平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い2258 いちご離れ

2021-06-27 10:58:52 | 日記

昨日26日の日経夕刊「あすへの話題」で、俳人「黛まどか」さんが、「いちご離れ」という言葉がある
ことを教えてくれました。感動しました。
桜樺細工で有名な岩手の集落では、7月初旬、桜の木の皮を採りに行くと、熊の親子に会うことがある
ようです。母親が小熊に、この頃実る野イチゴを食べさせに来て、小熊が一心不乱に野イチゴを食べている
間に、母熊はそっと離れ、永遠の別れをする、というのです。
「これからは、自分の力で生きていきなさい」と、甘い野イチゴが、母子を断ち切り、自立を促すための、
母からの最期のギフト、なのだそうです

厳しい自然界の営みに、人の世にも通ずる親子の情愛を感じ、村人は「いちご離れ」と呼ぶようになった。
「いちご離れ」には、熊の親子を見守る村人の暖かいまなざしと、自然への敬意が込められている。
言葉は、風土に生まれ、先人たちの悲喜こもごもを抱えて、長い歳月を経て残った「一雫(ひとしずく)」だ
それらを次の世代に伝えて行く義務が、私達にある。
と、言葉を大切にする、俳人黛さんのエネルギーを感じます

昨秋、亡くされたお父様が、黛さんに残した「いちご離れ」にも感動しました。
お父様の病状を隠して、知らせないようにしていたが、お父様は、刻々と死に向かうご自身の状態に気付かれ
ていらっしゃったようで、
「ウィットに富んだ会話で終始皆を笑わせ、精力的に俳句を詠み、日々感謝の言葉を口にし、最期の瞬間まで
父らしく生き切った。気づいていなかったのは、私の方で、今にして思えば、あれは『いちご離れ』だった
のだ」
と結んでいらっしゃいます

早いか、遅いかはあるが、必ず来る、親子の永遠の別れ。
熊は、甘いイチゴを子に食べさせ、「子供のために永遠に会わない」と心に決めて、別れるその心情も、
黛さんのお父様が、家族に、最期の瞬間まで生き切った「生きざま」を遺してお別れされた心情も、
言葉では言い尽せない感動と前に進む勇気を頂きました。ありがとうございました

ウォーキング中に出会った花。

6月27日「今日は何の日カレンダー」より  日照権の日、女性雑誌の日
▲銀閣寺完成(1483)▲幕府が、風俗を乱すと若衆歌舞伎を禁止(1652)▲ロンドンで女性向け雑誌初発行(1693)
▲ロシア戦艦ポチョムキンの反乱(1905)▲第1回漫画祭り、開催(1915)▲アメリカ軍、朝鮮戦争に参戦(1950)
▲ソ連式無痛分娩が日本で初めて成功(1953)▲ソ連で世界初工業用原子力発電所運転開始(1954)
▲チャップリン、オックスフォード大学より名誉博士号授与(1962)▲新潟地震のため国体夏期大会中止(1964)
▲最高裁、初の日照権承認の判決(1972)▲上野動物園でパンダが誕生、43時間後に母親の下敷きで圧死(1985)
▲松本市で猛毒ガス発生。7人死亡。7月3日に、化学兵器に使われる神経ガス「サリン」と判明(1994)
▲天皇・皇后陛下が太平洋戦争の激戦地サイパンを訪問(2005)▲はやぶさ2、リュウグウ上空に到着(2018)

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