介護保険の見直しは反対だ
昭和35年頃であった。労働組合の大会の中で健康保険制度が討論されたことを記憶している。当時は「結核」が健康診断の主要検査の一つとなっていた。胃潰瘍とか高血圧などは、検診時の話題になったものの「胃がん、肺がん」などの言葉は出なかった。そして、この健康保険制度に対しては、「俺は病気などしない。しても風邪くらいだ。病院の世話にはならない。だから保険料を取られるのは反対だ」と。しかし組合健保であるから給料天引き、給料日のグチがしばらく続いたことを記憶している。しかし、長く結核を患っていた先輩が「ありがたい」と言って保険証を神棚に納めたという話も記憶に残っている。
そして「介護保険」である。健康保険のケースを考えれば、この制度にはかなりの抵抗があると思っていた。ところがスムーズに受け入れられていったことを考えると、高齢化の進行の中で身近な問題として受け止められたのだろう。しかし、一部には「親を自宅で世話できないのか。嫁は何をしている」などの煩い親族の声はあったがそれも束の間であった。
そして、船出した介護保険も早々に座礁に乗り上げてしまった。予想を上回る超スピードの高齢化の進行と、給付対象者の増大、それを補うための施設の拡充は保険料の増額となって跳ね返った。それでも解消できない「待機者」の増大がある。この出口の見えない状況の中で、今回、介護保険制度の見直しが検討されている。それは介護度が低い「要支援1・要支援2」を、介護支援制度から切り離して自立介護にするという中身である。
食事や排泄は一人でできるということで、買い物、掃除、洗濯といった家事援助は除外される。さらに、サービス回数の制限はあるが「デイーサービス」や「.介護予報のためのホームヘルプサービス」も切り捨てられるだろう。そして自治体や地域のボランテャーの見守りや配食に委ねるというものである。
「台所は汚れ、カビが湧く」、「トイレは汚物がへばりつく」。自分の目は弱っているから見えない。しかし、見える者にとっては耐えられない汚れは、見えないから「良いだろう」ということで、これまた切り捨ててしまうことをどう考えるかである。
見えなくとも、臭わなくとも、清潔なところで生活をしたい。そのことはギリギリの人格の尊重ではないだろうか。それをも否定するのか。今般の見直しに「ノー」を突きつけたい。
さらに付け加えたい。先の民主党政権国会で「税と社会保障制度改革国民会議」の設置が決められた。経緯については疑義もあるが、「日本のこれからのあるべき社会保障の姿」が描かれるとの期待をもった。しかし、同会議の姿は見えない。見えるのは「政府の有識者会議」の見直し提言である。その中に「軽度介護の切捨て」があり「混合診療の解禁」が出てくる。これはおかしい。
昭和35年頃であった。労働組合の大会の中で健康保険制度が討論されたことを記憶している。当時は「結核」が健康診断の主要検査の一つとなっていた。胃潰瘍とか高血圧などは、検診時の話題になったものの「胃がん、肺がん」などの言葉は出なかった。そして、この健康保険制度に対しては、「俺は病気などしない。しても風邪くらいだ。病院の世話にはならない。だから保険料を取られるのは反対だ」と。しかし組合健保であるから給料天引き、給料日のグチがしばらく続いたことを記憶している。しかし、長く結核を患っていた先輩が「ありがたい」と言って保険証を神棚に納めたという話も記憶に残っている。
そして「介護保険」である。健康保険のケースを考えれば、この制度にはかなりの抵抗があると思っていた。ところがスムーズに受け入れられていったことを考えると、高齢化の進行の中で身近な問題として受け止められたのだろう。しかし、一部には「親を自宅で世話できないのか。嫁は何をしている」などの煩い親族の声はあったがそれも束の間であった。
そして、船出した介護保険も早々に座礁に乗り上げてしまった。予想を上回る超スピードの高齢化の進行と、給付対象者の増大、それを補うための施設の拡充は保険料の増額となって跳ね返った。それでも解消できない「待機者」の増大がある。この出口の見えない状況の中で、今回、介護保険制度の見直しが検討されている。それは介護度が低い「要支援1・要支援2」を、介護支援制度から切り離して自立介護にするという中身である。
食事や排泄は一人でできるということで、買い物、掃除、洗濯といった家事援助は除外される。さらに、サービス回数の制限はあるが「デイーサービス」や「.介護予報のためのホームヘルプサービス」も切り捨てられるだろう。そして自治体や地域のボランテャーの見守りや配食に委ねるというものである。
「台所は汚れ、カビが湧く」、「トイレは汚物がへばりつく」。自分の目は弱っているから見えない。しかし、見える者にとっては耐えられない汚れは、見えないから「良いだろう」ということで、これまた切り捨ててしまうことをどう考えるかである。
見えなくとも、臭わなくとも、清潔なところで生活をしたい。そのことはギリギリの人格の尊重ではないだろうか。それをも否定するのか。今般の見直しに「ノー」を突きつけたい。
さらに付け加えたい。先の民主党政権国会で「税と社会保障制度改革国民会議」の設置が決められた。経緯については疑義もあるが、「日本のこれからのあるべき社会保障の姿」が描かれるとの期待をもった。しかし、同会議の姿は見えない。見えるのは「政府の有識者会議」の見直し提言である。その中に「軽度介護の切捨て」があり「混合診療の解禁」が出てくる。これはおかしい。