hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

末広町~御茶ノ水 散策

2014-01-07 06:43:51 | 日記

いつも乗る地下鉄銀座線の中で殆ど下車した記憶がないのが、末広町駅である。この駅のことは昭和40年台にTVのCMをしていたZライトで有名な山田照明で聞いたことがある位である。


末広町の名は駅が出来た昭和5年頃隣接していた現在の外神田3丁目あたりの地名、しかし1964年に住居表示変更で失われ、駅名だけが残ったもの。もともと町人の町だが、明治維新の際にかなりの部分が焼失、末長く安泰であるよう祈念して命名した町名らしい。


末広町駅を上がると新大橋通りと中央通りの交差点に出る。この辺りはラーメン店が多く店を並べているが、どこが美味いのか、店によってはスープが上手くできない時は休みと公言しているところもある。新大橋通りに沿って御茶ノ水を目指すと妻恋坂に着く。妻恋坂とは粋な名前だが、妻恋神社のそばの坂がその起源。妻恋神社は日本武尊が東方征伐の際に暴風雨に会い、それを鎮めるために妃の弟橘媛が身を海中に投げて鎮めた。日本武尊が湯島に滞在したのでその気持ちを憐れんで尊と妃を祀る神社を建てたというものである。

交差点をわたり、二つ先の道を右折、暫く民家や倉庫の間の細い道を行くと神田明神の男坂の下に出る。そこから60段石段を上ると神田明神に到着。この下あたりに銭形平次が住んでいたと野村胡堂は考えたのであろう。


神田明神はさすがに江戸の総鎮守として将軍家から庶民まで信仰を集めた江戸ではかなり古い部類に入る神社。あまり知られていないが、社殿は最も古いコンクリート建築で東京の有形登録文化財にも指定されている。山門をくぐると立派な社殿があり、年末年始、特に仕事始めの日にはかなりの人出。皆、安泰な一年をお祈りする。入り口付近には昔からの茶屋も数軒あって冷やかすのも楽しみの一つ。


お詣りのあと、正面の銅の鳥居を抜けて向かいの昌平坂を下ると昌平黌の横に出るが、立派な建物が外からも見える。ただし、元の建物は火災で全焼し、1935年に再建されたもの。ただよく考えるといまの建物は戦火は免れたことになる。


さらに御茶ノ水方向に向かうと聖橋、よく見ると欄干にはニコライ堂などの飾りが施されていた。ここまでくれば、もう御茶ノ水駅はすぐである。末広町駅から御茶ノ水駅まで散歩するには丁度いい。