hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

麻布台周辺の坂(2)

2015-03-16 05:00:51 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その29。前回の続き、飯倉交差点から外苑東通りを飯倉片町方向に歩く。すぐにロシア大使館、物々しい警備が続く。

通り越したあたりを左に下る坂があるが、これが『狸穴坂』(まみあなざか)である。『まみ』とは雌狸または穴熊のような動物のことで、坂を下りたあたりに巣穴があったためにこの名前が付いた。


元の外苑東通りに戻り、麻布郵便局や外務省公館の向かい辺りを左に曲がる坂道が『鼬坂』(いたちざか)である。名前の起源ははっきりしないが、かつては寂しいところであったようだ。

坂の下には島崎藤村の旧居跡の碑がある。彼がここに過ごしたのは47~65歳(大正7年~昭和11年)で大作『夜明け前』はこの地(当時、麻布飯倉片町33番地)で書かれた。


坂の下から右手に向かう坂道が『植木坂』、起源はこの辺りに植木屋があり、菊人形を始めたとも言われる。


鼬坂から真っ直ぐ行くと『鼠坂』、音羽にも同名の坂道があるが、やはり細長く狭い坂道に付けられた名前のようである。やはり、この坂も車も通れない(音羽の鼠坂はその上階段の坂)。

坂を下ると児童公園に突き当たるが、その公園内にはお稲荷様が祀られていた。少し広い道を右手に歩くと高速道路の下の道にでる。この坂道が地名にもなっている『永坂』。坂道の名前の由来は麻布台から麻布十番に下る長い坂だからという説と長坂氏が住んでいたからという説があるが、はっきりしない。



坂の途中には蕎麦の名店『永坂更科 布屋太兵衛』の発祥の地(工場か?)がある。


坂を下り麻布十番近くには本店も。そこまで行けば麻布十番駅は目の前である。



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