放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

竜巻

2012年04月27日 13時20分18秒 | Weblog
 ちょっとあまりのことに言葉がでない。

 正月につくばに帰省した際に、筑波山周辺の道は車で通っている。当然、小田、北条のあたりも通過した。
 もともと、このあたりは中坊の頃からチャリでよく通ったところ。
 まさか、そこがこんな惨事に見舞われるとは・・・。

 犠牲者も出た。自分の子どもと同い年の中学生。気の毒でならない。
 
 なんだか、このごろ度を越してひどい災害や事故が多いように思う。考えるだけで神経を蝕ばむ不快さを感じる。

 現場に居合わせて、生き延びた人、生きることが出来なかった人。
 あしたという瞬間は、いつもこういう理不尽な選択肢の連続なのではないか。
  
 「こういうときに宗教って、何の役にたつんだろう」
 BELAちゃんがぽつりと言った。

 「宗教」というものが、すがるためだけにあるのだとしたら、おそらく何の役にもたたないだろう。臨済さんではないが、それは馬糞に等しい。
 「宗教」が、この気が狂いそうな現状を冷静に受け止めるための(ほんの僅かでも)智慧をもたらすものであったならいいな、と思う。

 震災のとき、僕たちの生死は天秤にかけられた。
 あんなに遠くに感じていた生死の天秤が、ときにすぐ目の前で傾(かし)いでいる。待ったなしで傾いでゆくその有様は、ちっぽけな僕には気が狂いそうなほど理不尽に見えてならない。

 もしもあの瞬間に帰省していたならば、僕もあの竜巻を見たかもしれない。

 僕はなるべく冷静に、一種の諦観を持って、この理不尽に明日も耐えてゆかなければならない。 
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« イノチの野菜 | トップ | 日蝕 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事