自由論

 『自由論』(J.S.ミル著、山岡洋一訳、光文社古典新訳文庫)を読む。
 新訳ということであるが、文学作品ではないからそれほど大きな印象の違いはない。社会における自由というものを論じた古典中の古典であるが、その根幹にある原則は「他者危害の原則harm to others princile」である。つまり他人に危害を及ぼさない限り個人の自由を認めるという原則である。もちろんこの個人というのはまっとうな判断力を身につけた成人が対象である。逆にいえば、他者に危害を及ぼさなければ個人の愚行は許容されるということになる。どういうレベルが「まっとうな」判断力であるとされるのかは、歴史的にみて変化するのはいたし方のないことであろう。ミルの生きた時代であればキリスト教を信じていないということは、まっとうとはみなされなかった。
 どこまでこうした自由を認めるのかということは議論が多いところであろうが、ミルがこの自由を重要視したのは何よりも個性の多様性が社会の発展の源泉であるということを固く信じていたからだった。個人の思想信条の自由が制限され、上から思想を強制されてしまうと決まりきった思考しかできない個人ばかりとなり、ひいては社会が衰亡していくと洞察していた。もちろん今から見ると、この社会というのは西欧のキリスト教社会を基準に考えられており、その素朴な楽観的展望には承服しかねる。しかしそれを差し引いても人間の多様性を尊重することが教育の根幹であることを論じていることは特筆すべきである。

 人間が高貴で美しいといえる人物になるのは、個性的な性格をすべてなくして画一的になることによってではない。他人の権利と利益をおかしてはならないという条件のもので、個性的な性格を育て際立たせることによってである。そして人間の行うことはすべて、それを行う人の性格を反映するので、個性を育てていくことによって人間の生活は豊かになり、多様になり、活発になり、高級な思想と崇高な感情を育てる材料が豊富になり、人類がはるかに素晴らしいものになる。

 各人が公平に本性の発展をはかれるようにするには、各人にそれぞれ違った生き方を選ぶ自由を与えることが不可欠である。この自由がどこまで行使されたかによって、それぞれの時代が後世にとってどこまで注目に値するかが決まる。専制政治ですら、そのもとで個性が死に絶えていないのであれば、最悪の結果をもたらしてはいない。そして、個性を押しつぶすのであれば、どのような名前がつけられていても、神の意思を実行すると主張していようが国民の判断を実行すると主張していようが、それは専制政治である。

 自立した個人を生み出すために国家が強制的に教育を受けさせるようにすること(義務教育)をミルは強く主張した。彼が断固として反対したのは、国が教育内容を管理することに対してであった。個人が自立し、自らの判断基準をもっていれば、たとえ誤った思想が自由の名の下に社会に流布しても対立する思想を提示し議論することでそれを修正できるから多様性をもたせる教育が重要なのである。ある思想に対して反証の場を常に設けておくことが大切であり、反証可能性のあるようなものでなければ理性的な思想とはいえない。こうした点は後にポパーによって唱えられた開かれた社会の論考と通じるものがある。
 制約のない放漫な自由に問題があるではなく、そうした自由のどこがいけないのか、その代わりにどのような自由なら認めるのかといった開かれた議論がきちんとなされないことが自由を殺してしまう元凶なのだと思う。自由を認めることによって弊害が出たときにそれを闇雲に制限することではなく、その自由の弊害と利点について議論を尽くすことこそが明日の自由の糧となる。
 この国では教育が瀕死であると騒がれ、再生させるために道徳を独立した授業科目とすることが提案されている。果たしてこれは体系的で反証の余地を持たせた理性的な道徳授業となるだろうか。そこに自由主義を謳うわが国の政権政党が本当にその名に値するかどうかが験される。すべてを国のために奉仕させるように方向づける、上から押し付けるようなお題目的道徳教育であれば、それはどんなに言おうが、専制政治である。今こそもう一度読み直されるべき書物であり、わけの分からない道徳の授業をするくらいなら、この平易な訳本を一学期使って読み通して学級全体で議論してみはどうか。そのほうがはるかに日本のためになろう。

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誤りやすさに対する無自覚

 人類の良識という観点ではじつに不幸なことだが、人間が間違いをおかしやすい事実は一般論としてはつねに認識されているが、具体的な問題を扱う際には、はるかに軽視されている。誰でも自分が間違える可能性があることは十分知っているのだが、自分が間違える場合に備えておく必要があるとは、ほとんど誰も考えないし、どのような意見も間違いである可能性があるとは認めても、自分が確実だと感じている意見がその一例かもしれないとは、ほとんど誰も考えないのである。

J.S.ミル『自由論』

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サクラは何色ですか

 『サクラは何色ですか』(大澤正人著、現代書館刊)には、西田幾多郎の哲学に基きながら桜を巡って著者の哲学的随想が綴られていく。
 サクラが目の前で咲いているということはどういうことか。例によって西田哲学は難解だが、私と対象というとらえ方ではなく、その対立を包んだ「場所」に咲くという現象がサクラというかたちで生起するといえばいいのだろうか。りんごが重力の作用で落下するのではなく、引き寄せられる(落ちる)という作用が重力の作用を受けた空間のゆがみという場所の中でりんごにおいて顕現するのと似ている。西田哲学では、サクラやりんごといった実体は中心ではない。あくまである作用の効果が顕現する(生成する)場所が中心にある。その根源を西田は「無」と捉えた。この無は有との対立で考えられた無ではない。端的な無である。これを表そうとすると「 」として「」の中の空虚で表さざるを得ない。分割も統合もされていない無の領野であるから、見方によっては充実した有でもある。ここに「無の自己限定」、「場所の自己限定」が起きて、有と無の対立が生成する。このあたりは、読んでいるとラカンのいう現実界への象徴界の作用と一脈通じるものがあるような気がした。

 さて、われわれはサクラを見る。サクラはわれわれを招く。その場は善意志の宴のようである。しかし、本当にそうなのか。サクラの呼び声をわたしは聞く。でもわたしは欺かれているのかもしれない。

 今年も欺くように優艶なサクラが咲き始めた。その下で浮かれ騒ぐとき、浮かれるということが私という場所にサクラの作用を受けて生成するのだ。このとき私という主体は重要なのではない。美的陶酔の描写には適した見方であるが、この観点は常に個を殺す危険も持ち合わせている。

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漱石先生の手紙

 年度末になり、今年もいろいろな人が去っていく。お別れやお礼の挨拶が取り交わされる季節だが、最近は電子メールですませることも多いだろう。こういう時代だからこそ『漱石先生の手紙』(出久根達郎著、講談社文庫)を読むと、手紙のありがたさをより一層実感する(もっとも漱石のような手紙だからという条件があるのだが)。漱石「先生」というのは、当時の文豪に対する敬称ではなく、著者が漱石から「この世の仕組みを教えられ、文学を教わり、人間の不可思議に目を開かされた。言葉の遣い方、文章の運び方、世間常識、お金に対する観念、その他あらゆることを教えられた」人生の教師に対してつけた敬称である。
 漱石の書簡についてはその人間味溢れるところは、たびたび語られ、一昔前の手紙の書き方なる本には必ず例示してあったという。この本を今回読んで、手紙を読んでいるといつのまにか私も漱石の喜怒哀楽を感じるとることができるというのは手紙ならではのことだと思う。例えば人から諭されるときや慰められる時、相手が眼の前にいて語りかけられる場合こちらの心が整理がついていないとつい途中で反発したり反論したりしてしまいがちであるが、手紙の場合はまず一人で最後まで読まなければならない。外の誰でもない自分に当てられたメッセージは、どんなに遠いところから送られてきても最も深く届く。引用しているときりがないが、この春から新スタートをきる人たちに宛てるとしたら芥川に宛てた手紙のようなものをもらったらさぞかし心強いことだろう。
 文壇にデビューして漱石から認められた手紙を受け取った芥川はどんなにうれしかっただろう。

 あゝいふものを是から二三十並べて御覧なさい文壇で類のない作家になれます然し「鼻」丈ではおそらく多数の人の眼に触れないでせう触れてもみんなが黙過するでせうそんな事に頓着しないでずんずん御進みなさい群衆は眼中に置かない方が身体の薬です

 また久米正雄と芥川にもこう書いている。

 ・・・僕も其積であなた方の将来を見てゐます。どうぞ偉くなつて下さい。然し無暗にあせつては不可ません。たゞ牛のやうに図々しく進んでいくのが大事です。

 「たゞ牛のやうに図々しく」進めというのがいい。

 この本を読んで些細なことであるが知って面白かったことがある。ひとつはイギリス留学から帰ってきた漱石が住んだ本郷区駒込千駄木町の借家には、新築間もないころ鷗外が借りて住んでいたということ。レコードの吹き込みをしていたということ(もっとも歌ではないのだが)。それから出久根さんのエピソードで、バブル絶頂期の頃、古書業界で漱石の手紙が引っ張りだこであったこと。これは漱石の本名が「金之助」で、これを「金(かね)の助け」と読んで御利益にあずかろうとした人がたくさんいたからだったという。漱石が最も嫌った拝金主義の縁起かつぎとして自分が持ち出されたと知ったら、そうした輩にどんな手紙を書いて難詰したことだろう。

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人類はどのように進化したか

 『人類はどのように進化したか』(内田亮子著、勁草書房刊)を読む。あとがきによると大学の人文・社会科学系の教養科目の教科書・副読本として役立たせるためと書いてある。内容は、進化についての基本的なことから特にヒトについての行動や心理と進化の関わり、ヒトと霊長類との関連性、言語能力と進化、行動、認知機能の性差とその生物学的基盤など人文科学領域と関連のあることについて、非常にコンパクトに的確に説明している。200ページ余りに多くの知見が盛り込まれているように、予備知識なしで通読してすぐわかるというわけにはいかないだろう(講義を聴講しなければならないということか)。
 興味をひいたのは、第四章でヒトの生活史をとりあげたところに「少子化を考える」という節があったこと。



 「どうしたら女性がもっと産むようになるのか」という対策を見だすために、「どうして女性が子どもを産まなくなったのか」が問われている。実は、その前に、人間の女性はどのくらい子どもを産む生き物なのか、動物一般で繁殖の選択はどのようにされているのか、について再認識する必要があるだろう。
 そもそも、生命は自分の種の個体数の維持を考慮しながら繁殖してはいない。出生率が著しく減少した種は絶滅していくまでである。人間の女性が平均五人以上の子どもを産んでほぼそのままの数を育てることができたのは、産業革命後のほんの二○○年間ほどであり、人類史上、限られた期間のことである。ホモ・サピエンスという生き物は生活史の制限から多産ではないのだ。


 一歩達観したところからの冷静な意見である。自分の遺伝子を子孫に残すことよりも困難なことは避けたいというインセンティブが勝るほど現代社会の環境は生殖に対して不利な状況であることは間違いないようだ。

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なぜこの方程式は解けないか?

 『なぜこの方程式は解けないか?』(マリオ・リヴィオ著、斉藤隆央訳)を読む。
 公式をつかって解を求めることができるは、四次方程式までで、五次方程式になるとそうした解の公式はないことをめぐる数学史を中心にして本書は展開され、群論という数学の理論が紹介される。
 五次方程式の解決前史といえるルネサンス期の数学者たちの闘争の逸話も面白いが、前半の中心は解決に直接寄与した二人の天才数学者である。その一人であるアーベルは、五次方程式には係数の四則演算と累乗根だけで表せる解の公式は存在しないことを証明した。もう一人の天才ガロアは所与の五次以上の方程式が、公式で解けるかどうかの判定はどうすればわかるかという疑問に対する解答を与えた。この問題の解決に群という全く新しい概念が導入され、数学的「対称性」という概念が重要となったという。このあたりの専門的なことはよくわからないが、レヴィ=ストロースがカリエラ族の婚姻規則を解明するために、数学者アンドレ・ヴェイユに相談し、彼が群論の知識で解決した有名なエピソードも紹介されたり、ルービックキューブの話がでてきたり話題は満載である。
 後半は物理学の話や進化論まで言及されており著者の博学さが遺憾なく発揮されている。
 自然はどうして対称的なのかという疑問にはどう答えられるのだろうか?「物理学が数学的なのは、われわれが物理学の世界をよく知っているからではなく、ほとんど知らないからである。われわれに見出せるのは、物理学の数学的特性だけなのだ」というラッセルの言葉が真実をついているとすると、自然に潜む対称性というのはわれわれの脳の構造がもたらした認識の特性なのだろうか?

 

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スペイン紀行

 『スペイン紀行』(カレル・チャペック著、飯島周訳、ちくま文庫)を読む。
 ちくま文庫より刊行されている「カレル・チャペック旅行記コレクション」の3巻目である。最初がイギリス、次が彼の故郷のチェコスロヴァキア、そして今度は(おそらく彼にとっても最も異国情緒溢れる国であったであろう)スペインである。随所に彼のユーモアに富んだイラストが挿入されている。
 彼の実に的を射たスケッチ風の描写の力量はこの国でもいかんなく発揮されている。美術館めぐりではこの国の代表的画家たちに対する寸評がある。

 ベラスケス:

 ベラスケスには、かみそりのように鋭いまでの冷徹さ、周到で容赦ない注意深さ、その手を支配する目と頭脳の恐ろしいまでの確実さがある。
 わたしの考えによれば、当時の王様が彼を高官にしたのは、その功にむくいたのではなく、彼を恐れたから、つまりベラスケスのひたと据えられた透徹した両眼が王を不安にさせたから、この画家との張り合いに堪えられず、そのために、彼を高位につけたのである。

 エル・グレコ

 グレコの内部には二つの形式の世界が入り込んでいるように、彼の絵の中には、なにか二つに分裂し、互いに極限まで拮抗し合うものが感じられる。芸術をゴシック的に神聖化した、直線的で純粋な神の風景と、一方、あまりにも人間的なバロックのカトリシズムに昇華させた高貴な神秘主義とである。

 ゴヤ

 わたしが思うに、ゴヤはここで、人間を裏返しにして、その鼻の穴と裂けたのどの奥をのぞき込み、ゆがんだ鏡の中で、できそこないの醜悪さを研究しているかのようだ。じつに悪夢のようで、恐怖と抗議の叫びを表しているようだ。

 どれもなるほどと思わせる表現だ。スペインでは彼は至るところに興味の眼差しを投げかけ、それを楽しんでいる。帰途についてから彼はそれでもすべてを見ることができなかったことを後悔しつつ感慨とともにこう述べる。

 きみ、これまで知らなかったなにかを見たり、それに触れたりするのは、喜びだ。物事や人びとの相違の一つひとつは、人生を何倍にも増やしてくれる。感謝と喜びにみちて、きみは自分の習慣以外のものを受け入れた。

 私は旅行で見聞を増やす体験はしていないが、本を読んで同様な体験をすることができる。ありがたいことだ。読書は人生を増やしてくれる。

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未完の明治維新

 『未完の明治維新』(坂野潤治著、ちくま新書)を読む。
 歴史を読む私たちは常に事件や出来事が終わってしまってからしかそれらを見ることができない。維新の動乱期から近代国家日本が出発して軌道に乗るまでの総括は、それが成し遂げられてから眺めると本書の巻末に陸奥宗光外相が演説(『帝国議会衆議院議事速記録』)したような内容となる。

 試みに明治初界年に現在したるところの日本帝国を以って、今日に現在するところの日本帝国と比較してご覧なさい。・・・先ず経済の点より言いますれば、明治初年において内外交易の高と云うものは、その金三千万円に足らなかったのが、明治二十五年にはほとんど一億六千有余万円になり、また陸には三千哩に近い鉄道が敷き列ねられ、1万哩に近き電線を架け列べたり、また海には数百艘の西洋形の商船が内外の海面に浮んで居る。

 軍備の点より言えば、将士訓練、機械精鋭にして、ほとんど欧州強国の軍隊にも譲らぬ常備兵が十五万も出来て居る。海軍もほとんど四十艘に近い軍艦が出来、将来なお国計の許すかぎりはこれを増進せんと思います。

 もしこれに加うるに、人文の自由を拡張子、学術工芸の進歩したるものを以ってすれば、実に枚挙に遑あらぬと思います。特にその一大特例として云うべきものは、立憲の政体ここに立ち、すなわち今日、本大臣が諸君と国家須要の政務を論ずるに至るまで進歩したるは、亜細亜州中何れの国にありますか。

 富国を目指した大久保利通、強兵政策を主張した西郷隆盛、そして立憲政治実現を唱えた木戸孝允らがどのようなせめぎ合いをしつつこれらの課題が達成されたのかをこの本は教えてくれる。「富国強兵」「立憲政治」と歴史の教科書ではキーワードで並列され簡単にまとめて片付けられるこの政治課題が当時どのように進んでいったのかを知ることができたのはよかった。これら三つの課題がどの順番で達成されるかで日本史は大きく変わっていたかもしれないのである。   著者が最後に感慨を込めて述べているように、「徳川幕藩体制を倒すために、幕末・維新期の思想家と政治家が必死にめざした「富国」、「強兵」、「武士会議」の重さと、明治二十六年末の議会で陸奥宗光が、それらはすべて実現しましたと言い切っている軽さとが、同じものであった」とはいえないだろう。
 歴史を現在進行形として肌に感じとれる感受性をもち続けるよう努めていきたい。

 本書では「征韓論」を唱えて容れられず下野した西郷隆盛について、一章が当てられている。このあたりのことは歴史教科書程度の認識しかなかったのだが、当時「征韓論」よりも台湾出兵のほうがはるかに重大事であったことを教えられた。そして「征韓論」というテーマが、日露戦争から韓国併合にいたる時代に人気を集めたことから事後的に西郷の「征韓論」がクローズアップされたらしいのである。著者は、そうした経緯から「自由党の創設者みずからが「征韓論」の第一人者であったことを誇示したり、台湾出兵論の中心的人物だった桐野利秋が、その崇拝者によって「征韓論」の代表に書き替えられたりしたのではなかろうか」と推察している。そういえば最近鹿児島の人たちが西郷隆盛が「征韓論」を唱えたという教科書の記述を変えてほしいという要望をだしたというのを新聞で読んだ記憶がある。

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日本の200年上巻

 『日本の200年 上』(アンドルー・ゴードン著、森谷文昭訳、みすず書房刊)を読む。
 最近江戸末期から明治にかけての歴史についての本を読んでいたのと、かわうそ亭さんのブログで紹介してあったのを読んで食指が動き、読んでみた。そこでもすでに指摘されてあるように、この書の原題は「A Modern History of Japan」であり、「Modern Japanese History」ではない。ここで描かれる歴史は、「日本と呼ばれる場でたまたま展開した、特殊「近代的な」物語」なのである。歴史というものをどう認識するかということが冒頭で簡潔ながら要点をついて宣言されている。この部分を読んだとき、これはこの歴史の当事者である私たちが、「私の本を読んでどうあなたの国の歴史をとらえますか」と著者から問われているのだと感じた。
 私はたまたま日本という国に生まれて、近現代史の流れの下流を漂っている一人の人間なのだろうか。それとも日本という独特の歴史の流れに身を託している人間なのだろうか。前者であれば私の世界はこの地球上のほかの国々の人々と歴史を共有しているのであり、その流れの中であるときは近づき、あるときは離れながら大河を下っていることになる。後者であれば、私は他の国々の流れとは交わることもなく、しがたって共感なく傍観しながら小川を下っていることになる。歴史を読み解いていくときにどちらが実り多い姿勢であるかは明らかだろう。ただし同じ河を流れているとしてもヘーゲルが喝破したように世界精神のような同じところに流れ着くとは保証のかぎりではないのである。
 そんなことを感じさせてくれる歴史の本である。これは他国の人が書いてくれた日本史でなければなかなかこうした味わいはでないのかもしれない。各章の事件は私たちにおなじみのことだが、章末には著者の総括がこれまた端的に述べられており、この部分を読んでいくだけでも十分に面白い。
 試みに各章の終わりに書かれている文章を抜粋してみる。

序章 過去が遺したもの

本書の狙いは、この歴史における原因と結果を整理し、連続性と突然の変化の両方を見定め、日本人自身が自分たちの経験をどのように理解しているのかを理解することである。これらのテーマはいずれも、世界市民が共有する歴史の遺産の一部をなすものであり、人によって見方は分かれても、重要でありつづけているテーマである。

第一章 徳川政体

 徳川の秩序の柔軟性と、その秩序のおよんだ範囲は、限られたものだった。一八五○年代にその軍事力と経済力を日本国内にまで突きつけるにいたった西欧の国民国家と比較すると、徳川の政体は、不細工であり、構造的にもまとまりを欠いていた。(中略)十九世紀初頭の時点までに、この政体の基本的性格にかかわる、経済社会的およびイデオロギー的な面の大きなひずみは、徳川幕府の政治的・社会的支配を大幅に弱体化させてしまった。

第二章 社会的・経済的転換

 徳川時代をつうじて社会的な抗議が徐々にではあるが、確実に強まったが、それは昔からあった不平等一般への反応として強まったわけではなく、新しいタイプの不平等、つまり、市場経済がもたらした不平等への反応として強まったのである。支配者と富める者たちは、地位の高さのゆえに攻撃されたというよりも、むしろ高い地位にある者には当然慈善を施す義務があると了解されていたはずなのに、かれらがその義務を履行しなくなったがゆえに攻撃されたのだった。

第三章 徳川後期の知的状況

 十九世紀初頭の時点までの徳川時代の、多くの思想家たちや現状の批判者たちの著作を貫いていた一本の糸は、要するに、時代は混乱状態にある、という広範な意識だった。(中略)ものごとを正すとは、多くの場合、徳川時代初期の理想化された黄金時代に回帰することを意味した。(中略)一八五○年代にいたって、西洋が支配する世界秩序へと日本がむりやりに屈辱的なかたちで参加させられるようになり、劇的に新しいコンテキストがつくり出されると、行動を求めるこうした声は、多くの人々の不満および挫折した願望と混ざりあった。

第四章 討幕

 幕府の崩壊を嘆く者はほとんどいなかった。しかし、新秩序に賛同する者もほとんどいなかった。だれが新体制を率いるのか。新体制の構成はどうなるのか。一八六八年に明治という新しい年号が制定されたが、その時点では、これらの問いや他の多くの基本的な問いへの答えは、空から降ってきた御札といっしょになって、文字どおり宙を舞っているかのようにみえた。

第五章 武士たちの革命

 ヨーロッパを基準とする比較を避けることに加えて、明治革命が、世界中の近代革命と同様に、持続的な激動のプロセスだったことを認識することも肝心である。公立の学校、新しい税制、徴兵制度は、これらにしばしば反抗的に反応した国民にたいして、上から強引に押しつけられた。(中略)明治革命は多くの変化をもたらしたが、決着をつけた問題は、ごくわずかでしかなかった。

第六章 参加と異議申し立て

 あきらかに、憲法の起草者たちは、憲法が国民を封じこめる機能を果たすことを期待していた。しかし、明治憲法が民権を制限したことだけを強調しすぎると、憲法がそののちの変革をもたらす源泉としてもった歴史的な意義を見落とすことになる。否定できない事実は、憲法に規定された、公選による、そして助言の権限をもつにとどまらない国会というものが、いまや存在するようにいたったという点である。(中略)元老たちが憲法を制定することを決定したさい、かれらはそのような政治的統一体としての国民(ボディ・ポリティック)が形成途上にあり、政治秩序について独自の構想を練りあげつつあったことを、痛切に感じていたのである。

第七章 社会、経済、文化の変容

当時の非西欧世界の多くは、拡大の一途をたどっていた欧米諸国の覇権にたいする経済的、政治的従属を、ますます強く強いられていたのである。欧米の「先進」諸国のなかには、独裁的という点では新生の明治体制に劣らない国もいくつかあった。しかし、あらゆる近代革命に共通していえることだが、明治時代に起きたかずかずの変化は、進歩と痛みが複雑に混ざりあった遺産を残した。

第八章 帝国と国内秩序

それらの(国粋主義的・愛国主義的な団体)組織や団体は、日本らしさについて正統な見方・考えかたというものを打ち出し、広めた。すなわち若者は大人に忠誠を尽くし、女性は男性に、小作人は地主に、労働者は雇用主や資本家に、兵士と臣民は天皇と国家に忠誠を尽くす、という入れ子状に順次組み合わさった、一連の忠誠心の組合せシステムこそが日本らしさの本質だ、ととらえるものである。人々には身動きする余地は残されていたし、ときにはこの忠誠システムに刃向かうことさえも不可能ではなかった。しかし、日本帝国の政治秩序は、強力な規制力もそなえていた。

第九章 経済と社会

社会的・文化的な衝突のいくつかは、古い共同体が失われることへの不安と、古い共同体を救いたいという願いとを反映していた。農民と労働者は、富と力をもっている人々にたいし、従来どおりに温情的な保護をあたえつづけるようにと迫った。しかし農民と労働者は、すでに恩恵を「権利」として要求しはじめていたのだ。かれらは、新しい、近代的な政治と文化の言葉を使うようになった。そして、古い伝統を維持することから、新しい伝統を定義することへと、主張の力点を移しつつあった。

第十章 戦間期の民主主義と帝国

一九二○年代の終わりから三○年代のはじめにかけて、帝国民主主義秩序が国の内外で攻撃にさらされると、日本の指導者たちは、民主主義よりも天皇と帝国を優先したのである。折から経済不況と国際緊張が深まるなかで、指導者たちは、強調的な帝国主義よりも排他的な帝国を選び、議会制民主主義の道を捨てて、権威主義的政治体制を強化したのである。

 

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日本ナショナリズム解読

 『日本ナショナリズム解読』(子安宣邦著、白澤社刊)を読む。本書は本居宣長を出発点にして、日本のナショナリズム概念の形成を経時的に解読していく。

 ・・・「民族」の概念は、ただエスニックな契機によってではなく、強い集合力をもった歴史心理的な契機によっても規定されるものです。その歴史心理的な契機として言語や宗教、そして文化の同一性があるでしょうし、また神話や歴史的記憶の集合的共有もあるでしょう。こうした契機による強い排他的な集合性をもった「民族」概念は、決して古く形成されたものではありません。むしろこれは近代国家を新たに語りだすために造り出された概念といってもいいものなのです。

 「民族」をはじめとして近代的概念が我が国においては、西洋からの輸入の「翻訳的な転移」として成立したことを著者は指摘する。この「転移」においてどのような欲望がその言葉のなかに織り込められたのかということに敏感でなければならないとこの本を読んで感じた。
 第1章(解読1)から第5章(解読5)までは、著者が今までの著書(『本居宣長』『国家と祭祀』『『文明論之概略』精読』)の中で述べてきたことの概略が見通しのよい形で簡潔にまとめられている。ちょうど広角レンズで風景を眺めてから、興味のある対象に焦点を絞りこむように、前半で大きく俯瞰するように時代の流れを追い、後半は昭和初期のナショナリズムの成立に焦点が絞られる。ここでは特に和辻哲郎の『倫理学』が取り扱われる。その章(解読7)の冒頭で著者の結論的言辞が掲げられる。

 明治に始まる近代日本にまず「倫理学」があった。すなわち「倫理問題」に先立って「倫理学」があったということである。

 漢語にあった「倫理」ということばに、翻訳としての「倫理ethics」が転移され、「倫理学」が作り出される。この部分の著者の倫理学に対する診断は手厳しい。

 市民社会の未成立の日本にまず近代倫理学が近代市民社会の倫理問題とは何かを教えていくのである。近代日本にはまず倫理学が存在しなければならなかったのである。倫理学が倫理問題に、政治学が政治問題に、宗教学が宗教問題に先立ってあるということは、近代日本のアカデミズムが終始もってきた性格である。倫理学の先在性ということが、日本のアカデミズムにおける倫理学を根本的に既定している。帝国大学の倫理学科とは欧米の倫理学説の導入のばであっても、日本社会の倫理問題に答えることに責任をもった学術の場ではない。

 この空白の倫理学の中に近代市民社会のethicsとしての倫理ではなく、近代国民国家日本の倫理学が書き込まれていくのである。これはあの昭和初期という時代背景がどのていど必然的影響を及ぼしたのだろうか。あの時代に限らず同様の欲望の転移はまた再発することがあるのだろうか。真摯な疑問を問うことから学問が成長しなければまたどこにでも同様な現象が起きるとうことは十分に考えられる。学者という専門集団は歴史のこうした教訓にあまりにも無知で楽観的すぎはしないだろうか。
 岩波文庫から奇しくも和辻の『倫理学』が刊行中である。やはりこの機会に読まねばならないか。

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