言語能力という生物学的本能(続)

 『言語を生みだす本能』(スティーブン・ピンカー著、椋田直子訳、NHKブックス)の続きである。ピンカーは言語能力に遺伝的基盤があること、そしてそれが自然選択による進化的産物であることを説明している。その中で「文法遺伝子」の話題が出てくる。もちろんこれは誤解を招きやすい表現で、ピンカーは単一の遺伝子で言葉をしゃべる際の文法が規定されるわけではないことを念をおしている。これに限らずいつも思うことだが、「○○のための遺伝子」という表現は特に注意する必要がある。まるでその遺伝子だけがすべてを規定しているような印象を与えるからである。
 まあ言語能力についての遺伝子はまだ全くといって分かっていないのだが、ある特定の遺伝的異常を有する人は高い確率で文法的規則にしたがった表現に非常な困難を覚えることが多いということがあるということである。こういうことが書かれると決定論だとか人を生まれつきによって差別するものだとかという人もいるが、これは的外れな意見だ。
 運動能力に個人差があるように、言語能力や数学的能力、芸術的才能には遺伝的基盤があることは確実であろう。複数の遺伝子が脳神経系のニューロンの接続に関係しているに違いない。遺伝子は設計図というより料理のレシピのようなもので、料理書に何分くらいどれくらいの火加減で煮るかが書かれているように、DNAはある特定の時期にどれくらいの間ある遺伝子を発現させるかという指示に関わるのであろう。だから物質的基盤は同じ(すなわち料理の材料は同じ)でも違った表現型(すなわち違った料理)になる。表現型は環境要因によっても変わるから、訓練などの後天的影響によって上達もするわけである。後天的要因が最小限でも最高の後天的環境下に置かれた個体と同等かそれ以上の能力を発揮するのが、いわゆる天才である。
 話が少し横道にそれたが、言語能力の遺伝的基盤が自然選択の結果獲得されたものであることをはっきり述べているところがピンカーの面目躍如たるところである。人間に、ある固定した下部構造があることこそが、いい加減な相対主義を退ける根拠となるのだ。
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言語能力という生物学的本能

 言語をもち、それゆえ言語に基づく文化を有する存在は人間だけである。ここが決定的に動物と違うところとされるから、人間の起源を考えることは言語の起源を考えることに直結する。言語が出現するためにはまずそれが通用する社会がなければならないが、そもそも社会があるためには言語でお互いが意思疎通できなければならない。どちらが起源なのかははっきりしないから、ルソーは『言語起源論』で言語は神から与えられたと暗示している。これではまったく解決にはなっていない。解決がつかない深遠な問題があると決まって神様を持ち出すばかりか、それをもって神の存在理由にすることがあるが思考停止に陥るようなこうした神の概念はいただけない。
 『言語を生みだす本能』(スティーブン・ピンカー著、椋田直子訳、NHKブックス)を読むと、言語能力が人間の本能であることが主張されている。この説の淵源はダーウィンの『人間の由来』である。すなわち言葉を操ることは、鳥が巣作りをしたり、ビーバーがダムを造るのと同じ生物学的本能であるというのだ。人間が普遍的な文法をもつことを主張したチョムスキーに、ダーウィンの自然選択を接続させる形で、ピンカーは言語の生物学的基盤を解き明かしていく。
 この本では言語が人間に普遍的であるということの基本に、心的文法があることを聴覚障害者やクレオールのことばを例にとりながら説いている。同時に言語的思考というものがすべてではなく、心的イメージに基づく思考というものも存在していることを言葉をまだもたない幼児の研究成果から主張している。
 特に重要と思われるのは、こうした基礎研究から「言語が思考を規定する」という社会学の説を否定していることだ。特に俎上に上げられているのがサピアとウォーフの言語決定論で、民族によってたとえば色彩の語彙が違うことから主張されるところの言語決定論がいかにいいかんげんな代物であるかが示されており、旧来の認識は破棄されるべきであることを教えられた。さらに赤ん坊は言葉を覚える前に簡単な計算をしていることや心的イメージによる思考の存在を示す実験結果を紹介している。思考と言語ははっきり別物であるというのが最近の認知心理学の成果だ。
 このことが事実だとすると、言葉が人間の認識を決定するという言説はかなり怪しい(すなわちかなり割り引いてきいておくべき)説だということになるし、言語によって初めて欠如が認識できるようになるとするラカンの説も再検討する必要がある。ラカンは人間が言語をもつことで初めて象徴界に参入し、欲望をもつことができるようになるとしているからである。言語により認識できるようになる欲望以前にある欲望の方がより根本的なものであるならば、精神分析的言説が人間の根源を説明するというのもいいすぎだろう。

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ナルニア国物語

 映画『ナルニア国物語』を観た。私はファンタジーはほとんど読まないので、C.S.ルイスの原作は読んでいない。したがって原作を論じたりそれとの比較を評する立場にはない。
 ファンタジーは異界への(空間的、時間的)移行が物語の最初の重要点であろう。映画では四人の同胞がまず空襲に苛まれるロンドンから郊外へと疎開するところから始まる。ここでは現実の交通手段として汽車が使われる。まず第一段階の異界への旅として汽車が道具として使われているのは、「ハリー・ポッター」シリーズでもそうであったし、ファンタジーでは常套手段といっていい。さらに第二段階としてナルニア国への移行にあたり、常界と異界の境界(「門」)となるのが、衣装箪笥である。衣装箪笥や押入れの中に隠れて息を潜める経験をルイスは巧みに使っている。おそらくルイスもかくれんぼの経験があるのだろう。暗い空間に身を潜ませると、次第にそこが広いのか狭いのか分からなくなってきて、体を包む皮膚全体に神経が集中する不思議な体験は私も記憶がある。(最近のマンションではこういう経験をしたことがない子供が多いかもしれない。だとするとこれは映画の理解を妨げる不幸なことだ)。

 ナルニア国での出来事は、貴種流離譚に基づいた明界と暗界の対決の中で主人公たちが成長するという形で進行する。これ自体には、特筆すべきこともない。CG技術によって初めて映像化が可能になったということらしいが、私はライオンの毛並みが昔みた『ジュマンジ』という映画に比べれば格段によくなったなぁという感想をもったくらいか。それとつい最近読んだ小谷野敦のエッセイ「ファンタジーは君主制の夢を見るか?」(『なぜ悪人を殺してはいけないか』[新曜社刊]所収)で、ファンタジー作品がなぜ英国で多いのかということが論じられていたことを思い出した。

 この物語の背景として、戦争という陰惨な現実があり、家族の柱(少なくともこの時代には父親はまだ柱であったはずだ)としての父という超自我が不在であるという二つの点が現実からの逃避を促すという点で物語の発端として重要であるように感じた。
 四人の同胞の構成は男性二人に女性二人であり、最年長者が男性で最年少者が女性である。現実への適応(ときに過剰な適応)志向と現実には必ずしも適しない選択も辞さない性向という軸を設定してみると、兄弟姉妹をそれぞれ配置することができる。敵と対峙し最も現実に適応しようとするのが長男のピーターであることはいうまでもない(彼は英雄王と呼ばれいてる)。そしていかなる事態にも損得勘定なく、当惑することなく融通無碍に対応するのが純真無垢な最年少のルーシーである(彼女は頼もしの君といわれる)。この呼び名を聞いて、英雄とは必ずしも頼もしい存在ではないのだということを改めて感じさせられた点は、面白かった。
 ともあれナルニア国での体験を通して四人四様に自分の超自我を獲得し成長するのだが、その時父としての超自我はもはや不要となる。だからこの物語では父親は冒頭で写真としてしか現れない。

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送別会の季節

 この時期は毎年のことながら送別会が目白押しとなる。送別される人はたいてい複数の人間関係のグループに所属しているから送別会も複数開催される。送別されない私もいくつかのグループに所属しており、そのそれぞれからその人の送別会の案内が来るので、自ずから送別会に複数回出席することとなる。送別される人は一人ではないからこの時期連日送別会に出席することとなり、場合によっては同日になったものについてはいろいろな重みづけで詮衡してその一つに出る。
 連日こういう状態だと当然夜の読書はできない(ただでさえ本を読む時間がないのにこれは非常に不幸なことだ)。会によっては(送別会があるからといいつつ)早く家に帰って一人で本をこっそり読んでいたいという誘惑に駆られることがある(こういうとき読書は密かな悪徳だと思い、こっそり笑うのである)。
 会に出たくなくなる理由の一つには、送別が必ずしも別離を意味しない会が多いからである。葬儀ではなく送別ならばまた出会うこともあるしと思うからである。現在のように携帯やメールが普及した時代になると遠くへ行ってしまうという実感がなおさら伴わなくなる。二つ目に送別される人より送別する人が多すぎてやたら挨拶(しかも判で押したような挨拶)を聞かされること(これは送別される本人の方が大変だと思う)。三つ目には当然ながら出費がかさむことである。送別の時にけち臭いことは言いたくないが、こうした出費がかさむと当然本代が減る(これも不幸なことだ)。いつぞや送別会に出席する途中に本屋に立ち寄ってしまい、本を買ったら出席する会費が足りなくなって慌てて家に帰ったこともあるし、会費のために泣く泣くその日は本を買わずに本屋を後にしたこともある(この点古本屋だとなじみの主人に取り置きしてもらえるのでありがたいことだ)。こうした諸事情を考察しているとますます外出が億劫になってくる。
 とはいいつつもまたこれから送別会である。やれやれ。
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見世物としての動物

 珍奇な事物はなぜか妙に有難がられる。まして宗教的な意義(と堅苦しく書いたが平たく言えばご利益)があるとなれば、その価値はさらに高まる。
 1972年に中国から贈られたジャイアントパンダのカンカンとランランが上野動物園にやって来て、公開されたときには日本中から人が押し寄せた。動物学に熱狂的な興味をいだいている人が日本にそれほどいるわけはないので、ほとんどの人は何か珍奇な生き物が来るということで上野動物園に行ったに違いない。一応テレビでのんきに笹を喰らっている姿を見ることはできたが、それでも上京して自分の眼でパンダを「拝んだ」のである。
 珍奇なものは、「珍」すなわち遭遇頻度が非常に低く、かつ「奇」すなわち平均的概念から有意に外れる(2SD以上か)であることによって、「在り難い」ものとされる。「在り難き」ことは「ありがたい」もので、ご利益につながる。こうして珍奇なものを見ることができたときに、「いいものを拝ませてもらった」と賛嘆し、我々はいつの間にか見る行為において対象に跪拝してしまっている。聖性がどうして生まれるのかは難しい問題だが、珍奇な対象にはいわゆるアウラ*があり、そのアウラの及ぶ範囲に入ること、すなわち聖性の領域に自ら侵入すること別言すれば日常の境界を敢えて侵犯することが非常に大事な要素なのだろう。だからテレビで仏像をたとえ何回拝んだとしても信心深いとは言われない。まさしくメディアという「媒体」を介さない直接性が重要なのだ。
 『江戸の見世物』(川添裕著、岩波新書)を読むと、冒頭のパンダフィーバーが江戸時代にも珍しくない現象であったことを教えてくれる。当時は鎖国をしていたから海外からの動物の移入も長崎が門戸となっていた。「舶来」動物種として、当時ゾウ、ヒクイドリ、ラクダ、ヒョウ、トラなどが記録されている。幕末にインドゾウが来たときには、歌川芳豊が見世物絵を描き、その説明文を仮名垣魯文が書いた。その文句には「一度此霊獣を見る者は七難を即滅し七福を生ず」と謳われており、ごく短時間でもこの聖性に触れることで災いと福とする効用があることを説いている。感染症の多い時代でもあり、疱瘡や麻疹に対する厄除けを宣伝されているものが多い。中にはラクダのように夫婦円満のご利益が強調された動物もいた。滅多にお目にかかれないこうした動物に限らず、例えば普通の動物に頻度は低いが発生するアルビノ(先天性白皮症)も「聖性」を生む。白雉や白虎などとして珍重される。
 パンダ来日のときに、巷でどんなご利益が噂されたのかは知らないが珍奇な動物には昔から多かれ少なかれ常に宗教的眼差しが注がれていたのである。珍奇なることにより聖性が生まれるとすれば、環境破壊により今日図らずも絶滅の危機にたたされている世界の希少動物においても同様ではないだろうか。人為的に珍奇な種となってしまったことにより、保護を唱える人々の心の深層には(宗教的罪という意味も含めて)少なからぬ宗教的心性が流れているのではないだろうか。


*なぜアウラがあるのかと考えると、珍奇だからという循環論法に陥ってしまう。

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研究資金という投資

 科学技術が発展するためには、才能のある科学者に潤沢に資金を与え研究に没頭させることが最良だと認識されている。最近のわが国の大学への研究補助も可能なかぎりそうあるべく、重要な研究課題について優秀な人材に十分研究費を助成するための仕組みを整えつつある。しかし考え方は間違っていなくても、真に独創的な才能をどう評価するのかという問題は常に付きまとう。真の独創性はしばしばその同時代の科学的価値観からは評価されないからである。つぎ込む資金が国民の税金ともなれば、その評価には多大な責任が伴うから博打みたいなことは当然しづらくなる。
 でも潤沢な研究費が私財であるならば、(家族や親類は別として)誰からも文句を言われる筋合いはない。裕福な環境にあっても才能はそこそこで結局道楽科学に終わるという例は多数あるが、歴史を変えるほどの独創的な科学者で裕福さを兼ね備えたという(本人にとってはもちろん人類にとっても)幸福な組み合わせを進化論の祖チャールズ・ダーウィンに見ることができる。以下のエピソードは『甦るダーウィン』(小川眞里子著、岩波書店刊)からの受け売りを交えながら紹介する。
 彼の父親ロバート・ダーウィンは橋や道路の開発に積極的な投資を行うと同時に、医業でも成功を収め同時代の医師としては破格の収入を得たという。おまけに金貸しまで営んでいた。妻はあのウェッジウッド家の娘だったからこちらも相当な資産家である。息子たちに潤沢な教育費が注がれたことは当然であった。父親はチャールズに年間三百ポンドの学資を与えたという。当時の大学教授の年収が百ポンドだったというからいやはやという感じである。チャールズはその金で人を雇って標本採集をしていたという。
 当のチャールズはどうだったかというと、博物学に興味はもっていたものの進学した医学部の学業ははかばかしくなく、二年で中断して自宅に戻ってしまい、結局医者にはなれずじまいであった。これだけのことならばチャールズという資産家の息子が牧師の道を歩み道楽で博物学をしていたという何の変哲もない話に終わるのだが、ここであのビーグル号での五年間の航海旅行の話が持ち上がり、チャールズは運命的な旅立ちをする。ここでもその準備資金に六百ポンド、乗船するにあたり年間五百ポンドを要しているから、チャンスも大事だったが、ここでも親譲りの資産が大きくものを言った。
 科学者としての能力は確かに優れていたから、たとえ資金がなくても同時代での有名な科学者の一人として名を連ねるくらいにはなっていただろうが、『種の起源』を著し、人間についての認識を一変させた偉業を達成するには産業革命時代のイギリスの経済成長の恩恵を蒙った父親の存在が不可欠であった。もしこの莫大な資金が国の金ということだったらおそらく当時無名のチャールズに投ぜられることはなかったであろう。
 文系理系に共通したことだと思うが、研究費の無節操なばらまきというのはもちろん困る。しかし世界的業績をと腹を決めて国が取り組むのならば、実の親が子を育てるつもりで金を投じる必要があるのだ。道楽息子に終わるリスクも覚悟で。
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哲学宗教日記(続)

 1946年に『哲学探究』第一部が完成する三十年前、ウィトゲンシュタインは第一次世界大戦に従軍し、東部戦線で戦争を経験する。彼の属するオーストリア第七軍は将兵一万六千が三千五百にまで減る敗北を喫する。このとき彼が残したのが次の言葉である。



神と生の目的とに関して私は何を知るか。
私は知る、この世界があることを。
私の眼が視野の中にあるように、私が世界の中にいることを。
世界ついて問題となるものがあり、我々はそれを世界の意味と呼ぶことを。
世界の意味が世界の中になく、その外にあることを。
生が世界であることを。
私の意志が世界を満たしていることを。
私の意志が善か悪であることを。
それゆえ善悪が世界の意味と何らかの形で関連していることを。
生の意味、すなわち世界の意味を我々は神と呼ぶことができる。
そして父としての神という比喩をこのことと結びつけることができる。
祈りとは生の意味に関する思考である。
世界の出来事を私の意志によって左右するのは不可能であり、私は完全に無力である。
私は出来事への影響を断念することによってのみ世界から独立できるし、それゆえある意味で世界を支配することができる。


そして1937年2月22日の日記で彼はこう記す。



 人間はおのれの日常の暮らしを、それが消えるまでは気がつかないある光の輝きとともに送っている。それが消えると、生から突然あらゆる価値、意味、あるいはそれをどのように呼ぶにせよ、が奪われる。単なる生存-と人の呼びたくなるもの-がそれだけではまったく空疎で荒涼としたものであることを人は突然悟る。まるですべての事物から輝きが拭い去られてしまったかのようになる。すべてが死んでしまう。これは、例えば、病気の後に時として起こる。もちろんだからといって、それがより非現実的であったり、重要でないことなのではない、つまり、肩をすくめて済ますことはできない。その時、人は生きたまま死んでしまう。あるいはむしろこう言うべきかもしれない。これこそが人にとって恐ろしいものでありうる本当の死なのである。


 神を信じるということは、例えば目の前のコップがあることを信じることや、眼に見えないウイルスがあることを信じることと同じではない。単にものを認識することや表象することではなく、ある価値を意思することである。
 後期ウィトゲンシュタインの重要な概念である「言語ゲーム」は、言葉をつかってあることを言うことが、世界の姿を映し出すことにあるのではなく、意味のネットワークを浮き彫りにすることであることを示した。この概念には、「ゲーム」と名づけられているだけに、神学的な手触りは感じられないが、彼の日記を読むと日常の生活に意味を見出すことにいかに真摯に向き合っていたかを思い知らされる。



つまり、生きるとは表面で見えているよりずっと真剣なものだということである。生きるとは恐ろしいほど真剣なことなのだ。

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哲学宗教日記

 哲学をすることと信仰することがどちらも救済を求める行為であるならば、ウィトゲンシュタインが辿った『論理哲学論考』から『哲学探究』への道のりは、まさしく信仰を求める道程であったことが分かる。どこから知ることができるのかというと、『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記1930-1932/1936-1937』(イルゼ・ゾマヴィラ編、鬼界彰夫訳、講談社刊)の記述からである。
 1918年に『論考』を完成させ、1920年から一時哲学的活動から離れ小中学校の教師として生計をたてる。1927年からウィーン学団との接触が始まり、その二年後にケンブリッジに戻り、そこで『論考』に対して博士号を授与される。第一部の日記は、ウィーンからケンブリッジに戻った時からつけ始められる。この部分を読んでいると、彼の中で「哲学的思考」領域と「宗教的領域」とが境界を保ちつつ、その境界で激しく化学反応を起こしていることが読み取れる。これが単に頭の中だけの問題ではなく、生きている彼自身の問題であったことは、日記の記載が教えてくれる。



私は時に思う、
自分は一種の精神的な便秘を患っている。それともこれは、腹の中に実はもう何もないのに吐き出したいと感じる時のような幻想に過ぎないのか?

私の思考が無傷で生まれてくることは滅多にない。
 生まれたとき、それはどこかで曲がっているか折れている。さもなくば思考は総じて早産であって、まだ言語の中で生きていく力がない。その時小さな命題の胎児が生まれるが、最も重要な手足はまだそろっていないのだ。

上下二つの部屋に二つの世界が宿れるとしたら、それは奇妙なことだ。上で大騒ぎしている二人の学生の階下で私が暮らすとき、それが起こっているのだ。

絶望している人間とはりんごをどうしても欲しがるわがままな子供のようなものである。ただ人は普通わがままをやめるのがどういうことなのかを知らないのだ。それは手足の骨を折(り、以前関節がなかったところに関節を作)ることである。

 私の哲学における思考の動きは、私の精神の歴史、その倫理的概念の歴史、そして私の状況の理解の中にも再び見出されるはずであろう。


 しかしこの時期の彼は、まだ自己批判を行いつつもそうした行為の自己欺瞞性、虚偽性に苛まれており、自分の虚栄心の強さゆえに罪を告白できないことを綴っている。
言語というものに内在する原理からその限界を定め、「語りえぬもの」の領域を示すことが彼の前期の仕事であり、使命であった。言語の表現する限界を超えたところに存在する真理を哲学的に内側から明晰に示せるという彼の主張が、彼の中で真理に対する一つの罪となって彼を苛んでいたことがこの日記でしることができる。そしてそれは言語を使うのは他でもないこの「私」であるということと無縁ではなかろう。「私の言語の限界が私の世界の限界である」と言い切っているからである。
 1931年11月15日の夢(集金に行った彼が役人から電気椅子に坐らされるが、実は小指以外は拘束されていなかったということが分かるという奇妙な夢)の後から、彼の哲学は『論考』を解体して『探求』への道を歩み始める。単純な対象からなる要素命題から世界が記述可能であるはずだが、その要素命題の個数を数え上げられないことの根元に、「世界」は「私」なしには成立しないということがあるのだ。私がこの「世界を体験すること」と「神を信仰すること」が深い地下水脈で結ばれていることが、さらに第二部の日記を読んでいくと分かる(もちろんここでいう神というのは人格的に表象されるようなものでは全くない)。

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東西/南北考

 『東西/南北考』(赤坂憲雄著、岩波新書)を読む。
 冒頭に箕という農耕器具の形態の違いから日本の文化圏の違いを示唆することから話は始まる。柳田國男が唱えた「一つの日本」という概念に対するアンチテーゼを著者は唱える。米作を中心とする文化に対し、餅を正月に飾らない習俗があることなどを例にあげ、米作中心の文化が必ずしも普遍的ではなかったとことを例証するとともに、柳田の民俗学的業績の裏には、「一つの日本」があるというイデオロギーが存在したということを著者は主張する。 
 実際には「いくつもの日本」があったが、「ひとつの日本」を見たいという欲望が明治以降の近代、国民国家を形成する過程で造られてきたという。肉食の禁忌、屠殺を汚穢とみなす文化は限定的なもので、埋葬の民俗学的研究からも死を不浄としてとらえるのも「日本」固有の価値観ではないことを論じている。
 この著書の中では「米/肉の対立はいつしか清浄/穢れの対立に置き換えられ、その結果として、牛馬の処理や肉食にかかわる人々や、狩猟をつねとする人々に向けての卑賤視が強まっていった」と記載され肉食がどのようにして不浄という観念と結びついていったかは必ずしも明らかにはされていない。動物の屠殺が不浄という観念と結びつくのはなぜだろうか。稲作を生業としていることと四足獣の屠殺は必ずしも相反する概念ではないと思うのだが、これがどうして相対する対立軸となったのか。強力な宗教的戒律が存在しなかった日本だけに不思議でならない。

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休日が減れば・・・

 昨日友人からクイズを出された。「休日が減ると○○が増えるとするとこの○○は何か? 原文は英語でmで始まる文字だ」という。折しも休日出勤のことなどを考えていたところだったので、休日が減る→出勤日数が増える→その分手当は増える→とすると手にするお金(money)が増える、と考えて、「money」と答えた。そうするとすかさず「それは日本人の発想だ」と笑われてしまった。英国の人は、そういう考え方はせず、バケーションとしての休日を消化していく→「残りの」休日が減る→休日を満喫した分思い出(memory)が増えると連想するのだそうな。
 国民性をネタにしたジョーク同様、このクイズの真偽も定かではないが、「休日」というものの全体が確保されているという前提をもつかどうかで考え方は変わってくるのだと思った。休日はある日数必ず確保されていて、その日数を減らして労働にあてるという考えが毛頭なければ、休日が減るということは、消化して残りが減るということになる。しかし休日が他人の裁量に委ねられており、自分で自由に増減できないという状況にある場合は、休日が減るということは直ちに労働日数が増えるという発想に結びつく。残念ながら私には、自分の休日というものがカレンダー上の祝祭日のように一定数必ず存在するという考えがなかったのだ。
 当然休日を返上すれば、他の日に代休は取ることが「可能」とされているのだが、この「可能性」は、少なくとも私にとってはきわめて現実性の低い可能性なのだ。
 「日本人の発想だ」と同じ日本人から笑われ、図らずも貧困な休日の概念を明らかにしてくれたこのクイズに微苦笑したのだった。実は昨日のブログに記しておこうと思っていたのだが、その日の労働に疲れて眠り込んでしまっていたのであった。
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