男の表情の差が、大正デモクラシーという時代の二つの顔(民本主義と帝国主義)を象徴しているというわけである。家庭的なやさしい父親と厳格な家長としての父親は今の時代でも男親がもつ、もたざるをえない二つの面であろうが、特にこの時代なればこそという感じがする。家長が従えている家族は大日本帝国の国民(臣民)であり、使用人たちは植民地の非征服民といえよう。家長にしたがう妻としての女に求められたのは、良妻賢母であった。この時代母はまさに臣民を産み育てる「機械」であった。平塚らいてうが雑誌『青鞜』を創刊したのが明治四十四年である。
 この本を読んで強く印象に残ったのは、この時代に日本は台湾や韓国という「植民地」を持ち、欧米列強を見る目と殖民地を見る目という二つの相交わることのない視線を獲得したのだということだった。資本家と労働者、都市住民と農村部住民、男性と女性、内地と外地などの二極化が顕在化する。矛盾を含む制度を変えようという動きは見られるものの、根本的には階級が既存のものとして固定化されいく時代であったように思われる。
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排出する都市パリ

 『排出する都市パリ』(アルフレッド・フランクラン著、高橋清徳訳、悠書館刊)を読む。『過去の私的生活-原資料・未公刊資料にもとずく十二世紀から十八世紀におけるパリの人々の諸職業・流行・風俗・慣習-』というシリーズ(全二十七巻もあるという)の一冊『衛生 街路の状態、下水、ごみ捨て場、便所、墓地』の訳である。中世パリは非常に不衛生で街路は汚物にまみれ、道路わきの窓からは屎尿が捨てられ放題だったというのはよく聞く史話であるが、本書は十二世紀から十八世紀にかけてパリの衛生状態を原資料をひきつつ紹介している。当時は「衛生」という言葉自体がなかったので、これを不衛生ということはできない。しかし道路の泥濘と汚物の悪臭については苦慮していたのは確かで、統治者は何度も法令を出している。実効性は上がらず、ペストなどの疫病は猖獗を極めた。こうした一連の歴史を見ると、都市というものの成長発展には偏りがあるということがよくわかる。都市の防衛、経済、交通という側面に比較すると、汚物処理というシステムはその居住者個人レベルの問題としか意識されていない。下水処理やごみ処理が公共のインフラとして当然整備されるものという意識をもっている現代人の感覚からすると、これほどひどい状態のまま放置されていることは驚きである。統治者が罰金を科すということで対処していることからもこれを個人の問題としか考えていないことがよくわかる。まだ住人の側でも平気で隠れて汚物を捨て、捨てることに対する罪悪感がないことをみると、自分の家と外という二つの世界しかもたず公共の場という感覚が育たなかったことがわかる。捨て去る物に対して公共への影響を考えるというのはどうも人間は苦手らしい。現代では都市レベルでの廃棄物処理システムはできあがっているものの、国家レベルでみると、各国は産業廃棄物や二酸化炭素を捨て放題である。パリと都市を地球という居住空間に置き換えて考えてみると、河川や海は汚物に溢れ、生態系は破壊されつつあるこの状態は中世のパリとなんら変わりがないのではないかと感じた。

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民族とは何か-2

 『民族とは何か』を続けて読む。民族nationという言葉の歴史についての考察が書かれており、この言葉が極めてヨーロッパ的な特異性に満ちた言葉であることを教えられた。もともとNatioという言葉は中世ラテン語では「家族よりは大きいが氏族や住民よりは小さなグループに生まれを同じくすることで帰属している人々のこと」を指していたという。これが英国の欽定訳聖書で、ヘブライ語のgoi(国家規模の人間集団を表すために使用される言葉で、ヘブライ人の周辺の人々を指す横のつながりに着目したもの)の訳語として使われた。このことで、nationという言葉は、近代的な「民族」という意味を帯び始めたという。こうした翻訳の出現は、宗教改革の一環として起こったものであることから、宗教改革は「民族の観念の産婆役」と位置づけられるというわけである。宗教改革にこうした政治的意味があったということは知らなかった。
 「民族」が近代世界のキーワードとなったのは、十七世紀以降英国が世界の主導的立場に立った結果であると述べられ、この歴史的経緯では次の三つの点が重要であると述べられている。(1)国家が民族に先行していること。(2)民族の観念は平等の観念を含んでいること。(3)民族は憲法制定の主体であること。
 ついで成功した英国を周辺諸国が模倣しようとする。フランスやドイツの歴史は、そうした「民族」の模倣の歴史であったという視点は独特のものである。著者は問う。歴史とは一体何なのか。



 歴史には、ロゴス的論理的一貫性とは異なる過去と現在の有意味なつながりが存在する。それは、模倣による伝播が生みだす系譜的な連続性である。
 民族という主題は、ロゴス主義的な歴史観を受けつけない。民族なるものの考察を可能にするのは、複数の存在の間の模倣や模倣による範例の伝播に注目するミメーシス(模倣)を原理とする歴史観である。(中略)民族は、たんなる観念でも不変の実体でもない。それは強烈に訴えかける力をもつ一つの政治的な範例が次々と模倣され、その過程で修正や拡大、歪曲や倒錯を蒙った歴史としてしか理解できない。


 民族は何ら自生的な概念ではなく、多様な集団間の政治力学の中で民族が生まれてくるのである。日本においてその端緒を開いたのが、ペリーの黒船である。このときに開国の意味について民族的な討論がなされた結果国家が創設されていれば自主的な選択に基く民族が生まれていただろうと著者は指摘する。しかしその芽は明治維新という政変により摘まれてしまった。権力の簒奪とその後天皇を担ぐことによりその正統性があるかのうように糊塗してつくられた国家は、「自国民をまるで植民地の原住民のように扱った」。そして敗戦後に再び「民族」となる可能性を与えられたというわけである。

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民族とは何か

 『民族とは何か』(関曠野著、講談社現代新書)を読む。現代政治において最も問題となっている「民族」という問題にその思想史、革命の歴史を追いながら検討していく本である。まず著者は民族という概念の混乱を指摘する。言語、歴史、文化、領土の共有、平等主義のこと以上になると

現代人はみな混乱しているのである。民族主義と国家主義はどう違うのか。民族nationは、生物学的な人種、血縁や地縁で結びついた種族ethnicityや、あるいは国籍を持った集団としての国民natioalityと、どう区別されるのか。なかでも一番厄介なのが、民族とは一つの観念なのか、それとも事実なのか

という問いにはっきりと答えられないのである。日本でnation-stateが国民国家と訳されていること自体問題だと著者は指摘する。これは民族国家と訳されるべきであると。

第二章では、民族についての代表的な四つの議論が取り上げられる。
1.エリー・ケドゥリー:民族主義は十九世紀のヨーロッパ、特にドイツが生んだ特定のイデオロギーだとする。民族主義はフランス革命の時代に出現し、イデオロギーとして発展させたのはカントであるとする。人間の自由な自己決定という論理が民族自決に固執する民族主義イデオロギーを生んだ。
 しかしこの説は実際の歴史事実に合わないと著者は指摘する。
2.アーネスト・ゲルナー:ケドゥリー同様民族主義が民族の観念を生んだとするが、民族主義は社会の近代化・工業化の過程で随伴して出現する社会的現象だとする。一種の経済決定論であるが、産業化が起きる以前から民族主義の観念は存在するという難点がある。
3.ベネディクト・アンダーソン:民族一体性は、独特な種類の文化によって加工された事実だとする。民族は文化が創造したフィクションではあるが、人類学的観点からすると文化の産物は一つの事実としてとらえられるという。民族という共同体を想像可能にした技術が出版印刷業資本主義であるとする。しかしどうして「民族」という言葉が選ばれ歴史が切り拓かれて行ったかの解明がない。
4.アンソニー・D・スミス:民族の存在が事実と感じられるのは、近代以前から民族的アイデンティティの基盤になるもの(=種族的共同体)が近代以前からあったからだとする。近代世界における民族は、「市民=領土的」と「種族的」の二つのモデルがあり、どのような民族主義でもそのなかに種族的概念が根を張っていることを指摘する。しかし近代ヨーロッパにおいてだけ種族共同体が民族へと成長したのかという問いに答えていない。この変化が解明されず、民族の西欧・市民モデルは排外的好戦的民族主義者の正当化につながる危険性を著者は指摘する。

 

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哲学の歴史4

 『哲学の歴史4』(伊藤博明編集、中央公論新社刊)を読む。この巻は、15-16世紀で、ルネサンス期の哲学がとりあげられている。第IV章の「フィチーノ」、第V章の「ピーコ・デッラ・ミランドラ」のところを興味深く読む。
 ルネサンス期には、キリスト教神学とプラトン哲学両者の調和、融合が試みられた時代であることがわかる。特にこの時期の、人間の位置づけ(神と被造物との一連の階梯の中での位置づけ)という問題である。フィチーノ(1433-1499)は、神によって創造された宇宙のヒエラルキアにおいて人間は「中間物」としてある種特権的な地位を占めるとされる。そして人間本性の内部は万物を包含するミクロコスモスである。これに対して、ピーコ(1463-1494)は、『人間の尊厳について』では、人間がこのヒエラルキアにおいて自己の地位・本性を自由意志によって選択できる「無規定」な存在であるとみなしている。
 被造物である人間が創造者である神とのあいだには厳然とした距離があるか否かについても両者の間には違いが見られる。フィチーノでは人間の魂が天上的愛によって神の段階までその系列を上り詰めることが可能であると論じていた。ピーコは、両者の間には厳然とした差があり、神は万物を超越したものとしてその絶対性が強調される。
 ヒエラルキアの中に位置する中間的な存在という似たようなとらえ方ながら、自らの自由意志の力を強調した点でピーコの人間観は新しい。一見古臭いように見える哲学論争であるが、人間の自由や意志をどのように位置づけるのかという問題は依然として解決されていない問題である。
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哲学の歴史11

 『哲学の歴史11』(飯田隆編集、中央公論新社刊)を読む。シリーズ最初の巻を一ヶ月遅れで読む。20世紀を扱った第II巻で、科学哲学、分析哲学が取り上げられている。フレーゲ、ラッセル、ウィトゲンシュタインという流れはお決まりの歴史であるが、異色なところとしてエピステモロジーと題されフランス科学哲学の歴史に一章があてられている。執筆者の金森氏が書いているが、このエピステモロジー系の学者は、個人の具体的人生とみずからの知的作業との連結を好まず、自分の人生が前面に出てくるのを嫌うという傾向があるそうだ。哲学の「歴史」として読んでいるとどうしてもその哲学者が生きた時代や社会背景、私生活を織り込んで読むのだが、この場合は、「哲学」の歴史としてあくまでもその学問的業績が前面に出るということか。そう考えるとこの巻は、特に哲学者個人の人生が目立つ歴史というよりも科学の進歩により促された哲学の歴史という印象が強い(これがまだ最初の巻だからこう断定するのもおかしいが)。それでもウィトゲンシュタインなどは例外的だから彼の伝記は人気があるのかもしれない。
 各章はコンパクトにまとめてあるが、全体は700頁余りあり、これから毎月1冊刊行されるようで、読書の方がついていけるかやや心配である。
 
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歴史の学び方について-4

 ロックのいう市民社会としての国家は、アダム・スミス以降の国家とは異なる。後者では、社会と国家の二元論であり、社会は経済活動(各人の利益追求)により自ずと善が生まれることが期待されている。ロックの場合は、自由は個人の所有を守るためにも立法によって保証されなければならない。専横的な権力行使に対処するために近代立憲主義は生まれたが、同時に「権力は社会の連帯から生じるものであり良い目的のために使うことができるという信念の表現でもある」ことを著者は指摘する。
 こうして国政にかかわる連帯した人々、「民族(ネーション)」による国家(国民国家)が生まれる。法の下に自由と平等を実現する自由主義は、こうして民主主義とナショナリズムへと展開していく方向が生まれた。近代史において自由主義から民主主義への発展が挫折した原因として著者は大きく次の二つの理由をあげている。
 (1)絶対主義の巻き返し 
 (2)ブルジョアジーの思想的頽廃
(1)については、ヨーロッパにおける人口の急増という要因がある。人口急増による社会問題をさらなる工業化により解決する必要に迫られた社会は、政治が生存の問題となり、国家的総動員体制が優先されていく。対外的には国民戦争という形で絶対主義の亡霊が復活する。こうして「ナショナリズムの仮面をつけた国家理性」が登場する。十八世紀までのナショナリズムと十九世紀のナショナリズムではその質が大きく異なるというわけだ。著者は前者を「能動的ナショナリズム」、後者を「受動的ナショナリズム」と位置づけている。さらに続けて、

おぞましい現象である政治的に受動的なナショナリズムは、政治的に能動的なナショナリズムによってのみ克服されるということである。ナショナリズムを国際交流その他によって矯正さるべき偏見や無知の産物とみなす啓蒙主義的見解は、決して前者を始末できない。第二に、受動的ナショナリズムは、自由主義的な政治改革によって能動的ナショナリズムが発展する可能性がある状況においてこそ、その歪曲や倒錯として出現する

と重要な指摘をしている。

(2)については、近代の科学革命によって起きた自然科学の発展の影響を挙げている。自然科学の発展自体に問題があったわけではなく、それにより「自然」という概念が不当に人間についての概念を歪め、「人間は自由なるがゆえに道徳的責任を免れえない存在であるという倫理」が否認されてしまったことが問題になる。自然科学の驚異的成果により、「自然」が強調され人間も自然の産物にすぎないとされ、快苦だけを動機として動く功利的存在に格下げされてしまう。そして「科学」が強調されることで、知識の無限の進歩により無謬な理性により人間の問題は解消されてしまうという幻想が植えつけられてしまう。神が捨てられるとともに、「過ち多き自由で責任ある存在であり制限ゆえに学ぶ存在であるというロックの見解」までも捨てられてしまう。社会科学は、政治理論の生物学化の道を歩む。その代表者的思想家が、ベンサム、コント、マルクスである。
 自由主義から民主主義への発展を挫折させた思想に対する著者の批判は厳しい。

十九世紀依頼、功利主義と実証主義が自由な人格の道徳的選択としての政治、本質的に教育的なプロセスとしての政治という自由主義の遺産を清算してきたせいで、今日の西側の社会でも古典的な自由主義はほとんど跡形もない。
 政治とは「善とは何か」という問いかけである。何が善かは常に議論の的でありながら、共通の善の追求なしには人間は共存しえないゆえに、善の定義は合意や交渉に基づく政治的なものでしかありえない。しかるに功利主義は、人間の行動を原子的個体の生物学的反応に還元し個人の快楽の社会的総計を善とするから、善は自明なものとなる。
 政治は「真実とは何か」をめぐる論争でもある。しかるに実証主義は、真実とは科学的真理のことなのだから(コントのいう「精神的権力」の座にある)科学の専門家だけが何が真実であるかを決定する権限をもっていると主張する。こうして真実は自明であると同時に非専門家には理解できないものになる。
 善と真理が自明であるなら政治は無用になり、かつて政治と称されたものは、専門家主導の科学技術の進歩によってできるだけ大衆の快楽を増大させるという社会工学的プロジェクトへと単純化される。これは具体的にいえば、自由な人格の道徳的判断に基づく選択を前提とした立憲的自由と法の支配の原則が無意味になり、議会から国家の行政官僚に政策決定の権限が移ることを指す。

 上記のような挫折により大衆民主主義が生まれる。これは工業化のために大衆を動因する必要であるがための制度である。ここには自由主義的な討論による学習の民主主義はなく、「参加」の民主主義しかない。著者は参加の民主主義から学習の民主主義へと転換が必要であると説く。この再生のためには二つの道徳的信条が必要であるとする。一つは人格をもつ存在としての個人の自由と尊厳であり、もう一つは人間は制限ゆえに学ぶ有限で過ちやすい存在であるという信条である。この二つによって人間は歴史的存在となる。
 自由主義は今日市場経済とも結びついているが、この競争の論理を正当化する道徳的根拠を欠いていることが問題であると著者は指摘する。しかし市場を功利的にではなく自由を保障する機構として解釈することにその可能性を求めようとしている。また、競争原理についても

競争は、完全な予見が不可能な不断に変転する状況に生きる有限な存在として人間は自由であることを教える。おそらく正当で不可避な競争という代価を払うことなしには、人間は自分が制限ゆえに学ぶ謙虚な存在であることを忘れてしまうだろう。この道徳的効果においてのみ、競争は正当化されうる

としている。市場における競争から生まれる格差が問題となっているが、その問題を考える上で興味深い点だと感じた。

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歴史の学び方について-3

 『歴史の学び方について』を引き続き読む。宗教改革におけるプロテスタントの「信仰の自由」に近代の自由主義の起源を求めることができることが指摘される。規制されていないことは原則自由であるという自由とは異なり、信仰と良心の自由は、近代ヨーロッパでしか生まれなかった。この自由は聖書に基礎づけられていることから、個人が聖書において承認した権威だけを正当な権威とすることを許す。現世の権威は伝統的だからというだけでは受容されるものではなくなる。ここから近代においては、政治的権威は伝統によらず個人により「自由に」創造されるという信念へと展開していく。
 ルター派は新約聖書を信仰の原点としたのに対して、カルヴァン派は旧約聖書を原点においた。これがカルヴァン派に政治性を高めたという。旧約聖書の神は、人間を過ちやすい自由な存在として創造したと同時に正義について紙の言葉に聴き正しい秩序を作り出す能力を人間に与えた。だから歴史というものは、

神と人間との共同実験になる。神が定めた法は、神の純粋に倫理的な権威に基づき暴力や神話が無用となる共同体の平和な政治的統一を可能にする。そして、人間が神を畏れ神のとの盟約に忠実であるかぎり、この平和な統一の範囲は不断に拡大する。(中略)そしてシナイの盟約以後、罪の観念は新たな意味を帯びる。罪はもはや、たんに他の人間との相互的な信義を裏切ることではない。罪とは、歴史は神の実験であることを忘却することである。

過去から未来へ向けての贖罪の過程がすなわち歴史であり、私たちは未来に対して責任を感じるから罪を意識するのだ。著者は旧約聖書における神の似姿として創造された人間に、人間の尊厳のをみている。自然からはみ出した人間がもつディレンマの解決をヘブライ人は、「隣人としての人間」に求める。暴力と神話に代わる政治の原理を善意の関係に基く隣人との相互的な秩序に求めること、そしてその可能性を信じることに人間としての自由の根拠を求めることが歴史と人間を理解する上で重要なことであると説く。
 一連の説明を読むとユダヤ=キリスト教の伝統についての理解がなければ近代ヨーロッパの自由と寛容については理解することができないことが改めて痛いほどよくわかる。ロックが説く自由もその流れから理解しなければならないし、彼のいう理性も信仰と良心の自由なしには考えられない。彼の経験論もそのような制約された人間の経験として理解しなければならない。この意味における人間の被制約性と可謬性は、政治を考える上で欠かせない。だから著者はこう強調する。

 「人間は制限されているがゆえに学ぶ存在である」という信条こそ、自由主義の核心をなす道徳的政治的信条であることになるだろう。人間に関するこの世俗的で理性的な見解によって、自由主義はその母胎となったプロテスタンティズムの宗教的心情から抜け出るのである。そして私はここで再び、ロックの国家論と経験論哲学をきちんと統一して理解する必要を強調しておきたい。というのも、自由主義に固有の政治的原則は、すべて首尾一貫してこの道徳的政治的信条から引き出せるからである。

 国家を統治する者の権力に対する立憲主義的制限とか統治者の被治者に対する政治責任といったことは、究極的には、「すべての人間は制約ゆえに学ぶ過ちやすい存在でしかない」という人間観に基いている。この原則は、行政のあり方だけでなく議会による立法にもあてはまる。(中略)「制限ゆえに学ぶ」という人間観がなければ、議会において少数派の権利や主張が尊重されるべき理由もわからなくなる。議会は多数決によって意志決定をせざるをえないにせよ、市民や議員のための学習の機会を拡大しているのは少数派なのである。こうして自由主義の本来の理論においては、政治は一種の教育的プロセスになる。(中略)民主主義の条件は、近代立憲国家の能動的市民たりうるための政治的教養を身につける機会をあらゆる層の人々に公平に保証することなのである。

 この文脈で登場する政治的個人は、モナドのように完結した個人ではない。個人の生命、身体、財産は神から委託されたものであり、自己保存と幸福の追求は神に対する義務であり、個人は神が定めた自然法の下で生きている、そういう個人なのである。ここはホッブスの個人と大きく異なる。こうした個人が下から上へとつくる市民社会秩序(封建的体制原理と対比し理解すること)は、ロック以前はカルヴィニズムの政治思想家アルトジウスにその原型を認めることができるという。
 ロックは私的所有論をとなえたが、この自由は国家に対する個人の政治的権利を確立するという文脈に沿って解釈しなければならない。著者の指摘するように、「ロックの政治思想史上の革新性は、あくまで彼が自然法論を革新し古い国家観を清算したことになるので、政治を所有の論理に還元したといったことにあるのではない」。所有の問題はここでは議論の主題から逸れるので詳述はされないが、現代の倫理学で登場するロックは、このような歴史的伝統とは無関係に引用されることがある点には注意しなければならない。
 ロックのいう国家は、中世自然法論に基く国家とは異なる。正義を具現しているがゆえに永続されるべき静的秩序としての中世的国家とは異なり、ロックの国家では、体現される正義は自明のものではない。したがってそれは人間が相互に社会契約を結んで設立した政府の立法によって探求されていくべきものなのである。だからその目的に沿わない政府との契約は解消されうる。社会契約を交わす人々は、共同体における善と悪との共通認識を醸成していかねばならない。その成果が立法なのだが、これがうまく機能するためには政治的な教育が欠かせない。共同体の各個人が批判精神を失うとき、政治的無関心、無知による大衆民主主義に堕落する危険は常にある。

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