(産経新聞 9月13日より転載)
【安全保障読本】 米空母が引き揚げる日
米国の「民主党政権」の安全保障政策が信用できない。中国に逡巡(しゆんじゆん)し、最新鋭戦闘機F22の対日輸出も渋っている。本当に「親中非日」路線に舵を切るか否かを見極める手段の一つに、米原子力空母ジョージ・ワシントン(GW)の動静がある。
台湾総統選挙の1996年、中国が台湾近海にミサイルを発射し、台湾独立への流れにくさびを打ち込もうとした際、米国は空母2隻を台湾海峡に急派し、中国に警告した。だが、ウイグル人弾圧への反応一つをみても「自由と民主主義」を守る気概は、米民主党政権に感じられない。
むしろ中国に配慮して、神奈川県横須賀市を事実上の母港とするGWのプレゼンスを意図的に低下させる悪夢も、しかとは払拭できない。対米協力を今以上に限定しようと身構える、日本の「民主党政権」の誕生は、その悪夢を引き寄せ始めている。
実は、冷戦時代にも同種の国難に直面している。米ソの戦略核が「恐怖の均衡」を保ち、中国のミサイルが米本土に到達しなかったことで、米国が東アジアの友好国に核の傘を提供しないのではないかとの危惧が広がったのだ。そうした中、米国は通常型空母ミッドウェイに任務付与する際、初めて横須賀に乗員・家族を住まわせた。1973年のことだった。横須賀には度々、空母が寄港してはいたが、この時が事実上の母港を設けた最初である。そもそも、空母は軍事的プレゼンスを通して政治的コミットメントを示す戦略兵器。戦術核による報復手段も有しているから、横須賀の「母港」化は、米国の核の傘が「破れ傘」ではない印象を内外に強く印象付けた。
そして昨年9月、GWが横須賀に入港した。米空母唯一の海外拠点で当然、原子力空母の「母港」化も史上初のことだ。ブッシュ政権下の2006年に米国防総省が公表した「4年ごとの国防計画見直し」は太平洋の戦略・経済的重要性に注目し、空母11隻の内6隻を、潜水艦部隊の60%を、この地域に展開させる方針を明確にした。GWは、その6隻目の空母だった。
ベトナム戦争終結を念頭にした1970年のニクソン・ドクトリンは、米国は自らを太平洋国家と位置付け、同盟国を守るとしながらも、諸外国の防衛は一義的にはそれぞれの国が負うべきだと「責任分担」を求めた。議会からの国防費削減圧力や徴兵制度廃止などもあって、海外基地・兵力削減を断行した。空母も例外ではなく、ソ連海軍への対抗上、15隻が必要だと主張した米海軍の反対を押し切って、18隻から12隻へと削減された。
米海軍が戦力やコミットメント維持のため空母の展開期間を延長したことで、家族との別居期間も長期化し、入営希望者は激減した。その対策が空母の国外における「母港」設定方針であった。「母港」化により展開期間短縮と、1日1億円といわれる空母運用費の削減を図ったのだ。
冷戦後も引き続き、空母の兵力投射能力は日本をはじめ、世界の安全保障環境に大きく影響をする。しかも、世界同時不況や、ゲーツ米国防長官が国防費の一部大幅削減などを公言している現状は、ニクソン・ドクトリン時代と結果的には共通する部分がある。従って「母港」の必要性も引き続き、極めて高い。
見方を変えれば、GWが戦略的位置をはじめ、修理能力、支援施設など「母港」としては世界一の条件を満たしている横須賀を去る日は「親中非日」の始まる日だといえる。コスト負担増、展開期間の長期化による士気の低下を覚悟してでも、グアムやハワイまで下がるのであれば、台湾海峡有事を含む、中国軍による東シナ海や南シナ海への侵出を黙認するシグナルに他ならない。
太平洋を隔てた日本にも「民主党政権」が誕生するが、その対米姿勢は“けんか腰”で、米民主党政権を「親中非日」へと誘っているかのようだ。党内にも連立相手にも「親中」を外交信条とする議員・秘書・党職員が闊歩している。日米「民主党政権」の安保戦略は期せずして、同じベクトルを形成し始めたのか。まさか、であってほしい。
【安全保障読本】 米空母が引き揚げる日
米国の「民主党政権」の安全保障政策が信用できない。中国に逡巡(しゆんじゆん)し、最新鋭戦闘機F22の対日輸出も渋っている。本当に「親中非日」路線に舵を切るか否かを見極める手段の一つに、米原子力空母ジョージ・ワシントン(GW)の動静がある。
台湾総統選挙の1996年、中国が台湾近海にミサイルを発射し、台湾独立への流れにくさびを打ち込もうとした際、米国は空母2隻を台湾海峡に急派し、中国に警告した。だが、ウイグル人弾圧への反応一つをみても「自由と民主主義」を守る気概は、米民主党政権に感じられない。
むしろ中国に配慮して、神奈川県横須賀市を事実上の母港とするGWのプレゼンスを意図的に低下させる悪夢も、しかとは払拭できない。対米協力を今以上に限定しようと身構える、日本の「民主党政権」の誕生は、その悪夢を引き寄せ始めている。
実は、冷戦時代にも同種の国難に直面している。米ソの戦略核が「恐怖の均衡」を保ち、中国のミサイルが米本土に到達しなかったことで、米国が東アジアの友好国に核の傘を提供しないのではないかとの危惧が広がったのだ。そうした中、米国は通常型空母ミッドウェイに任務付与する際、初めて横須賀に乗員・家族を住まわせた。1973年のことだった。横須賀には度々、空母が寄港してはいたが、この時が事実上の母港を設けた最初である。そもそも、空母は軍事的プレゼンスを通して政治的コミットメントを示す戦略兵器。戦術核による報復手段も有しているから、横須賀の「母港」化は、米国の核の傘が「破れ傘」ではない印象を内外に強く印象付けた。
そして昨年9月、GWが横須賀に入港した。米空母唯一の海外拠点で当然、原子力空母の「母港」化も史上初のことだ。ブッシュ政権下の2006年に米国防総省が公表した「4年ごとの国防計画見直し」は太平洋の戦略・経済的重要性に注目し、空母11隻の内6隻を、潜水艦部隊の60%を、この地域に展開させる方針を明確にした。GWは、その6隻目の空母だった。
ベトナム戦争終結を念頭にした1970年のニクソン・ドクトリンは、米国は自らを太平洋国家と位置付け、同盟国を守るとしながらも、諸外国の防衛は一義的にはそれぞれの国が負うべきだと「責任分担」を求めた。議会からの国防費削減圧力や徴兵制度廃止などもあって、海外基地・兵力削減を断行した。空母も例外ではなく、ソ連海軍への対抗上、15隻が必要だと主張した米海軍の反対を押し切って、18隻から12隻へと削減された。
米海軍が戦力やコミットメント維持のため空母の展開期間を延長したことで、家族との別居期間も長期化し、入営希望者は激減した。その対策が空母の国外における「母港」設定方針であった。「母港」化により展開期間短縮と、1日1億円といわれる空母運用費の削減を図ったのだ。
冷戦後も引き続き、空母の兵力投射能力は日本をはじめ、世界の安全保障環境に大きく影響をする。しかも、世界同時不況や、ゲーツ米国防長官が国防費の一部大幅削減などを公言している現状は、ニクソン・ドクトリン時代と結果的には共通する部分がある。従って「母港」の必要性も引き続き、極めて高い。
見方を変えれば、GWが戦略的位置をはじめ、修理能力、支援施設など「母港」としては世界一の条件を満たしている横須賀を去る日は「親中非日」の始まる日だといえる。コスト負担増、展開期間の長期化による士気の低下を覚悟してでも、グアムやハワイまで下がるのであれば、台湾海峡有事を含む、中国軍による東シナ海や南シナ海への侵出を黙認するシグナルに他ならない。
太平洋を隔てた日本にも「民主党政権」が誕生するが、その対米姿勢は“けんか腰”で、米民主党政権を「親中非日」へと誘っているかのようだ。党内にも連立相手にも「親中」を外交信条とする議員・秘書・党職員が闊歩している。日米「民主党政権」の安保戦略は期せずして、同じベクトルを形成し始めたのか。まさか、であってほしい。