hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

はしづめ~広尾ランチグルメ

2015-03-21 05:00:39 | グルメ

今日のランチグルメはチャンポン・皿うどんではなく、担々麺。久々に日本橋界隈から離れて広尾に行く。店は東京メトロ日比谷線広尾駅下車3分、少し有栖川宮公園に向かったあたりにある『はしづめ』。この店は65年もの歴史のある製麺所がやっている店で、中々広尾らしくお洒落な店構え。

階段を上がり2階の扉を開けるとこじんまりした清潔感のある和食店のような設え。


テーブルが3つ、カウンター8席のみ。カウンターに座るとすぐにメニューの丁寧な説明があり、今日はお目当ての『粗挽き肉味噌入り担々麺』(1200円)を注文。他にも鶏モモにネギ油を掛けた麺、海鮮担々麺、牛肉の煮込みと温泉たまごの乗せた醤油味の麺など5種類の麺がランチメニュー。

料理を選択すると皿に乗った麺のサンプルが登場し、ゴボウ、椎茸、四川山椒、翡翠、中華麺の5種類から選択できるが、山本益博氏ご推薦の四川山椒の練り込んだ麺を注文。

その後、7~8分で料理が出されるが、丼に小鉢(ジャガイモと肉味噌の和え物)、漬物、黒酢、山椒などがお盆に乗って供される。


まず、肉味噌を食べるが甜麺醤で味付けされており、中々美味い。麺を食べると山本氏の言う通り山椒の香りが鼻に抜けて心地よい。スープは辛味より山椒の痺れる感じがするが、味は薄めに感じる。しかし、食べ進めるにあたり、肉味噌が溶けて丁度良い濃さになる。トッピングにはあげたエシャロットと自家製ラー油が添えられ、特にエシャロットは食感がいい。全体として麺も含め、山椒で一杯、これはかなり美味い。

店内にはジャズ、内装は和風だが、ちゃんとした四川料理店である。麺を増量して量的にも丁度よい。サービスもよく、一気に食べ終わるとすぐに食器を下げてくれ、熱いプーアル茶が出される。

さすがに山本益博氏絶賛の店だけある。夜は高いみたいだが、一度お邪魔したいものだ。

はしづめ
港区南麻布5ー16ー10カルチェブラン広尾2階
0362772183

日本語の言い回しの色々(1)

2015-03-20 05:00:12 | 日記

『改めて日本語を知る』その8。(改めて漢字を知るを改題)古い日本語には色々な言い回しがあるが、その由来を調べると洒落だったり、語呂合わせだったりして面白い。

まずは『薩摩守』、この意味を知っている人は年齢が高いかも知れない。この『薩摩守』は平氏の武将である平忠度のことを指す。読み方はたいらの『ただのり』、つまりタダで鉄道などを乗ることの洒落、即ち無賃乗車のことを指す。

同じ鉄道の用語で『キセル乗車』。キセルそのものを見る機会が最近少なくなったが、この言葉はキセルの形状を知らないと分からない。つまり、キセルの刻み煙草を入れる先の部分と吸い口は金属製で、真ん中の部分は竹や木を使う。最初と最後は『金』であり、乗車券を始めの短い部分と終わりの短い部分のみ金を払い、あとの部分は金を払わない不正乗車を言う。これは中々うまい表現である。

次に『知らぬ顔の半兵衛』だが、その意味はその通り知らん顔を決め込むことである。では半兵衛とは誰か、これは竹中重治、つまり豊臣秀吉の軍師であった竹中半兵衛のことである。ある戦いで秀吉が退却を指示したが、半兵衛は指示に従わなかった。この行為は大将に従わない軍律違反だったが、半兵衛には思うところがあり、その行動に出た。そして結果として残した兵で敵を破り、秀吉が勝利することができた。これに対して秀吉は軍律違反を責めなかったばかりか褒め称えた。この故事から知らん顔を決め込むときに使う表現として使われる。

次に『土左衛門』だが、これは水死体のことを言う。これは江戸時代享保年間の成瀬川土左衛門という色白の太った力士がいて、溺れて死に膨れた屍体のことを『まるで土左衛門のようだ』と江戸の市民が面白がって行ったことが定着したものである。(この切手は土左衛門ではありません)

『八百長』は言わばやらせで、勝負事で予め負ける約束をしておいてうわべだけの勝負をすることを言うが、これは明治初期の八百屋店主の『八百屋長兵衛』に由来すると思われる。彼は大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と囲碁仲間で実力は八百長の方が上だったが、商売上勝ったり負けたりしていた。しかし、回向院近くの碁会所開きに呼ばれ、本因坊秀元と互角に勝負したため、その実力が知れ渡り、真剣に戦っている振りをしながら、事前に申し合わせた通りに勝負をつけることを八百長というようになったのが一つの説である。(他にも説あり)

最後に『ピンからキリまで』だが、ピンはポルトガル語のpinta、つまり『点』に由来し、カルタやサイコロの『1』のことを言う。キリは『十字架』を表すcruz(クルス)から転じて『10』を意味する説と『限り』を意味する『切り』を語源とする説がある。他にも花札の12月を表す『桐』から来た説もあるが、いずれもはっきりしない。

ところでピンとキリのどちらが上と言う意味に使うか知ってる人は少ないかもしれない。実はピンは『最上』『最初』のもの、キリが『最低』『最後』を表すものというのが正しい。まあ、分かりにくいですね。

mAAch ecute(旧、万世橋駅)

2015-03-19 05:00:45 | 日記

鉄道シリーズ その95。mAAch ecutn と言ってもなかなか分からないかも知れないが、元、交通博物館の跡、さらにその前には万世橋駅があった跡に立つJRの商業施設で隣にはJRの20階建て高層オフィスビルが建っている。

この施設ができたのが、2013年9月だからもう1年半になる。そのため、かつてのように観光客はおらず、じっくり中を見ることができる。


1階には雑貨小物や洋服を売る店などが川沿いにうなぎの寝床のように並ぶが、中央あたりに万世橋駅のジオラマもある。細長い構造であるが、これは駅の跡なのでやむを得ない。


また、2階はカフェと外の見ることができるガラス張りのスペースになっており、カフェで日本酒も楽しめる。高さが丁度、万世橋駅のホームの高さになっており、両側を中央線快速が行き来する。すぐそばに見ることができで迫力もあるため、子供はなかなか飽きないようで親が飽きている。



階段はかつてのホームに向かう階段そのもので踊り場には貼ったまま置かれたポスター、さらに大型テレビが置いてあり、かつての写真や報道映画を見ることができる。初代の東京駅が出来る前の赤レンガの駅舎、前には広瀬中佐と杉野曹長の銅像が置かれた写真や初代鉄道博物館の建築中の動画など思わず長く見てしまう。



まだ、赤レンガが所々残されており、鉄道マニアならば一度は訪れたい場所である。(因に小生は3回目)


東日本大震災後の鉄道復興を考える

2015-03-18 05:00:45 | 日記

鉄道シリーズ その96。東日本震災後4年が経過し、復興も進み、目に見えるようになってきたが、福島県内の常磐線と岩手県内の山田線を除く各線は一部BRTになったものも含め、今年の夏までにはほぼ復興する。


その中でも被害がひどく、さらに利用者の多い仙石線の再開は地元の産業も含め、観光の観点からも影響は大きい。地震発生後、もちろん運も味方をしたが、乗務員の誘導で鉄道内での犠牲者がゼロ(ただし、避難後津波の影響で犠牲となった方はいたが。)というのは凄いことだが、とくに仙石線野蒜駅周辺の写真にはその無残なすがたが信じられない程であった。


しかし、4月15日には一部区間で運転再開し、5月28日にはあおば通駅~高城町駅は開通した。石巻よりも陸前小野駅~矢本駅は2012年3月に再開した。だが、路盤が流された高城町~陸前小野は途中の東名・野蒜駅を移設するなどして今年5月末から再開できる予定である。

さらに画期的なのは平行して走る東北本線塩釜~松島、仙石線松島海岸~高城町に両線を接続する線を敷設し、5月末には『東北仙石ライン』として東北本線経由で高城町以北と相互運転できるようになる。

逆に今までできなかった理由は仙石線は宮城電気鉄道という私鉄が開通させた路線に対して東北本線は旧日本鉄道が開通させた路線と2つの異なる会社が作り、いずれも国有化したという歴史的経緯がある。しかし、それだけでなく、仙石線は直流電化に対して東北本線は交流電化という問題があったためだが、それをハイブリッド気動車を活用することから可能になったもので、画期的なニュースである。

このほかにも再開の目処がなかった山田線の釜石~宮古間もJRが140億円かけて原状回復させ、南北に分断されている三陸鉄道が経営することで再開する案を昨年12月に地域自治体も受け入れ2018年には復旧させる目処がついた。
また、石巻線女川~浦宿間は3月21日に再開予定となり、文字通り目処が立っていないのは常磐線のみとなった。

その放射能汚染が気になる常磐線は現在、竜田駅~原ノ町、相馬~浜吉田が不通のままだが、後者は2017年には再開する予定である。再開の工事関係者のリスクを考えるとなかなか簡単には行かないことはやむを得ないのかも知れない。

ただ、4年前のあの無残な状態から4年で放射能汚染の影響の残る常磐線以外、何とか再開の目処がついたことだけ取っても関係者、自治体、国、鉄道会社などの大変な努力のおかげで道路と共に日本の血管とも言える鉄道路線を回復にこぎ着けたこと自体、素晴らしく、募金程度しか協力できないが、その偉業は世界に誇れるものと感じた。

二代目長崎楼~日本橋ランチグルメ

2015-03-17 05:00:01 | グルメ

『東京で食べるチャンポン・皿うどん』その2回目。店の名前は『二代目 長崎楼』、場所は日本橋で最も列ができる天丼の店『金子半之助』の斜め向かい。

入店が12時少し前であったこともあり、先客は2名。店はカウンターは6席、4人席が2つとこじんまりしている。メニューはチャンポン・皿うどん・炒麺の3種類が大中小とある。(松・竹・梅)前回に続き、皿うどんも如何かと、今日はチャンポンの竹(980円)を注文。代金は先払いシステムである。注文後すぐにこの店もジャーの中で保温された麺が丼に入り、具材が入ったスープが注がれ、わずか2分で運ばれてくる。

テーブルの黒胡椒を掛けて食べるが、量は男性ならば竹がいいと思われる。スープはややトロッとしており、味は白湯系で優しい。具材は小さく刻まれているが、白菜・ネギ・玉ねぎ・きくらげ・筍と野菜がたっぷり入っている。肉とアサリは発見するもやや少量。残念なのはやはり作り置きのため麺がやや伸びていること。それとスープがあっさりし過ぎてコクがないこと。まあ、食べログの口コミほどひどくはないが、それは来店時間が早かったからかもしれない。しかし、あまり飽きることなく5分ほどで完食。いわば長崎のおふくろの味という感じである。

小生以外は皆、皿うどんを注文しているが、麺は太麺のみ。炒麺がどんなものか見たかったが、注文する人なし。味はそれほど嫌いではないが、コスパはあまり良くないと感じた。

なお、その後、2人連れ、4人連れ2組とアッという間に満席に近くなった。結構流行っているのかも知れない。

二代目長崎楼
中央区日本橋室町1ー11ー15
0332417010


麻布台周辺の坂(2)

2015-03-16 05:00:51 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その29。前回の続き、飯倉交差点から外苑東通りを飯倉片町方向に歩く。すぐにロシア大使館、物々しい警備が続く。

通り越したあたりを左に下る坂があるが、これが『狸穴坂』(まみあなざか)である。『まみ』とは雌狸または穴熊のような動物のことで、坂を下りたあたりに巣穴があったためにこの名前が付いた。


元の外苑東通りに戻り、麻布郵便局や外務省公館の向かい辺りを左に曲がる坂道が『鼬坂』(いたちざか)である。名前の起源ははっきりしないが、かつては寂しいところであったようだ。

坂の下には島崎藤村の旧居跡の碑がある。彼がここに過ごしたのは47~65歳(大正7年~昭和11年)で大作『夜明け前』はこの地(当時、麻布飯倉片町33番地)で書かれた。


坂の下から右手に向かう坂道が『植木坂』、起源はこの辺りに植木屋があり、菊人形を始めたとも言われる。


鼬坂から真っ直ぐ行くと『鼠坂』、音羽にも同名の坂道があるが、やはり細長く狭い坂道に付けられた名前のようである。やはり、この坂も車も通れない(音羽の鼠坂はその上階段の坂)。

坂を下ると児童公園に突き当たるが、その公園内にはお稲荷様が祀られていた。少し広い道を右手に歩くと高速道路の下の道にでる。この坂道が地名にもなっている『永坂』。坂道の名前の由来は麻布台から麻布十番に下る長い坂だからという説と長坂氏が住んでいたからという説があるが、はっきりしない。



坂の途中には蕎麦の名店『永坂更科 布屋太兵衛』の発祥の地(工場か?)がある。


坂を下り麻布十番近くには本店も。そこまで行けば麻布十番駅は目の前である。



味の素スタジアム開幕戦を見に行く

2015-03-15 05:00:21 | 日記

久々約1年振りのJリーグ観戦に味の素スタジアムまで行く。今日のカードはFC東京vs横浜マリノス。試合開始が14時であったが、約1時間前にバックスタンド上段自由席で観戦した。Jリーグはあまりプロ野球などとの比較感はないが、観戦チケットが高い。というのは2階席で3500円、野球に比較してもやや高い気がする。

スタンドから見ると左側にアウェーの横浜応援団が大挙して試合前から大変な応援。反対側のFC東京は数は多いが、応援はそれほどでもない。

スタジアムは前節アウェーで前年度三冠のガンバ大阪と引き分けに持ち込んだ勢いもあり、32000人と素晴らしい入りである。

女性歌手のイベント(◯◯櫻子という人)のあと14時にキックオフ。前半はFC東京のペース、左サイドからMF米山とMF太田が切り裂き、それをFW武藤とFW前田が合わせる戦法だが、最後が中々合わず、前半は押しながら得点なし。

後半は横浜が攻勢をかけて、FW斎藤やMF兵藤などがあと一歩まで行くがFC東京の守護神権田が再三の好セーブ、逆に攻撃はFW武藤が厳しいマークに合い、前節良かったMF東を河野に替えたが、結果としてスコアレスドロー。気温と同じで最初は熱かったが、最後の方はかなり寒くなった。まあ、いうなれば、FC東京にとっては負けないで良かった試合となった。

それにしてもFC東京は石川や赤嶺など前に来た頃の主力がすっかり変わり、びっくりしたが、太田のしっかりした正確なパスが功を奏し掛けており、前田などと化学反応を起こせれば、今季は楽しみなチームになりうる。


ながさき~日本橋ランチグルメ

2015-03-14 05:00:17 | グルメ

ランチグルメで『立食いそば』を中心にレポートしたことがあったが、第2弾として『東京で食べるチャンポン・皿うどん』を重点的に食べ歩きたい。

チャンポン・皿うどんは以前ブログにも書いた通り、1985年頃長崎の営業をしていた関係からか小生にとってはラーメンよりチャンポン、焼きそばより皿うどん好きになってしまった。長崎では江山楼や幸楽(かんろ)など名店は多い。また、博多でも長崎飯店などうまいチャンポンを食わせる店は多いが、東京ではなかなかお目にかかれない。もちろんリンガーハットは大好きだが、そこで昔ながらの長崎料理を食わせる店を発掘すべく歩きたい。

第1回目は日本橋本町にある『ながさき』。夜は居酒屋のようだが、昼は麺類のみ。メニューはチャンポン、皿うどん、チャンポン焼きそばなど種類は豊富。また、大盛は100円増し、小盛は100円引きは面白い。

初めての訪問なので皿うどんのミックス(950円)を注文。ミックスとは揚げた細麺と炒めた太麺が半々に乗ったもので普通(細麺or太麺)に比べ50円高いが、両方を一度に味わえる。注文すると調理場では細麺を皿半分乗せ、ジャーの中の太麺をあと半分、そして炒め合わせた餡を掛けるので、ものの5分で皿うどんが運ばれてくる。

手抜きだなあと思って一口食べるとアツアツである。味はやや甘めながら野菜と魚介の味がマッチ、特に具材があまり大きくないところがいい。途中でカラシやソースを部分的にかけて味を変えながら食べ進む。

魚介はエビむき身、イカのげそ、野菜はキャベツ、もやし、たまねぎ、椎茸など。もちろん、皿うどん用のソースは、かつて長崎で使ったチョーコーの味である。麺は半々だったが、あまり炒めていないため、細麺の方が好み。ただ、考えてみるとチャンポンも食べなければならないため、一軒に2回ずついかなけばならない企画である。

まあ、1回目はなかなか美味かったので、次はチャンポンを食べて評価したい。

ながさき
中央区日本橋本町4ー9ー3
0336670494

上野東京ライン開業間近の上野、東京、品川駅

2015-03-13 05:00:53 | 日記

鉄道シリーズ その94。いよいよ上野東京ラインが3月14日に開業するが、その直前の上野・東京・品川駅の状況を見に行く。

まずは上野駅に。上野駅は2階ホームが1~12番線、1階ホームが13~17番線で今は5~8番線と13~15番線は東北本線、高崎線、上越線、9~11番線は常磐線、12・13番線は常磐線快速、16・17番線は常磐線特急が利用しているが、7~9番線は上野東京ライン、うち9番線は常磐線特急が利用することになる。


かつては多数の特急や寝台列車などが出発した1階の始発ホームは最後に使っていた常磐線特急も利用がなくなり、一部残る上野発の電車のみが使われる見通しである。東北・上越新幹線開業以降は16・17番線を使っていた常磐線特急が、また、15番線などから一部高崎線の特急(草津など)が1階ホームから出ていたが、常磐線特急も品川が始発駅となり、これを機に構内検札も無くなる見通しである。(現在はもうすぐに取り外せる状態)



かつての始発駅のイメージが残る上野駅も案内板に『始発』の文字が加えられているのに時の流れを感じる。


次に東京駅だが、現在は7~10番線が東海道線として使われているが、7・8番線が上野東京ライン、9・10番線は東海道線に使われる見通しで7・8番線の駅名案内板には矢印の左に新橋、右には新たな駅名(上野)が付けられ、ガムテープで隠してある状態。また、ここでも案内板に『始発』の文字が付けられていた。今までは始発駅ののんびりとした雰囲気もすぐに変わってしまうのだろう。



最後に訪れた品川駅は5番線が東海道線上り、8番線も朝の僅かな本数が東海道線上りを使用、9・10番線は使われておらず、11・12番線が東海道線下りに利用している。


しかし、これが5・8番線が上野東京ライン(上り)、9・10番線が常磐線特急の始発ホーム、11番線は常磐線から来る上野東京ライン、12番線は東海道線となる。まだ、9・10番線は何も表示されていないが、もう5番線には上野東京ラインの所要時間は掲示されていた。


始発駅で無くなる上野・東京駅、常磐線特急の始発駅となる品川駅、それぞれに準備は万端のようである。


梅の切手

2015-03-12 05:00:55 | 日記

切手シリーズ その46。日本の記念切手で花を描いた切手は多いが、その中で最も回数が多いのは桜、これは普通切手の図柄としても採用されている。さらに古くは菊、もちろん紋まで数えたら最も回数は多い。

しかし、意外に梅を描いた切手も数多く、今回はそれを紹介したい。最初に登場したのは1961年花シリーズの第2回目、この年は1~12月まで郵便創業90周年事業として発行されたもので1月水仙から12月山茶花まで毎月12種類の花の切手が発行されたものである。

次に登場したのは1964年2月発行の鳥シリーズ第5回のウグイスがとまっているのが白梅である。

第3回目は1966年2月の名園シリーズの第1回目、水戸偕楽園に描かれている。因みに岡山後楽園は鶴、金沢兼六園は雪の灯篭である。

4回目は1969年9月の国宝シリーズ(第1次)第7集江戸時代で取り上げられた尾形光琳の紅梅白梅図である。これは熱海MOA美術館に収蔵されているが、本当に素晴らしい作品である。

5回目は1971年10月の第26回国民体育大会(和歌山県開催)にテニス選手の背景に灯台と梅が描かれている。

6回目は1976年5月発行の国土緑化運動で茨城県で植樹祭が開催されたため、図案は『杉林と筑波山に梅』が採用された。

7回目は1994年1月発行の四季の花シリーズ第4集の1枚に尾形光琳画の『扇面貼付屏風梅図』が採用されている。


その後1989年からはふるさと切手が発行され、花の図案は大変増加、特に1990年4月発行の47都道府県の花の切手では大阪府(梅とサクラソウ)、和歌山県(梅)、 福岡県(梅)、大分県(ブンゴウメ)と4カ所で図柄に採用されている。


ふるさと切手では何度となく花の切手が出ているため省略するが、2006年9月に発行された関東の果物シリーズで茨城県の梅の実が出ているのは珍しい。

桜以前は花と言えば梅であった時期もある位日本の春を告げる梅がこれだけ切手の図柄に採用されている如何に愛されているのかと実感。やはり梅の香りは夜香り中々いいものである。