79年前の1945年7月26日は、太平洋戦争でボロボロになっていた日本に、無条件降伏をするよう、
米英中による、ポツダム共同宣言がなされた日です。
その翌日、7月27日、日本に「無条件降伏を受け入れるようポツダム宣言」が届いた。
アメリカでは、すでに、原子爆弾の開発が終わっていた。
英国首相チャーチルが、「赤ん坊(原子爆弾)は申し分なく生まれた」と、喜んでいました。
米英ソ首脳は、原爆の誕生で対日戦争の勝ちは見えたと確信し、日本に、「無条件降伏」を突きつけたのです。
米トルーマン大統領は、原子爆弾を、日本戦で使いたくてウズウズしていた。
敗戦に継ぐ敗戦で、冷静な判断が出来なくなっている日本軍部は、「ポツダム宣言を受諾しないだろう」
と、トルーマンは見透かして、「原子爆弾」を使えると、喜んでいたのです。
戦争責任を問われることを恐れた日本政府は、「ポツダム宣言を無視」し、軍部は「一億玉砕」を言い出し、
徹底抗戦を打ち出した。一億玉砕で、日本人が全部死んでしまえば、「戦争責任」はウヤムヤになる。
マスコミは、「笑止、対日降伏条件、聖戦あくまで完遂」など、東京はじめ各都市の大空襲や悲惨な沖縄戦
などによる国民の窮状よりも、国民をダマす片棒を担いでいたのです。
7月26日が来る度に、「広島・長崎の原爆投下」の前に「ポツダム宣言を受け入れていたら」と、
東条英機や、安倍元総理のお爺ちゃん(岸信介、戦争を始めた東條内閣の閣僚)達に恨みを言いたくなります。
結果論を言ったらキリがないけれど、7月中にポツダム宣言を受け入れていれば、原爆で苦しむ広島・長崎も、全国各地の空襲も、ソ連の参戦も無く、救われた命は多かった筈なのです。
広島・長崎の犠牲という大きな代償を払ったが、8月15日、天皇による聖断で、「無条件降伏」した。
戦勝国は、「二度と戦争出来ない日本にしよう」と、憲法9条を、日本に制定させたのです。
お蔭で、日本は、79年間、世界各地で戦争が起きても、戦争に巻き込まれず、戦争で人を殺すことも無く、
殺されることも無かったのです。憲法9条は、世界から戦争を無くす、ゴールデンキーなのです。
ウォーキング中に出会った花。
7月26日「今日は何の日カレンダー」より ポツダム宣言記念日、幽霊の日、日光の日、ふろの日(毎月)
▲弘法大師が日光山と命名(820)▲幕府は新田として開発可能な荒れ地、未開墾地には開発の許可を与える
(享保の改革)(1722)▲東海道四谷怪談、初演(1825)▲長州藩領内で大規模な防長大一揆起る(1831)
▲英公使オールコック、外国人初の富士登山(1860)▲東京横浜毎日新聞が開拓使官有物払い下げ暴露(1881)
▲津田梅子の英学塾、設立(1900)▲FBI誕生(1908)▲ポツダム宣言発表。ベルリン郊外のポツダムに
英チャーチル、米トルーマン、ソ連スターリンが参集して、戦後ドイツの処置、対日処置、日本の無条件
降伏など共同宣言(1945)▲OECD(経済協力開発機構)日本加入を承認(1963)▲1783年の浅間山大噴火に
よる埋没地域の嬬恋村、発掘開始。人骨、仏像、石臼、戸障子など発掘(1979)▲福岡市地下鉄開業(1981)
▲政府、韓国で元従軍慰安婦から聞き取り調査を開始(1993) ▲神奈川・相模原障害者施設殺傷事件(2016)
▲オーム真理教死刑囚13人の死刑執行完了(2018)▲卓球混合ダブルスで、水谷・伊藤組が中国組を破り
金メダル(2021)▲ストリートスケードボード女子、日本人最年少更新、13歳西矢椛が金メダル(2021)
▲菅総理、「黒い雨」裁判2審敗訴で、上告断念を表明(2021)▲秋葉原無差別殺傷事件の加藤死刑囚に死刑
執行(2022)