今年の読書ベスト5

今年もいろいろな本に出会ったが、私なりに出会えてよかったという本を五冊選んでみよう。選ぶという場合に何を基準にするかというのは難しい。結果はあくまで本人の主観的判断であるが、他人にもわかりやすい客観的基準があって然るべきだろう。たとえば、(1)繰り返して読むか、(2)予算が限られていた場合にどれを優先して買うか? (3)失したときにまた自腹で買うか? といった基準が考えられる。あくまでも私が今年出会ったという条件だから書籍の刊行年は2007年に限らない。また分野はそれぞれ違うので1から5まで順位付けをする意味あいはないことをお断りしておく。

1.十六世紀文化革命1・2 山本義隆著 みすず書房
2.神は妄想か       リチャード・ドーキンス著 早川書房
3.法哲学講義       笹倉秀夫著、東京大学出版会
4.心の起源        D.C.ギアリー著 培風館
5.贖罪          イアン・マキューアン 新潮社

では皆様よいお年をお迎えください、ととりあえずは年末の御挨拶をしておきます。
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「走れメロス」にこだわる

 岩波の「図書」10月号に掲載されていた安野光雅氏の随筆『「走れメロス」にこだわる』を読む。氏は以前にもこの題材でエッセイを書いたそうだが、

文学作品としての価値をとやかくいうのではない。現行の中学校検定国語教科書の総てに掲載され、日本中の生徒が嫌でも教えられる仕掛けになっているために、「友情」のロジックを問題にしたいのである。

と冒頭で問題提議をする。
 この掌編は私も中学校時代に教科書で読んだので、もうそうとう長い期間教えられてきたわけだ。総ての国語教科書に掲載されているとすると、義務教育であるからほとんど総ての日本の中学生の人口に掲載年数を乗じた数の人間はこの掌編を読み、かつ中学校で「友情」なるものの大切さを教えられてきたことになる。影響は甚大である。
 したがって筋を改めていうまでもないだろうが、要約すると
1.「邪知暴虐」とされる王がいて、それにメロスは激怒する
2.その王を排除すべく単身城に乗り込む
3.死刑となるが、妹の挙式のために三日の執行猶予をもらう
4.その間友人のセリヌンティウスを人質としてメロスは城を出る
5.挙式を終えてメロスは走って城へ帰り、ぎりぎり間に合う
6.信義というものを知り、王は悔い改めてハッピーエンド
というものである。
 安野氏は、王が暴虐であるとあまりにも単純に信じ込み、排除するため単身城に乗り込むことの素朴蒙昧さをまず指摘する。現代社会では明らかにこれはテロであると。
 そしてメロスの勝手で人質にされてしまったセリヌンティウスの立場をもっと考慮すべきであるとし、こんな身勝手な友情の不合理さを非難する。確かにこんな友人が身近にいたら安心して夜も眠れないだろう。

「友情」という言葉にはふしぎな呪術性があり、「それでよかった」と強引にかたづけられているが、親友ならなおのこと、命に関わる「人質」を一方的に押しつけるべきではあるまい。(中略) この友情を美談として教えられるような人(教師)は、セリヌンティウスの立場を甘んじて受け入れられる人に限るであろう。

ご説ごもっともで、今改めてこの話の梗概を知るととうてい承服しがたいものがある。それにしても今回私が意外に感じたのは、メロスが友人の承諾なしに人質としたのだったということを知らされたことだった。私はいつの間にか、あの「悪い」王が彼の友人を人質としたのだと思い違いをしていたのだった。まったく人の記憶というものは、あてにならないものである。ある人が「悪い」とされると、その人がなんでもかんでも理不尽なことをしたのだと思い込んでしまっているのである。理不尽な約束をしたのはメロスのほうだったのだ。教科書の物語ですらこうなのだから、実生活での記憶も当然そのときの快不快の経験により歪曲されるだろう。ひどいやつだと思い込んでいる人は本当は勝手に自分が思い違いをしているのかもしれない。証言にもとづく歴史的事実もかなり証言者のバイアスがかかっていることを後世の人間は頭に入れて評価する必要があるだろう。歴史事実の認定において実証性はやはり不可欠なのだ。
 それにしてもこうしたどう考えても理不尽な友情が美談として長年教科書で教えられてきたということの方が問題かもしれない。一見対等な友人関係に見えるが、この人質要求を(その不合理性に意義を唱えることもできず)拒めないセリヌンティウスは明らかにメロスとは対等ではない。王を仮に敵国として、メロスが自国、セリヌンティウスがその国民とするならば、これはもう検定教科書としていいたいことは明らかだろう。「美しい友情」のためなら理不尽な要求でも引き受け、命を差し出すのが善なのだ。このとき王がなぜ悪なのかを議論してはいけない。メロスが悪だと決めたから悪なのだ。当時無批判に読み流してしまった自分のことを考えると、こんなふうにして「教育」ってできるのだなあと恐ろしくなってしまった。平和教育の大切さなどと言っているが、平和一辺倒であればそれは戦時下の教育と本質は同じなのだ。本当に重要なのは別の角度から考えてみることの大切さを教えることなのだと思う。

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