銅鐸6個と銅矛16本
出雲市斐川町の荒神谷遺跡を見学しました。この遺跡は、出雲国風土記に記載されている神名火山に比定されている仏教山の北東3kmに位置する斐川町神庭西谷にあります。
広域農道建設に伴う遺跡分布調査で、調査員が一片の土器を拾ったことがきっかけとなり、この遺跡が発見されました。銅剣が発見されたとき、全国の銅剣出土総数は300本余りでしたが、荒神谷では銅剣358本が一度に出土しました。
荒神谷博物館
銅剣358本
銅剣は、実用の武器として弥生時代のはじめ頃に大陸から伝わり、日本で作られるようになってから、祭器へと変わったそうです。出土した358本の銅剣は、いずれも50cm前後の中細型といわれる型式で、「出雲型銅剣」と言われるようになったそうです。
銅鐸
銅鐸は神を招く鐘と言われています。荒神谷1号銅鐸は、片面が重弧分(じゅうこぶん)、もう片面は市松文様という珍しい文様で飾られているそうです。また、つり手の断面は、凸型をしており、国内でも例の無い銅鐸で、総高23cmです。
銅矛
銅矛は根元が袋状になっており、ここに柄をさして武器としていましたが、次第に大型し、祭器として使われるようになったそうです。全長は68.5cm~84cmです。
銅矛のレプリカです
一片の土器(須恵器)の発見場所
荒神谷遺跡入口
この場所で発見されました
出土時の状況で展示されています
2000年ハス
2000年の時を経て花を咲かすハスです