人口減少の危機が叫ばれること喧しきかぎりであるが、それを論じるにあたり基本的な知識を与えてくれる恰好の書物である。個人としての人は生まれて、一定期間生きたのち死ぬ。集団としての人はその個々人の生と死、人の移動によって成り立っている。集団としての人の数の推移を分析し、予測することが人口学demographyの目的であるが、著者も告白しているように「日本の将来の出生率の動向を正確に推測できる水準には達していない」のだそうだ。国連人口部長のタバ氏によれば「人口推計は科学的な労作というよりもアートである」とのこと。このアートによってどのような将来の日本像が描かれるのか。当面の予測によると日本の人口は減少を続け、65歳以上の人口割合は、2025年には30.5%、2050年には39.6%に達するという。2025年までの人口減少はまだ緩慢であり、その影響は軽微にとどまるそう(逆に言うと何らかの対策を打てる最後のチャンス)だが、2025年の時点でかかえる負の人口モメンタムによってその後急速に減少していくという。著者は「人口崩壊」と名づけているが、これはいわば日本人という種の絶滅への道だろう。野生動物と同じく一定の数を割り込むともはや自然のままでは回復は望めないのかもしれない。
著者は人口減少がむしろ好ましいとする楽観論についても言及し、時期によってはそうしたこともありうるが、期間は短いと述べている。確かにそうだろう。
歴史的にみて、死亡率が低下することによってなぜ出生率まで低下してくるのか。単純そうに見えるがこの疑問についても確乎とした答えはなく、対立学説があるというのも驚きである。死亡率の低下がとにかく究極的原因とする考え方に対して、社会経済的要因が根柢にあるとする考え方がある。本書を読む限りでは、後者の考え方の方が現在の日本に当てはまるような気がする。子どもをつくるという長期的投資についての費用対効果の考え方が変わってきているのだろう。苦労はしても子宝を授かる方が幸せであるという伝統的な価値観は大きく揺らいでいる。また女性、しかも限られた年齢の女性しか子どもをつくれないという生物学的制約に加えて、女性の避妊というのも小さくない要因であることが指摘されている。女性を「産む機械」と表現した某大臣は辞職に追い込まれたが、「機械」という表現が不適当だったのか、「産む」すなわち産んで当然という表現が不適当だったのか。男性に従属させられ子どもを産んでこそ女性という全うな機械であるという考え方が非難されたとすれば、この国では明らかに女性の少なからぬ割合が産まない人生を選択しているのだろう。
いろいろと考えさせられることが多い本である上に、生命表や合計特殊出生率、人口置き換え水準の意味、期間出生率とコーホート出生率の違い、安定人口モデルなど基礎もしっかり教えてくれる良書であると思う。