平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い1667 悩ましい日々

2019-10-27 10:59:13 | 日記

老人ホームに移った兄が、熱発や食欲不振で、衰弱気味、心痛む毎日。
副腎のガンが「原発」なのか、他の部位のガンが「転移」したものかの、ハードな検査が必要だが、体力的に
耐えられるかどうか難しい状況だけど、どうしますか、とお医者さんに言われ、
「もうハードな検査はしたくない。原発にせよ転移にせよ、ガンを切除したり、化学療法・放射線療法など、
ハードな治療もしたくない」と、お医者さんと保証人の私、病院の相談員の前で、兄は明言。
検査も治療もしないことになったので、病院にいる必要が無くなった。
リハビリ病院で、何とか現状維持のリハビリを、という選択もあったが、2か月しかいられないとのことで、
2か月のリハビリで、もとの生活に戻れるわけでもなく、兄も断念。
40年来の糖尿病が元で、歩行困難になり、脳梗塞発症で、右半身不随・ロレツが回らない、「介護度4」の
身なので、「看護士常駐」、「完全介助」の老人ホームを、私の近くで探した。
本人は、『情けない』と嘆き、『食欲がない』と、何だか、「死」を待つだけの老人ホームになりそうで、
何とか、『大往生』を目指せないか、と、好きな旅行に行けるように食べて体力をつけることの必要を話し、
世界91ヶ国も旅行したDVDを見せ、気持ちを前向きになるよう、そして、残された私達兄弟が、「ローソク
が消えるような最後で良かった」、と思える最期にしたいもの、と、思っているのだが、現実は厳しい。
私達兄弟が、どう寄り添ったら、兄は幸せな最期を迎えられか、ということに悩ましい日々が続いています。
ウォーキング中に出会った花々。
10月27日、「今日は何の日カレンダー」より
読書週間●古本祭(東京千代田区・神田古書書店街)
▲空海、死後弘法大師の名に(927)▲徳川家康、大坂城で秀吉と会見(1586)▲寛政の改革、書籍出版取締令に
及ぶ(1790)▲安政の大獄で吉田松陰ら刑死(1859)▲秋月の乱(1876)▲横浜で日本初の近代的上水道水開始(1887)
▲浅草・凌雲閣に日本初のエレベーター設置。12階(1890)▲東京中央放送局、初めて海外に電波を送る(1930)
▲渡辺選手、小児マヒ克服し国体出場(1969)▲日刊ゲンダイ創刊で駅売り夕刊ブーム到来(1975)
▲ ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の呼びかけで欧米、アジア 、アフリカ、南米、ソ連、東欧からあらゆる宗教
代表者約100名が、イタリアのアッシジへ 集い、それぞれの宗教儀礼で「平和の祈り」を行った(1986)
▲南アフリカのネルソン・マンデラ氏初来日(1990)▲トルクメニスタンソ連から独立(1991)▲ボストン・
レッドソックス86年振りワールドシリーズ優勝(2004)▲世界金融危機で日経平均株価最安値(2008)
▲スペイン・カタルーニャ州独立宣言、31日にはスペイン高裁が独立宣言無効を宣言(2017)