『近代日本の誕生』(イアン・ブルマ著、小林朋則訳、講談社刊)を読む。
黒船来航による開国から現代までの日本の通史であるが、非常に軽快なテンポで読める。冒頭は、東京オリンピックの描写から始まる。敗戦後日本が国際社会に復帰して、平和と成長を実感した歴史的イベントで始まる近現代史というのも面白い趣向である。
著者はオランダ生まれで、ニューヨークのバード・カレッジ大学の教授ということだが、視点は欧米側に偏ったという印象は受けない。要所要所で短いながら鋭い評言がある。例えば第一章の「黒船来航」のなかの「西洋から学んだもの」というパラグラフの末尾では、ペリーに随行した通訳官のサミュエル・ウィリアムズが日本人は「十分には啓蒙されていない民族」であるという点についてふれ、
ひょっとすると、日本人を「十分には啓蒙されていない民族」と見たウィリアムズの意見は、それほど間違ってはいなかったのかもしれない。世界中のどの民族も、完全に啓蒙されていることなどないからだ。ただ、啓蒙された人々は、どの国でもどの時代でも、周囲との軋轢と戦わなくてはならない。残念ながら日本では、その戦いに負けてしまう人が多かったのである。
と述べている。こういうことを書いておいて、第二章の「文明開化」のところまで読み進め「脱亜入欧」のところにくると、1870年代に讒謗律や新聞条例の成立により言論の自由が著しく制限されたことを紹介したあと、福澤諭吉の対応についてこう述べる。
福澤は、待ち望んでいた自由の目が摘まれるのを見て落胆したが、公然と抗議したりはしなかった。『福翁自伝』によると、「事実は、私が詳に記して」いたが、「人の忌がる事を公けにするでもなしに黙って」いることにしたのである。ある友人から意見を公にすべきだと説得されると、福澤は「御同前に年はモウ四十以上ではないか、先づ先づソンナ無益な殺生は罷めにしやう」と答えた。これと同じ態度を、その後の日本の知識人も繰り返すことになる。重要な何かが一八七○年代に死に、その後は若干の例外を除き、一九四五年まで完全に息を吹き返すことはなかったのである。
こういう記述を読むと、著者の批評眼の一貫性を感じるとともに、「クール」なとらえ方だと思ってしまう。
また、敗戦後の歴史のところでは、東京裁判やアメリカの戦後政策についての誤りをきちんと指摘している。マッカーサーが天皇の戦争責任を問わなかったことに対し、
このため東京裁判という歴史の授業は、真実を歪め、政治的に問題の多い方向に進むことになった。つまり「軍国主義者」がすべての責任を負わなくてはならなくなったのである。軍国主義者が天皇を惑わし、日本国民を間違った方向へ導いたとされた。昭和天皇が往々にして軍部よりも詳しい情報を得ていたことも、国民が少なくとも戦争の初期には軍部による侵略を熱狂的に支持していたことも、うやむやにされた。さらに、制度上すべてに責任を負うべき人が無罪とされたことで、その人の絶対命令に従っていると思っていた者たちを有罪とする根拠もあいまいになってしまった。
と指摘している。マッカーサーが残した負の遺産についても、その欠陥を指摘し
平和主義は、その代償として自国の防衛をすべて他国任せにしなくてはならない。このため、戦後体制からの脱却を唱える右翼の声は今日まで衰えることはない。本来なら政治的意見が一致しているはずの憲法も、国民の意見は護憲と改憲の二つに分裂したまま現在に至っている。(中略)
いずれにせよ、一つ言えるのは、日本は理想の国家を作ろうと懸命に努力したが、結果として歪んだ形でしか実現させることができなかったということだ。しかも理想が高かった分、かえって欠点が目立ってしまっているのである。
と述べている。
自分の国の歴史を学び、自分の頭で考えること、自由に討議を尽くし自らの責任で決断をすることの重要性が一貫したメッセージとしてある。そしてまた日本の近現代史はその蹉跌の連続であったことがよくわかるのである。小粒ながらぴりりと辛い好著である。