烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

2006-12-24 22:00:19 | 本:文学

 『蝿 異色作家短編集5』(ジョルジュ・ランジュラン著、稲葉明雄訳、早川書房刊)を読む。
 表題の短編は、「蝿男の恐怖」、「ザ・フライ」と2回映画化されているのであらすじは広く知られていることと思う。前者の映画はこの作品を比較的忠実に映画化しており、私はそれを観たことがあったので、特に展開自体に面白さは感じなかったのだが、作中主人公が物質転送装置で実験をする場面が描かれているところが興味深かった。
 この作品が発表されたのは、1953年で、当時物理学の進歩によって素粒子の存在が次々と明らかになっていた時代である。さらに物資の輸送という点でみると、1950年代はジェット機輸送が出現した時代であり、いかに早く大量に物資を遠くへ輸送するかが時代の要請であった。物質をその構成粒子まで分解して転送して遠隔地で再構成するという発想が出てくるのもそうした時代背景を考えると頷けるところである。
 作中主人公がこの装置の試作品で灰皿を用いて実験を行う場面が描かれている。このとき灰皿自身はうまく転送できたが、その底に記されている文字が鏡文字になっていることが判明して困惑する。この文字というのが、「made in Japan」である。フランス土産として買った灰皿が実は日本製だったという設定であるが、当時日本は経済復興を果たし、アメリカをはじめ世界各国へ輸出を伸ばしつつあった。しかし質としてはまだまだで、この作品からもそのことがうかがわれる。(映画ではワインのラベルの文字ではなかったかと思う。)実験として使うのはまず粗悪品からというところであろうか。
 リメイクされた「ザ・フライ」ではバイオテクノロジーが発達した時代背景もあり、ヒトとハエのDNAが転送されるときに混ざってしまうという設定だった。
 発達する科学により手痛い竹箆返しを喰らう科学者という基本設定は、メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」の系譜に属するものであるが、映画ではリメイク版の方がマッド・サイエンティストという色合いが濃くなっているのは、科学が社会与える影響がより深刻さを増していることの現れなのだろうか。