32年前、28歳の若さで亡くなった「コメ青年」辰井勉さん。コメ輸入自由化阻止のノボリを立て自転車で日本一周している最中、旧東津野村矢筈峠の近くで、トラックと正面衝突の事故に遇われました。
遺族のお兄さん(中央 東京在住)と坂本元東津野村議と一緒に事故現場の近くに建立されている石碑(※石碑裏に刻まれている文字は下記参照ください)を訪ねました。33回忌で、ご存命なら私と同い年でもあります。
政府はミニマムアクセス米を輸入し続け、コメ農家への冷淡な政治が続けられたことにより、コメ農家は減少、高齢化で後継ぎがいない状況となっています。国連は日本を「飢餓国」と認定しており、国内では現在、コメ不足など不安定な供給状況となっています。
今年は食料農業農村基本法が25年ぶりに改正されましたが、自給率の目標を格下げするなど、未だに食料を海外に依存する姿勢を強める内容になっており大きな問題です。
ヨサク(国道439号)脇 “コメ青年”の石碑立つ 遺志継ぎ必ず 農を守らん (良)
※コメ青年辰井勉君(東京都出身28歳)は1992年4月20日「米自由化反対自転車日本一周行脚」のノボリを立て東京を出発し、千葉、三重、滋賀、徳島などをへて高知県に入り、5月6日この近くの国道にて交通事故で亡くなりました。志なかばでの若い死を悼み、その意志を顕彰し碑を建立いたします。
1993年5月6日 有志一同 高知県農民組合
遺族のお兄さん(中央 東京在住)と坂本元東津野村議と一緒に事故現場の近くに建立されている石碑(※石碑裏に刻まれている文字は下記参照ください)を訪ねました。33回忌で、ご存命なら私と同い年でもあります。
政府はミニマムアクセス米を輸入し続け、コメ農家への冷淡な政治が続けられたことにより、コメ農家は減少、高齢化で後継ぎがいない状況となっています。国連は日本を「飢餓国」と認定しており、国内では現在、コメ不足など不安定な供給状況となっています。
今年は食料農業農村基本法が25年ぶりに改正されましたが、自給率の目標を格下げするなど、未だに食料を海外に依存する姿勢を強める内容になっており大きな問題です。
ヨサク(国道439号)脇 “コメ青年”の石碑立つ 遺志継ぎ必ず 農を守らん (良)
※コメ青年辰井勉君(東京都出身28歳)は1992年4月20日「米自由化反対自転車日本一周行脚」のノボリを立て東京を出発し、千葉、三重、滋賀、徳島などをへて高知県に入り、5月6日この近くの国道にて交通事故で亡くなりました。志なかばでの若い死を悼み、その意志を顕彰し碑を建立いたします。
1993年5月6日 有志一同 高知県農民組合