hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

南麻布周辺の坂道(2)

2015-03-31 05:00:53 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』 その31。南麻布の坂道の続きである。薬園坂を一旦戻り、左手に分かれる道を歩く。はじめはそれほどではないが、徐々に道幅は狭く、またくねくね曲がる。

この辺りは寺が多く、墓地もあちらこちらにある。そういえば落語の『ラクダ』で早桶を担いで麻布にある寺に行く下りがあったことを思い出す。


その先にあるのが、『絶江坂』。この坂の名前の由来は1854年に赤坂の曹渓寺がこの東側に移転してきたが、その初代住職である絶江和尚が名僧侶であったことから、その名前を取り、坂につけたもの。

坂を下りきると前に首都高速が古川の上に走っているのがみえる。それを右に曲がるとすぐに四の橋の交差点。その先に右に曲がる一方通行があるが、それが『新坂』。この名前は明治以降に作られた坂道に付けられることが多いが、この坂道も明治20年頃である。(別の資料には1699年と元禄年間にできた比較的古い坂とある。)


さらに天現寺方向に歩き、フランス大使館のあるあたりを右に曲がる。

少し先に右に登る坂道があるが、これが『青木坂』。この起源も江戸時代にこの北側に青木氏という旗本の屋敷があったことから付けられた。なお、この坂の途中から富士山がよく見えたことから富士見坂とも呼ばれた。


さらに10mほど行くと右に細い道が現れ、クランクに登っている。これが『新富士見坂』。先ほどの青木坂よりかなり後の明治大正時代に作られた坂道で、ここからも富士山がよく見えたことからこの名前になった。



坂を下り、少し行くと広尾稲荷神社、その手前には庚申塔がある。


さらに道なりに行くと先ほどの有栖川宮記念公園入口近くに出るが、新しい今はやりの店に混じって昔ながらのアパートもあるが、これも何故か佐伯祐三の絵のモデルになりそうな建物。

さすがに広尾、やはり上品で外国人の比率が高い街であることを気づいた。大使館もドイツとフランスだからかな。