hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

ホームドア考

2014-01-20 06:44:50 | 日記

鉄道シリーズ その38。最近、通勤で地下鉄や私鉄に乗っているとアナウンスで『東京メトロではホームからの乗客の転落ゼロを目指しております。ホーム上で携帯端末やスマートフォンを操作したまま歩行されないようにお願い致します。』というのをよく耳にする。考えていれば、よそ見をしていれば、足元は覚束ない、酒を飲んでいれば余計である。小生は器用でもなく、運動神経に自信もないことから、初めからそういった行為をすることはないが、連呼するくらいだから、事故はかなり発生しているのだろう。実際に線路に人が転落して列車が遅れるケースは多い。

ただ、そんな連呼をするくらいなら、駅員を増やすか、ホームドアを付ければと思うのでホームドアを調べてみた。

日本でホームドアが初めて設置されたのは1981年神戸市のポートアイランドに作られた新交通システム・ポートライナーである。無人で動くこともあり、設置されたもの。次いで新幹線の通過の際の風圧対策として新神戸や熱海などに付けられた。地下鉄では1991年に東京メトロの南北線開業の際に全線に渡り設置した。ただ、これらは殆ど新設の路線でしかも車両が同じ幅のものが多い。しかし、実際は色々な私鉄が乗り入れ、車両のドアの位置が違ったり、ホームがわん曲していたりして設置が難しい駅が多い。

また、同じの会社でも、通勤仕様でドアの数が違う車両があったり、途中で新型車両を導入したり、更にコストも馬鹿にできなかったりと意外に障害が多く、まだ全体でホームドアがあるのは首都圏などで5%程度の駅に過ぎない。ただ、以前に新大久保駅であった痛ましい事故や岡山駅であった突き落とし事件、視覚障がい者の転落事故などを考えるに落ちた人を助けるヒーローを待つのではなく、何らかの対策が必要だろう。

いつも通勤で使う京王でも、そういう事故を発見した時は緊急停止ボタンを押して欲しいとアナウンスしているが、大体どこにボタンがあるか知らないし、あってもなかなか押す勇気がないのが、実情である。経費削減も分かるが、混雑する駅のホームには僅かでもいいが駅員を置くべきではないか、と考える。とたまにはお堅い話。

永坂更科 新宿グルメ

2014-01-19 07:52:35 | グルメ

立食いそばシリーズ第7弾。今日は有名そば店が経営するお店。新宿・メトロ食堂街の中に『永坂更科』の立食いそば。まわりには通常の食堂が並びお隣は普通の永坂更科の店。

しかし、立食いのメニューはかけそば系も肉天、春菊天、月見、ちくわ天、山かけみぞれなど、ざる系もイカ天や春菊天などだが、値段は全て680円均一、しかも自販機で椅子なし。

カウンターに券を出すと隣のそば店の厨房にそばの名前をおばさんが伝え、職人がそばをゆがき、丼に入れ、おばさんにパス。おばさんが天ぷらを載せて、温めてある汁をかけ、お客に出す。

小生は『肉天そば』を注文。そばは隣の店とたぶん同じで細めの色白のさらしな。汁はやや甘いが出汁がよく効いており、さすがである。

天ぷらも肉がさいの目に刻まれ、予め味がつけられており、和風チャーシューといったところ。少し衣が多すぎる感はあるが、美味い。白ネギ、わさびは入れ放題。680円は立食いにしては高いが隣の店は最低でも千円札は飛ぶことを考えればお得感は十分。

近くにハンバーガー屋やイマサのカレー、立食いそばも新和そばや梅もとなどとにかく激戦区だが、30年以上やってこれているのはそうしたところが強みだろうか。



新政 新年純米しぼりたて生酒

2014-01-18 00:13:25 | グルメ

正月になると日本酒を飲む機会が増えるが、昨年、年末に味ノマチダヤで正月用の酒を買いに行った際、ポスターで見つけた『新年純米しぼりたて生酒』がずっと気になっていた。そして遂に西荻窪の三ツ矢酒店で偶然ゲット、早速、買ってしまう。

このシリーズは昨年好評だったので今年も行われた企画。まず、カッコ良くボトルがプリント瓶、しかもエルメスを思わせるデザイン。同じ柄の絵馬型のプレートも付いている。しかし、よく見ると麦わら帽子をかぶった農夫が馬に引かれている図案。これは秋田の農村風景を描いたもので、午年も掛けてある。粋を感じる。(因みに昨年のボトルにはヘビがデザインされていた。)

中身はコクはあるが、スッキリ系で飲みごこちも後味もよく、とにかく飲みやすい。米は地元産米のあきたこまち。

期待にたがわぬうまさ。3人で飲み、あっという間に空いてしまう。もう少し味わえばと思うくらい、ああ今年も良い年になりそうと思いつつも、もう一本買えばよかったかなあ。

京浜東北線

2014-01-17 06:44:13 | 日記

鉄道シリーズ その37。京浜東北線の話。我々は京浜東北線という名前を何気無く使っているが、実はJRにはそういう線はない。その実態は大宮~東京は東北本線、東京~横浜は東海道本線、さらに横浜~磯子~大船は根岸線を合わせたものである。

ではその歴史というと1914年というからちょうど100年前とかなり古い。
当時、東京駅が完成すると同時に京浜線として東海道本線東京駅~高島町駅(横浜駅近くにかつてあった駅)間で電車の運転が始まったのが、その嚆矢。その後、1928年2月に赤羽駅、1932年9月に大宮駅と北に延伸した。当初は『東北京浜線』といっていたが、1956年に今の『京浜東北線』と呼称を変更した。これは山手線と同じレールを田端~田町で使っていたが、これを分離したのと同じタイミングである。

実は、当時はまだ2等車(今のグリーン車)も併結されていた。(1957年に廃止)その後、1964年5月に磯子まで、1970年3月に洋光台まで、そして1973年4月に今の形になった。

ところで京浜東北線は色々と特徴がある。まずは『上り・下りでなく、北行・南行であること。』これは東京駅を中心に上り・下りが決められるが、東京駅を挟んでいるため、北・南で区別しているためである。

『区間運転が多い。』もちろん大宮~大船間の全線の運行も多いが、赤羽、蒲田、東十条、鶴見、東神奈川、桜木町、磯子など主要駅の直前までの運転区間が多いのが特徴である。これは電車区や主要駅のホームの影響もあるのかもしれない。『混雑度・人身事故の数が日本一』これは残念な特色である。信じられないかもしれないが、大森~蒲田間に踏切が残っていて最近人身事故が起きて問題になった。

一方で京浜東北線は総延長が81.2kmもあり、使用編成の数や運転本数も日本一という関東近郊では大動脈であることは間違いない。


年賀切手

2014-01-16 06:53:03 | 日記

切手の話 その2。今回は年賀切手の話。昨年末は郵便局員の年賀はがきノルマ問題が取りだたされていたが、昭和40年代は早く買わないとお年玉付き年賀はがきが売り切れることなど日常茶飯事であった。まあ、当時はまだメールはなかったし、年賀状は書かないという人はかなりの変わり者という時代だったが。

年賀状のために記念切手が発行されたのは1935年12月に昭和11年正月用の富士山の1銭5厘の切手が発行されたのが始まり。記念の20面小型シートも併せて発行された。翌年は『二見浦』、1937年は『しめ縄』と続いたが、これで中断。戦後は1948年の『羽根つき』という少女が羽根を付く図案が最初である。

そして、1949年に昭和25年用お年玉付き年賀はがきが初めて発行され、その末等の賞品として1950年2月に『応挙の虎』の2円切手が5枚ついた小型シートが発行された。実はお年玉付き年賀はがきは民間人、大阪在住の林正治という商人のアイディアで『戦後の混乱期に連絡が取れない友人知人も年賀状を出せば連絡がつくだろう。また、お年玉を付ければきっと皆買うはずだ』と大臣に掛け合い実現した。因みに当時の賞品は特等がミシン、一等が紳士服地、二等が学童用グラブであった。

昭和26年用は『少女とウサギ』と前年の虎に継いで干支だったが、昭和27年用は『翁の面』、昭和28年用は『御所人形』と民芸品が続く。昭和29年用は『三春駒』と午年にちなんだ民芸品だったが、昭和30年用は『加賀起き上がり(姫ダルマ)』と民芸品に戻った。

その後も昭和33年用が『犬はりこ』、昭和35年用が『米喰いネズミ』と干支も登場、それ以降は干支の民芸品に図案は決まった模様。(昭和47、48年は干支ではない。)

また、小型シートの1シートの切手の枚数も昭和26年用までは5枚、昭和46年用までは4枚、昭和51年用までは3枚、昭和46年用までは2枚とどんどん減っていった。その後、慶事用の60円切手と年賀切手40円の2枚に変わったが、また平成3年用から元のハガキ用の切手2枚に、さらに平成5年用からは封書用の62円年賀切手とハガキ用の41円年賀切手になっている。なかなか、世知辛いものである。

年賀切手で画期的だったのは私製ハガキ用にもお年玉をということで平成2年用からはくじ付き年賀切手も発行されてた。しかし、PR不足なのか実はあまりしられていない。
面白いのは当初はお年玉付き年賀はがきの賞品の色彩が強かったため、切手の発行は翌年1月か2月だったが、1953年(1954年用)からは12月に発行が早くなり、年賀はがきにも貼れるようになった。そのため1971年(1972年用)は郵便料金が翌年から引き上げられたため、7円(緑の宝船)、10円(青い宝船)の二種類が発行されている。

今年は1月19日が当選発表、いくつあたっているかなあ。但し今までの経験上、4・5等しか当たったことはないが。実は1990年から数年間は4等もふるさと切手4面の小型シート4枚が賞品だったことがある。(ただ、くじの賞品専用に発行されたのは1990年のみ)まあ、切手コレクターくらいしか知らないだろうが。

蛇足であるが、子供の頃に偶然、冒頭に紹介した昭和11年用の20面小型シートを手に入れたが、今だに小生の持つ最高額(評価額・美品で18万円)の日本切手である。

ドマーニ1966

2014-01-15 06:43:29 | グルメ

久しぶりに地中海料理のドマーニ1966にお邪魔する。井の頭線池の上駅から10分くらい淡島通りに向かい、左折すぐ、淡島交番向かいあたりにある。ついこの間まで『海路ドマーニ』という名前でそろそろ50年になろうとする老舗。

詳しいことはあまりしらないが、バブルピークの平成初頭に六本木にあった地中海料理のはしりの『ドマーニ』の流れをくむ。当時まだ珍しかったオープンキッチンで都内にも吉祥寺をはじめ支店が多くあったが、残念ながら数年前に倒産した。しかし、今もその流れを汲む店は多く、吉祥寺のピッコロモンドや新宿のル・クープシューにも影響を受けた料理は残っている。

この店にくるといつも頼むのが、『タラモサラータ』これはタラコとマヨネーズを和えたものを軽くしたような、と言ってもまったく表現できていない軽さが持ち味の料理で、フランスパンに付けたり、付け合わせのオニオンと食べるといっそう美味い。

そして『セウタ』これは地中海風海鮮チリソースとでも言うもので玉ねぎの甘さと海鮮のソース、中身はエビ、ホタテ、ツブ貝。これも食べると奥の深さと辛さが実にワインにあう。
食事はパスタやピザが色々あるが、ついつい頼むのが『ウニのクリームソースのパスタ』。これも幾つかの店にこのメニューがあるが、期待を裏切らない味。

他にも『ムール貝の蛸壺焼き』これはエスカルゴバターをムール貝に合わせ専用鉄皿で焼いたもの。パンが良く合う。『シーザーサラダ』サラダとは思えないボリューム。あたりが好きなメニューである。

これだけ注文すると2人では他の料理には到達しない。いつ行ってもセウタの鍋の向こうのシェフのお話を聞ける楽しい店である。

1966ドマーニ
世田谷区池尻4ー37ー8
0334124011

駅弁雑考

2014-01-14 07:42:50 | 日記

鉄道シリーズその36。駅弁の話。日本で駅弁が初めて売られたのが、1885年7月日本鉄道(今の東北本線)宇都宮駅で売られた握り飯2個と沢庵を竹の皮に包んだものと言われており、今から129年も前のことである。また、今のような折詰弁当は1890年姫路駅が最初らしい。
その後も駅には駅弁売りのおじさんが『べんとう~べんとう~』といって売り歩いていたことを思い出す。実際に見たのは1980年代の最後の方で博多駅や小倉駅にはいつもたくさんの売り子がいた。

時間は相前後するが、弁当といえば信越本線横川駅の『峠の釜めし』、横川駅で碓氷峠越えで電気機関車を増結するのに5分ほど停車する際によく買いに行った。これは売り始めたのが、1958年2月で割に暖かく、味も良かったことから有名となった。1967年には池内淳子主演のTVドラマ化された。しかし、新幹線の開通もあり、高速道路のSAなどが今は主力である 個人的に一番買う駅弁は横浜駅の『シウマイ弁当』だが、買うのはだいたいデパートか、駅の弁当屋でホームで買うことは殆どない。

先日行った京王の元祖有名駅弁全国うまいもの大会の時には人の列が途切れることがないほどの盛況だが、駅弁を営業している会社は苦しいところが増えてきている。

その中でショッキングな報せは2010年4月に営業停止した大阪・新大阪駅などの構内販売をやっていた水了軒の倒産。戦前は食堂車の営業をやっいた老舗でやはり販売個数の減少が響いた。(幸いなことにデリカスイトが商標などを買い取り別会社が引き継いでいる。)

他にも水戸駅の鈴木屋や飯田駅の伊那谷駅弁など残念ながら駅以外に販路の少ない業者には厳しいのが現実のようである。確かに色々な店が駅地下では弁当を売っているし、外食の持ち帰りやコンビニの発達かど環境の厳しさは実感できるが、デパートやスーパーのイベントなどで駅弁を買うことでこの日本の伝統を守って行きたいものだ。

因みに京王の駅弁大会での売上は1位いかめし(函館本線森駅)、2位は牛肉どまん中(奥羽本線米沢駅)、3位たらば寿し(根室本線釧路駅)とのことである。

昭和9年12月号時間表

2014-01-13 09:05:32 | 日記

鉄道シリーズ その35。正月休みも9日間もあるため、久々に昔の時刻表、当時は時間表といったのだが、昭和9年12月号(復刻版)を眺めてみた。当時はまだ朝鮮半島や台湾、南樺太、満州の鉄道経営権を日本が持っていたのでそのあたりの列車が出ていたのを知ってはいたが、全国路線図の九州の横に台湾が載っていたり、北海道の隣に南樺太が載っているのには驚いた。


さらにページが進むと本州・北海道の連絡が載るページの次に日本・中華民国(今の中国本土)の連絡が載っている。例えば東京を13時30分発の特急に乗ると下関に翌日の朝8時に着き、10時半発の釜山行の連絡船にのると釜山に18時に到着、釜山から奉天行きの急行が19時20分に出て、奉天には翌日(東京を出て3日目)16時20分に到着するというもの。上海には下関~門司~長崎~上海の乗り継ぎも載っている。

さらに次のページには日本発ヨーロッパ行きの時刻も載っている。例えば東京から特急富士15時発に乗ると下関に翌日朝9時30分に到着、釜山行きの船に乗ると午後6時着、7時20分の国際列車に乗るとソウル・奉天・新京を経由してハルピンに4日目の午後2時40分到着、満州里までは接続が悪く、ようやく東京発から6日目の7時10分到着。満州里発の国際列車のモスクワ行きは午後1時10分発、モスクワ着は東京出てから12日後の午後5時。さらにワルソー経由でベルリン到着は東京を出てから14日後の午前9時23分、パリ到着は東京を出てから15日目の午前6時43分という壮大な接続である。東京~ベルリンまでは距離が12672キロ、運賃は3等で72.34ドルかかったようだ。換算レートが分からないが、かなりの金額と推定される。

以前に流線型のブームのことをブログに書いたが、まさにこの頃が、戦前最後のよき時代であったのかもしれない。その後、昭和12年には日中戦争、昭和16年には第二次大戦に突入していく直前の夢のような時間表である。




第49回元祖有名駅弁うまいもの大会

2014-01-12 08:35:47 | グルメ

京王百貨店の名物企画『第49回元祖有名駅弁うまいもの大会』が9日から開催されている。その初めての土曜日に今年もいって見た。百貨店の前に到着したのが、9時35分、一階の入口前には15人ほどが列をなしている。普通ならかなり多い人なのかもしれないが、毎年来ていると今年は人が少ないのではと感じた。


午前10時に門が開くと昨年の経験でエスカレーターでなく、直通エレベーターを利用、さらに7階到着後は真っ直ぐに輸送駅弁コーナーに並ぶ。列はすでに50人くらいはいたが、比較的はやく進み、売り場には10時15分に到着、慣れたものである。


輸送駅弁コーナーには北から順に所狭しと駅弁が並ぶが、入口に近いせいか、海鮮ものが多いためか、北海道・東北が人気である。


今年はウニ丼を狙っていたが、東北新幹線盛岡駅の『じぇじぇじぇ ウニ弁当』(1300円)をまず購入。
次に米沢駅の牛肉系と山陽本線三原駅のアナゴ系で悩む。昨年、牛肉は買ったため、三原駅の『あいのせアナゴ丼』(1000円)に決めた。これは煮アナゴと焼きアナゴが両方乗っけてある。

その後、売り場を見て回ったが、目玉が少ないのか、やはり列は短い気がした。来年は50回目、どんな企画が飛び出すか今から楽しみである。


なお、味の方だが、まず『ウニ弁当』は温める機能が付いており、ホカホカになったウニご飯は絶品。『アナゴ丼』はそれを真似て電子レンジで温めると煮アナゴはしっとり、焼きアナゴはしっかりした食感の違いを楽しむことが出来た。大きさの割に量が少ないウニご飯はやや残念だったが、兎に角うまかった。

普通切手

2014-01-11 00:21:19 | 日記

切手の話 その1。今年は鉄道だけでなく、切手の話題も時々加えて行きたい。
消費税の話で持ちきりだったが、昨年12月に日本郵便は今年4月の消費税引き上げに伴う料金引き上げ(ハガキ50円→52円、封書80円→82円)に対応して、追加に貼付する2円、それぞれの引き上げ後の52円.82円などの11種類の新切手の図案を発表した。従来は2円は秋田犬の図案であったが、2002年に廃止されており、新デザインは北海道に生息するエゾユキウサギに決まった。また、52円はグリーンをバックにしたソメイヨシノ、82円はウメの図案となった。
普通切手は現在27種類、額面は23種類となっている。額面は1、3、5、10、20、30、50、70、80、90、100、110、120、130、140、160、200、270、300、350、420、500、1000各円がある。
では、今までにどんな額面の切手が発行されているのかをいわゆる円単位が主流になった1951年以降を検証するときがつけば、1円~9円までの切手は全て発行されている。

まず、1円の図案は言わずと知れた『前島密』、普通切手の額面15銭として登場したのは1946年11月のこと。今の1円の額面になったのは1947年8月、さらに今のデザイン(但し、銭単位)になったのは1951年4月だからもっとも古い。

2円は1951年5月発行の『農婦』、さらに1953年発行の『秋田犬』、2002年に一旦廃止されたが、今回新デザインで復活した。
3円は1951年11月発行の『捕鯨』、さらに1954年5月発行の『ホトトギス』、1971年7月にローマ字入りで少しデザインが変わったが、ほぼ同じ図案。

4円は1952年4月発行の『石山寺多宝塔』、さらに1963年5月発行の『オキナエビス』、これは2002年に廃止された。
5円は1951年12月発行の『尾長鶏』だったが、ハガキが5円になった頃の1955年9月発行の『オシドリ』に、変わった。さらにその後、1971年11月に現行の『コブハクチョウ』になっている。

6円は1951年6月発行の『印刷女工』だったが、1962年2月発行の『なんてん』となった。

7円は5円のハガキ料金が7円に引き上げられた際の1966年7月発行の『金魚』、お馴染みの図案である。図案に金魚を使ったのは少し古い35円切手ではあったが。
8円は1951年7月発行の『採炭夫』、次は1952年8月発行の『カモシカ』この図案もお馴染みであろう。

そして、ずっと発行の無かった9円切手が発行されたのは1994年1月発行の『シオカラトンボ』である。つまりようやくこれで1から9まて全て揃ったことになった。
因みに9の付く額面の切手は90円は1962年7月に『風神』が、発行されてはいるが、9銭、90銭は発行されたことがなく、切手収集家にとっては画期的なものである。