烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

自然の占有

2007-01-03 13:16:15 | 本:歴史
 『自然の占有 ミュージアム、蒐集、そして初期近代イタリアの科学文化』(ポーラ・フィンドレン著、伊藤博明・石井朗訳、ありな書房刊)を読む。
 本文だけで626頁、注釈などを含めると全頁782に及ぶ大著である。年末年始の休みを利用して読了。イタリアを中心として初期近代ヨーロッパに出現した博物館(ミュージアム)の歴史的背景を調べた本である。同時に博物学という学問が勃興して、18世紀の啓蒙時代での全盛期を迎えるまでどのように変貌していったかを著述している。
 中心人物はウリッセ・アルドロヴァンディ(1522-1605年)、アタナシウス・キルヒャー(1602- 1680年)の二人で、特に前者は本書を通じて登場するので、本書を読んでいると彼の伝記を読んでいるような気になる。
 まだ自然科学という学問分野が確立していない、科学と魔術の境界が不分明であった時期なので、科学という言葉を使うのは慎重でなければならないが、急速に拡大する自然の知識を記述しつくし、博物学の祖であるアリストテレスを批判的に発展継承していくことに力が注がれていた自然科学の胚胎期にあたる。アリストテレスの旧態依然とした知識を打破した自然科学のヒーローとして取り上げられるガリレオもこの時代の人であるが、本書を読むと新しい自然科学対旧態の自然哲学という図式は単純なものでないことがよくわかる。世界の知識を蒐集・収蔵してそのすべてを表象する場所としてミュージアムは出現した。それが個人の書斎(Studium)から始まり、展示のためのギャラリーへと拡張され、やがて公的性格をもったミュージアムとなっていく。この過程で、知識を共有しあう仲間で、嗜みある振る舞いを身につけたものであれば誰でも訪問閲覧することができたという半公共的な空間が知識の集積に寄与したことは西欧での自然科学の発展を考える上で重要な点ではないかと思った。キリスト教を背景とした歓待の文化というものが関係していると思われ、事実自然物の蒐集旅行という行為は「巡礼」という比喩で語られ、各地を訪れる「巡礼者」は紹介状である手紙を携えていけば、誰でも旅先のミュージアムを閲覧できた。
 本書の中でアルドロヴァンディのミュージアムの来訪者の職種内訳が掲載されているが、大きく分けて蒐集作業に関わるいわば同業者と彼らのパトロンたる王侯貴族、教皇に分けられる。その中で女性としてたった一人が記載されており、女学者(studiosa)と分類されている。当時博物学は女性に対してはほぼ門戸が閉ざされていたことがわかるのも興味深い。知識の収蔵庫としてのミュージアムが貴族文化の中の一機関として根付いており、そこにアクセスできる職種階級が限定されていながら、知識の収拾自体には高尚・低俗の区別はなかったという現象も面白い点である。
 パトロン(王侯貴族や教皇)とクライアント(博物学者)の関係の中で維持管理されていたミュージアムが、その公共性が増すにつれて国家的性格を持つようになり、その管理に携わる人間も然るべき資格が必要となっていく。好奇心だけの人間は次第に排除されていくのである。啓蒙としての知識と権威がその過程で密接な関係を切り結んでいく。
 18世紀の啓蒙時代の科学史を語る場合には知っておくべき前史である。