烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

数学する遺伝子

2007-01-31 18:48:57 | 本:自然科学

 『数学する遺伝子』(キース・デブリン著、山下篤子訳、早川書房刊)を読む。
 数学の能力は、誰もが言葉をしゃべることができるようになる能力を持っているように、誰もが生まれつきに持っているものであると著者は語る。誰もがしゃべれるようにという句の「ように」というものが単なる比喩ではなく、著者が考える人間の脳の進化と言語の構造からすれば必然的関係であることを論じるのが本書である。
 ここで数学の能力というのは、数の感覚に始まり、計数能力、アルゴリズムの能力、抽象概念を扱う能力、因果の感覚、事実や事象の因果的連鎖を構築してたどっていく能力、論理的推論能力、関係性の推論能力、空間的推論能力が含まれる。難しそうな能力に見えるが、これは誰もがもっているという。こうした他の生き物にはない高度で高コストな能力を人間が進化の過程で獲得したからには、進化的な利点があったからに違いない。そしてここが著者が重要視する点であるが、進化により獲得されたものであるならば、一部の特定の人間にしか見られない能力ではなく人間に普遍的に備わったものであるはずであるし、無理な努力をしなければ獲得できないような能力ではないはずだという点である。
 文化が違っても誰もが言葉を話せるようになり、文法構造を瞬間的に把握することができる点-普遍文法を持っていることに数学的能力の起源を求める。語彙が単に増えるだけでは言語は生まれない。基本言語ツリーというパターンを用いてある規則(統語規則)のもとで組み立てていくことができるようになって初めて言語は生まれる。この特定のパターンを認識する能力というものは、一つ一つの段階を順に論理的に追っていくこととは異なる。デカルトは後者の過程のみで心的過程をすべて理解することができるとした点で誤っていたのだと著者は説く。ヒトの心はそのような計算機のようなものではなく、さまざまなパターン(視覚的、聴覚的、言語的パターンや行動、論理などのパターン)を認識し、それに対して反応する能力こそが人間特有の能力だという。
 このパターン認識については、パースの理論(表象のアイコン、インデックス、シンボルの三様式)が援用されているが、特にその中でもシンボルを操作することがパターン認識とりわけ言語能力で重要である。シンボルを生み出すだけでなく、シンボルどうしを関係づけること、そしてその関係性自体をシンボル化できることにより人間は、眼前にない不在の対象や抽象的な存在について認識できるようになる。
 さらに脳の進化により高度化するニューラルネットワークのおかげで外的環境からの刺激に対して単純に運動系を解して出力し反応するだけでなく、ある刺激を内部の神経回路内への刺激として扱うことが可能になった。それは外的刺激なしにみずからの「想像上」の世界で外的刺激と似た状態を創り出せることを意味する。これが可能になると現在存在していない対象を取り扱うことができるようになる。すなわち目の前にない遠くのものを語り、未来のことを語り、あるいは反実的なことについて語ることが可能となるのである。こうした作業を著者は「オフライン」作業と名づけている。
 数学的思考をするのは、まさにこのオフライン作業の一種であり、言語を操ることと同じことなのであると著者は考えている。言語能力の上や彼岸に数学的能力があるのではなく、言語能力を獲得した時点で数学的能力は備わったのである。
 ではどうして古代からヒトは言語を操っていたのに、数学の登場はそれに遅れたのか。著者は物理的な世界や社会的な世界に存在するパターンや関係性を推論する能力(これは誰でもいつも行っていることで、人間の活動はほとんどはこのことに費やされている。例えば人と人との関係を推論するゴシップなどはその最たるものだと著者はいう。)を自分が創り出した抽象的世界に適用するのが幾分困難なことが一つ。そしてもう一つはその推論の過程に要求される厳密さが非常に大きいことがその原因である。確かにゴシップで人間関係を憶測するときのほうが楽だろう。
 数学者にいわせると、彼らが扱う数字や記号は、あたかも小説の中に登場してくる人物のようなものだという。彼らはπやeに特定の愛着をもっているという。また私たちが日常の物事を直感的に捕らえるように、数学者はある問題を解いたという直観を得てから論理的証明にとりかかるのだそうだ。著者は数学的知見は発明よりも発見というのがふさわしいと述べている。
 それにしても数学的思考に取り組む場合は並々ならぬ集中力が必要であるという。そのオフライン作業に没頭している場合は、逆に周囲からの刺激に対しては無関心になるので、数学者が問題を思考しているときに周りのことに無頓着になってしまって犯してしまった過ちについての逸話はたくさんある。数学の問題を解くのに没頭していたアルキメデスが侵略してきた兵士の問いを無視して殺されてしまったのも数学者の著者からすればもっともなことだという。でもこれが昂じるとオフライン作業に没頭することで外敵に襲われたりして生存する可能性が低くなるので、進化的にみるとそういう個体は淘汰されてしまうだろう。多くの生物の場合は、扁桃体など情動と密接につながる回路があるため、少々物事に没頭していても外的な変化がおきた場合にはそれに対処することができるのだ。
 数学者が数を実在のものと考える(代表的な例はピタゴラス)傾向があるのも本書を読むと納得でき、数学者という人種を身近に感じることができた。
 進化的な視点から言語能力と関連づけて数学的能力を論じた本書は、実に痛快な一冊だ。原題もThe Math Geneであるが、本書を読むと遺伝子だけで決定づけられることでもないので、「数学する脳」というほうが適当かと感じた。