「鳩山由紀夫の友愛」についての、大川隆法総裁の法話です。
既出の動画ですが、文字に起こしました。
国民の中でも昨今、民主党政権の危うさに気づき始めた方が
ようやく出始めているようです。
本当は選挙の前に気づいてもらいたかったのですが、
それはもう言ってもしょうがない。
そこで、鳩山氏の説く「友愛」に足りないもの、「友愛」の落とし穴、
本当の「愛」との違いを
もう一度、大川隆法総裁の言葉を借りて訴えかけたいと思うものです。
宗教団体が何を言うかと、衆院選の時には笑われ、蔑まれ、馬鹿にされましたが
本気で真剣に心配しています。
何とか世直しをしたい、この国のをよい方向へ向けたいと思っています。
議席ゼロでも私たちがへこたれていないのは、
候補者も支援者も信者も「国難から世の中を守りたい」というピュアな志を持っているからだと思います。
選挙の街頭演説とはまたひと味違い、
人間としての鳩山由紀夫氏を、よい部分も間違っている部分も含めて、
鋭い洞察力と慈愛の眼差しでご覧になっていると感じた法話でした。
本当は、鳩山代表ご自身に一番に聞いていただきたい内容ですね。
★ ★ ★
<鳩山由紀夫の友愛について> 幸福実現党総裁 大川隆法
きょうは「信仰なき者は愛を語るなかれ」というセミナーにしたんですけれども、
この理由の一つが、今回政権を狙っている民主党が
「友愛政治」とか「友愛外交」というものを掲げております。
非常に宗教のテーマに似たものを掲げておりますので、
これについては宗教としても一言あるべしということを思いましたので、
これはある意味で鳩山さんのために書いた副題であります。
(中略)
愛とは、単なる同情とは違います。
愛とは、悪を増長させることではないということを申し上げたいのです。
「愛」は仏教では「慈悲」と言い換えてもよろしいのですが、
当会で説いている「与える愛」の思想は、仏教では「慈悲」に当たるものだと思います。
しかし仏陀の説いているとおり、
やはり悪いことをできるだけ抑えて、善いことを推し進めるというのが
仏教の基本的な考え方なんですね。
止悪の心、悪を押しとどめ、
そして善なる心、善なるものを推し進めるというのが基本精神です。
それなくしての「愛」や「慈悲」はありません。
こうした善悪を分ける力というのは、「智慧」と言われるものです。
ですから「智慧」が介在しなければ、
愛というものは場合によっては人を破滅させることもあったり、
あるいは世の中を間違って導くこともあるのだということを知らなければいけません。
特に、この世における俗人たちは
人から奪うことをもって「愛」と考える傾向が非常に強いので、
これについては「いや、そういう考え方が人間の本性ではあるのだけれども、
それを一段昇華させて純粋なものにしなければいけないのだ」と
本当に人々のため、世の中のために尽くす透明な「愛」、
無償の愛に変えていくことが大事なのだということを忘れてはいけない。
もし人から取ること、奪うことばかりを求めて、
それが「愛」の本質だと考え、
さらに相手に「与えればいいのだ」「ただただばらまけばいいのだ」と考えるならば、
こうした愛の理解は間違いを含んでいるということを言いたいですね。
ですから、個性の違いというのはいろいろあってもいいから、
それを認めたり、あるいは国家の違いを認めたりすることは構わないと思いますけれども、
ただ、その中でも個性の違いで話が済むレベルものと、そうでないものがある。
すなわち、国の違いとして、文化や伝統、そういう民族的な精神や宗教の違いとして
多様な価値観を許容してよいレベルのものと、
それは明らかに正義に反していて間違っている、と考えなければならないものがあるということですね。
ここのところが鳩山氏は決定的に弱いので、
この部分を私はやはり心配しています。
この国の未来を心配するものであります。
だから彼の友愛的なものの考え方は、
もしかしたら自分たちにとっては、あるいは自分たちの政党にとっては
まわりから奪っていく――彼は奪うのが好きみたいですけども――
奪っていく愛を「愛」と考え、
また、「政府から奪いたい」という人たちの心を増長するということをもって
「友愛」と考えているのだったら、これは大変なことになります。
やはり指導者たるもの、
智慧をもって与えねばならないことがあると思うんですね。
それが例えば、予算などの分配においても表れなければならないものだと、私は信じるものであります。
だから、とても表面的には優しくいい方であるし
そうだろうと私も思うんですけれども、
信じたいとは思うのですが、
その中に何か不幸の予兆をどうして感じざるを得ないのです。
彼には、心の中に罪悪感があるような気がします。
それはおそらく名家のボンボンとして生まれ育ったことへの罪悪感だと思うんです。
庶民に対する後ろめたさだと思う。
そういう人たちは、表面的には「いい人」であることが多くて
人にいろいろと物をくれたりすることもあるのですが
どうしても一つ足りないものがよくあります。
何かと言いますと、その足りないものはね。
結構甘やかされて育っているところがありまして、
人が自分に尽くしてくれるのを「当然だ」と思うところがあるんですよ。
それが、実はそうした名家に育ったり、
エリートで育った人の一つの特徴としてあるんです。
感謝の心が足りないんですよね。
だから冷たい。
ある意味で冷たいんです。
ですから、そうした家柄のいい人とつきあう時には
よく一定の距離を取らないと
自分がしてもらうことが当たり前だと思って、
人がいっぱい支援してくれたり、応援してくれたりするのが当たり前だと思っているけれども、
結構冷たいところがあって、それを何とも思ってないところがあるんです。
本人はそれに気がついていないことがよくあるんです。
だから、そういう人に庶民の心が本当にわかるか。
たとえ言葉で「コンクリートよりも人の命が大事だ」というようなことを言うにしても、
言葉で言うのは簡単だけれども、
本当の意味で庶民の心や苦しみを知っているのか。
北海道から立候補しているけれども、
それは東京の音羽御殿で育ったボンボンですよ。
母親から「兄弟で政党を作りなさい」と言われて
50億ポーンともらうような方ですよ。
そういう人に、苫小牧の漁業や農業、林業、その他いろいろな製造業をやっている人たちの苦しみが本当にわかるのか。
北海道を少しでもよくしたのか。
そして、その力量でもって日本全体をよくできるのか。
やはり深い疑問を感じざるを得ないと思うのであります。
既出の動画ですが、文字に起こしました。
国民の中でも昨今、民主党政権の危うさに気づき始めた方が
ようやく出始めているようです。
本当は選挙の前に気づいてもらいたかったのですが、
それはもう言ってもしょうがない。
そこで、鳩山氏の説く「友愛」に足りないもの、「友愛」の落とし穴、
本当の「愛」との違いを
もう一度、大川隆法総裁の言葉を借りて訴えかけたいと思うものです。
宗教団体が何を言うかと、衆院選の時には笑われ、蔑まれ、馬鹿にされましたが
本気で真剣に心配しています。
何とか世直しをしたい、この国のをよい方向へ向けたいと思っています。
議席ゼロでも私たちがへこたれていないのは、
候補者も支援者も信者も「国難から世の中を守りたい」というピュアな志を持っているからだと思います。
選挙の街頭演説とはまたひと味違い、
人間としての鳩山由紀夫氏を、よい部分も間違っている部分も含めて、
鋭い洞察力と慈愛の眼差しでご覧になっていると感じた法話でした。
本当は、鳩山代表ご自身に一番に聞いていただきたい内容ですね。
★ ★ ★
<鳩山由紀夫の友愛について> 幸福実現党総裁 大川隆法
きょうは「信仰なき者は愛を語るなかれ」というセミナーにしたんですけれども、
この理由の一つが、今回政権を狙っている民主党が
「友愛政治」とか「友愛外交」というものを掲げております。
非常に宗教のテーマに似たものを掲げておりますので、
これについては宗教としても一言あるべしということを思いましたので、
これはある意味で鳩山さんのために書いた副題であります。
(中略)
愛とは、単なる同情とは違います。
愛とは、悪を増長させることではないということを申し上げたいのです。
「愛」は仏教では「慈悲」と言い換えてもよろしいのですが、
当会で説いている「与える愛」の思想は、仏教では「慈悲」に当たるものだと思います。
しかし仏陀の説いているとおり、
やはり悪いことをできるだけ抑えて、善いことを推し進めるというのが
仏教の基本的な考え方なんですね。
止悪の心、悪を押しとどめ、
そして善なる心、善なるものを推し進めるというのが基本精神です。
それなくしての「愛」や「慈悲」はありません。
こうした善悪を分ける力というのは、「智慧」と言われるものです。
ですから「智慧」が介在しなければ、
愛というものは場合によっては人を破滅させることもあったり、
あるいは世の中を間違って導くこともあるのだということを知らなければいけません。
特に、この世における俗人たちは
人から奪うことをもって「愛」と考える傾向が非常に強いので、
これについては「いや、そういう考え方が人間の本性ではあるのだけれども、
それを一段昇華させて純粋なものにしなければいけないのだ」と
本当に人々のため、世の中のために尽くす透明な「愛」、
無償の愛に変えていくことが大事なのだということを忘れてはいけない。
もし人から取ること、奪うことばかりを求めて、
それが「愛」の本質だと考え、
さらに相手に「与えればいいのだ」「ただただばらまけばいいのだ」と考えるならば、
こうした愛の理解は間違いを含んでいるということを言いたいですね。
ですから、個性の違いというのはいろいろあってもいいから、
それを認めたり、あるいは国家の違いを認めたりすることは構わないと思いますけれども、
ただ、その中でも個性の違いで話が済むレベルものと、そうでないものがある。
すなわち、国の違いとして、文化や伝統、そういう民族的な精神や宗教の違いとして
多様な価値観を許容してよいレベルのものと、
それは明らかに正義に反していて間違っている、と考えなければならないものがあるということですね。
ここのところが鳩山氏は決定的に弱いので、
この部分を私はやはり心配しています。
この国の未来を心配するものであります。
だから彼の友愛的なものの考え方は、
もしかしたら自分たちにとっては、あるいは自分たちの政党にとっては
まわりから奪っていく――彼は奪うのが好きみたいですけども――
奪っていく愛を「愛」と考え、
また、「政府から奪いたい」という人たちの心を増長するということをもって
「友愛」と考えているのだったら、これは大変なことになります。
やはり指導者たるもの、
智慧をもって与えねばならないことがあると思うんですね。
それが例えば、予算などの分配においても表れなければならないものだと、私は信じるものであります。
だから、とても表面的には優しくいい方であるし
そうだろうと私も思うんですけれども、
信じたいとは思うのですが、
その中に何か不幸の予兆をどうして感じざるを得ないのです。
彼には、心の中に罪悪感があるような気がします。
それはおそらく名家のボンボンとして生まれ育ったことへの罪悪感だと思うんです。
庶民に対する後ろめたさだと思う。
そういう人たちは、表面的には「いい人」であることが多くて
人にいろいろと物をくれたりすることもあるのですが
どうしても一つ足りないものがよくあります。
何かと言いますと、その足りないものはね。
結構甘やかされて育っているところがありまして、
人が自分に尽くしてくれるのを「当然だ」と思うところがあるんですよ。
それが、実はそうした名家に育ったり、
エリートで育った人の一つの特徴としてあるんです。
感謝の心が足りないんですよね。
だから冷たい。
ある意味で冷たいんです。
ですから、そうした家柄のいい人とつきあう時には
よく一定の距離を取らないと
自分がしてもらうことが当たり前だと思って、
人がいっぱい支援してくれたり、応援してくれたりするのが当たり前だと思っているけれども、
結構冷たいところがあって、それを何とも思ってないところがあるんです。
本人はそれに気がついていないことがよくあるんです。
だから、そういう人に庶民の心が本当にわかるか。
たとえ言葉で「コンクリートよりも人の命が大事だ」というようなことを言うにしても、
言葉で言うのは簡単だけれども、
本当の意味で庶民の心や苦しみを知っているのか。
北海道から立候補しているけれども、
それは東京の音羽御殿で育ったボンボンですよ。
母親から「兄弟で政党を作りなさい」と言われて
50億ポーンともらうような方ですよ。
そういう人に、苫小牧の漁業や農業、林業、その他いろいろな製造業をやっている人たちの苦しみが本当にわかるのか。
北海道を少しでもよくしたのか。
そして、その力量でもって日本全体をよくできるのか。
やはり深い疑問を感じざるを得ないと思うのであります。