平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い965 撫順(ぶじゅん)の奇蹟(2)赦しの花

2017-11-13 10:25:59 | 日記
     平和への希い965 戦後73年  
   撫順(ぶじゅん)の奇蹟(2)赦しの花  2017.11.13.
11月8日のNHKラジオ深夜便、「明日へのことば」で、初めて知った感動のお話の続きです。
(撫順(ぶじゅん)の奇蹟の概要・・・平和への希い961とダブりますが)
「撫順(ぶじゅん)の奇蹟」を受け継ぐ会岩手支部代表の小野寺武雄さんのお話でした。
「今だからこそ、『人を赦す』から学ぶ」という内容でした。

撫順の奇蹟とは、中国遼寧省にあった、敗戦に伴う日本兵の戦犯収容所「撫順戦犯管理所」での実話です。
極東裁判はじめ、世界各地で日本兵が犯した「罪」を裁く、戦犯裁判が行われたが、撫順もその一つ。
一人の死刑者も無期懲役者も出さず、最高でも20年の禁固刑だったようですが、恩赦等で、約1000人も
の戦犯全員が無事帰国できたのは、撫順だけだったようです。だから、「撫順の奇蹟」と言われるのです。

「撫順戦犯管理所」の基本は、「罪を憎んで人を憎まず、人を戒めて人を救う」ということにあって、
「戦犯を一人も死なせない」、「戦犯を侮辱しない、戦犯に暴力を振るわない」、「強制ではなく自ら罪を認
めるようにする」、ということでした。

戦犯の人達が、恩赦で釈放され、帰国する際に、朝顔のタネが入った白い包みを渡され、
「今度中国に来るときは、銃ではなく、花を持って訪ねてください」
と言われたのだそうです。
朝顔は、戦犯の人達が、「撫順戦犯管理所」の庭で育てたもので、そのタネが、日本全国で花を咲かせている。
元戦犯の人達は、自分達を生れ変わらせてくれた「撫順管理所」へ、朝顔の花を持って再訪しているとのこと。
管理所の職員になった人の中には、家族が虐殺、目の前で凌辱された方も多かったけれど、「恨みを晴らしても
憎しみは消えない」「過去は過去、新しい未来こそ大事」と、戦犯に対して人道的に対応したことで、
「撫順戦犯管理所」の皆さまと戦犯の皆さまは、「赦しの花、朝顔」を大切にすることで、二度と不幸な戦争を
繰り返さない世の中を創る努力を忘れないようにしましょう、と確認し合っているのだそうです

撫順の奇蹟は、私達に「赦しの花 朝顔」をとおして、
「戦争は、個人を鬼にしてしまう」「死刑にしても平和は来ない」
「武力で解決するのは仕方がないということでは戦争は無くならない」

ということを教えています。
先日行った、渡良瀬渓谷の紅葉です。

11月13日、「今日は何の日カレンダー」より
うるしの日(香川県漆器工業協同組合など)
▲武家諸法度で、大名の妻、江戸居住を決定(1624)▲火あぶり・はりつけの刑廃止(1873)▲フランスで世界初、
ヘリコプターによる飛行成功。高度1.8m、滞空時間 20秒(1907)▲発見から3年、ツタンカーメンの墓開け
られる(1925)▲ネッシー、最初の写真撮影に成功。最初に見たという記録は565年(1933)
▲日本プロ野球が初めて米大リーグに勝つ(1951)▲全日空機、松山空港で海上に墜落。50人全員死亡。
国産機事故は戦後初(1966)▲岡田嘉子、亡命先のソ連から34年ぶりに旧ソ連文化省派遣の文化使節として
帰国(1972)▲サトウハチロー没(1973)▲山階鳥類研究所が沖縄本島で発見された新種の鳥にヤンバルクイナと
命名(1981)▲島根医大で初の生体肝移植手術(1989)

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