放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

2012,12,7のこと。

2012年12月09日 02時53分24秒 | Weblog
ひさびさに来たね。デッカイの。

長くてすごくキモチワルイ揺れ方だった。
ケータイにも地震速報、津波警報と立て続けに入り、テレビやラジオでもひっきりなしに警告していた。
なかでも石巻市からの中継では、バックで複数のサイレンが鳴りっぱなし。

あの緊迫感。
一瞬にしてあのときのことがフラッシュバックする。

体中から血の気が引き、暗闇が怖くなる。

震源は3.11震災よりもさらに東。M7.2、深さ10km。
宮城県の最大震度は5弱。やっぱり余震の一つだという。

まだこんなのがあったのか・・・。
幸い、停電、断水などはなかった。被災地でも大きな被害は確認されていないという。
それでも、職場で地震に遭った僕は一時、同僚とともに関係者の安否確認作業に追われた。
(災害時通信規制のために作業はなかなかはかどらなかったけど・・・)
気のせいだろうか、電話回線は仙台市太白区には比較的早くつながった。
一方、仙台市の若林区、泉区などはなかなかつながらない。塩釜など県北にはとうとうつながることはなかった。

家に帰ったのは7時近く。ま、3.11よりは早かったか。
途中、やけに渋滞しているところが数箇所。
なんだろう、と気にして見てみると、それはたいていガソリンスタンドか、コンビニだった。
やはり3.11の震災を思い出して燃料や食料の確保に動く人がいるのだろう。
あとで考えれば大袈裟なことのように見える。
けど、あの恐怖を思い出せば、やはり居ても立ってもいられない、という心情は理解できる。
逆に今日の地震のおかげで仕事を切り上げることでできた人などは、このタイミングがむしろ燃料を買い込むチャンスであったかもしれない。

地震後の仙台・街模様である。


放菴になんとか到着、でもなんか変。

「・・・? なんで部屋こんなに寒くしているの? ストーブは?」
すかさず次男が答える。
「だって、地震のときは火は使えないんだよ。」
はあ、そうですね・・・。妙に地震慣れしちゃった?

カウンターには懐中電灯、若干のお菓子、そして息子の首から家の鍵がぶら下がっている。
これって、子供たちだけで避難するつもりだったの?
「うん、もっと大きな地震だったらいくつもりだった。だってお父さんかえってこれなくなっちゃうかもしれないでしょ。」
・・・、しっかりしたお子さんで・・・。

カウンターにはもう一つ、小さな箱が乗っていた。
あれ、シモヤケの薬じゃん。なにこれ?
「だって、避難所行ったらきっと寒いでしょ。ぼくシモヤケになっちゃうもん!」

これには笑った!なんつー思考回路だ。
けれど避難所へいけばどれだけ不便か、子供なりに考えているのだ。笑ったあとだけど、その思慮には見習うべきものがある。

こどもの一生懸命さはおかしくもあり、可愛くもある。
一方、これだけのリアリティを植えつけてしまった震災、って、やはり恐ろしい。
これからまたしばらく余震の恐怖と付き合わなければならない。
今回は南三陸などの海洋設備にも被害は少ないという。 なによりでしたね。
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