烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

イギリスだより

2007-01-16 22:39:20 | 本:文学

 『イギリスだより』(カレル・チャペック著、飯島周編著、ちくま文庫)を読む。
 
人はいろいろなところに旅をする。旅をして紀行文を残す。旅人の眼差しはその時代の眼差しだし、眼差しを注がれる対象も時代とともに川の流れのように変化していくから、古くなってしまう部分は当然ある。しかし優れた紀行文は、砂金を篩い分けるようにその中から変わらないものを取り出してくれるから、今読んでも面白い。
 チャペックはチェコの生まれ、
1924年開催の国際ペンクラブ大会に招待されて、ロンドンに行く。その後イギリスを旅して回る。その時の紀行がこの本である。「人は、それぞれの民族について、さまざまなことを考える。それらは、その民族が型にはめてみずからに与え、こうだと思い込んでいるようなものとは限らない」とチャペックは書き出す。旅先で経験するほんとうに些細なことがなぜか分からないが非常に強い印象を残す。彼にとってはそれがイギリスでみた「老紳士と自転車の少女のいた、緑の庭園の中のあの素朴な家」であり、ドイツでは「尊敬すべき腰を据えた居酒屋」である。フランスでは、居酒屋の前に荷車を止めてワインを飲んでいる農夫であり、スペインでは、黒い服を着て黒い瞳の幼子を抱く黒髪の女性であり、イタリアでは列車の中でチーズを勧めたごつい手である。その当時彼は「一つの民族と他の民族との距離は、おそろしく遠くなっている」という感想を抱いていた。孤立感が生み出す淋しさや偏見から私たちを救ってくれるものは、そうした旅先での経験、些細なしかし強い印象を残す経験なのではないだろうか。
 彼のロンドンの印象(大都会の成熟や喧噪-都市の二面性)が落ち着いた筆致で描かれている。自然史博物館や動物園の印象記、マダム・タッソーの蝋人形館での「不愉快な」経験のところは思わず笑う。またイギリスの料理に対する辛辣な評は旅行者の誰もが口にする「お約束」であるが、チャペックのそれはなかなか「味」がある。
 スコットランド、ウェールズ、北アイルランドを経巡り、再びイングランドへ戻った彼はイギリスの美しさをこう讃える。


イギリスでいちばん美しいのは、しかし、樹木、家畜の群れ、そして人々である。それから、船もそうだ。古いイギリスは、あのばら色の肌をしたイギリスの老紳士たちで、この人たちは、春から灰色のシルクハットをかぶり、夏にはゴルフ場で小さな球を追い、とても生き生きとして感じがよいので、わたしが八歳だったら、いっしょに遊びたいくらいである。そして老婦人たちは、いつも手に編み物を持ち、ばら色で美しく、そして親切で、熱いお湯を飲み、自分の病気のことなどはなにも話さないでいる。

そして最後にこう締めくくる。


要するに、もっとも美しい子供と、もっとも生き生きした老人たちを作り出すことができた国は、涙の谷である現世の中で、もっともよいものを確かに持っているのだ。

今のこの国にチャペックが旅したとしたら老人と子供たちを見てどのような印象を残すのだろう。「涙の谷である」世間に私たちは、どんなよいものを持っているだろうか。


 著者自身のイラストも掲載されているが、絵筆も立つ人だ。今後「チェコスロヴァキアめぐり」、「スペイン旅行記」とちくま文庫から発刊される由。これから楽しみだ。