『メトロに乗って』その81。今回は都営地下鉄大江戸線両国駅を降りて歩く。両国と言えば国技館だけど大江戸線両国駅は反対の清澄通りに出る。
目の前には江戸東京博物館だが、この裏に大きな徳川家康の銅像が建っていることはあまり知られていない。この像は平成5年3月に江戸消防記念会が博物館建設に合わせ山下恒雄氏に依頼して製作、東京都に寄贈したもの。
亀の上に乗り、鷹狩りの装束の堂々とした銅像である。ただ、意外なことに徳川家康の銅像は東京にはここにしかない。
清澄通りに戻り、北に向かう。その先には横網町公園、ここは今ではのんびりした公園ではある。横網町はよく横綱町と勘違いされる地名、江戸時代には漁師が網を干していたからで当時海苔の干場が広まっていたからついた由緒ある地名なのである。この公園となっている土地は1922年までは陸軍被服工廠であったが、震災直前に赤羽に移転、関東大震災が発生した1923年9月には公園にすべく整備の最中であった。そのため、周辺の住民が多数避難してきたが、家財道具などをたくさん持って来ていた。周辺の火災からの熱風により家財道具や大八車に火がつき、なんとこの場所で38000人が焼死してしまったのである。
この慰霊堂として作られた公園、しかし、大平洋戦争で再び焦土と化し、この犠牲者も合祀されている。
公園内には中国から震災後に寄贈された鐘や遺骨を納めた慰霊堂、震災と戦渦の写真や遺品を納めた復興記念館などが置かれている。特に復興記念館前にある旧丸善ビルの飴のように曲がった鉄骨は凄まじいものであった。
また、復興記念館二階に納められている写真も焼け落ちた浅草仲見世の様子、震災からの復興の様子は興味深い。
公園を抜けて隅田川方向に向かう。少し先に行くと旧安田庭園、現在整備工事中で一部は入れない。
無料で見学できるが、真ん中には大きな池があり、かつては隅田川の水を取り入れる仕組みとなっていた。
池の中にはシロサギやゴイサギ、鴨などが羽を休めていて周囲とは全く違う雰囲気がある。元は大名屋敷であったものを安田善次郎が改修、彼の死後東京都に寄贈されたが、震災で被害を受け、再度改修されている。下町の中にあるとは思えない趣がある。
両国には江戸東京博物館や国技館以外にもみるべきものが沢山あることに気づかされる散歩であった。