烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

善の研究

2006-12-26 21:15:59 | 本:哲学

 『善の研究』(西田幾多郎著、小坂国継注釈、講談社学術文庫)を読む。
 西田幾多郎の代表的著作に、注釈がつけられ、仮名遣いも現代仮名遣いに改められており、全編460頁のヴォリュームとなっているが、かなり読みやすい。
 主体と客体を分離したものと捉えず、主客同一な統一的な意識現象を実在とする。物体というものを意識現象の不動的関係に名づけられた名目にすぎず、物体が意識を生じるという唯物論を退け、意識が物体を作るとする。
 西田は自由について、自己の内的な本性に従って必然的に働いたときに真の自由といえるとする。主意主義的な西田哲学の特徴の一つであると考えられるが、この点は倫理的な点からみると問題が多い。彼は善を自己の内面的要求、意識の統一力である人格の実現であるとする。自己の発展した真の人格は主客未分の直接経験においてのみ自覚されるという。これは宗教的な倫理と解釈されればさほど問題ないのかもしれないが、この考え方にしたがうと善の外的規準というものが曖昧であるため、恣意的に解釈されてしまう危険がある。事実西田は善行為の目的のところでは、善行為の個人性を強調するのであるが、それが収斂していく先を国家と見なしている。国家を共同性の意志の発展完成形態と見なしているのである。
 発生論的にみて、主客未分の状態が根底にあるとしても、倫理として構築していく場合は、ある外的な規準がなければ危ういのである。