ちょっとあまりのことに言葉がでない。
正月につくばに帰省した際に、筑波山周辺の道は車で通っている。当然、小田、北条のあたりも通過した。
もともと、このあたりは中坊の頃からチャリでよく通ったところ。
まさか、そこがこんな惨事に見舞われるとは・・・。
犠牲者も出た。自分の子どもと同い年の中学生。気の毒でならない。
なんだか、このごろ度を越してひどい災害や事故が多いように思う。考えるだけで神経を蝕ばむ不快さを感じる。
現場に居合わせて、生き延びた人、生きることが出来なかった人。
あしたという瞬間は、いつもこういう理不尽な選択肢の連続なのではないか。
「こういうときに宗教って、何の役にたつんだろう」
BELAちゃんがぽつりと言った。
「宗教」というものが、すがるためだけにあるのだとしたら、おそらく何の役にもたたないだろう。臨済さんではないが、それは馬糞に等しい。
「宗教」が、この気が狂いそうな現状を冷静に受け止めるための(ほんの僅かでも)智慧をもたらすものであったならいいな、と思う。
震災のとき、僕たちの生死は天秤にかけられた。
あんなに遠くに感じていた生死の天秤が、ときにすぐ目の前で傾(かし)いでいる。待ったなしで傾いでゆくその有様は、ちっぽけな僕には気が狂いそうなほど理不尽に見えてならない。
もしもあの瞬間に帰省していたならば、僕もあの竜巻を見たかもしれない。
僕はなるべく冷静に、一種の諦観を持って、この理不尽に明日も耐えてゆかなければならない。
正月につくばに帰省した際に、筑波山周辺の道は車で通っている。当然、小田、北条のあたりも通過した。
もともと、このあたりは中坊の頃からチャリでよく通ったところ。
まさか、そこがこんな惨事に見舞われるとは・・・。
犠牲者も出た。自分の子どもと同い年の中学生。気の毒でならない。
なんだか、このごろ度を越してひどい災害や事故が多いように思う。考えるだけで神経を蝕ばむ不快さを感じる。
現場に居合わせて、生き延びた人、生きることが出来なかった人。
あしたという瞬間は、いつもこういう理不尽な選択肢の連続なのではないか。
「こういうときに宗教って、何の役にたつんだろう」
BELAちゃんがぽつりと言った。
「宗教」というものが、すがるためだけにあるのだとしたら、おそらく何の役にもたたないだろう。臨済さんではないが、それは馬糞に等しい。
「宗教」が、この気が狂いそうな現状を冷静に受け止めるための(ほんの僅かでも)智慧をもたらすものであったならいいな、と思う。
震災のとき、僕たちの生死は天秤にかけられた。
あんなに遠くに感じていた生死の天秤が、ときにすぐ目の前で傾(かし)いでいる。待ったなしで傾いでゆくその有様は、ちっぽけな僕には気が狂いそうなほど理不尽に見えてならない。
もしもあの瞬間に帰省していたならば、僕もあの竜巻を見たかもしれない。
僕はなるべく冷静に、一種の諦観を持って、この理不尽に明日も耐えてゆかなければならない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます