見えなくとも、清潔な台所・トイレが欲しい

2013-05-16 13:04:28 | 日記
介護保険の見直しは反対だ

昭和35年頃であった。労働組合の大会の中で健康保険制度が討論されたことを記憶している。当時は「結核」が健康診断の主要検査の一つとなっていた。胃潰瘍とか高血圧などは、検診時の話題になったものの「胃がん、肺がん」などの言葉は出なかった。そして、この健康保険制度に対しては、「俺は病気などしない。しても風邪くらいだ。病院の世話にはならない。だから保険料を取られるのは反対だ」と。しかし組合健保であるから給料天引き、給料日のグチがしばらく続いたことを記憶している。しかし、長く結核を患っていた先輩が「ありがたい」と言って保険証を神棚に納めたという話も記憶に残っている。

そして「介護保険」である。健康保険のケースを考えれば、この制度にはかなりの抵抗があると思っていた。ところがスムーズに受け入れられていったことを考えると、高齢化の進行の中で身近な問題として受け止められたのだろう。しかし、一部には「親を自宅で世話できないのか。嫁は何をしている」などの煩い親族の声はあったがそれも束の間であった。

そして、船出した介護保険も早々に座礁に乗り上げてしまった。予想を上回る超スピードの高齢化の進行と、給付対象者の増大、それを補うための施設の拡充は保険料の増額となって跳ね返った。それでも解消できない「待機者」の増大がある。この出口の見えない状況の中で、今回、介護保険制度の見直しが検討されている。それは介護度が低い「要支援1・要支援2」を、介護支援制度から切り離して自立介護にするという中身である。

食事や排泄は一人でできるということで、買い物、掃除、洗濯といった家事援助は除外される。さらに、サービス回数の制限はあるが「デイーサービス」や「.介護予報のためのホームヘルプサービス」も切り捨てられるだろう。そして自治体や地域のボランテャーの見守りや配食に委ねるというものである。

「台所は汚れ、カビが湧く」、「トイレは汚物がへばりつく」。自分の目は弱っているから見えない。しかし、見える者にとっては耐えられない汚れは、見えないから「良いだろう」ということで、これまた切り捨ててしまうことをどう考えるかである。

見えなくとも、臭わなくとも、清潔なところで生活をしたい。そのことはギリギリの人格の尊重ではないだろうか。それをも否定するのか。今般の見直しに「ノー」を突きつけたい。

さらに付け加えたい。先の民主党政権国会で「税と社会保障制度改革国民会議」の設置が決められた。経緯については疑義もあるが、「日本のこれからのあるべき社会保障の姿」が描かれるとの期待をもった。しかし、同会議の姿は見えない。見えるのは「政府の有識者会議」の見直し提言である。その中に「軽度介護の切捨て」があり「混合診療の解禁」が出てくる。これはおかしい。


「若者は、“愛するものどうしで”こそ」

2013-05-15 17:25:48 | 日記
「若者は、“愛するものどうしで”こそ」

=日本維新の会の橋本徹代表は、14日、第二次世界大戦中の旧日本軍による従軍慰安婦制度について、「当時の世界各国の軍が、軍人の性的欲求の解消策を講じていた」と述べ、当時は必要だったとの認識を示しました。
また同じ会の石原新太郎共同代表は、国会内で記者団に「軍と買春はつきもので、歴史の原理みたいなもの、買春は好ましいものではないが、橋本氏は基本的に間違ったことを言ってはいない」と述べ、発言を擁護しました。=
まったく、耳をふさぎたくなる【言葉】でした。こうした言葉を容易に発する橋本・石原の両氏に生理的な嫌悪感を覚えたのは、一人、私の様な高齢者だけではなかったと思います。
だからこそ私は言いたいと思います。
戦争とは、殺し合いです。勝者であれ、敗者であれ過酷で残虐なもの。非道で、個々の人間性まで奪う『悪』そのものです。
日本人だけでも310万人ものいのちの犠牲を強いられた幼い頃の戦争経験の上に立って、私は国際間の紛争を武力で解決しないという憲法九条を、宝もの〈たまもの〉だと思っています。
この憲法を守って行きたいと強く念じております。
昨秋、私は靖国神社へ行って来ました。
〔アスタツ サヨウナラ〕の電報を家族に残して特攻隊に出陣し、散っていったWさんの、その白いマフラーの姿を夕空に思いうかべました。
九条を変えようとする自民党の皆さん、人間の愚かな部分をむき出しにさせる戦争という武力行為は断じて国家権力が行ってはいけないのです。
“安倍総理、戦争は醜悪です。『美しい日本』にふさわしくありません。改憲をもくろみながら、〈あの、素晴らしい愛をもう一度〉などとのパフォーマンスは止めて下さい。楽しげに、迷彩服を着て戦車に乗った総理の映像も、また不愉快でした”
「若者は“愛する者どうしで”こそ」身も心も結ばれるべきです。


ホームセンターで「抜歯セット」を買う

2013-05-13 20:12:40 | 日記
保険の契約によって「命の期間」が左右されるとは

米国の映画に「シッコ」(監督マイケル・ムーア)という作品がある。この映画はアメリカの「私費医療」の惨状を描いたものである。
TPPへの参加をめぐり、農業問題もあるが「混合診療」についても論議が展開されている。安倍首相は、日本における「国民皆保険制度」は絶対に守ると宣言している。多分形はそうなるだろう。「形は」と述べたのは、アメリカ並みの「民間特約医療保険」の世界になることは無いにしても、近いものになりはしないかと考えるのは私だけであろうか。 

最近とみに、テレビのコマーシャルに「医療保険の宣伝」が氾濫している。「ガン」をはじめとした難病に対する不安と膨大な治療費に対応するものとして「○○歳、月額△△円」という「特約医療保険」の勧誘である。
もうひとつに「ダイエット対策」のサプリメントもある。モデルの画面を見る限り「夢」を見させるものである。ズボンの前を空けて「こんなにスリムになった」などの映像に電話をかけてみたくなるのもわかる。ダイエットについては、その真偽のほどは試してみなければわからないが、医療保険だけは「金銭契約」である。自動車保険、火災保険などの損害保険が生活に馴染んでいることから、「特約医療保険」は身近に感じることは確かである。そこに「アメリカの保険会社」の進出が急増するだろうことは間違いない。

数多くの医療保険会社は何を狙っているのか。通常の一般疾病を標的にはしていない。狙いは「公的保険適用外」の医療費に対するものである。つまり「がん」や「難病」などの「自由診療」(高度先進医療)の本人全額負担への給付にある。さらに付け加えれば「差額ベット費や専門医師の予約診療費」なども全額負担である。掛け金や保障期間の契約に見合う医療行為が事細かに記される契約が生まれる。「掛け金に応じて医療行為が決まる」。

そこに金のある者は最高の治療が受けられるという仕組みが生まれるだろう。米国では、契約の中に「歯科治療」を除くケースが多いと言う。そこで「抜歯セット」がホームセンターで売られているということが冒頭の映画に出てくる。掛け金が払えない者は、歯科医院でなくホームセンターに行く。

 日本とて安穏とはしていられない。もしかすると、公的保険適用であつた医療までも本人負担の「自由診療枠」になりかねないことを警戒する。
 
ちなみに、今や「介護」についても「特約介護保険」の商品が増加している時代である。

そこで予断だが、ダイエット・サプリメントのリスクに、生まれてくる子どもの「幼児糖尿病」が顕在化していると言う。胎内の子供は「母親の養分で育つ」。その母親が、必要な養分を与えられないところに障害が生まれるということだろう。子を宿した母親はしっかり食べるべきなのである。そこに「スリム・ダイエット」の宣伝、一寸考えてみたいことである。

 










働いて、取った金で生活を

2013-05-12 13:56:22 | 日記
 「人間。働いて取ったお金で生活する」

東京ドームにおける始球式、投手・松井、打者・長嶋、捕手・原。そして「背番号96」の安倍主審。今度は「南こうせつコンサート」における飛び入り参加。「あのすばらしい世界をもう一度」をジュエット。よくまあ「サプライズ演出」は続くものである。すると不思議なことに「次は何かな、何をやるのかな」との期待や関心が生まれる。それがサプライズのサプライズたるところである。

 その安倍首相が、今いたるところで発している言葉に次のようなものがある。
 「株価は5割も上昇しました。閉塞感の中で悩んでいた状況を、私は変えることができました。確かに変わったのです」。
 「経済界の皆さんは、なるべく早く、雇用者や勤労者の皆さんに分配をして下さい」。
 「年金財政は、この株高運用益で、今や5兆円以上のプラスとなっている。年金財政はしっかりとしてきたのです」。

 そしてトヨタの社長は「わくわく感」だと頬を緩めている。

 良いことばかり。それ本当にそうなのだろうか。

 株の世界では、次のようなことが言われている。「初めて株を買った人が、買い出し始めたときは危ない」と。また、タクシーの運転士が、お客さんに「株はどうですか、やっていますか。どうなりますかね」と声をかけ始めたら逃げ時だと。

 そこで記憶にある新聞記事を思い出す。4年半前リーマンショックのときである。一人の主婦が、株の上昇ニュースの中で、その運用益をねらっての株買いを始めた。しかも夫に内緒にしての預金引き出しを始める。寝ても、覚めても株価の動きに身も心も集中する。 
証券会社は運用の情報を流し続ける。主婦にしてみれば、今までこんなにも安かったのに、ここまで上がったのだから、これからも、もっと上がるはずだとなる。そこにまた証券会社から情報が提供される。

 そこで前に戻る。「素人さんが買い始めたら危ない」。このことを知っている有力投資家は撤退の時期を探る。「逃げ足は速い」。しかし、逃げ遅れた一般投資家は「ヤケド」をする。かの主婦も、家計を預かる身で、少しでも家計の足しにと考えてのことであったが、結果は貴重な預金が消えてしまった。残ったのが夫婦間の亀裂と「日夜、金を追い求めた荒んだ気持ち」であったと述べその記事は終っている。

 古老は言う。「人間。働いて取ったもので、そして取った範囲で生活をすることだ」と。
 このことを「死語」にはしてならない先輩の智恵ではなかろうか。

怒っている、ばあちゃんの寄稿・「恥を知って」

2013-05-11 18:51:32 | 日記
恥を知って!

「美しい国」という言葉が好きで、その言葉に自らが陶酔しているような安倍総理にひと言。
日本の国には「恥を知る」という「美しい文化」があることを、まさか、お知りにならないはずはないでしょう。
昭和25年の「警察予備隊」創設から始まって、「保安隊」「自衛隊」が“軍隊ではない、憲法違反ではない”と、政府は私たち国民を欺いて来ました。欺くというより居直って来たのです。
そして今、実態にそぐわないからと言う理由で9条を、まずは96条を変更しようとしています。
〔我々の一番根幹にあるのは「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定めた憲法9条2項を削除すること。これは文字どおり言ったら自衛隊が憲法違反になる。成文憲法として持つ国として恥ずかしい限りだ。(高村自民党副総理・朝日新聞4月29日)〕
などと、歴史的経過を無視した居直りとも言える、私たちをバカにした発言ではありませんか。
そして、日本文化にもとる恥知らずな物言いではありませんか。
それとも、まさか、“それは高村氏の発言”だとか、“発言の真意ではない”などとの言葉で、恥の上塗りをする気なのでしょうか。
テレビに安倍総理の顔が映ったり、声を聞くたびに、私は、“お前達、少国民は”と言って軍国主義を教え込まれた幼い頃を思い出し、恐ろしさと不安を覚える日々なのです。もちろん『怒り』と共に、改憲をもくろむ政党には絶対に投票しないという『決意』を込めて。
怒ってる、ばあちゃん